船の旅は、朝を三度迎えた。

 陽の高い間、巳月は双子の稽古をつける。

 相も変わらず、双子は元気そのもので、水月にはその姿が眩しく太陽のように映る。

 この三日の中で、水月は双子の見分け方を巳月から教わった。至極単純で、黒子が右目下にあるのが巳慧で左目下にあるのが、巳凪だという。彼等は、騰蛇からの命を遂行するため、食事の世話など進んで行った。無邪気に寄ってくる双子に最初は戸惑ったものの、裏のない底抜けに明るい彼等の行為を、素直に受け入れていた。

 穏やかに時は過ぎた。

 彼等は今日も稽古に勤しむ。

 休憩を取っている合間に、水月はどこまで行くのかと、巳月へ質問を投げかける。

 自分がどこに連れていかれるのか、単純に疑問に思ったからだ。

 巳月は、甲板の上に白い和紙を広げ、筆を取り出すと何やら絵を描き始めた。水月はそれをじっと眺めていた。

 中央に円。

 その円の周りには四つの半月。さらに、その周りを七つの三日月。

 花の様な綺麗な形が描かれた。

 巳月は言う。中央には十二天の長である貴人(きじん)。半月にはそれぞれ、青龍・朱雀・白虎・玄武が。周囲の七つの一箇所を指し、騰蛇と。これから向かうは太陰の居る場所。天后(てんこう)と大裳(たいも)の地を超えた先へ指が向かう。

 地の外側を、今は進んでおり、天后の地中腹部分だと言う。この距離だと、まだあと数日はかかる見込みだと。

 意外と時間がかかるのだと、水月は思った。

 はしゃぐ双子を邪魔にならない端から眺め、ふっと顔つきが暗くなったのを、自分でも感じた。

「浮かぬ顔だな」

「すいません。その、想像していたよりも遠くて……」

「そうだな。確かに、詳しく話す前に連れ出した。すまぬ」

「そんな、いいんです。私が聞くのを忘れていただけですから」

 巳月とは、あの夜から少しだけ、会話が出来るようになっていた。素っ気ない所は彼の性分だが、心は優しく態度としてそれが現れる。

 人となりが分かってきた事が嬉しくあった。

 自分も、気持ちを口に出す事が徐々に増え、正直にしていると時折、巳月の微笑みを見る事が出来た。

 ほら、また。

 ふっと、優しい目をして、笑む。

 月光を浴びる姿も美しいが、陽の光を浴びて笑む姿もまた、神々しい。

 つい、見とれてしまう。

 水月は言葉を紡ぐのを忘れて、巳月と視線を通わすと、ふっと視界が暗くなった。

 ふいに見上げると、船体の上を何か大きな物が覆い影を落としていた。

 そして――火の粉が降る。

 巳月は、水月を庇うようにその腕に抱く。

「――ったく、あのお方は」

 巳月の口調は、その火の粉の正体を知っているようだった。

 呆れ声をあげた後であった。

 影は突如消え、代わりに船体の先から聞きなれない声が発せられた。

「よう、騰蛇。どこ行くんだ?」

 男の声だ。

 軽く、まるで友と話すような声のかけ方。

 水月から離れた巳月は、その声の主へと向かう。

「あれ? 巳月か。騰蛇は?」

「騰蛇様は六合様の元へ向かわれました」

「六合のとこ? なんでだ?」

 次々と質問をぶつける。

「少々事情がございまして」

「事情?」

 ふわりと、甲板の上に降り立つ。

 真紅の髪。黒い膝までの具足に、袴も黒だが金色で鳥の様な生き物が刺繍してある。袖はなく、肩が露わになっている。両手には手袋をし、腰には鞘の赤い大太刀が見える。

「どんな事情で、城を空にするというんだ?」

 巳月と対面すると、彼よりも背が頭一つ分高い。

 男は、騰炎城を訪れた口ぶりで、問いを投げかけた。その問いに巳月は事の経緯を話す。

「ふーん。それで、あいつは六合のとこに行ったのか。で、あっちに居るのが、その女か?」

 水月の姿を盗み見る。

「はい」

「へぇ、別嬪だな。限りある時の美しさってやつか」

「……朱雀様」

 値踏みする姿に、呆れて名を呼ぶ。

「すまんすまん。しかし、呪とはまた面倒な。かけた相手にもよるだろうが。ま、俺や騰蛇はどっちかって言うと武が専だからな。確かに、お婆に聞くのが手っ取り早いな。よし、俺も手伝ってやろう。どうせ暇だし!」

 両肩に手を置かれる。

「ご自身の城は大丈夫なのですか?」

「問題ない。蘭午(らご)が居るから安心だ」

 斯様な主では、気苦労絶えまい。心の中で同じ立場としての苦労を察した。

「私は構いませんが。太陰様の所へご一緒されるのでしたら、一度その様にお伝頂くのが宜しいかと。流石に、数日も姿が無ければ、蘭午とて心配しましょう」

「まぁ、それもそうだな。じゃ、言ってくる。と、その前に」

 簡単に巳月の意見を受け入れると、男は水月の元へ歩く。

「俺は朱雀だ。人の子とは久しいが、これも何かの縁。宜しく頼む」

 己の名を告げると、朱雀は手を差し出した。

「俺の手を取れ」

 おどおどする水月へ、明るく笑いかける。

「よし。直ぐに舞い戻る」

 水月の華奢な手をぎゅっと握り、また笑む。

 朱雀は水月の手を離した後、甲板の先へ戻った。

「またな」

 そう言い残すと、朱雀の体は空中へふわりと浮く。そのまま上昇したかと思ったら、再びあの黒い影が現れた。

 影からは熱気が感じられ、揺れと共に突風のような轟音が鳴ったかと思へば、影は消えていた。

「何? 今の」

 水月は訳も分からず呟いた。

「あれは、朱雀様だべ」

「朱雀……」

「んだ。朱雀様は、人の世でも名が通る程のお方だべ。獣の姿もそれは、綺麗だでよ。朱い体躯に炎を纏っているだ。騰蛇様と仲良しなもんで、良く遊びに来るだ。朱雀様も、騰蛇様と同じく強いだよ」

 巳慧は目を輝かせて話した。

「巳慧巳凪は同室で良いな。一部屋空けて朱雀様を迎える準備を。すぐに戻って来るはずだ」

 朱雀。確か、書物で目にした事はある。描かれていた姿は鳥の姿。巳慧の言う炎も、朱雀神を意味する。

 先程の御仁が、その朱雀とは。

「すまぬな。突飛な方で」

 予期せぬ客人を迎え入れる事となり、水月へ気を回す。

「その、まさか朱雀を目の前にするとは思っておりませんでした」

 水月は今の気持ちを口にする。

「想像と違えたか?」

「はい。その、人の姿は書物にも載っておりませんでしたので……」

「獣の姿の方が解りやすいであろう。目で見て、そうだと信じる事が出来る」

「はい、確かに、そうですね」

 騰蛇の獣の姿を見て、人の世ではないと信じる事が出来た。

「目に見えないものを信ぜよと言われても、なかなかに難しい。想像を覆す姿かもしれんが、それが真実だ。ここは、今のお前の現実だからな」

 あれが、朱雀。そう、伝えたいのだろう。

「一つ、言っておく」

「はい」

「あの夜のような無防備な姿。朱雀様の前では見せるな。いいな」

 身を案じて忠告をする。

「わかりました」

 本当に理解しているのか。

 水月の無意識に翻弄する部分を案じた。

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