アンジュ・パッセ
猫柳蝉丸
本編
「あの、ご趣味は?」
「………………」
「………………」
「さやかさん?」
「あ、すみません。わたしの趣味……ですか?」
「はい、さやかさんのご趣味をお聞きしたいです」
「そう……ですね、ジムで汗を流した後にマッサージに通う事でしょうか」
「それはよかった」
「どういう事ですか?」
「僕、整体師をやっているんです。これでも何ヶ月も予約待ちが出来るほど好評なんですよ。機会があればさやかさんの筋肉を揉みほぐしてあげたいですね。……って、これはちょっとセクハラになりますかね?」
「そこまでは……、ならないんじゃないでしょうかね、たぶん……」
「それならよかった。さやかさんに失礼な事出来ませんもんね」
「………………」
「………………」
「………………」
「そう言えばさやかさん、僕の職業を先に話してしまいましたけど、さやかさんのご職業もお訊ねしてもよろしいですか?」
「私は市内でシステムエンジニアとして働いています」
「へえ、システムエンジニアですか!」
「システムエンジニアが何か?」
「いえ、僕には想像も出来ない世界だなと思いまして。僕なんて先程お話した通りの整体師ですからね、パソコンやスマホより人体に触れている時間の方が多いくらいなんです。全く知らない世界で働くさやかさん……、憧れるなあ。例えば主にどんな事をなさっているんです? セキュリティ関係やアプリ開発などですか?」
「そうですね……、セキュリティ方面の仕事が多いかもしれません」
「と言うと、コンピューターウイルスの対策を行ったり?」
「それも、ありますね」
「カッコいいなあ、侵入しようとするウイルス相手にキーボード一つで渡り合っているわけですよね。カモンベイビー……よーし、いい子だ、カモンカモン! なんて言いながらカタカタカタカタ……ターン! ってさやかさんが目に浮かぶようですよ」
「それは……洋画の観過ぎですね、そんなアメリカンなシーンは無いですよ」
「あはは、やっぱりそうですか」
「………………」
「………………」
「………………」
「あの、さやかさん」
「はい、何でしょうか、春樹さん」
「『アンジュ・パッセ』ってフランス語、ご存知ですか?」
「いいえ、不勉強ながら……、どういう意味なんですか?」
「『天使が通る』って意味なんですよ」
「天使……?」
「会話がふと途切れたり、静かになったりしてしまう時間の事を言うんです。今日はちょっと天使が通りがちみたいですね。すみません、僕がどうにも口下手で……。せっかくご都合を付けて頂けたお見合いなのに……」
「いえ、こちらこそ、すみません。私、こういう事に慣れていなくて……」
「僕こそ……」
「………………」
「………………」
「そ、そうだ、春樹さん」
「はい、何でしょうか、さやかさん」
「まだお聞きしていませんでしたね、春樹さんのご趣味は?」
「そうですね、意外に思われるかもしれませんが筋トレを嗜んでおります」
「………………」
「………………」
「……まんまだよ……」
「はい?」
「意外どころか、見たまんまだよ!」
「さやかちゃん、口調が元に戻ってるよ」
「口調くらい元に戻るわよ! 何が意外よ! その盛り上がった筋肉、明らかに筋トレが趣味じゃないのよ!」
「ひょっとしたら趣味じゃなくて職業でボディビルダーをしてる人だっているかもしれないじゃないか。いや、僕の筋肉なんかじゃ本職には遠く届かないのは自覚してるけど……」
「そういう話をしてるんじゃないわよ! 大体、そもそも何でわたしが春樹とお見合いしなくちゃいけないのよ! お母さんとおばさんまで『若い二人に任せるから』って最初から来てないし! そういう台詞はお見合いが盛り上がってから言うもんでしょうが!」
「僕とのお見合い、そんなに嫌だったの?」
「嫌とかそういう問題じゃないわよ! わたし、あんたが赤ちゃんの頃から知ってんのよ? 泣き虫なあんたをいじめっ子から守ってあげた事だってあるくらいなのよ? そんな相手とお見合いするとかおかしいと思うでしょ、普通!」
「僕はさやかちゃんとお見合い出来て嬉しいと思ってるよ?」
「あんたもおかしいと思いなさいよ! 従姉弟なのよ、わたし達! 従姉弟! 四親等!」
「別に法律でも認められてるし……」
「それはそうだけど……」
「それにいとこ同士は鴨の味って言うでしょ? それくらいいとこ同士の相性はいいって事なんだよ?」
「知らないわよ、そんな言葉!」
「我儘だなあ、さやかちゃん……」
「わたしがおかしいの? わたし、真っ当な事言ってるつもりよ?」
「有名人の間でもいとこ婚多いんだけどなあ……」
