【Second Album】9th Track:ながめせしまに


 ――伊織が家に帰る頃には、深夜二時を過ぎていた。

 「大馬鹿者!!何時まで遊び歩いているんだい!!」

 玄関口には般若のような顔をしたひのが、薙刀を持って立っていた。伊織がへこへこしながら家の中に入ろうとすると、脛(すね)を打ち叩かれて、石畳の上に正座させられた。

 「素行が悪い。午前様になるまで帰ってこないとは何事だい?」

 「……お袋、ごめん」

 「ゴメンですんだら、切腹なんて要らないよ。大馬鹿者!!最近のお前は本当にだらしがない」

 「早く帰ろうと思ってたんだよ。申し訳ないって」

 竹の薙刀が石畳を打ち叩く。よく通った声が楼雀組の敷地内を響き渡った。

 「アンタには罰を与える。覚悟しな」

 「……え?」

 「五日間土蔵で反省しいや。外出禁止。親を舐めた罰だ。覚悟しいや」


 それから、伊織は膝の肉に食い込む石に堪えながら、朝方まで正座を強いられていた。この厳しい母親からの仕打ちは今に始まったことではないが、今日の仕打ちは特に身に堪えたらしい。

 「くっそ……あのババア赦さねぇ……絶対に家を出てやる」

 母親に対する反骨精神と、悔しさと眠気を噛み殺しながら伊織は唸っていた。


**

 皮肉なことに、伊織の居ない学校生活は閑散としていた。彼もヤクザ気質の息子と言うことを除けば、一介の男子生徒。普通の高校生で、一週間近く学校に来ないことを誰も気には留めなかった。何度も学校に来ない伊織を友人達も「いつものことだ」と嘲笑っていたようだった。……彼女達を除けば。

 

 紫吹は伊織にすっかり心を開いていたようで、憤りながら地団駄を踏んでいた。家庭環境は荒れていたが、唯一の癒やしが屋上でのセッションだったようだ。言葉にはしないが、苛立ちがはっきりと態度に表れていた。

 「あのクソバカヤロウ、今日も来ねぇじゃねぇか!」

 「伊織様ですか?しぶしぶ、思い当たる節はありますか?」

 「ねぇよ。アタイが最後に会ったのは、上級生にアイツが話しかけられた日からだな……。こっちが気を許したと思ったら急に居なくなりやがって」

  ぼそっと本音を呟く紫吹。その本音混じりの声を聞いた志乃吹は苦笑いしつつ、顎(あご)に手を当てて考えていた。

 「ふむぅ、しぶしぶにお熱だった殿方が急にぱったりと連絡が途絶えてしまうのも、おかしな話ですわね。その上級生の方の特徴はどんな感じだったんですの?」

 「お、お熱ってお前……ハリネズミみたいなツンツンヘヤーで、垂れ目のヤツだったな。制服見たらすぐに分かったんだけどよ。くっそ、あの野郎……どこ行きやがった!!」

 むしゃくしゃして髪の毛をかきむしる紫吹。志乃吹はその上級生が一枚噛んでいると踏んだらしく、しばらく長考していた。そして、思い立ったように言った。


 「しぶしぶ、その先輩に会いに行きましょう!善は急げと言いますし!」

 「は?めんどくせーな……」

 「へぇ、そういうこと言うんだぁ。じゃ、いいですわ」

 「チッ、これ以上私の周りにめんどくさい人間関係を作るな」

 紫吹は面倒がりながらも、上級生の校舎に行って話を聞きに行くことにした。いかにもツンデレな様子を見せる紫吹のことを志乃吹は可愛いと思って、心の中で笑っていた。


**

 薄明かりの差し込む、埃っぽい土蔵。正座を強いられていた伊織。太股(ふともも)からつま先まで、すっかり痺れきって立ち上がることも出来ないくらいだった。

 「……今、何時だよ」

 午後四時を過ぎた頃、一颯(いぶき)が鉄格子から覗き込んで馬鹿にするように呟いた。

 「馬鹿だね、兄貴も。……上手くやれよ」

 「一颯か?今何時だ?」

 「四時。寝られないだろうね。お袋には適当に誤魔化しとけばいいのに、たまに羽目外すから、痛い目に遭うんだよ。学生のうちは適当にやっといて、社会人になったら好き放題生きる。兄貴はそこら辺の詰めが甘いのさ」

 「……好きなことをやって何が悪い!」

 「うちの家庭は窮屈なの。さっさと気付けば?毎回怒られてんじゃん」

 妹は馬鹿にするだけ馬鹿にして、その場を立ち去った。伊織は自分の選択肢が間違っていたのか。それを悶々と考えていた。


**

 組員が入れ替わりで伊織を見張っていた。食事は日に三度出されるものの、暗く湿っぽくて娯楽の一切が断ち切られた土蔵に気が狂いそうになる伊織。昔はひのも母親に閉じ込められたことがあり、鉄格子の錆(さび)や鍵穴には、必死の抵抗の痕を見せる傷が残っていた。

