【Third Album】14th Track:みだれそめにし


 伊織と巴が激しく風を受けるバイクに乗りながら、ワンボックスカーと拮抗している。かれこれ邂逅してから二時間。巴は喉の渇きを覚え、体力も徐々に消耗していた。無理もない。車の速度は180キロを振り切っており、前の悪党どもに追いつくには、恐怖心を押し殺して、それ以上のスピードで、生身に風を受けながら乗り続けなければならなかった。

 「二十年前よりも明らかに体力が落ちちまった……」

 一瞬、巴は疲れが見えたのか、車体がぐらついて蛇行運転になった。バイクがガードレールと接触しそうになった。巴は青ざめてブレーキを掛けて、車体をドリフトさせて横に向けた。後ろから猛スピードで車が追い抜いて、クラクションとともに罵倒を吐いていった。

 「おい!何考えてんだよ!!危ねぇじゃねえか!!」

 激しいクラクションが耳に痛い。無理もない。ここは高速道路だ。止まったら追突事故を起こしてしまう。車が少ないのが不幸中の幸いだった。

 この時、伊織は巴の腰にしがみついて振り落とされないようにしていたが、重力が身体に掛かって、振り落とされて死ぬかと思った。二人はふらふらと速度を落としてパーキングエリアに入ると、眠気覚ましにコーヒーを飲んだ。

 「伊織……ホントにごめんな。ダメなおばさんで」

 「いや、無理言った俺が悪い」

 「……車の特徴とナンバーは覚えたんだが、流石に振り切られたな」

 二人は失望感に肩を落としていたが、カランコロンと下駄の音が近づいてきて、伊織が顔を上げると、羽織り物をした着物女性が哀れみの目で二人を見下ろしていた。

 「姐さん、……久しぶりです」

 「あんた、美鈴、どうしてここに?!」

 「いやね、ここいら近域で誘拐事件があったって、息子の藍呉(あいご)……いや、小耳に挟んだんです。で、姐さんが困ってるって聞きましたから」

 

 窓の外には、レディースの集団がバイクのエンジン音をけたたましく鳴らしながら、ひしめき合うようにたむろしていた。「暮崎 美鈴(くれさき みすず)」。彼女は、藍呉の母親だった。息子が通っているライブハウスで誘拐事件があったと聞きつけ、自分の権力を行使して、……今に至る。

 巴が総長を務めていた「赤蜥蜴」の対抗派閥である「黒蝶」の総長だった。今では過去の話だが「女の敵が現れた」と聞いて、既に百台以上のバイクが所狭しと並んでいた。

 伊織は、驚きを隠せず、駐車場に出て行くやいなや、自分の母親くらいの年齢の女性にもみくちゃにされ、恥ずかしそうに顔を俯(うつむ)いた。

 

 「こんな時こそ、頼ってくれなきゃ、私だって困ります。うちの息子が今回の事件に絡んでるとか絡んでないとか」

「美鈴……ウチら、あれだよな?まだマブい関係で居られるかい?」

 「勿論です!」

 

 **

 既に時刻は三時を過ぎて、少しずつ日が昇る時間になったが、不安で誰も眠ることが出来なかった。芽衣子はぼそっと呟くように言った。

 「まさか、伊織がヤクザの息子だとはねぇ……」

 数時間前に、集団で血相を変えて押しかけてきた黒服の集団。一台のリムジンがライブハウスの前に止まると、蜘蛛の子を散らすように人が散っていった。警察官も拉致暴行事件の通報を聞きつけ、パトカーが数台来て、現場は混乱状態。犯人は結局捕まらずじまいで、警察官も手を焼いていた。

 京介と警察官は今にも喧嘩が勃発しそうな雰囲気で、火花を散らしながら睨み合っていた。

 「あーあ、サツの連中も無能だよな。うちの連中の方がまだマシだぜ」

 「……最近あった物騒な殺傷事件、おたくがやったんですか?証拠は挙がってるんですよ」

 「ったく、今言うことかよ、冴島、お前きたねぇよ!」

 京介はそっぽを向いて煙草に火を付けた。芽衣子はその姿を見て、溜息をまた吐いた。

 「お客さん、みんな帰っちゃったよ。伊織、早く戻ってきてくれ」

 少しして、藍呉がボソリと芽衣子に耳打ちした。

 「……うちのお袋に連絡しました。多分、なんとかします。これでも強い女(ひと)なので」


 **

 「撒(ま)いたか?」

 「ケントさん、なんでこんな犯行を繰り返すんですか?得なことなんて、何一つないじゃないですか」

 「連中は俺の女を殺したんだよ」


 **

 かつての俺は根暗だった。ただ、唯一自分が誇れるのは、中学時代から付き合い始め、将来を約束していた恋人の、心陽(こはる)が褒めてくれる俺の歌唱力だった。俺の実家はこじんまりとしたカラオケバーで、ガキの頃から酔っ払いに絡まれて、二、三曲歌わされるのが通例行事になってたもんだから、自分の声が大っ嫌いだった。