「有名人の間に多くても無理なものは無理! どうにかお見合いの体裁だけは整えてみようと頑張ってみたけど無理! 春樹がこんな男になってるなんて思ってなかったし!」
「何でだよ、さやかちゃん!」
「何でって……」
「僕、小さな頃からさやかちゃんの事、好きだったよ。それと同時にさやかちゃんに守られる度に情けなくてしょうがなかった。もっともっと強くなって僕の方がさやかちゃんを守ってあげたい。それでずっと努力して努力して……、やっとこんなに強くなれたのに!」
「強くなり過ぎなのよ! 何なのよ、その僧帽筋と三角筋!」
「毎日のダンベルトレーニングで身に着けた筋肉だよ!」
「肩にちっちゃいジープ乗せてんのかい! って感じで鍛え過ぎよ!」
「………………」
「………………」
「どうしてさやかちゃんがボディビルの掛け声を知ってるの?」
「……あっ」
「なんてね、さやかちゃんのおばさんから聞いて知ってるよ。さやかちゃん、お休みの日は家でボディビルのDVD観ながらビール飲んでるらしいね」
「あのババア……!」
「この前、道端でおばさんからその話を聞いて、僕はこの胸筋の奥の心臓の鼓動の高まりが止められなかったよ。さやかちゃんが筋肉好きなら、僕のこの想いが届けられるかもしれない。さやかちゃんの理想の男になれるかもしれない。そう思ってこのお見合いを申し出たんだ。他に相手も居ないみたいだからっておばさんも喜んでくれたよ?」
「違うの! 筋肉は好きだけど、結婚相手に求めてるわけじゃないの! 観賞用の男と付き合いたい男は違うの! 女ってそういう生き物なのよ!」
「その辺の意見の相違は後々話し合うとして……、ねえ、さやかちゃん、僕じゃ本当に駄目なの? そりゃ八歳も年下の従弟だけどそれなりに優良物件だと思うよ? 人にもよるけど整体師って意外に儲かるしね。さやかちゃんとその子供くらいまでなら僕が養ってあげられる。僕はさやかちゃんとその子供達で野球チームを作りたいとも思ってるんだ」
「そんなに産ませる気なのっ? 死ぬわよ、流石に!」
「まあ、ちょっと言い過ぎだったかもしれないけど、僕はそれくらいさやかちゃんの事を大事にしたいってわけなんだよ。本当の事を教えてよ、さやかちゃん。さやかちゃんは僕の事を本当はどう思ってるの? 従姉弟とか筋肉とか抜きにしてさ」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「春樹……、あんたの事は歳の離れた可愛い弟だって思ってる。星や花が好きだった大人しい男の子だったんだもの。それ以上に思った事なんて無いわ」
「そっか……」
「でも、あんたのお見合い写真を見て気になったのは確かよ。いや、筋肉だけじゃなくてね。三年振りくらいに見るあんたが、内気で弱々しかったあんたがこんなに筋肉質になってるなんて思ってなかった。何があったんだろうって、もしかしたらあの時の約束を守ろうとしてるんじゃないかって、そう思って今日のお見合いに来たの」
「約束……、覚えててくれたんだ?」
「まあ、ね。可愛い弟だもの。約束くらい覚えておいてあげないとね」
「『あんたが泣き虫じゃなくなったらお嫁さんになってあげる』。さやかちゃんは本気で言ったわけじゃないかもしれないけど、僕は嬉しかったよ? だから、強くなりたいと思ったんだ。あれから十年以上も経っちゃったけど、やっと少しは自信が持てるくらい強くなれた。それでさやかちゃんと話がしたかったんだ。本当に結婚出来るかどうかは別としてもね」
「そっか……」
「うん……」
「………………」
「………………」
「そうだ、春樹」
「どうしたの?」
「ちょっと一休みしましょうよ。あんたの好きだったあの店のチョコドーナツ買って来てあるのよ」
「そうだね、ちょっと僕も急ぎ過ぎたかもしれないし、落ち着くのもいいかもね」
「じゃあ、ほら、食べなさいよ」
「うん、頂くね。あれ、この花は?」
「ついでに買って来た花よ、気にしないで」
「気にしないでって言われても、これってクレオメだよね。あっ……!」
「………………」
「クレオメは別名スパイダーフラワー……。花言葉は『思ったより悪くない』、『あなたの容姿に酔う』……、さやかちゃん、これってひょっとして……! もしかして……!」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「……意味は自分で考えなさいよ」
アンジュ・パッセ 猫柳蝉丸 @necosemimaru
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