stage13.演繹



「結局それが現状なんだよ……それが今の社会の仕組みなんだ。弱者は強者に潰されるのがね」


「だからと言って見逃せるわけがない」


「……普通はそうだよね。そう言ってくると思った」


 少年は言うと、少しだけ儚く微笑み、ソファーからスクと立ち上がった。


「あなたの名前……聞いてもいい?」


「……響咲きょうさく……久遠くおんだ」


 その名を聞いて、少年は少し驚いた様子だった。


「……俺の名を、聞いた事があるのか?」


 少年の様子を奇妙に思って、そう尋ねる。


「……うん……最近よく……耳にするよ。パパから」


「パパ?」


「僕のパパね。その麻衣未まいみちゃんを味見した例のリーダーの人なんだ」


「な……」


 そのリーダーであるこいつの父親が、何故俺の名を……。


「それで、僕の名前はね……アムル。滝沢たきざわ……有夢留あむる。今年で14歳になったばかりだよ」


 そう言って少年は、悲しげに笑って見せた。


「た……きざわ……」


 久遠は強い衝撃を受けた。


 滝沢、滝沢だと!?


「じゃあお前のそのリーダーをしている父親ってのは……」


 ここまで言って、ショックの余り声が詰まる。


 聖ヴェルニカ大学病院教授兼ドクターの……滝沢征二たきざわせいじ……!!


「だから僕はこの寮の場所も知っていた……僕が三日前あなたに助けられた日ね、パパがイライラしてたみたいで、その八つ当たりをされちゃったんだ……。さっきの公園でね。それでそのままパパだけ先に車で帰っちゃって……僕も帰ろうとしたんだけど、もう歩く力がなくて……少しでもどこかで休もうと思って、せめて知っている所の方が良かったからこの寮に……」


 しかし久遠は、少年――有夢留の言葉が衝撃の余り、半分も入ってこなかった。


「パパ……あなたの事が気になっているみたいだよ。確かに響咲さん、パパの好みそうだものね。でもあなたになかなか隙がなくて自分の思い通りにならないものだから……それで最近イライラしてんだろうね……」


「俺をそんな目で……だからここのところ、やたらと接近してきてたのか……!」


 久遠はうわ言の様に口にした後、ゾクリと全身に悪寒が走った。


「……怖い……?」


 有夢留の言葉に、思わずビクリとする久遠。

 それを見て有夢留はクスリと笑う。


「僕ね。一般の人でここまで接したの……響咲さんが初めてなんだ。あなたといると不思議ととても落ち着ける……このあなたといるひと時の間でも、僕は苦しみを忘れて穏やかな気持ちになるんだよ……家に帰ってもまた、あなたに会いたくなる……」


 有夢留の言葉は、久遠の心に芽生えた恐怖感に、僅かな安らぎを与える。


「そんなあなたに、僕と同じ苦痛を与えたくない。あなたは無愛想ながらもとても心優しい、ピュアな心の持ち主だよ」


「ピュア……?」


「うん。まともにあなたと接したのもこれで二度目だけど、それが僕には伝わってきた」


「……」


 久遠はまるで自分の中の不思議な感覚に、我ながら少し驚きの表情で黙って少年を見つめていた。


「そんなあなたを僕は穢してしまいたくない。パパの方は、僕がどうにかするから」


 有夢留はそう言ってニコッと笑って見せると、玄関の方へと足を運んだ。

 それをベッドに座ったまま、黙って目で追う久遠。

 有夢留は靴を履いてクルリと久遠を振り返ると、言った。


「麻衣未ちゃんの件、早川さんに話す話さないはあなたの自由だから」


「……」


 相変わらず無言のまま、久遠はベッドから有夢留を見つめている。


「……また……会えるよねあなたに」


 少し寂しげに訊ねる有夢留。


「また……会いに来ていい……?」


「……」


 少年の言葉にあくまでも無言で答える久遠。


 しばらく答えを待っている様だったが、返ってこない返事に、有夢留は寂しそうに俯きながら玄関のドアを開けた。

 そして有夢留は一歩外に出ると、静かにゆっくりとドアを閉めかけた。

 閉まりかけるドアに、久遠は我に返った様に慌てて声をかけた。


「いつでも会いに来い!」


 一瞬、ドアが止まる。


「この俺でいいのなら……いつでもまた、会いに来い」


 それを確認して、改めてもう一度言い直す久遠。


「……うん。ありがとう」


 少年はドア越しで答えると、静かにドアを閉めてその場を後にした。


 思わず、言わずにはいられなかった。

 また会いに来いと。

 あの少年の父親である滝沢の魔の手が自分に向けられている事を知らされ、内心関わりたくない気持ちでいっぱいだったが、その少年まで見放せない自分がいた。


 幼い頃受けた母親からの虐待の記憶が、有夢留から自分がエロトマニストの滝沢から狙われていると聞いた時、フラッシュバックした。

 過去に受けた心の傷が、その話に怯えた。

 しかも今度はそれが、エロトマニストという異常な性欲趣味を持つ者となれば尚更だった。


 だが有夢留は自分がいつ殺されるとも知れない者の相手から、久遠の身を守ろうと立ち向かう様な言い方をしたのだ。


 内容が違うとはいえ、お互いが心に抱く傷の苦しみは同じものだとしても、自分の辛さと比べればその倍の辛さを、あの少年の方が受けているにも関わらずだ。

 それを思うと、久遠は有夢留に手を差し伸べずにはいられなかった……。

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