 俺にとって初めて出来た彼女は、小柄で愛らしい笑顔を向けてくれる女の子だった。俺のどうしようもない歌を褒めてくれて、自信がついて。少し自分磨きをしたら、高校生活でもモテ始めて、有頂天になっていた。


 心陽とすれ違う日が多くなり、頭の中を過ぎる切ない別れ。でも、俺は心陽と別れたくなかった。そうこうしているうちに、彼女は電子ドラムを習い始め、仲のいい連中とつるんでバンドを組むようになった。「もともと住む世界が違うんだ」と言い聞かせ、俺の世界は徐々に狭くなっていった。


 しかし、文化祭で見せる「春日部 心陽」は全くの別人だった。そばにいるべき相手は俺じゃない。それを痛いほどに感じていた。


 「コハル……限界だ。俺と別れてくれ」

 「どうして?いきなりそんなこと言わないでよ……進路が違うから?」

 「いや、特に理由なんてない。じゃあな」

 高校三年の進学する時期。泣きながら俺は彼女に別れを告げた。後ろめたい気持ちでいっぱいだった。卑屈にもなった。だが、女ってのは強いもので、心陽は高校卒業と同時に音楽を勉強し、フォーピースバンド「シベリアン・ハスキー」を結成した。


 メンバーは、高校でつるんでた連中だった。キーボードの東雲 芽衣子(しののめ めいこ)、ベースの唐墨 知郎(からすみ ともろう)、ドラムの春日部 心陽(かすかべ こはる)……そして、ボーカルに菅浦 結衣(すがうら ゆい)が入った。いるべきポジションを奪われ、圧倒的な技術力を見せる音楽集団。俺は嫌気がさして、ラジオやテレビから流れる「シベリアン・ハスキー」の音楽を見せつけられた。数年前に幕を閉じた俺の恋愛が、俺を殺しに来る――。


 ――そして、バンドが波に乗ったある日。心陽は交通事故で死んだ。どうやら、バンドメンバーが海外に行っている最中に、車に飛び出した子どもを庇って重傷を負ったらしい。胸糞悪い後味が俺に付きまとう。あいつと俺は住む世界が違ったんだと。

 じゃあ、どうして心陽を守ってやれなかったんだ?俺よりそばにいたのに。


 俺は憎悪の表情を化粧で隠し、皮肉にまみれた謳い文句を歌詞にして、ヴィジュアル系ボーカリスト「kent(ケント)」として世間に出た。売れれば売れるほどに、欲にまみれた自分に嫌気が差した――。


 連中は、活動して得た資金で小さなライブハウスを建設して、「カプトル」とか言うこじゃれた名前付けて傷を舐め合ってるらしいが、俺には関係なかった。虫唾が走った。いくつかの恋愛もしたが、結局何一つ上手くいかなくて、輝いてる連中を見てると余計に腹が立った。酒にも麻薬にも溺れたが、結局俺の傷は癒えなかった。「最初の恋愛」の居心地がよすぎたんだよ


 **

 「まぁ、いろいろあるんだよ。今はほっといてくれ」

 思い出を回顧して、気分が落ち込んだのか、ケントは気分が悪くなって車酔いに似た感覚を覚えた。気分転換に車の窓を開けた。すると周囲に取り囲むような無数のヘッドライト。とどろくバイクのエンジンの轟音。そして木刀を持った女達が取り囲んでいて、顔から血の気が引いていくのを感じた。

 「ひっ!おい、速度を上げろ。こいつらに捕まったら、何されるかわかんねえ!!」

 二人の悪漢は、追っ手を振り切って、港町に逃げ込むように車を走らせた。朝方の日差しに照らされて、女暴走族とワンボックスカーの最後のカーチェイスが開幕を告げた――。

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