「それじゃ、そいつから何か聞けるんじゃない」

 朝食の後。晩の出来事を聞いた天空は、欠伸をしながら言う。

「そういう雰囲気ではなかったのう」

 どちらかと云えば関わりたくない。そう見て取れた。

「術をかけているのに、見破るなんて普通じゃない。鬼だって、見えているはずだ」

 浴衣の肌けた鎖骨を掻く。

「正面切って乗り込んでも、追い返そうだったな」

「言わないなら、力尽くで聞き出せばいい」

 天空らしい言葉だ。

「わかった。では、朱雀と白虎は近辺を。天空は我と屋敷へ参ろう」

 月影を継ぐ者が、どれ程の力を有しているのか、興味はあった。

 それに、妖に精通している者ならば、話は早い。

 騰蛇達は、直ぐに宿を出て行った。昨晩の記憶を頼りに屋敷を探し当てる。門の前に着くと、天空は家紋を目にして笑む。

「やけに静か」

 確かに。物音一つしない。

「出かけておるのでは?」

「さぁ。でも、警戒されてる。ほら」

 天空の視線の先。家紋の下に真新しい護符が貼られている。

「小賢しいね」

 苛立ちを見せる。

「ま、どっちでもいいけど。中には入らせてもらうよ」

 早くも力尽くで突破しようとする天空を制すように、門は開かれた。呆気にとられる二人の前に、一昨日男と一緒に居た青年が姿を現した。

「お入りください」

 柔らかい声。

 銀の髪を揺らす青年の姿は、人にあらず。妖の気配を漂わせている。

「さぁ、早く」

 急かされ、二人は門をくぐる。

「どうぞ、こちらへ」

 石畳の道を進み、屋敷の中。客間を思われる畳の部屋へ通される。

「只今、主を呼んで参ります」

 青年は叩頭した後、足音を立てずに姿を消した。

「なんとまぁ。妖気が凄まじいのう」

 門の内側に入った瞬間、体を突き刺す視線のような妖気。あの護符は、この気を漏らさないための様にも思えてくる。

 普通の人ではわからぬが、妖気につられ他の妖が現れては、身が休まらないであろう。

 騰蛇と天空は、青年が戻るまでの間を静かに待った。

 やがて、廊下を足が踏み鳴らす音が聞こえる。大きな足音だ。それは、青年のものとは違う。どこか怒りを感じさせる音に聞こえる。

 その音は、部屋の前で止まると、勢いよく襖は開かれた。

 姿を見せたのは、浴衣姿の男。昨晩送り届けた男で間違いはなかった。

 酷く青白い顔から、酔いは冷めていないのがわかる。髭も濃く、髪も酷い寝癖がついたままだ。

 二人の前で胡座をかいて座ると、青年から水を手渡され一気に飲み干す。

「起こしてしまったようで、すまぬな」

 先に言葉を発したのは騰蛇。

「何の用だ。帰れと言わなかったか?」

 男の機嫌は相当に良くない。

「帰れぬ、事情があるのだ」

「事情なんて聞く気はないね」

 全く聞く耳持たず、突っ撥ねる。

「朔羅(さくら)……お願いです。お話、お伺いしていただけないでしょうか?」

 青年は、男へ深く叩頭する。

「っおい、銀やめてくれ……」

 青年は一向に頭を上げる様子がない。

「薄情なやつ」

 天空の呟きは男の耳に入る。

「ったく。わかったわかった。聞きゃいいんだろ? 銀、頭上げろ」

 ぶっきら棒に言い放ち、男は不本意な顔をしながら、騰蛇の話を静かに聞いた。

「——面倒事も厄介事も嫌いだ」

 開口一番、男は言い放つ。

「だから聞きたくなかったんだ」

 不貞腐れた態度をとった。

「銀。話してやれ」

 はい。と答えると、銀と呼ばれた青年は騰蛇と天空両者の方を向くと、深く叩頭し、その姿を現した。

 二人の目の前には、銀色の毛並みをした美しい狐。

 尾は九つ揺れ、その狐が妖狐であるのが見て取れる。この屋敷に充満した妖気は、この気であった。獣の姿で、より一層研ぎ澄まされた気が強まる。

『お久しゅうございます。騰蛇様、天空様』

 狐は、そう言葉を放った。

 随分と成長した姿ではあるが、騰蛇は記憶の海に浮かぶ記憶の断片を呼び起こす。

「銀……。記憶が確かなら、あの時はまだ子狐であったが」

 確かに、まだ小さい可愛い銀狐であった。

 水月の亡くなった後、子供であった狐がどの様になったかは知らないままであった。

『あの頃は、よう遊んでくださいました。お懐かしゅうございます。こうして再びお会いする時が来るなど、思ってもおりませんでした』

 尾が左右に揺れる。

「直ぐに気づかなくてすまぬな。まさか、妖狐になるなど思いもせぬ事でのう」

『良いのです。水月様亡き後、あちらへ帰られたのですから』

 銀は、姿を人型へ変える。

「私は、まだ小さく、あの時は何の助けにもなれず……とても、悔しい思いをしておりました。水月様や騰蛇様、天空様、皆様に守っていただくばかりで……私は同じように守りたかったのです。あの時、水月様が亡くなり、悪い鬼が封じられたと知った私は、お役に立ちたい一心でございました。悪い鬼が再び現れぬ様ずっと見張っていようと、あの山へと入りました。知っての通り、あの山は霊山です。私は永い永い時間をかけて妖狐となりました。あの岩に近づく者を追い払い、ずっと見張り続けておりました。しかし、噂は広がり、人は私を退治しようと現れたのです。妖である私の姿は、人には恐怖でしかないのでしょう。大勢でした。刃が牙を剥き弓矢が私を追いかけ、山の奥地へ逃げ伸びました。ですが、あの岩は私が人を近づけまいとした物。それが、私の力だと思われたのでしょう。戻った時には既に破壊された後でした。悪い鬼の気配も姿も無く…………私の所為でございます。全ては、私の所為なのです……」

 銀の告白に、騰蛇は初めて子狐の胸の内を知った。

 頭を下げたまま。肩が震え、啜り泣く声に胸が痛む。

「その後さ。こいつが突然俺の前に現れて、鬼退治を一緒にしてくれって懇願してきたのは。九尾の狐が、あんまりにも必死に泣きつくもんだから、ついな。屋敷に置いてやっているわけだが」

