【Second Album】10th Track:しるもしらぬも
――トーンアウト。ブラックバックとも言えるくらいの白黒の昔話。それは「シベリアン・ハスキー」が、名も無き少年少女だった頃だろう。
彼らは放課後になると、旧校舎の音楽室をジャックして、軽音楽の練習に励んでいた。
七三分けの髪型に整えられ、ハニーフェイスのユイ。彼は付きまとわれる女子達を振り払って隠れ家である音楽室に逃げ込む。モテるくせに女の子がとても苦手なのだ。
「『ユイ』、また女子に追われてたの?相変わらずモテるね」
長くしっとりとした栗毛の髪を流しながら、ピアノを奏でる女の子。ユイは彼女のことは意識しないで気楽に居られる。と思っていた。
「『メイコ』……あのさ……」
「ん?」
美しく首を傾げる少女。その時、バァンと音を立てて不良少年が入ってきた。
「匿(かくま)ってくれ!!」
口元に痛ましいピアスの穴の空いた大柄な男子生徒。どうやら喫煙がバレたらしく、先生に追われるのが通例となっていた。その度に逃げ込むのが、この古い音楽室。きっかけはそこからだった――。
「そうか、お前ら音楽やるのか」
「トモロウ」と名乗る不良生徒は、音楽室の隅っこを眺めると大きなエレキベースを手に取って弾き始めた。
「合わせてくれ」
「……え?!」
戸惑うユイ。しかしメイコは笑ってピアノを奏でる。ユイは恥じらいつつ、トモが弾き始めた「流行りの邦楽」の歌詞を歌う。
とても気持ちの良いセッションだったが、ベースギターとピアノだけでは音の物足りなさを感じつつある……息切れをして肩を揺らして喋るユイに、トモロウは言った。
「お前、エレキギターやれよ」
「ちょっと待て!!唐突すぎないか?寄せ集めの集団じゃんか、こんなバンドメンバー……」
「悪くないと思う。いいね」
乗り気なメイ。煮え切らないユイの頬を掴むとトモロウは言った。
「お前も男だろ!冗談は顔だけにしとけよ」
こうして破れかぶれなバンドメンバーが結成された。コハルが加入したのは、しばらく経ってからのことだった――。
**
風の吹き抜ける廊下。ピリピリした受験モードが壁越しに伝わってくる。紫吹と志乃吹は上級生の居る校舎に立ち尽くしていた。
「噂だけで来たのだけれど、……緊張しますわね」
ゴクリと唾を呑む志乃吹。何事も無く背を向けて逃げ出そうとする紫吹の襟を掴むと、志乃吹は藍呉の居る教室まで歩き始めた。
「離せ!!猫じゃねぇんだから!!」
「そう言って逃げ出すんでしょう?」
暮崎 藍呉(くれさき あいご)は母親が暴走族(レディース)で和服姿の似合う女性だったらしい。ここ一番での勝負に強く噂によれば、伊織の母親と恋のライバルになったこともあったとか。その気立ての強さと和装で学校に通う奇抜な姿を見れば、誰もが藍呉だと分かる。それだけ目立つ人物だった。
「……急に呼び出して何の用だよ?」
志乃吹は力強い目をして、藍呉を呼びつけた。藍呉は面倒そうに頭を掻いていた。
「あなた、……ここ数日の間に浅葱 伊織と会いましたね?」
「……会ったと言ったら?」
「彼が学校に来ていない。一枚噛んでるんじゃ無いのかしら?」
「は?お前はあれか?伊織の女かよ」
その場を立ち去ろうとする藍呉に対して、紫吹は激しく叫ぶと襟首を掴んで言った。
「てめぇ、逃げんなよ!!……何か知ってることあるんだろ?ここ最近、アタイ達と全然関わってくんねぇんだよっ!!」
鼻息荒く紫吹は、藍呉の襟を締め上げた。藍呉はそっぽを向いて言った。
「……分かった。場所を変えよう」
