stage14.逸材



 翌日。

 響咲久遠きょうさくくおんは午前中の授業を終えると、午後からの授業を放棄して病院へと向かった。

 その日、滝沢征二たきざわせいじは医者として病院の方へと出向いており、大学にいなかったのだ。

 他の教授に聞くと、滝沢は午後に予定している手術が入っているらしかった。


 久遠は手術着を身につけ、消毒した手にゴム手袋をして、滝沢が予定に入れてある手術室の前にいる助手に声をかける。


「滝沢先生に呼ばれて来た」


 幸い、帽子キャップと目元まで隠れるマスクのおかげで、顔は隠れている。


「分かりました。手術オペは10分前に開始されています」


患者クランケの手術内容を」


「心臓移植です」


 助手は答えながらドアの下にあるペダルを踏んだ。

 するとドアは自動で両脇へと開き、久遠が中に入るとすぐに閉ざされた。


 何の躊躇いもなく入るや、滝沢の向かいにいた別の助手に声をかける。


「交代だ。君はモニターに回ってくれ」


 突然の予定にない久遠の登場に、その助手は訳が分からない様だった。


「おい! 他の助手が来るとは聞いておらん! 誰だね君は!?」


 滝沢はマスクをしている久遠に気付かず、そう言いながら手にしていた医療道具を戻しながら、今度は別の道具を渡すように指示しながら彼の青い目を除き見て、ハッとする。


「君は……」


「次はクランケの心臓摘出ですね?」


 久遠は滝沢の反応を気にも留めずそう言うと、早速滝沢のオペの続きに取り掛かり始めた。


 患者の心臓を体内から慎重に取り出している久遠を、しばらく驚いた様子で見つめていた滝沢だったが、意を決して彼の隣でたじろいでいる先程の助手に、滝沢からも声をかける。


「よし。ならば君はモニターに回ってくれ」


 手を動かす久遠を手伝いながら、滝沢はそっと声をかける。


「どういうつもりだね」


「お喋りしている暇はありませんよ」


 久遠の言葉に、滝沢は黙ると改めて手術に意識を集中させた。




 手術を無事終えて久遠は、ゴム手袋を脱いでゴミ箱に叩き込むと、今度は手術着を脱ぎながら手術室を後にしようと歩いている彼に、滝沢が声をかけてきた。


「今回は君の周囲の医者よりも格段に腕がいいのを見込んで、特別に内密で許可したが、本当ならばまだ医師免許も持たない学生である君が、普通のオペはおろか今回の様なベテラン医師ですら難しいとされるオペに手を出すなど、決して許されん行為だぞ。そんな簡単な常識くらい理解の上での事なのだろう?」


 ……お前如きが“常識”を語るか。


 これに久遠は内心思いながら立ち止まると、余裕の笑みを見せながら答えた。


「勿論ですよ。それを覚悟の上でこの様な行為に走ったのです。滝沢教授の目の前で、自分の腕を確かめたくてね。どうでしたか? 私の腕の程は」


 久遠は至って落ち着いた口調で訊ねる。


「……最高だよ。実に素晴らしい腕前だった。言う事はない」


「そこまで言って頂けるとは光栄ですね。そうですか。これで更に自分に自信がつくと言うものです。お褒めに預かりありがとうございます」


「うむ……本来ならば今回の事は問題になるのだが、この私が内密に手を回して表沙汰にならないようにしておこう」


 この言葉に久遠はしめたとばかりにさりげなく言葉を返す。


「そこまで助けて頂くわけには……私は退学覚悟の上でやった事です。教授に私などのせいで後々ご迷惑をおかけできません」

 彼の言葉に、滝沢はニンマリと不気味な笑みを浮かべた。


「私はずっと思っていたのだよ……君は50年に一人の逸材だとね……その知能も……容姿も……やはり君は私が見込んだ通りの人材だ……君は十分私の目から見て芸術に値する人間だと思っているが、どうだね。更に自分の能力を極めたいのなら、私の元で頑張ってみないか……そうすれば私が責任を持って面倒見ようじゃないか……私がこの手で更に今以上の最高傑作の人間芸術の一人に仕上げてあげよう……」


 滝沢の欲望に満ちた一面を初めて目の当たりにし、有夢留あむるから聞いた話と重なり、いくら覚悟の上で自ら滝沢の正体を暴き出して追い込んでやろうと企んだ事とは言え、今まさに己の正体を少しずつ露にしていく彼の姿に、思わずゾクリとする。


「それは……嬉しいですね……」


 心に芽生える警戒心を何とか気付かれぬ様、押さえ込む久遠。


「そうかね! 素晴らしい!! 私はどれほどこうなる事を夢見たことか……!! 私は君に一目会った瞬間から惚れ込んでいたのだよ! 君が持ち併せる物全てにね……! 是非ともプライベートでも個人的に我々の仲を深めようではないか!!」


「……それほどまでに……私のことを気に掛けて下さっていたとは……」


 思わずその表情に余裕が消えてしまった、どこか不審的な口調の久遠にはと我に返って、つい興奮して自分の本心を語り過ぎた事に気付いた滝沢は、慌てて言葉を付け加えた。


「あ、ああいやスマン! 少し言葉が大袈裟だったな! いやはやまさか自分の教え子がここまでして私の事を尊敬してもらえているとは思っていなかったので、つい嬉しくてね! 誰だってかわいい教え子に慕われるのは嬉しいもんだ! そうだろう!?」


「え、ええ、それは確かに……」


 少し戸惑いながら答える久遠。


「ハハ……ハ……では私はここで失礼するよ。君もそろそろ大学に戻りたまえ」


 滝沢はそう言って久遠に背を向けて、その場を立ち去ろうとしたが。

 思い出したように踵を返した。


「ああそうだ! そう言えば君の連絡先でも……携帯電話を持っているだろう」


「そうですね。それなら時間が空いた日を見計らって、私の方からご連絡致します。以前に教授から頂いたケータイナンバーのメモを持っていますから」


「う、うむ……分かった」


 頷くと滝沢は、少々名残惜しそうにその場から立ち去って行った。


「フ……喜び浮かれていられるのも今のうちだ滝沢……貴様の化けの皮を剥いだら、地獄のどん底に叩き落してやる……」


 落ち着きを取り戻した久遠は、静かに呟いた。


 この俺を標的にしたのが、貴様の命取りになったな。

 心に傷を受けた者の苦しみを、とくと味わうがいい。


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