【Third Album】13th Track:こいぞつもりて

 「紫吹!!どこだ!!紫吹っ!!」

 ――青い顔をして路地裏や繁華街を走り回る伊織。事の顛末は自分がこのライブハウスに関係を持ったからだ。そう思って、気づいたときには彼女の姿は……なかった。

 ライブハウスの客足がだんだんとまばらに減り始める。空になり始める部屋に呆然と立ち尽くして、コンクリートに膝を落とし、焦燥感と罪責感の入り交じった苦い感情を味わっていた。

 「くそっ、俺がここに来なきゃ良かったんだっ!」

 伊織は床を殴りつけた。後ろで藍呉と志乃吹が何も言わずに見ていた。


 「すまない。僕らの客に悪い輩が紛れ込んでいたようだ。ロリコン犯罪者もいたもんだ」

 「んなこといって、誰が責任をとってくれるんだよっ!」

 伊織は、長身な結衣の胸ぐらを掴んで怒りあらわに、壁に押しつけた。年齢差が十歳以上あるにも関わらず、それをものともしない態度だった。

 「あいつはな!あいつは……傷だらけなんだよっ!せっかく男に対する嫌悪感が癒え始めたと思ったのに!どうしてこんなことになるんだよ……くっそっ!!ふざけんな!」

 自分を傷だらけにして、気を紛らわそうとする伊織を見ていられずに、芽衣子は顔を覆った。その時、伊織のポケットから着信音が鳴った。――それは、母親からだった。


 「ったく、なんだよ、この大切な時に……」

 顔をしかめてディスプレイを見る伊織。電話を切ろうとしたが、藍呉が叫んだ。

 「おい!!電話に出ろ!!お前んちは天下無敵の楼雀組じゃなかったのか?」

 「……そうだった!」

 我に返った伊織。電話に出ると耳を引き裂くような𠮟り声が聞こえてきた。

 「どら息子!!何度言ったら分かるんだっ!もう日付が変わっているんだよ!」

 「お袋、ごめん。……こんなことを言うのも何だけれど、力を貸して欲しい」

 結衣と芽衣子は伊織が「ヤクザの息子」と言うことに驚きを隠せなかったようだ。


**

 「紫吹はまだ帰ってこないんですか?」

 「流石に最近、手を上げすぎたか。家出でもしたのか。それとも……何か悪いことに巻き込まれていなければいいのだが」

 紫吹の父、壽(ことぶき)は古い柱時計が深夜に差し掛かるのを見て、焦りを隠せなかった。大切な一人娘で、小さい頃は蝶よ花よと大切に育ててきた。しかし、どこで歯車を掛け違ってしまったのだろうか。気付いたときには暴力を振るうようになっていた。

 言うことを訊かない反抗的な娘に対し、荒々しい態度で接し、気付いたら親子の会話すら交わさなくなっていたのだ。

 腐っても親子関係は切れないもので、壽の子煩悩さはなんとなく、妻の心を安心させた。最近の刺々しい態度は見ていられなかったからだろう。ふと、心に思い当たる節があったのか、壽は京介の事を思い出した。

 「まさか……楼雀組のせがれの所に行ってるんじゃねぇよなぁ?」

 じわりと、額に汗が滲んだ。怒りと焦りの入り混じった感情が壽の胸を苦々しく覆った。

 「あなた、どこにいくの?!」

 「ちょっと……出掛けてくる」


**

 夜の環状線。車の往来は深夜帯に入り、疎(まば)らだった。パーキングエリアで煙草を吸いながら主犯の男は、ニヤリと笑っていた。激しく車内から体当たりをする音が聞こえてくる。どうやら拉致された女性は、紫吹だけでなく、他にも数人十代の女性が手足を縛られ、口に枷をされて放り込まれていた。

「ったくうるせぇ女だな。……静かにしろよ」

 助手席に座る男がイラつき半分に言った。

 「ところで、『kent(ケント)』さんはどうして連中の客を連れ去ることばっかしてるんですか?リスクもあるし、キャリアにも傷がつくのに」

 「『シベリアン・ハスキー』の連中は『小陽(コハル)』を殺したんだよ。バンドメンバーのドラマーだった小柄な女をよ。それをなぁなぁに仲間内で片付けやがった。俺が慕ってた女だったんだよ」

 「あちゃー、それは気の毒ですね」

 「感傷に浸って、いつまでも傷の舐め合いをしてる奴らに、痛い目を見せてやらないと気が済まねぇ。だから、俺はこの犯行を『シベリアン・ハスキー』に擦り付ける」

 ケントと呼ばれた主犯の男は、ちらりと拘束された女性達を見て言った。

 「くくっ、安心しろよ。お前らは俺の仲間と輪姦(まわ)した後に、闇市場に回して、高く買い取って貰うからな」

 サングラスを掛けていて分からなかったが、個人的な逆恨みと憎悪に満ちた気持ちの悪いオーラが男からは漂っていた。

 「……ん!!んん!!」

 「おい、しゃべんじゃねぇよ!!」

 激しい吐息の湿り気と必死の抵抗で、紫吹の口からはガムテープが剥がれかけていた。唇は、皮が剝けて痛々しくずる剝けていた。

 「ライブハウスを出てから一時間走ってるけど、赤いバイクがさっきから同じ進路を走ってる気がするんだよ。あのライダースーツの女、お前の知り合いじゃねぇよな?」

 「気のせいじゃ……」

 

**

 ――一時間前。その電話は、楼雀組を凍り付かせるものだった。ひのが伊織の帰りの遅いのをとても心配していて、薙刀を片手に玄関に仁王立ちで待っていると、古くさい黒電話がじりりと音を立てて鳴り、伊織の声を電話の主に告げた。

