stage31.滑稽
ドライブ一つ取っても、
半ばこれまでの人生、ほぼ軟禁生活だったので外の世界が珍しいのだ。
「わぁ~! 見て見て久遠! これって確か、海だよね!?」
「お前、海も見たことないのか」
「うん。テレビで見るくらいしか」
「そうか……」
有夢留の言葉を聞いて、久遠は車線変更すると海の方へと向かった。
車から降りると冷たい潮風が、久遠と有夢留に吹き付けてきた。
「うぅ~! 寒い!!」
有夢留が両腕を交差させて腕を擦る様子を見て、久遠は自分の上着を脱いで有夢留の顔面へと投げた。
「ぅぷっ!」
「……着てろ」
「うん、ありがとう。でも久遠は大丈夫?」
「気にするな」
内心、本当は寒かったが有夢留を気遣って、強がる久遠。
「んー! いい匂いがする風だね!」
有夢留は上着を着てから、潮風を胸一杯に吸い込む。
「これが海の香りだ」
「へぇ! 海って匂いがあったんだ! びっくり!」
意外そうな顔をする有夢留。
「夏だと更に心地良い」
「そうなんだ。じゃあ、夏、また一緒に来ようね!」
ニコッと笑顔を見せる有夢留に、久遠も口角を引き上げて応えた。
「ねぇあれ、砂浜でしょ? 行ってみていい?」
「ああ。汚すなよ。車が砂だらけになる」
「分かった!」
そう言い残してから有夢留は、波打ち際へとダッシュしていた。
その後を、久遠はズボンのポケットに両手を突っ込んでから、のんびりした足取りで付いて行く。
久遠が有夢留の側まで辿り着く頃には、すっかり有夢留は寄せては返す波と無邪気に遊んでいた。
「スゴイよ久遠! 海ってこんなに面白いんだね!」
「ああ。そうなんだろうな」
はしゃぐ有夢留に、久遠はぶっきら棒に答えてから、タバコを一本取り出すと口に咥えて火を点ける。
思えば――。
海が楽しいものだと自分が思ったことが、人生の中であっただろうか。
久遠はふと過ぎ去りし過去を振り返る。
いつも母親の機嫌を気にして、少しでも好かれようと努力しつつ、母親の理想に近付こうと勉強ばかりしていた子供時代。
時々気晴らしに海へと自転車で行ってみたりもしたことはあったが……家族連れが海ではしゃいでいるのを久遠は、羨ましそうに遠目から眺めているばかりだった――。
次第に心のどこかで海が、疎ましい光景へとなって……途端。
「ぅわぁっ!!」
叫び声と共に水面を激しく叩く音で、久遠は我に返った。
有夢留へと焦点を合わせると、波打ち際で引っ繰り返っていた。
「……は?」
一瞬理解できずにいる久遠は、全身ずぶ濡れでしりもちを突いた姿勢でいる有夢留に、眉宇を寄せる。
「つ……っ、冷たーっ!!」
すっかり濡れねずみよろしく、ヨロヨロと立ち上がる有夢留の無様な姿に、つい思いがけず久遠は可笑しくて堪らなくなった。
「クックック……フフフ、ハーッハハハハ!!」
肩を揺すり、腹を抱えて笑い出す久遠に、有夢留も笑いながら文句を言う。
「もう! 笑い事じゃないよ久遠!! 突然大きな波が来て僕、逃げそびれちゃったんだよ! うぅぅぅーっ、さ、さささ、寒いぃぃぃぃーっ!!」
ガチガチ震え出す有夢留の様子が更に可笑しくて、久遠は人生の中で死ぬほど笑った。
「アーッハッハッハ!! これ以上笑わせるな、殺す気か!! アハハハハハ!!」
「んもうっ!! 久遠のバカ!!」
有夢留はあんまり久遠が大爆笑しているので、彼へと駆け寄って軽く突き飛ばす。
これによろめく久遠だったが、咄嗟に口の周りを舌で舐めた有夢留がビクンと弾んだ。
「しょっ、しょっぱーいぃっ!!」
「当たり前だ! 海は塩水だからな。知らなかったのか! アーッハッハッハ!!」
「知らないよぅ! だって初めてなんだから! それよりも寒すぎるから車に戻るね!」
「待てアム! 車が汚れるし濡れるだろう! クックックック……!」
先に走り出した有夢留の後を、久遠は笑いが治まることなく後を追いかけた。
遠出が目的だったので幸い、着替えを持ってきていた。
「砂を全部払い落とせよ」
「分かったからこっち見ないでよ! エッチ!」
ドアを開けた後部座席で着替える有夢留。
「エッチ……」
ようやく笑いが治まった久遠は、運転席で小さくぼやいた。
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