 二日の夜が過ぎ、伊織は天を仰いだ。正座は解かれたが、退屈なのは相変わらず。今日は珍しく京介が組の仕事から家に帰宅して、伊織が居間に居ないことに気付き、ひのに訊いた。

 「伊織は?」

 「深夜に帰ってきたから、土蔵に軟禁した」

 「やり過ぎじゃないか?」

 「……アンタがいつも家に居ないからでしょ!」

 「あのさぁ、中華系の黒社会(ヘイシャーホェイ)との関係が大変なこと、お前も分かるだろ?この前も銃撃戦になりかけたんだから……勘弁してくれよ」

 京介が頭を掻き毟(むし)りながら、ひのに呟いた。

 「武家の妻が家を守るように、子ども達を責任持って育てる使命が私にはあるの。アンタがやっとボスとして認められ始めたんだから。子供の教育に関することや家事のことにはあまり口を出して欲しくないのよ。もっと仕事に集中してほしいって思ってるの」

 「しかし……」

 「疲れてるんでしょ?さっさと風呂に入って寝たら?ご飯も用意してあるわよ」

 ひのはそう言うと、聞く耳も持たずに組員達の所へ行ってしまった。


**

 「……おい、腰抜け。起きろ……だじぇ」

 「はっ、俺は寝てたのか」

 寝ぼけ眼を擦ると、五六文が縁の下の隙間から入ってきたらしく、伊織の目の前にちょこんと座っていた。

 「若造、どうしてこんなとこで悶々と悩んでるんだじぇ?」

 「お袋に閉じ込められたんだよ……俺が目立つ行動取ったからだよ。くそっ」

 「馬鹿だなぁ。お前は」

 五六文はふふんと鼻で笑った。

 「お前はそれごときで折れるのか?ちっぽけな才能を潰して、普通の人として生きていくんだじぇ?」

 「くっ、言わせておけば……つーか、元々ヤクザの息子だったから、普通じゃねぇよ。ガキの頃から殺し合いも見せられたしよぉ」

 

 伊織がカッとなって五六文を睨み付けた。空腹と疲れで意識が飛びそうだった。そして、ロウソクがふっと消えた。真っ暗になった中で猫の目がギラリと光り、伊織に言った。

 「見栄も、プライドも全て捨てちまえ。家のしきたりも、両親との関係も、恋しているあの女のことも……全て捨てちまえ。それくらい打ち込めることが……お前にはあるのか?」

 「めんどくせーよ」

 伊織は仰向けにふてて寝そべった。五六文は胸元に飛び乗ると、すかさず追加のお小言を垂れた。

 「若造に与えられた選択肢は二つだじぇ。一つ目。『お袋の顔色を伺って目立つ行動をせずに、鳴かず飛ばずのつまらない人生』を送る。二つ目。『これが俺の生き方だ』と胸を張って、周りを説得しながら生きる。この二つだじぇ。無論、後者は茨の道だじぇ」

 「猫に……俺の何が分かるんだよ」

 「猫だから分かるんだじぇ!」

 人間と何年も生きてきた五六文にとって、十年ちょっと生きてきた伊織の考え方などお見通しだった。五六文は伊織の胸元に爪を立てて「しっかりしろ!」と檄を飛ばした。

 「いたた、いたた。分かったって。降りろ」

 

 五六文が居なくなった後、伊織はずっと考えていた。揺れるロウソクを見つめながら。クラブで思いっきり声を出して歌ったのが気持ち良かった。きっかけは紫吹で。三味線もギターも生半可だった。けれど恥じらいも無く、全てさらけ出して、この音楽の道に飛び込めたなら、どんなに気持ちが良いのだろうか。

 自分はこの謹慎期間が解かれたら、誰に顔を出そうか。クラブに行くのか。……それとも、「紫吹と志乃吹との三人でセッションをしながら」だらだらと高校の終わりまで過ごすのだろうか。渦巻く考えと定まらない生き方と。母親の目と。伊織の行き方に邪魔する物が多すぎる。

 猫のように生きられたなら、――どんなに楽だろうか。

 「先輩達は、就職か進学か考えているんだろうけれど、俺は何をして生きてけばいいのか全く分からないよ」


 「若は誰と話してたんだ?」

 「さぁ。猫と話をする?んな訳ないよなぁ……頭領(ボス)じゃないしな」

 猫に溺愛する京介(ボス)と息子を比べつつ、見張りの組員は笑っていた。この屋敷に猫叉が住んでいることは、……伊織しか知らない秘密だ。

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