【First Album】7th Track:ふりさけみれば


 風邪が回復した後、病み上がりに投稿すると、伊織はすっかり時の人となっていた。ずぶ濡れの中で叫んで、非常勤の教師に止められた挙げ句、その真相は好きな女に愛想を尽かされただか、殴られただか。「組の若は色々とぶっ飛んでる」そんなこともちらほら言われたり。

 伊織は不満にむくれて、一日中寝て過ごすことに徹していた。


 いびきを掻いて寝ていると、周りの目を惹くような雰囲気の女の子が、伊織に近づき、肩を揺すぶってきた。 

 「起きてくださいまし。殿方」

 「なんだよ……眠いんだ、ほっといてくれ」

 「そうはいきませんわ」

 伊織のことを「殿方」呼ばわりする、このかんざしを付けた女の子。着物を着ているようだが、明らかに学校では目立つ服装をしていた。伊織はその格好に驚きつつも、不機嫌な顔をしながら顔を起こした。

 「……何の用だ?」

 「あなたに話があったんですわ」

 「ったく次から次へと……俺を突っついても何も出ねぇよ」

 「私(わたくし)、『沙羅月 志乃吹(さらづき しのぶ)』と申します。親友のことが気がかりで、あなたの所に来たのです」

 「親友?」

 「ええ。あなた様がご執心な女性の友人です」

 「ごしゅうしんだぁ?」

 伊織は数分の沈黙の後、絞り出すように言った。

 「……まさか、お前……神崎のダチなのか?!」

 「ええ」

 にっこりと笑う志乃吹。伊織は「蓼(たで)食う虫も好き好き」と言う古いことわざを思い浮かべながら、苦笑いをした。

 「へへっ」

 「しぶしぶには友達が少ないんですの。殿方もご存じの通り、幼少期から物言いがキツくって、私も悩みの種だったんですの。でも『殿方の噂』を小耳に挟んだものですから……」

 「ったく、どっから聞いたのか知らねーけど、アイツ、俺のことめっさくそ嫌ってるぞ。これ以上踏み込んだら、屋上から突き落とされるっての」

 伊織が話を最後まで聞かずにやんわりと断るも、志乃吹は曇りの無い瞳で詰め寄るように言った。

 「お願いです。しぶしぶのご友人になってくれませんか?」

 「お前さ、いかれてるだろ」

 「よく言われますね」


 志乃吹は笑って見せた。そして、続けた。

 「私の家はずっとお箏(こと)の演奏をやってきたのです。……しぶしぶのお家とは腐れ縁みたいなものでしたわ。彼女とは三歳からのお付き合いだったのです。しかし、三味線の指導者だった優しいお祖母さまが他界されて、お父さまも気が変わったように厳しくなって。昔の面影もないくらい変わってしまったんですの。何かの折でまた仲良くなりたいと思いつつ、ずっと疎遠になってしまって……学校でも煙たがられてるし……」

 「知ってる。親父とアイツんちに行ったら殴られてた」

 「はぁ、昔はあんな人じゃなかったのに……」

 溜め息交じりに話す志乃吹の言葉には、並ならぬ優しさと慕わしい気持ちが籠もっていた。

 「それで俺に話しかけてきた訳か。お前も物好きだよな。俺の家系も訳ありだって知ってるだろ。……関わらない方がいいぞ」

 伊織は頬を掻きながら、自分の家族が組員であることを匂わした。しかし、元々母親がこの学校では有名だったらしく、志乃吹は物怖じしなかった。

 「お母さまが『浅葱 ひの』って仰いましたよね。知ってます。だからこそ近づいたのかも知れません。あなたの血筋にも『燃えるような虎』が居るような気がして。型破りなあなたの血筋が、この状況をぶち壊してくれることをうっすらと期待しているんです」

 「さぁな。俺は牙が抜かれたノラ犬だよ。お袋や親父みたいに尖ってねーし。……ま、気が向いたら手を貸してやるよ。俺もアイツのことなんか見捨てられねーしな。何度も殴られて、つっけんどんにされちまったけどよ……もう関わりたくねーよ」

