四
船の旅は、朝を三度迎えた。
陽の高い間、巳月は双子の稽古をつける。
相も変わらず、双子は元気そのもので、水月にはその姿が眩しく太陽のように映る。
この三日の中で、水月は双子の見分け方を巳月から教わった。至極単純で、黒子が右目下にあるのが巳慧で左目下にあるのが、巳凪だという。彼等は、騰蛇からの命を遂行するため、食事の世話など進んで行った。無邪気に寄ってくる双子に最初は戸惑ったものの、裏のない底抜けに明るい彼等の行為を、素直に受け入れていた。
穏やかに時は過ぎた。
彼等は今日も稽古に勤しむ。
休憩を取っている合間に、水月はどこまで行くのかと、巳月へ質問を投げかける。
自分がどこに連れていかれるのか、単純に疑問に思ったからだ。
巳月は、甲板の上に白い和紙を広げ、筆を取り出すと何やら絵を描き始めた。水月はそれをじっと眺めていた。
中央に円。
その円の周りには四つの半月。さらに、その周りを七つの三日月。
花の様な綺麗な形が描かれた。
巳月は言う。中央には十二天の長である貴人(きじん)。半月にはそれぞれ、青龍・朱雀・白虎・玄武が。周囲の七つの一箇所を指し、騰蛇と。これから向かうは太陰の居る場所。天后(てんこう)と大裳(たいも)の地を超えた先へ指が向かう。
地の外側を、今は進んでおり、天后の地中腹部分だと言う。この距離だと、まだあと数日はかかる見込みだと。
意外と時間がかかるのだと、水月は思った。
はしゃぐ双子を邪魔にならない端から眺め、ふっと顔つきが暗くなったのを、自分でも感じた。
「浮かぬ顔だな」
「すいません。その、想像していたよりも遠くて……」
「そうだな。確かに、詳しく話す前に連れ出した。すまぬ」
「そんな、いいんです。私が聞くのを忘れていただけですから」
巳月とは、あの夜から少しだけ、会話が出来るようになっていた。素っ気ない所は彼の性分だが、心は優しく態度としてそれが現れる。
人となりが分かってきた事が嬉しくあった。
自分も、気持ちを口に出す事が徐々に増え、正直にしていると時折、巳月の微笑みを見る事が出来た。
ほら、また。
ふっと、優しい目をして、笑む。
月光を浴びる姿も美しいが、陽の光を浴びて笑む姿もまた、神々しい。
つい、見とれてしまう。
水月は言葉を紡ぐのを忘れて、巳月と視線を通わすと、ふっと視界が暗くなった。
ふいに見上げると、船体の上を何か大きな物が覆い影を落としていた。
そして――火の粉が降る。
巳月は、水月を庇うようにその腕に抱く。
「――ったく、あのお方は」
巳月の口調は、その火の粉の正体を知っているようだった。
呆れ声をあげた後であった。
影は突如消え、代わりに船体の先から聞きなれない声が発せられた。
「よう、騰蛇。どこ行くんだ?」
男の声だ。
軽く、まるで友と話すような声のかけ方。
水月から離れた巳月は、その声の主へと向かう。
「あれ? 巳月か。騰蛇は?」
「騰蛇様は六合様の元へ向かわれました」
「六合のとこ? なんでだ?」
次々と質問をぶつける。
「少々事情がございまして」
「事情?」
ふわりと、甲板の上に降り立つ。
真紅の髪。黒い膝までの具足に、袴も黒だが金色で鳥の様な生き物が刺繍してある。袖はなく、肩が露わになっている。両手には手袋をし、腰には鞘の赤い大太刀が見える。
「どんな事情で、城を空にするというんだ?」
巳月と対面すると、彼よりも背が頭一つ分高い。
男は、騰炎城を訪れた口ぶりで、問いを投げかけた。その問いに巳月は事の経緯を話す。
「ふーん。それで、あいつは六合のとこに行ったのか。で、あっちに居るのが、その女か?」
水月の姿を盗み見る。
「はい」
「へぇ、別嬪だな。限りある時の美しさってやつか」
「……朱雀様」
値踏みする姿に、呆れて名を呼ぶ。
「すまんすまん。しかし、呪とはまた面倒な。かけた相手にもよるだろうが。ま、俺や騰蛇はどっちかって言うと武が専だからな。確かに、お婆に聞くのが手っ取り早いな。よし、俺も手伝ってやろう。どうせ暇だし!」
両肩に手を置かれる。
「ご自身の城は大丈夫なのですか?」
「問題ない。蘭午(らご)が居るから安心だ」
斯様な主では、気苦労絶えまい。心の中で同じ立場としての苦労を察した。
「私は構いませんが。太陰様の所へご一緒されるのでしたら、一度その様にお伝頂くのが宜しいかと。流石に、数日も姿が無ければ、蘭午とて心配しましょう」
「まぁ、それもそうだな。じゃ、言ってくる。と、その前に」
簡単に巳月の意見を受け入れると、男は水月の元へ歩く。
「俺は朱雀だ。人の子とは久しいが、これも何かの縁。宜しく頼む」
己の名を告げると、朱雀は手を差し出した。
「俺の手を取れ」
おどおどする水月へ、明るく笑いかける。
「よし。直ぐに舞い戻る」
水月の華奢な手をぎゅっと握り、また笑む。
朱雀は水月の手を離した後、甲板の先へ戻った。
「またな」
そう言い残すと、朱雀の体は空中へふわりと浮く。そのまま上昇したかと思ったら、再びあの黒い影が現れた。
影からは熱気が感じられ、揺れと共に突風のような轟音が鳴ったかと思へば、影は消えていた。
「何? 今の」
水月は訳も分からず呟いた。
「あれは、朱雀様だべ」
「朱雀……」
「んだ。朱雀様は、人の世でも名が通る程のお方だべ。獣の姿もそれは、綺麗だでよ。朱い体躯に炎を纏っているだ。騰蛇様と仲良しなもんで、良く遊びに来るだ。朱雀様も、騰蛇様と同じく強いだよ」
巳慧は目を輝かせて話した。
「巳慧巳凪は同室で良いな。一部屋空けて朱雀様を迎える準備を。すぐに戻って来るはずだ」
朱雀。確か、書物で目にした事はある。描かれていた姿は鳥の姿。巳慧の言う炎も、朱雀神を意味する。
先程の御仁が、その朱雀とは。
「すまぬな。突飛な方で」
予期せぬ客人を迎え入れる事となり、水月へ気を回す。
「その、まさか朱雀を目の前にするとは思っておりませんでした」
水月は今の気持ちを口にする。
「想像と違えたか?」
「はい。その、人の姿は書物にも載っておりませんでしたので……」
「獣の姿の方が解りやすいであろう。目で見て、そうだと信じる事が出来る」
「はい、確かに、そうですね」
騰蛇の獣の姿を見て、人の世ではないと信じる事が出来た。
「目に見えないものを信ぜよと言われても、なかなかに難しい。想像を覆す姿かもしれんが、それが真実だ。ここは、今のお前の現実だからな」
あれが、朱雀。そう、伝えたいのだろう。
「一つ、言っておく」
「はい」
「あの夜のような無防備な姿。朱雀様の前では見せるな。いいな」
身を案じて忠告をする。
「わかりました」
本当に理解しているのか。
水月の無意識に翻弄する部分を案じた。
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