出発までの間、水月は日当たりの良い部屋を与えられた。

 城の中は好きに出歩いていいと言われたが、広すぎて中で迷子になっては困ると言って、部屋に篭っていた。

 時折、巳月が様子を見にきてくれたが、会話は全く弾まない。

 一人で居る事が多かったから、人と上手く話が出来ない自分に気づいた。

 二十歳を超えて尚、友の一人も居ない。

 自分が居なくなり、心配しているのは父と母だけ。そう思うと、虚しさが心を支配する。

 何のために生まれたのか。嫌でも頭に浮かんで来る。

 水月は深い溜息を、何度も吐いた。

 暗い事ばかり考えている自分が嫌いになりそうで、水月は堪らず部屋の扉を開けた。

 眩しい光に瞼を閉じると、ゆっくりと目を開ける。

 それから、大きく深呼吸をした。

「甘い匂い」

 鼻腔をくすぐる何とも甘い香りに、ふらりと足は自然と匂いを辿って歩い出す。

 どこをどう帰ればいいかは覚えていない。

 あの時と同じ。

 夢中で匂いを辿っていた。

 夏の陽気の中、少し歩いただけで首筋を汗が流れる。風通しのいい廊下からは、ぬるい風が吹く。

「……暑い」

 額の汗を拭い、いよいよ香りが強くなる。

 建物の奥に木々が見え、匂いはどうやらそこからしている。

 息を切らしながら、木々に向かい歩みを進める。

 すると、急に視界が開け、果樹園が姿を現した。

「すごく甘い」

 辺りは甘い香りが充満していた。木には、見たこともない大きな赤い実が沢山なっている。

「それは菴羅(あんら)だ」

 後ろからの声に水月は振り向いた。

「巳月さん」

「丁度、その菴羅を差し入れに行く所だったが。こちらへ向かうのが見えたので追ってきた。誰も居ぬ所で倒れられては困るからな」

 毒気のある言葉に、水月の胸は痛む。

「すみません……」

「謝る必要はない。ほら、こっちへ来い。ぬるくなる」

 涼しげな顔で、巳月はその場に胡座をかいて座った。

 手招きを受け、隣へ腰掛けると菴羅の入った陶器を手渡された。その中の果実は、水月が追ってきた匂いと同じであった。

 楊枝を手渡され、水月は食べやすく切られた、橙色の菴羅を口に運ぶ。すると、口の中に濃厚な甘さが広がった。

「美味しい!」

 間髪入れず、もう一つ口に入れる。

「美味しい」

 無意識に、同じ事を二回言っていた。

「いい顔だ」

 巳月の手が、水月の頬を撫で、見つめられる。

 彼の微笑みが、水月の頬を紅潮させた。

「菴羅みたいだな」

 顔が火照っているのに気づく。

「あ、暑いからです」

 水月は気候の所為にして、再び果実を口に運んだ。

「気に入ったなら、俺の分もやる」

「良いのですか?」

「構わん。俺はいつでも食える」

「ありがとうございます……」

 お礼をするも、住む世界が違うと、遠回しに言っているようで、どこか寂しさを感じた。

「明日、出発する。だから、今日はゆっくり休め」

 遠方を見つめながら、巳月はそう告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る