 「そう言いつつ、結局ほっとけないんですね。ふふっ」

 伊織は背伸びをして、首を回すと屋上校舎に向かっていった。言っていることと行動が真逆なのが見え見えで、志乃吹はおかしかった。


**

 既に時刻は放課後を過ぎていて、屋上校舎も焼けるようなコンクリートの熱さで歪んでいた。少しずつ涼しくなる夕方への差し掛かり。紫吹はいつものように、手すりに身を預けて呆けていた。空を飛ぶ鳥を見ながら何を思っているのか。

 「……しぶしぶっ!」

 背中から呼ぶ声がした。振り向くといつものうるさいアイツと、「腐れ縁の箏弾き女」が立っていた。

 「しぶしぶ、私の話を聞いて!最近、あなたがお父様と仲良くないって聞いたの。少しお話がしたいなって……思ってここまで来たの」

 「隣の男はカンケーねぇだろ。いつの間に知り合ったんだ?」

 その場から立ち去ろうとして、伊織は紫吹の袖を掴んだ。

 「離せよ!!」

 「お前はどこまでカタブツなんだよ。親友なんだろ?……話くらい聞いてやれよ」

 「あー、うぜぇ。どいつもこいつも……アタイのことを知ったように話しやがって。テメェだってあんだけ殴られたのに、まだわかんねーのか?アタイに関わるなって……」

 紫吹は頑なだった。しかし、志乃吹が次の言葉を吐いた瞬間、紫吹の心から棘(とげ)のようなものが抜け落ちた。

 「あのさ、お祖母さまだよね?お祖母さまが亡くなったから……強がってるんだよね」

 紫吹の腕から力が抜け、その場に立ち尽くした。志乃吹は涙を押し殺しながら続けた。

 「分かろうって言ったって、赤の他人だから何のアドバイスも出来ないけど、痛みの半分くらい背負(しょ)わせてよ。……何年付き合ってきたと思ってるの?」

 

 紫吹は黙っていた。しかし、長い沈黙の後に口を開いた。

 「おい、お前。浅葱、お前だよ!!目障りなんだ。さっさと失せやがれ!」

「いいから、話せよ!!どんだけ俺が信用できないんだよっ!」

 「うちの親父は、娘にも手を挙げるんだよ。アタイのばあさんが死んでから……うちは家族はガタッガタ。もうやんなるよな。言うことを聞かない娘と、母親に先立たれたどうしようもない親父。それに愛想尽かしてるお袋。笑っちまうよな?」

 渇いた笑いを浮かべたが、伊織は言った。

 「……笑えねえよ」

 冷めた目をしながら、紫吹は続けた。

 「聞いてくれてありがとな。……だからアタイにこれ以上関わるな。誰かを傷つけるのはもうゴメンなんだ。自分で自分のケツの始末も出来てないアタイには、友達なんか要らねぇ」


 また立ち去ろうとした紫吹。志乃吹は駆け寄って背中から抱きしめた。……強くとても強く。

 「馬鹿にしないでください!そんなに友人関係って脆いものだったの?あなたの強がり一つで私が壊れると思ったら、人間なんてやってられないよ!!」

  ……ストン。憑きものが抜け落ちるように、紫吹は膝から崩れ落ちた。そしてどうしようも無いくらいに泣き崩れた。

「ごめん……本当に……ごめんなさい」

 マスカラもアイシャドウもぐしゃぐしゃで、世の中で一番不細工なお化けみたいな顔で泣いたが、伊織にはその顔が美しく見えたのだった――。


 ――一呼吸ついたとき、伊織は紫吹に言った。

 「紫吹。……弾いてくれ。俺が歌うから」

 紫吹は若干嫌そうな顔をしていたが、満更でも無かったようで、三味線を弾き始めた。志乃吹がリズムを執り、伊織は紫吹がよく弾いていた曲を「そらで」歌った。こんな感じだったんだろうかと思い返しながら。腹から出す声が気持ちよくて、一瞬だけど、紫吹の気持ちが分かった気がした――。


        ――【Second Album】に続く――。

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