九
久方ぶりに人の世に現れた四つの影は、着いた先の惨状に溜息を漏らす。
「鬼の気配はないが、酷い有様よ」
「戦の後か」
死臭が酷く、鼻を覆う。
「騰蛇、これからどうする?」
「まずは、魂を封じた場所へ行き確かめねばならぬ」
人の形(なり)をした四つの影は、人里へと向かった。
人目のない場所へ降り立ったが、合戦の後とは幸先が危ぶまれる。道中、少しでも情報を得るために、里の中に停泊する事とした。まずは、飯屋に立寄る事で、意見は纏まる。
戦の世からか、身なりの良い者の帯刀が目立つ。
それで、上手く馴染めていると実感する。ある程度の情報は雪兎から得てはいるが、気が抜けないのは確か。
「しかし、呼び名を一郎とは。適当にも程があるのう」
そう自嘲するのは騰蛇だ。
こちらでの呼び名をどうするかと悩んだ末、一時だからと一から四まで郎を付けるで良いとなった。が、改めて呼ぶとなると羞恥心が生まれる。
「兄弟みたいで気持ち悪い」
そう言い出したのは、天空だ。
空色のふんわりと雲のような髪は、目立たぬよう黒に染まっている。物言いは、変わらずだが。
「そう言うなよ四郎。俺は結構気に入っていぞ。な。二郎」
大きな猫眼を輝かせて、朱雀を見る白虎。顔半分の髪は普段ならば白いが、天空同様黒一色だ。
普段見られぬ姿に、各々新鮮味はあったが、中身は普段と変わらない。
「さて、良いか。雪兎もこうして情報を得たという。些細な事でも逃すでないぞ」
騰蛇の言葉に、三人は頷く。
飯屋を後にした四人は、宿を取るとすぐ様二手に分かれて里を歩きまわった。陽が落ちた頃、宿の割り当てられた部屋にて情報を交換し合う手はず。
燭台に火を灯し、互いの顔が良く見える距離で、話し合いは行われた。
殻を破る感覚。自身にかけていた術を解き、真の姿を晒す。
「本当、窮屈な術。騰蛇は良いよね、元々黒髪だから」
いの一番に不満を漏らしたのは天空だ。今は、自慢の空色の髪を魅せている。
「まぁまぁ、これも承知の上であろう」
「そうだけど。なんか不公平な気がしただけ」
「天空は卑屈すぎやしないか?」
「何? 悪いの?」
目を細め喧嘩腰の言い方に、言った本人は頭を掻く。
「これ。ここで揉めては先に進まぬ。朱雀も天空も、良いな」
この二人は性格が真逆の所為か馬が合わない。
「それで、お主らの方は何か手がかりは掴めたか?」
「……嫌。鬼というよりは、戦がどうとかこうとかだな。戦乱ってやつだな。不安を口にする奴が多かった」
「そうか。こちらも同様。鬼の気配も感じられぬ」
「鬼が出るか蛇が出るかだな。っておい白虎寝るな」
物静かに聞いていたかと思えば、朱雀に目を閉じて寄りかかる。
「大きい声出さないでよ、朱雀」
すかさず天空が注意する。
はて、どうしたものか。
この癖のある三人を面倒見るのは自分であろうな。
騰蛇はこちらへ来る面々と顔合わせした時より、こうなる事は分かっていた。一度刀を抜けば心強い者達であるは間違いないが、普段の相性は良くない事は確か。
「子の刻に確かめに参る。夜陰故、里を抜ければ駆けて行けよう」
騰蛇の意見に賛同した朱雀と天空は、時刻まで口を聞くことはなかった。
人々が寝静まる時刻。
妖は人を惑わし食らう。斯の話は、ずっと昔から口伝えされてきた。時にその姿は絵師によって描かれ、より信憑性を持って語られる。
異形の姿または、時に人の姿で現れる妖。
子の刻。
外を出歩く者は居ない。
人気のない里は灯りも無く、ただの暗闇だ。
今は、妖だけではない。
人が振るう刀剣が、命を食らう世の中。
用も無く出歩くなど、命を危険にさらすだけの行為。
それが、かえって好都合であるのは確か。
白虎を叩き起こし、里を抜けた所で獣の姿へと、一言。
眠い眼を擦り、大きな欠伸の後、大風と共に白い虎は現れた。
