【To the next stage】17th Track:ちはやふる


 「なぁ、聞いたか?あの『Kent』ってヴィジュアル系ボーカリストはかなり有名だったらしいな。前科もかなりあったらしくて、家宅捜索してたら麻薬が出てきたらしいぞ」

 紫吹がどこから得た情報か分からないが、バンドメンバーに話している。手首には堅い縄で絞められたあざがまだ残っていた為、それをさすっている姿を見ていると、伊織は心が痛かった。

 だが「カプトル」にあの日から出入りすることはなかった。と言うのも、芽衣子が自分らを危険に合わせたくなかったことと、大人として厄介払いをしたいという点によって、未成年の出入りを禁じたのだ。「下手すれば違法ドラッグの温床になりかねない」と、苦い顔をして話している智郎の顔を藍呉は見てしまい、一気に大人に対して、幻滅してしまったのだ。

 そんなことがあり、しかし少しずつ彼らに残された時間は、砂時計のようにガラスの隙間から滑り落ちていく。四人が一緒にいられる時間は、藍呉が卒業するという形でリミットが迫っていた。


 「伊織、窓開けろよ。換気してくれ」

 「あ、ああ!」

 開けた窓から突発的に吹き付ける木枯らし。もう季節は冬に差し掛かっていた。もう駆け出してから半年は過ぎたのだろうか。あまりに日常が濃すぎて目まぐるしく、息が詰まりそうだった。


 ――紫吹に伊織が歩み寄り、殴りあって喧嘩して。志乃吹が紫吹に泣きついて。藍呉が伊織に声をかけて三人から引き抜こうと企んだら、紫吹が誘拐され、藍呉が力を貸してくれて。ガサツだった紫吹は伊織の前では角が取れたし、センスのない伊織も少しはマシになり、ナルシストで自己愛の強い藍呉は、何とか周囲との調和がとれていた。喧嘩した時には志乃吹が支えていた。

 でも、傷だらけだった。寂しい者同士が寄せ集まったって何が出来る訳じゃない。父親が厳しい紫吹。母親が厳しい伊織。藍呉だって学校で一匹狼を決めているヤンキーだったのを知っている。話によれば母子家庭だとか。志乃吹も家庭環境に色々あるが、話題に出そうとすると、笑って話を濁していた。

 しかし、バンド結成をしてから目標を決めかねて、惰性と喧嘩や対立の日々が続いていた。

 あのジャンクで刺激的だったライブハウスから受けていた影響は四人には非日常的で、どれだけ魅力に満ちたものだったのだろうか。一線に立って人々を魅了し続ける「シベリアン・ハスキー」の魅力は、疎遠になってもなお、彼らには魅力的に映るものがあった。

 実は夜遊びをして、伊織は母親から相続破棄されている。気楽な反面で結果を出さなければならなかった。藍呉もなんだかんだ言って、進路を決めなければ将来が危うい状態だった。紫吹はこの前の誘拐事件を機に父親の束縛が強くなり、反発心で今まで以上にぐれているように見えた。それを見ている志乃吹は、痛々しいと感じながら伊織に愚痴をこぼしていた。


 募る苛立ちに口火を切って文句を言い始めるのは、いつも紫吹だった。

 「あー!!もうやってらんねぇ!!」

 「おい、紫吹、落ち着けって。投げやりになるのは悪い癖だぞ」

 「藍呉さん、進路指導の時間では?」

 「あ、わりぃ。俺行くわ」

 「ったく、今日も練習できなかったじゃんかよ。あーあ、帰ったらクソ親父に説教されんのかなぁ」

 申し訳なさそうに手を合わせて藍呉が教室を出ていこうとした。それに対して悶々とする紫吹。何も結果を残せずに、この「高校生の青春」は儚く終わってしまうだろうか。

 もともと傷だらけの欠けだらけ同士で集まったものだったから、傷口を舐め合うことに慣れてしまったのかも知れない。でも「お友達ごっこ」から卒業しなければ。と、皆焦っていた。