**
――いつもの屋上校舎で、目つきの悪い紫吹が怒りを燃やしながら藍呉に食いかかる。しかし、藍呉の目線は紫吹には向いていなかった。あくまでも伊織を自分の元に引き入れて成功したいという魂胆(こんたん)が強く、ここら辺で小競り合っている場合では無いと虫けらを相手にするような態度だった。
「伊織の才能を知ってたのは俺なんだよ。うちのお袋は、高校時代に伊織の親父のことが好きでさ。結局、結婚は出来なかったが関係は続いてるんだよ。アイツにボーカリストの才能があるって俺はずっと知ってたんだよ」
「じゃあ、『俺らの方が付き合いが長いから』てめぇは引っ込んでろって言うのか?」
「そう言うことだ。先週の金曜日。アイツをライブハウスに誘い出した。で、ステージの上で三時間歌わせたんだよ。最初は恥ずかしがってたんだが、結局火が付くとアイツも上手いもんでさ。あれはダイヤモンドの原石だ。俺が磨いてヤツを出世させてやる。だから邪魔すんな」
「でもよ、テメェのせいで学校に来てないじゃんか」
「どうせ門限破って、母親の𠮟りを受けてるんだろ。アイツんち、厳しいからよ」
「……うそだろ?うちだけだと思ってたのに……」
事実に絶句して言葉を失う紫吹に対して、吐き捨てるように藍呉は言った。
「ヤツが学校に来たら言っとけ。『金曜日の夜。またお前を連れに来る』ってな」
「誰が言うか、バカヤロウ!」
「ま、俺が直接言うけどな……それとも、お前らにはアイツを魅了するような素晴らしい物が用意出来るのかぁ?ま、女だからそれを武器にしたら出来なくも無いがな。けけっ」
「ふざけんなっ」
紫吹は振りかぶって藍呉を殴ろうとした。しかし、軽く躱(かわ)されてしまう。藍呉は埃(ほこり)を払って何も言わずに立ち去った。紫吹は爪が手のひらに食い込むほど拳を握り込んでいた。志乃吹は何も言えずにただ立ち尽くしていた。
**
放課後。教室で三味線を弾く紫吹と篠笛を吹く志乃吹だったが、三味線の音に張りが無いことを志乃吹は感じ取った。
「しぶしぶ、ここ数日溜め息ばっか吐いてるけれど……なんかあったのかしら?」
「別に」
「アンタの言う『別に』ほど、信用出来る物は無いのよ!!言いながら、目尻に涙が流れてるじゃないの」
紫吹は目尻の涙に触って、自分が泣いていることに気付いたらしい。
「うるせ……がはっ」
志乃吹は紫吹を押し倒し、肩を持って激しく揺すぶった。机や椅子が激しい音を立ててずれた。
「嘘つき!!大馬鹿野郎!!この口が強がってるのね!!本音を言いなさいよ。どうせ伊織さんが居ないから、練習に身が入らないんじゃないの?はっきり言ったらどう?」
「……アイツは……戻ってこねーよ」
そっぽを向いて寂しそうに紫吹は言った。
「カプトルって、ライブハウスでボーカリストとしてスカウトされて、毎週金曜に二時間くらい歌ってるらしいんだよ。アイツはアタイらと居るよりも、……ずっと輝いてた。元々センスの塊だったからな。……手を抜いてたんだよ」
**
久し振りに外に出ると、眩しくて目が眩みそうになる。五日間の謹慎の後、伊織の精神状態はすっかり憔悴(しょうすい)しきっていた。
「おはよう、……伊織。何か言うことは無いのかい?」
ひのが伊織の目の前に仁王立ちになっていた。身長の低いひのだったが、伊織から見ると眼力による威圧感が凄まじかった。伊織は堅く歯を食い縛ると、呼吸を整えて言った。
「お袋……迷惑を掛けてすみませんでしたっ!ただ……俺は……」
「まだ言い足りないことがあるのか。もう少し謹慎するか?」
ひのは厳しい口調で言った。しかし伊織は負けじと食らい付いた。
「お袋……ホントにゴメン。ただ、俺には音楽の道しか見えないんだ」
「アンタをボーカルトレーニング教室に連れてったのが間違いだったようだね。……楼雀組は、京介の代で終わりってことか。……一颯を宛てにしたくは無かったんだが」