「騰蛇と朱雀を乗せればいい? 天空は飛べるでしょ?」
「上までは乗せて」
「三人は重いよ。……ま、良いけど」
「すまぬな。我らでは、辺りが焼けてしまう故」
「良いから。早く行って早く帰って寝たい」
白虎は、身を屈め乗るように促す。
ふんわりとした毛並みの白虎の背に乗ると、急上昇し、人目につかぬ上空で一旦止まる。
「じゃ、後をつけるから」
天空はそう言うと、手から黄砂を出しその上に飛び乗る。
「あの山の麓へ行かれよ」
「分かった。飛ばすから気をつけて」
白虎は言う通り、素早く駆けた。
里の裏手にある山は、霊山だ。
この霊山には結界が張ってある。かつて、黒鬼を封じた際に張ったものだ。妖は、この結界に入ることも出ることも出来ない。
白虎は人気がないのを確認した後、ゆっくりとその場所へ降り立ち、人の形へと戻る。
「なんと……」
異変が起きていた。
「淀んでる」
霊山であった山は、今や邪気を孕み淀んだ空気であった。
「恨みが滲んでる。それに、壊されてる」
天空の言う通り、黒鬼を封じていた岩は、物の見事に割られていた。
「いよいよ噂が真実味を帯びてきたね」
白虎の眠気もさすがに吹き飛んだ様子。
「兎に角、貴人に知らせねばならぬな」
騰蛇はその時、提灯の灯りが近づいてくるのを目にする。
「こんな時刻に出歩く人がいようとは」
今は人の姿。
四人は会話を止めて息を飲む。
その灯りは、徐々にこちらへ近づく。
そして、止まる。
「妖かと思ったら、ただの人か。こんな時間にこの辺をふらつくって事は、この辺の者じゃないな?」
提灯の灯に顔を照らされる。
「へぇ。こりゃまた別嬪揃いで」
無精髭の男は、物珍しい目で四人を嬲るように見た。
「俺の見間違いか。確かに、こっちへ来たと思ったんだがな」
と、言う目は白虎を捉えていた。
暫し、じっと見つめる。
「……ま、いっか。聞かぬが花ってな。銀、行くぞ」
男は何も言わず、元来た道を帰ろうとする。
「おい、銀。帰るぞ」
男に呼ばれ、銀と言う人物は、四人へ深く深く頭を下げると、後ろ髪引かれる思いで、彼等に背をむける。
男の姿が見えなくなると、白虎は大きく息を吐いた。
「生きた心地がしなかった。もう帰りたい……」
獣の姿ならば、耳が下がっていたであろう。緊張感が一気に抜ける。
「あの男。見透かしていたね」
「ふむ。ただの人ではない様子」
「見える人と見えない人がいるのは仕方ない。事を荒立てないで済んだんだから、いいんじゃない」
天空は他人事のように話す。
「宿へ戻ろう。これ以上人に見られてはかなわぬ」
黒鬼を封じていた岩が壊されていた事実を得た四人は、再び空中を飛び舞い戻る。空の上での会話はなく、重い空気だけが漂っていた。
翌日。
鬼の目撃の上がった都へと発つ事とした。
里から都までは一本道。人の足では丸一日を要した。ここでも天空は愚痴を漏らしていたが、都に着く頃には弱音も出ぬほど疲れ切っていた。
里と比べると、都の中心は夜でも賑わいを見せていた。
本当に、鬼が出たのか疑いたくなる程に、明るい。
戦乱をも忘れさせるように、唄さへも聞こえてくる。
「極楽浄土って感じだな」
天空は嫌みを吐く。
騰蛇は宿を借りると、天空と白虎を残し、朱雀と二人都を見て回る。
「あいつら、本当に危機感なさすぎだぜ」
朱雀は肩を落として歩く。
「仕方無かろう。性分とは簡単に変わるものではない」
「だけどよう」
言いたい放題の天空に一々食ってかかっては身がもたない。故に、朱雀は口には出さず我慢していた。
「では、我らもあの店で羽目を外す。など、出来はせぬな」
騰蛇は一際賑わう酒屋を指差す。
「そりゃずるいぜ……」
「鬼の話が耳に入るかもしれぬ。そういう名目であれば良かろう。付き合うてくれるか?」