「藍呉さん、ちょっと待って!」

 「おいおい、急いでたのに呼び止めるのかよ!」

 「良い機会ですわ。みんなで『SnowNight(スノーナイト)』に出ましょう!結果を出せばいいんでしょ?だったらお尻に火を点けて、逃げ場をなくせばいいのよ」

 「ちょっと待ってくれよ!俺らってそんなに仲良くないじゃねーか。結成して半年。しかもがたがたなんだぞ?そんな連中が『SnowNight』に出たら、えらいことになるぞ!」


 「SnowNight」とは、全国規模で行われるバンド甲子園。地域ブロックごとに競り合って最終的に優勝者が決まり、大手レーベルにメジャーデビューも約束されると言う青田買いに近い活動である。だが受験生はまず出ることはなく、ジュニアユースである中高生が中心で、年齢が若いほどに有利であることは変わりないのだ。

 「……面白いじゃねぇか!やってやろうぜ?」

 紫吹は思いの外、乗り気だった。しかし、怖気づいているのは、音楽活動の浅い伊織だった。志乃吹と藍呉はなんだかんだ言って、幼少期から楽器に触れていた為に、そこまで気にならなかった。何よりも伊織が気にしていたのは、他にもあった。

 「このバンドメンバーでの勝負曲がないじゃないか?練習時間以前に色々足りてないものが多すぎるよ!」

 「俺もちょっと興味はあるんだけど、……ちょっと自信がないよなぁ。俺ら、仲が悪いだろ?我が強いっていうのか」

 男女で綺麗に票が分かれた。しかし、志乃吹はらしからぬ様子で、野心に燃えているような感じ。何か家庭にコンプレックスでもあるのだろうかと言う様子をうっすらと匂わせながら焚きつけてきた。

 「みんな傷だらけなんでしょう?だったら失うものなんて今更ないでしょう!なんですか?怖いんですか?逃げるんですか?」

 燃える瞳で皆を見つめる志乃吹。男性陣は苦笑いしながら、並々ならぬ熱意を感じ取っていた。藍呉は思い出したように教室のドアを開けて、逃げるように走り去っていった。

 「あー、やべぇ、伊織、あとは任せたぞ!」

 そして、取り残された伊織は言った。

 「じ、時間をくれ」


**

 「……ただいま」

 家の中から返事はなかった。机の上にはラップをかけられ、冷めきった料理があった。志乃吹は温め直すことなく、一人静かに料理を口に入れた。

 「……美味しくない」

 同世代の友人に聞けば、志乃吹の家庭は年収がそこそこあり、何もかも買い与えられている「お嬢様」だった。だが、家族揃ってご飯を食べたのは、いつだっただろうか。

 ガキッ!前歯にスプーンが当たる音がして、志乃吹は一気に食欲を無くした。

 「もういいや、ごめんなさい。お母さん。どうせほとんど冷凍食品なんでしょ?」

 流しに流れていくスープを見つめながら、志乃吹は悲しい気持ちになった。

 

 「もう、離婚も時間の問題だろうなぁ……」

 常に成績が優秀であること。世間でいい顔をしたいと言う父親と、父親の収入を当てにして寂しさを埋める母親。どこかでどうせ浮気してていても、志乃吹は責める気になれなかった。家族で向いている方向が違っていたんだから。

 この部屋は私には広すぎて、冷たい。父親は結婚歴に泥を塗りたくないと母親が記入した離婚届に名前を書かずに机にしまい込んでいるのを志乃吹は知っていた。

 「馬鹿だよね。今もこうやって帰りが遅いお母さんは、どこの誰と遊び歩いてるのか、知らないんだからね」

 他人に媚びることを学び、常にいい子でいることを選んできた。笑って誤魔化していれば楽だったし、誰も傷つけなかったから。

 「こんな繕いだらけの自分に唯一出来た仲間と、結果を残したいなんて言ったら、エゴなのかなぁ?ねぇ、我がままだよね?教えてよ。いい子にしてたよね?」

 志乃吹が話しかけているのは鏡だった。自分に隠し事をするのはとても辛かった。だから、思いっきり「青春」したかった。

 「ごめんね、ごめんね…………許して。許してよ、みんな」

 志乃吹は膝をついて許しを請うように泣き崩れていた。

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