「術は使えるの?」

 話を遮り天空は問う。

「術ねぇ。さぁどうだろうな」

「はぐらかすな」

 天空は立ち上がり、自身にかけていた術を解く。

「この姿。見えていただろう?」

 空色のふんわりとした髪色。紺碧の瞳は冷たく男を見る。

「銀、頭を上げろ。お前の所為ではない。気に病むこともない。千年もの間、良く見張ってくれていた。妖になってまで守ろうとした気持ち、しかと受け取った」

 からりと晴れた雲一つない晴天のように、天空の声は響いた。

「結」

 口元に二本指を立て、天空は結界を張る。

「力尽くで見定めさせてもらう」

 天空は、部屋の中にも関わらず、その場で刀を抜いた。

 すかさず刀身を手でなぞり神気を込める。すると、刃は水色棟は灰色へと変色した。

「ちっ。んなもん振り回したら壊れるっての」

 男は絶不調の体を外へと移す。

 天空の目は本気であった。流石に丸腰ではどうにもならない。

「厄日だぜ」

 一言で現状を表す。

「盟約ノ元命ズ我刃トナリテ召シ寄セル。烏」

 男は妖を口寄せた。

 姿を現した妖は刃となって男の手に収まる。烏らしい、濡れ羽色の刃だ。

「口寄せか」

 それも只の口寄せとは異なる。呼び寄せた妖を自身の武器として使う、高難易の術だ。

 天空はまず剣術を確かめるべく、刃を振るう。鈍い音が間髪入れず響く。

「ふむ。悪くはないのう」

 騰蛇は、目を細めて言う。

 天空は距離を取り、左の手から黄砂を生み出し男へと差し向ける。砂は、小さな丸い球体となり、男へ襲いかかる。

「うわっ」

 一度目は、なんとか身をよじり交わした。

「烏」

 二度目、刃から大きな黒々とした羽が現れ、砂から男の身を守る。

「やるではないか」

 騰蛇の目は輝く。

「盟約ノ元命ズ我衣とナリテ召シ寄セル。朧」

 次いで呼び寄せた実体なき妖は、男を包み込んだ。

 天空は、攻撃の手を緩めず、黄砂を一直線に男へ向かわせる。鞭のようにしなる黄砂は、男を打ち付けるが痛がる様子はない。

「成る程、衣か」

 男は全身に衣をまとっている。その衣が、身を守っているのだ。

「へぇ」

 一層視線が冷たく変わる。

 屋敷の中、結界の内側に雨雲が現れて突如、雨が降り出す。

「なんだ? 急に」

 見上げれば分厚い灰色の雲。急激な雨が降ったかと思えば、今度は雷鳴が轟いた。

 そして、降る。

 閃光は、男を直撃した。途端、ぐわっ。衣は悲鳴をあげる。

 声を聞いた男は、光の残像の中必死に屋敷へ逃げ込む。

「一体、何が起きたんだ!」

 男を探す唸り声が響いている。

「天の気分を空に表す。何や気に入らぬ事でも起きたのであろう」

 騰蛇は面白そうに微笑む。

「勘弁してくれっ……うっ」

 男は、急激な吐き気に襲われ、口を押さえながら厠へ駆けた。

「天空。もうよかろう」

 騰蛇の言葉に従い、雨雲を消すと、天空は再び部屋の中へと戻った。


 厠から戻ってきた男は、再び胡座をかいて座った。

「見事な口寄せを見せてもらった。水月を写した様であったのう」

 褒め言葉だ。

「どーも」

 これにもぶっきら棒に返す。力はあれど、性格はまるで違う。

