直ぐに舞い戻る。

 言葉通り、朱雀はその日の夕刻には再び姿を現した。

 土産だと言って、巳月へ麻布の袋を手渡した。その中身は実芭蕉(みばしょう)で、甘い香りが漂う。夕食の後にでもと、朱雀は言った。

 気候が暖かいから甘い果実が良く育つのだと、自慢げに話す。

 騰蛇の所の菴羅も格別だが、うちの実芭蕉も美味しいと豪語する。

 朱雀の言う通り、初めて食す実芭蕉は菴羅とは違う甘みと風味があり美味であった。黄色い皮の中は白い果肉。果汁はなく、食べやすい。

 水月が美味しそうに実芭蕉を頬張る姿を見て、朱雀はそうだろうと、嬉しそうに声を上げ、白い歯を見せて笑った。

「しかし、水月と云う名は巳月と混同してしまうな」

 朱雀は首を傾げた。

 巳慧と巳凪は巳月を旦那と呼にでいた。だから、船の上では、誰へ話しかけているかの区別が付いていたが、朱雀は彼を巳月と呼ぶ。

「そうだな。水、すいげ……嫌、その名はいかん」

 言いかけて、巳月へ視線を動かした。

「よし、花月(かづき)だ。花のように可愛らしいからな。まぁ、どうせそう呼ぶのは俺だけだろ。深く気にしなくていいぞ」

 朱雀の前で、水月は花月との名を頂いた。

 慣れ親しんだ水月という名で呼ばれない事に急には慣れず、暫くの間は、花月の名に反応出来ずにいた。

 それも二、三日を過ぎればようやく馴染んでくる。

 巳月は変わらず、巳慧と巳凪と一緒にいた。

 一方、水月は朱雀と共に居る時間が増えた。と、いうより、朱雀が一方的に水月の側から離れようとしない。

 朱雀は巳月と違い、自発的に色々な話を水月にしていた。そういう性分なのだと水月は感じる。自分の事を話した後は、水月へ問いを投げ、会話が自然と成り立つ。

 この日も天気が良く、甲板にて、たわいもない会話をしていた。

「朱雀様! おらだず、朱雀様の剣技も勉強したいだ。見せてくれるだか?」

 そこへ双子が無邪気に割って入ってくる。

「おう! いいぜ」

 一つ返事。

「巳月! そうゆう事だ。相手してもらうぜ」

「わかりました」

「良く見てな」

 双子は、その場に正座をして真剣に二人を見る。

 朱雀は巳月の前に立つと、腰から大太刀を抜いた。

 柄は紅。鍔は金。刃は濡羽色。

 構えれば、太刀の大きさが浮き立つ。

「こっちで、構わないよな?」

 朱雀は日輪の笑顔を向ける。

 すると、巳月も純白の鞘から刀を抜く。

 柄も刃も真っ白で、美しい。

「巳月の太刀はいつ見ても綺麗だな。その刃が紅に染まるのは、なんとも穢すようで気がひける」

「それは、この刃に斬られる。という意味になりますが」

「ははっ、そうだな」

 緊張感のない笑い。

「旦那も朱雀様も凛々しい姿だべ」

 刃を構える二人に双子は興奮状態だ。

「よし! やるか。花月にも、朱雀神たる所を見せたいしな!」

 水月の方を見る朱雀に、巳月の目が細められた。

 「行くぜ!」

 霞構えを崩し、先に動いたのは朱雀だ。

 大太刀を片手で軽く、下から上へ逆風。

 巳月が刃から逃れると、次の一手は左薙。それすら交わされる事など、予想の範囲だ。

 間髪入れずに漆黒の刃を振ると、金属のぶつかる鈍い音が響いた。

 互いに譲らず押し合う。

 純白と漆黒の刃がぶつかり合う光景は、不思議と引き込まれるものがあった。真剣故に、肌に当たれば血が流れよう。だが、命を奪う武具にしては、あまりに美しい。扱う主の優美な姿もあい重なり演武のように映る。