寂しそうに呟くひの。半ば予測はしていたような返事だった。伊織は涙交じりに言った。
「やっと夢中になれる物を見つけたんだよ。俺、これを手放したら後悔するかも」
伊織は考え込んでいた。紫吹と出会い、振り回されつつも引き込まれた和楽器の世界。何も持たなかった親の七光りの人生だった。そんな自分が唯一魅了されたのは、やさぐれた少女の影に宿る物だったと。
**
「頼む……俺に三味線を教えてくれ」
「……はぁ?!何言ってんだ?」
伊織は紫吹の前で土下座をした。
「ホントに……頼む。生まれて十七年。何もかも夢中になれるものが無かった。中途半端だったんだよ。お前の三味線を聴いてから、俺は本気でこれに向き合いたいって思ったんだ……」
「見栄も、プライドも全て捨てちまえ。家のしきたりも、両親との関係も、恋しているあの女のことも……全て捨てちまえ。それくらい打ち込めることが……お前にはあるのか?」
――様々な言われ文句が頭を掻き乱した。脳天からつま先まで痺れるような熱い込み上げるような高揚感。熱いセッションと仲間との絆。それが伊織の中では忘れられなかった。母親の気持ちを尊重して、長男として組の為に生きてきたが、とても息苦しくて耐えられなかった。
「俺は親の敷いたレールを、必死に顔色をうかがいながら生きていくのだろうか」去来する気持ちの渦……。高校生には重すぎる枷(かせ)だった。
**
ひのは黙っていた。後先考えずに突っ走ってきた息子よく考えて道を決めたように見えたからだ。微笑ましくもあり、寂しくもあった。
「好きにしな。後悔したら赦さないよ。お前には元々期待していなかったしね。一颯にでも期待しようかねぇ」
それは、名目上の破門を意味した。伊織が楼雀組と言う縛りを離れて、血縁上は両親とは家族であるが、相続の権利を喪失したと言うことである。
「……お袋、ありがとう」
肩の荷が下りたようなホッとした気持ちと、苦い背徳感が同時に胸元に押し寄せた。顔を上げたときにはもう、母親は居なかった。
財産相続や名誉欲などの全てのことにおいて、自分が手放した物の大きさに後悔が無いわけでは無かった。ただ、好きなことに夢中になりたかった。その一点だけだ。
自宅謹慎が明けたのは金曜日のことだった。伊織は学校に登校して早々、紫吹や志乃吹と顔を合わせる間もなく、藍呉に呼びつけられて上級生の校舎にいた。
「藍呉さん……俺、先週帰るのが遅くて、こっぴどくお袋に叱られたんすよ」
「んなこったろうと思ったぜ。カプトルのメイさんが心配してたんだぞ」
「だからもう行けないって言ってるじゃないっすか。俺には仲間も居るわけだし……」
「お前さ、馬鹿だろ」
伊織は額にデコピンされた。額を抑える伊織に藍呉は言った。
「それだけ楽しかったんだろ?かみっかみ、ベタベタな洋楽だったけどよ、古くさい高校生バンドでベタな音楽をやるよりも、高価な音響機材に垢抜けたメンツと組む方が、よっぽど成長するぜ?」
――黒く立ちこめる誘惑。自分と紫吹の間を引き裂こうとするもやが一瞬、視界を遮った。後ろから怒りに満ちた視線を感じたが、振り向かずに伊織は藍呉の背中を追いかけていった。
「初舞台に立つお前はカッコ良かったぜ?確かに遅くまで付き合わせちまったのは悪いけどよ、また諦めずに、俺がお前を連れてく。俺とお前で天下執るぞ」
「お袋は俺に期待してないかも知れないけど、門限があるんす。ちょっと帰りを早くして貰えたら……なんて無理っすよね」
「それはどうかなぁ」
藍呉はにかっと笑った。これは今日もお叱りコースだと伊織は予想していたようだった。
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