「これ程の力があって、その也とは勿体無いのう。何故、その力を生かさぬのだ」

「言ったじゃねーか。面倒ごとが嫌いだって。それに、そういうのは天璋院に任せておけば良いのさ。それなりに治るからな」

「天璋院とな」

「あぁ」

「天璋院は、お前より強いのか?」

 天空が口を開く。

「さぁ、どうだろうな。関わりないから知らねぇ」

「まぁ良い。して、そなた鬼について何か知らぬか?」

 騰蛇は当初の役目を果たすために問うた。

「俺が見かけた時は、まだ不完全だったな。妖の匂いと鬼の匂いが入り混じっていた。恐らく、妖も喰らっている。その後は人の血を自身の血肉にしていたんだろう。何人か、殺られた。血を根こそぎ抜かれて奇妙な骸だったぜ。鬼の肌は黒く髪も黒く、気も黒い。あれは闇だ。怨念のような闇。だが、今その気は見当たらない。どこに行ったのかも知れない。人ではどうにか出来る問題ではないね。銀にも言ったが、鬼は水月が十二天神を使役してやっと倒した相手だ。ただ術が使える程度では、どうにもならん。さ、これでいいだろう。話たんだから、用は済んだだろう」

 男はお引取りを願った。

「鬼の噂は真であったか。尚の事、鬼をなんとかせねば、水月を人の世に返す事は出来ぬ」

「水月様……」

 銀は水月の名に反応する。

「正確には、水月の生まれ変わりよの。水月(みずき)と言う。縁あって、あちらへ迷い込んでの。呪をかけられておるのだが、どうにも解けぬ。もしや鬼と関係あるのではと思っておるのだが。いづれにせよ、鬼のいる世に戻すわけにはいかぬ。鬼が水月をどうにかせぬとも限らぬ」

 鬼は水月を恨んでいよう。

 今の水月はただの人の子。危険に晒すわけにはいかない。

「水月様。お会いしとうございます。私は、あの時命を助けて頂いたお礼をせねばなりません」

 銀は懇願した。

「銀よ、水月(みずき)に水月(すいげつ)の記憶はない。別人であるのだぞ」

「構いません!」

 それでも会いたい。銀の目はそう訴えている。

「ふむ。お主の姿。皆さぞ驚くであろう」

「騰蛇様! ありがとうございます!」

 満面の笑みを作り銀は頭を下げた。

「おい、お前も来い」

「は?」

 天空は男をじっと見、続ける。

「人の世には関与しないが常。だから、式となった。解る?」

 つまり、間に人を介す。という事。

「嫌だね。俺に水月の様にお前達を式として使えって事か? 俺に、鬼退治をしろって事だろうが、あんな化け物相手になんかしてられるか。命が幾つあっても足りないっての。お断りだ!」

 ふいっと、そっぽを向く。

 男の答えに天空は何も言わずに黄砂を差し向け男の体を縛る。

「っおい! くそっ解け!」

「嫌。お断り」

「何なんだよ、こいつ! とんだ神様だなっ、おい!」

「何とでも」

「ははっ。天空をあまり怒らせるでないぞ」

「笑ってる場合か!」

 縄を解こうともがくが、より一層きつく絞まる。

「くっそ! 人攫いめ」

「まぁ、どちらかというと神隠しよのう」

「かみ――全然上手くないんだよっ!」

 騰蛇の言う様に、男は人の世から忽然と姿を消す羽目となった。

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