「か弱そうななりだが、力強い。腕は鈍っていないみたいだな」

 余裕を見せる。

「いつ何時、何が起きるか分かりませんので」

 素っ気なく、声音は冷たい。

 いくらの朱雀でも、虫の居所が良くない事は、はっきりとわかった。ただ、何に対して気分を損ねているのかまでは、分からない。

 一旦引き、体勢を整える。

 水月の側で観戦する双子からは、逐一喚声が上がる。

 今度は、巳月が動いた。

 素早く切り上げるが、交わされる。間髪入れず攻め続け、幾度と刃のぶつかりあう音が響く。

「すごいだ! すごいだ! 朱雀様! 旦那!」

 巳慧と巳凪の声もそのはず。

 攻防は勢いを増していく。

 先に、その力を発揮したのは朱雀だった。濡羽色の刃を、すっと手でなぞると、刀身は炎を纏った。

 それで、本気になった事を悟る。

「今、ここでお使いになるか……」

 小声で呟く。

 どうあっても、水月へ良い姿を見せたいらしい。

 巳月もまた、純白の刃を手の平で優しくなぞる。

「そうこなくちゃ」

 巳月の刃は、どこも変わった様には見えない。

 だが、朱雀から伝わる熱気とは真逆で、凍てついた冷気を感じる。

 巳慧は、それが神気(しんき)なのだと水月へ教えた。

 神気の強さや力は様々だが、知る限りで朱雀と騰蛇は炎気(えんき)。巳月は凍気(とうき)だと言う。

 摩訶不思議な現象であった。

 朱雀の太刀は、炎を纏うと刃の色がうっすらと橙に色づいた。刀自体が、熱せられているような、刃から棟までの濃淡ついている。

 相反する神気がぶつかり合うと、鈍い音に混じり、氷を溶かそうとする熱の音と溶かされまいと強固になる音が発せられる。

 互いの力を飲み込もうとすればする程、神気は強まる。

 それは既に、ただの打ち合いの度を超えていた。怖いくらいの気迫を、今は感じる。

 先の一手を取ったのは巳月だった。

 凍気を纏う姿に、背筋が疼く。

 いつにも増して、まるで氷のような瞳。

 純白の刃は鮮血を離さず抱いている。流れ落ちないまま留まる紅が目に止まり、畏怖が水月の体を震わせた。

 朱雀は肩についた傷を気にもせず、ふっと笑う。

「切れば切るほど、お前の刀は深紅に染まる。ま、真っ赤になんてさせないぜっ」

 楽しそうな声。

 今度は、負けじと朱雀の切っ先が巳月の小手を掠める。肉の焼ける音と、焦げる匂い。傷口は焼かれ血は流れない。

 これでおあいこ。

 そういう顔を朱雀は、巳月へ向ける。

 煽られる事なく冷静に。

 白と黒は静と動を繰り返す。大なり小なり傷を負う姿は手に汗握る光景で、怖いと思う反面、巳月から目が離せない。

 水月は、自分がその姿を追っていると気づいてはいない。

 朱雀の刃が白い肌を焼けば、同じ箇所が疼きだしそうな感覚。本気で、命を刈るつもりがないのは分かるが、斬り合う姿はとても暖かな目で眺めていられるものではなかった。

 しっとりと手のひらは汗ばんでいる。

 押し合いをしている最中、一瞬だけ巳月と目が合い、胸の中が大きく揺れた。

 感じた事のない鼓動に、胸を押さえる。

 今のは、一体何?

 ぎゅっと締め付ける鈍さを奥に感じた。

 呪いの所為?

 水月は感じた事のない胸の痛みに戸惑った。

 そんな彼女の不安も他所に、燃え盛る炎と凍てつく氷が静まり返ったのは、空が茜に染まった頃。

 どれだけ体力があるのだろうか。

 あれだけ動き回っていながら、息が乱れていないのには驚く。

「互角ってとこだな。ま、船の上じゃこんなもんだろ」

 派手に動けないから仕方ない。余裕のある言葉を朱雀は発した。

「神気を使うとは、思っていませんでしたが」

 終わっても尚、巳月は冷めた声を紡ぐ。

「ははっ、すまんすまん。闘争心に火がついちまった」

 悪びれもせず本音を漏らす。

「よっ! ちゃんと見てたか?」

 双子と水月の元へ軽やかに歩く。

「はい! 勿論だべ! 勉強さなっただべ!」

「そうか! まずは、日々の鍛錬だ。そのうち、己の神気も上手く使えるさ。頑張んな」

 明るい微笑みに、巳慧と巳凪は声を揃えて返事をする。

「どうした? 気分悪いのか?」

「あ、いえ……その、お怪我は?」

 水月の顔を覗き込む。

「あぁ、大丈夫だ。この程度の擦り傷なら、今夜には治るさ」

「今夜?」

「なんなら、確かめてみるか?」

 視線を合わせて朱雀は笑む。

 単純に怪我の有無の確認だと、水月は思う。朱雀は擦り傷だと言うが、痛々しく残る大きな傷が本当に治るのか疑う。

 はい。

 そう、答えようとした。

「明日お会いすればわかる事。態々夜に会う必要はない」

 水月が返答する前に、巳月が代わって断りを入れる。

 この、人の子は純粋すぎる。こうも簡単に誘いに乗ろうとするとは。止めに入らなければ、朱雀の申し出を受け入れていた筈。

 孤独の檻の中に長い間居たせいだろう。

 言葉の奥に潜んだ真意を読み取れない。

 巳月には水月が危うく映る。

 これでは、相手も勘違いしよう。

 受け入れられたと思えば、人の男の子(おのこ)ならば、簡単にその腕に彼女を閉じ込めよう。

 想像しただけで、苛立ちが生まれる。

「巳月には敵わないな。よし、明日になったら見せてやろう」

 刃を交えていた時より感じていた、巳月の機嫌を察知し、朱雀はそれ以上踏み込まずに後へ下がる。

 自分とは異なり、巳月は怒れば怒るほど冷静に、冷たくなる。その言葉や視線に毒を宿して初めて気づく。

 表立って感情を露にするわけではないのが、曲者だ。

 何が気に障ったのかは分からないが、触らぬ神に祟りなしだ。

 十二天神と眷属神という立場上、自分の方が上だが、どうにもこうなった巳月には勝てる気がしない。

「さて、湯浴みでもするか」

 この場を去る為の一言。

「んだば、おらだずお背中お流しするだ」

「おう、頼むぜ」

 双子を引き連れて、船内へと消える。

 眩しいばかりの夕陽は落ち着き、陰の刻が足早に近づく船上に二人。

 水月は、巳月の体を案じる言葉を紡いだ。

「お怪我を……しています……」

「大丈夫だ。直ぐ治る」

 突き放す言い方に、水月の胸は、また鈍い痛みを感じた。さっきとは違う痛み。何故だか悲しい。

 痛みに耐えている水月の視界が急に揺れ、足がふらつき巳月の袖を掴む。

「おい、どうした?」

「……すみません。少し眩暈が」

 視界が暗くなる。

 巳月の袖を掴む力が落ち、その場に崩れ落ちる。

 水月!

 そう名を呼ぶ声は遠く、水月はその場で意識を手放した。

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