 「あんだって?!神崎の娘が攫(さら)われただと?!」

 伊織の側の電話のスピーカーからは組員のざわめきと、京介の怒りに燃える怒号が聞こえてきた。しかし、彼は場慣れしていたのか思いの外、冷静だった。

 「特徴は覚えてるか?」

 「黒のワンボックス。メーカーは……らしいんだ。ただ、男はサングラスを掛けてて身元が分かんなかったみたいだ。二人組の犯行で、今、防犯カメラで身元を割り出しているらしい」

 「それだけ分かれば充分だ。俺はこっちで人員を手配するから、お前はライブハウスの客が帰らないうちに、聞き込みして犯人の身元を割り出せ。いいな。説教は帰ってからだ!」

 冷静な父親の口調が恐ろしかった。伊織は生唾を飲み込むと、人混みを掻き分けて走っていった。


 「まさか、こんなことになるとはねぇ」

 京介の隣で話を聞いていたひのは、ため息交じりに言った。いつものことながら、楼雀組はトラブルメーカーが多いようだ。

 「……姉貴に頼るか。気が重いけど」

 京介はボソっと弱音を吐くと、姉の番号にかけ直した。


**

そして、一時間ほど経過した。パーキングエリアで、ケントがタバコを吸っていると、ライダースーツの女が近づいてきた。年齢は四十代と見られたが、歳を感じさせない美人だった。長身で髪は赤く、スポーツグラスをしていた為に素顔は見えなかった。

 「お兄ちゃん、月が奇麗な夜だね。どこまで行くんだい?」

 「ああ。ちょっとこの先の港にね」

 「物騒な噂が出ているようでさ、人身売買があるとかないとか聞いてるんだけど、兄ちゃんは知らないか?」

 「いや。……聞いたことがないな」

 ライダースーツの女は、ケントの顔色を観察していた。ケントはちらりと車を見ながら、手に汗を握った。返答に困ったようで、少し間が入った。

 「悪いな、お兄ちゃんを疑ってるわけじゃないんだ。いい旅を」

 そう言って、女は建物の中に入って行ってしまった。ケントは急いで車に戻ると、共犯者に言った。

 「さっさと車を出せ!」

 「勘づかれたんですか?」

 「どうやら既に、捜索の手が回ってるらしい。足がつかないうちにさっさと済ますぞ」

 エンジン音とともに、車は加速してパーキングエリアを出て行った。


 「『kent(ケント)』ってまさか、あのヴィジュアル系ボーカリストで、今売れに売れてる話題の人じゃ……この前『某清涼飲料水』のCMにも出演してたし、深夜番組のレギュラーメンバーにも出てたよね?」

 ぼそぼそと攫われた女性が囁(ささや)いた。ルックスが売れていただけに、その謎めいた行動には、ショックを隠し切れなかったようで取り乱していた。身柄を拘束された彼女達は、これから何をされるのかと不安になり、身体を震わせていた。


 「……まぁ、いざとなりゃ、あの小さいライブハウスに責任を押し付けて逃げればいい話だ」

 激しいドアを閉める音とともに、一服終わってケントが戻ってきた。紫吹は震える女性達の手を握って励ましていた。

 

 **

 海風の聞こえるパーキングエリアから、京介の携帯電話に着信が入った。電話の主は、先程の秀麗なバイクの乗り手だった。

 「キョウ、見つけたよ。今『霧前市』と『鏑木市』の境目で見かけた。警戒してさっさと人身売買済ました後に、ドロンするみたいだな。胸くそ悪いんだが……最近、テレビに今出てる『某・ボーカリスト』みたいな顔してた」

 「な、なんだと?!く、……姉貴、追えるか?」

 「私を誰だと思ってるんだよ。天下無敵のレディース、赤蜥蜴(あかとかげ)の元総長だぞ」

 それは、京介の姉「巴」だった。巴は仲間に招集を掛けると「赤い1000㏄のバイク『GSX』」のエンジンを掛け、派手なヘルメットをして言った。

 「伊織、アンタは運がいい。舌噛むなよ」

 「伯母さん、ありがとう!恩に着るよ」

 「お姉さんと呼べと何度言ったら分かるんだよっ!……可愛い甥の頼みだ。死んでも追い詰めてやるよ!」


 伊織と巴が合流したころには、彼女は四時間のツーリングを終えていたころだった。長時間の運転で体力の限界をとうに越していたが、気力を振り絞って黒いワンボックスカーを追い詰めることにした。これが年齢的にも「赤蜥蜴」としてのラストランとなることも知らずに――。


 **

 「くっそ、しつけぇな」

 深夜の高速道路は、走る車も少なかった。だが環状線の急勾配なカーブに逆らうようにケントは車を走らせていた。パーキングエリアから出たのはかなりの時間差だったのだが、その間を詰めるようにぐんぐんと赤いバイクが追い迫る。

 追い越し車線に車が並列して走った。そして巴はバイクを幅寄せして、左手で助手席の窓を叩いた。

 「おい!てめぇら!!おいたが過ぎたようだな」

 「何のことだよ!!車から離れろ。クソアマが!」

 助手席の窓が閉まると同時に車が蛇行した。伊織は大声で叫んだ。

 「紫吹!そこにいるのか!」

 紫吹は後部座席から身を乗り出して、カーテンに被われた窓を叩いた。

 「こいつぁ、当たりだな。伊織、お前は運がいいよ。しっかり捕まっとけ。いいか?あいつらが速度を落とした瞬間に……窓ガラスをこれでぶち破れ」

 巴がくいっと顎をしゃくると、荷台にはくくりつけられていた金属バットがあった。伊織は「彼女は、敵に回してはいけない存在」と再認識したようで、少し血の気が引いた。

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