あなたは表舞台に立って。

 小説家は主人公になれない。


 そもそもにおいて、小説家の生活というのは地味である。私はまだ小説家志望でしかないけど、まあそれにしたってなんとなくわかってしまうくらい地味なのである。起きて、書いて、食べて、書いて、休んで、書いて、食べて、寝る。こんな感じ。まじでこんだけ。

 いや、こんだけとか言ったって、小説家が書くその文章のなかにはひとつの世界が広がっているのである。それはほんとに、すごいことである。その世界の深みたるや凄まじいものであろうし、その世界には魅力的な人物たちがそれぞれ生きている。

 でも、まあ、傍から見ている限り、小説家というのはただ、書く書く書いている。これだけなのである。パソコンかなんかと何時間もにらめっこ、それが小説家の日課である。

 文章のなかに広がる深い世界に小説家本人は登場しないのだし、魅力的な人物たちは、たいてい小説家本人ではない。そこに深い世界を見ながらも魅力的な人物たちを見ながらも、結局のところはひとりでもくもくと延々キーボードを打っている、これが小説家の現実なのではないだろうか。


 たぶん、小説家というのは、表舞台に立つことのない存在なのだと思う。


 私は最近、自分をメディアだと思うようになってきた。メディア、つまり媒体。

 はっきりと言ってしまう。私にとって、私の書く世界はどうしようもなくあこがれてしまう理想の世界だし、私の書く登場人物たちは、きらきらと輝き格好よくってせつなくって、つまり私の書く世界も私の書く登場人物も、私を魅了して止まない。

 自画自賛を、してるわけではない。なぜなら私が世界を彼らをうまく書けているかというのは、またべつの問題だからだ。そこが私の力量の問われるところ、素晴らしく魅力的な世界を彼らをいかにして書くか。

 自分の書く世界に入りたいとは思わない、自分の書く登場人物になってみたいとは思わない。私はあくまで、メディアであることに徹したい。よいメディアでありたい。世界を彼らを、いろんなひとびとへ届けるためのメディアでありたい。あの世界のために尽くしたい、彼らのために尽くしたい。

 あの世界がどこまでも広がってゆき彼らがどこまでも泣いて笑って輝くのならば、私はそのための努力をいっさい惜しまない。


 だから私は、書きながら心のなかで呟くのだ。

 「あなたは表舞台に立って。」と。


 裏方の私は、そのようにして日々を幸福に過ごしている。

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