断らないのを承知していながら聞いてくる。
朱雀は頭を掻いて、付き合ってやる。そう答えた。
暖簾をくぐり中へ入ると、二階へと案内された。
中は廊下を挟み個室が連なっている。個室とはいっても、仕切られているだけであり、賑やかな会話が至る所で聞こえる。顔が見えないからか、愚痴や色恋に関する話も飛び交う。
個室奥は障子窓が開いており、開けば辺りを見渡せた。
「なかなか良い場所ではないか」
騰蛇は界隈を見渡して呟く。
「確かにな」
朱雀も騰蛇同様に辺りを見渡す。
「一日歩き疲れておる。さぞ美味い酒になろう」
「違いない」
乾杯の音頭の後、料理に舌鼓を打ちながら酒をあおる。
「我らだけで楽しむのは、申し訳ない気がするのう」
手酌をしながら騰蛇は言った。
「いいんだよっ。あいつが居たんじゃ空気が悪くなる」
「ほんに、仲が悪のう」
騰蛇は目をそらす朱雀へからかい半分で微笑んだ。
「しかし、出ぬな……」
聞き耳を立てているが、鬼という言葉は耳に入ってこない。
「都には居らぬ。という事かのう」
騰蛇は言いながら酒を一気に呑む。
「まだ来たばかりだ。通えば何か出てくるかもしれないぜ」
頬がやや紅潮している。酒が回っているからか、気分は上々だ。
「毎日来るつもりかの?」
どうやらここが気に入った様子。
「いいじゃねぇか。飯を食うなら楽しいほうがいいだろ? それに、多少の言い争いぐらいかき消してくれそうだしな」
天空との事を言っている。
それは確かに一理ある。騰蛇はこれまでのやり取りから思った。
「……あまり、飲みすぎるでないぞ」
何本と酒を飲んだことか。いくらの大酒飲みでも、加減してもらわなければ。騰蛇は上機嫌の朱雀へ一言だけ注意を促す。
「大丈夫大丈夫」
聞く耳持たず。
呆れ顔で、騰蛇もまた杯を傾ける。
そこへ、やけに大きな声と足音が近づいてくる。
「何や、騒々しいのう」
廊下側へと視線を向けた時、千鳥足の人影がこちらへ倒れこんできた。
「悪りぃ悪りぃ、邪魔したな……あ」
騰蛇はその男と目が合う。
何とも奇遇な事に、倒れてきたのは昨晩の男であった。
「そなた……」
男は何も言わずに立ち去ろうとするが、再び足が縺れ壁に頭をぶつける。
「ってて。あーくそっ飲みすぎた」
頭をさする。
「歩く事もままならぬとは。道端で倒れかねぬのう」
「ほっとけ」
「何かあっては寝覚めが悪い」
騰蛇は朱雀へ目配せをする。
すると、仕方ない。という顔をして素早く勘定を済ませる。その後は、男の両腕を掴み引きずるように酒屋を出て行った。
「して、家はどのあたりかの?」
すっかり酔いが回った男は、口では大丈夫だ離せと叫んでいるが、足には力が入っていない。両脇から騰蛇と朱雀が手を離せば、その場に崩れ落ちるだろう。
酔っ払いの介抱とは難儀。
騰蛇はそう心の中で口にしながらも、騒ぐ男から帰路を聞きだした。
碁盤目状の造りから、迷うことなく屋敷へ連れ帰る事が出来た。
「立派な屋敷よ」
男の身なりにはそぐわない屋敷門の前で、やっと両脇を解放される。
「ったく、お節介な事だ」
門に手をつき寄りかかる。
「鏡月紋……」
後ろで、朱雀が門の上を指差す。騰蛇は、その方向を見上げた。
そこには、三日月が向か合わせで二つ重なる鏡月の家紋があった。それで、この男の昨晩の言動を理解する。
「…………帰んな。ここは、人の世だ」
背中越しにそう言い放つと、男は門を開け中へ入って行った。
「帰れとは、あちらに。という意味であろうな」
「俺達が何者か。知ってるって口ぶりだな」
「そうであろう。この月影の紋。のう、水月(すいげつ)」
騰蛇は懐かしい目をして、鏡月紋を見つめた。
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