第1章 思い出話6
しばらくたつと彼女は眼を腫らしながら何度も俺にお礼を言っていた。泣き止むと、落ち着いたのか、下を向きながらぽつぽつと話し始めた。
「恥ずかしいところ見せてしまったわね。これね、お母さんが残してくれた形見なの。お母さんの結婚指輪。私が小さいころに亡くなってしまったから、ほとんど記憶がないんだけどね。でも覚えているんだ。お母さんがとても優しい人だったって。」
指輪を眺めながら三井さんはとても穏やかな顔をした。本当にこの指輪が大事なことがとても伝わってきた。
「そうか。そいつも三井さんが大好きみたいだからな。」
「えっ?」
自分がさらっと言ってしまった言葉にハッとして、言葉を言い直した。
「ああ。ごめん。俺がここを歩いていたら何かが落ちてきたんだよ。何が落ちてきたかもわからなかったんだけど、すぐに光に反射して俺に居場所を教えてくれたんだよ。きっと、持ち主に大切にされてなければ茂みに隠れてしまっただろうからね。」
自分でも中々苦しい言い訳であったが、彼女はクスクスととても愛くるしい笑顔で笑いかけてくれた。
「春樹君って変わってるね。でも、私も変わっているから同じだね。今日初めて会ったけど、春樹君のこと好きだな。」
言われなれないその言葉と、涙を拭くのに眼鏡を外したその笑顔に不覚にもドキッとしてしまった。眼鏡を外すと、黒い艶やかな黒髪に、ぱちりとした大きな目、長いまつ毛にすっと伸びた鼻筋。どこからどう見ても美少女という言葉が頭をよぎった。その、なんとも言えない整った顔立ちに見惚れるとともに、今の笑顔にはクラスで見せたあの違和感は全くなく、本当の彼女に出会えた気がした。そんな素敵な彼女を見ていると目が離せなくなりそうでどぎまぎして俺はその場を離れることにした。
「さてと、俺は静かに眠れる場所を探しに来たんだった。じゃ、探しに行くな。」
自然にその場を離れようとした時、三井さんにすぐ呼び止められた。
「あっ。ちょっと待って。」
三井さんは少し考えると、頷き、俺の方に向きなおして咳ばらいをした。
「私ね、文芸部に入ろうかと思っているの。でも、現在部員ゼロ。去年卒業してしまった先輩たちで部員がいなくなってしまったの。目立つ部活じゃないから、人気もないらしくて、私一人だと同好会にもならないの・・・。」
三井さんが文芸部のことを話し始めたが俺には全く何のことだか分らなかった。しかしせっかく話をしてくれている三井さんの言葉を遮るのはよくないと思い、静かに聞いてから行くことにした。昼寝する時間はまだたっぷりあるのだから。
「実はね、私、将来小説家になりたいの。小さいころから、本を読むことが大好きだったから、自然と筆が進むようになったわ。それにね、この学校だったら部活も盛んで、青春真っ盛りな人たちが多いし、もしかすると私の大好きなミステリーの事件だって起こっちゃうかもしれない。教室で書いていたら集中できないし、せっかくだから色んな人間模様がわかる所で小説を書きたいの。つまり、何が言いたいかと言うと、私も静かな場所と見晴らしのいい場所を確保するためには教室が必要なの。だから、しっかり眠れる教室を確保させてあげるから、一緒に文芸部に入らない?お願い。人助けだと思って。」
そう言って三井さんは顔の前で両手を合わせ熱心な信者が神様に祈るように目をぎゅっと瞑って俺に頭を下げた。こんなに話す子だとは思わなかったので、早口で矢継ぎ早に突然の勧誘をしてくる三井さんに驚きながらも、大人しいと思っていた彼女が自分にこんなにも熱く語ってくれるということはよほど好きなことなんだと思った。本当は草原に眠るのが夢だったが、誰にも邪魔されず確実に昼寝ができるところがあるなんてありがたい。それにさっきまでの彼女のきれいな笑顔が忘れられなくて、何か力になれないものかと、考えるよりも先に言葉が出た。
「よし。その言葉のった。」
その言葉にまた彼女はありがとうとお礼を言って、握手を求めてきた。全く女性になれていない自分には美少女と握手はハードルが高かったが、握手を返すと、また彼女の笑顔に会えた。
「よかった。これからよろしくね。私のことも葵でいいよ。」
「それは呼びづらいから三井でいいか。」
「じゃあ、仕方がない。それで許してあげよう。」
そして、ここから彼女との長い付き合いが始まるのであった。ちなみにこの出来事に舞い上がって隼人を置いて帰ったのは余談ではあるが・・・。
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