stage5.苦悩
「お前いきなりどうしたんだよ!? 今日はここに来る予定なかっただろう? どうしたんだ! 何で泣いて……ハッッ!! まさかこのお兄ちゃんを驚かす為に内緒で来たは良かったが、他の寮生の良からぬ男からいたずらを……!!」
血相を変えて言葉を捲くし立てる兄に対して、妹の
「違う! 違うの。あたしパパとママとケンカしたの! それで咄嗟に家を飛び出してお兄ちゃんの所に来ちゃったの」
肩甲骨までの艶やかな黒髪を揺らしながら、麻衣未は首を振って必死に兄へと簡単に理由を述べる。
「うんうん。そうかそうか。咄嗟にお兄ちゃんの所へ……」
「おいお前。感心している場合か」
「親父とお袋とケンカ? 何でまた……」
「だってパパもママも、あたしがケータイで友達とラインしてたら、勉強しろしろうるさくて……!」
麻衣未はピンク色のケータイを持った両手を、胸元でキュッと握って潤んだ瞳を友樹へと向ける。
「そうかぁ、よしよし。でもそれならどうしてお兄ちゃんのケータイに……」
「だって咄嗟に家を飛び出してきたからケータイ充電あまり残ってなくて、お兄ちゃんに電話しようと思った時にはもう、電池切れちゃっててかけられなかったの」
この麻衣未の言動に、胸がキュンとときめかされている様子の友樹は頬を緩ませながら、優しい口調で言った。
「そうだったのか。じゃあ仕方ない。今日はお兄ちゃんとこ泊まるか?」
「うん! 今日だけじゃなくてずーっと泊まりたい!!」
兄の言葉に、それまで半べそだった麻衣未の表情はパァッと明るくなり、ピョンピョン嬉しそうに飛び跳ねる。
「ハハハ……でも明日明後日は学校休みだからともかく、ずっとはなかなかいかないぞ♡ まぁとりあえず部屋に上がろう!」
友樹は麻衣未の頭をポンポンと優しく叩いて、ニコニコしながら嬉しそうに妹の手を取ると、久遠へと振り返った。
「どうする響咲。妹付きだけどうちに来るか?」
二人が住む寮は、家族のみ宿泊が許されている。
久遠は友樹からの誘いに、小さく頭を振った。
「いや……せっかくだが。お前は妹とゆっくりするといい」
「そうか? いや悪いな!」
そう言いながらも友樹は、とても反省した素振りは見えない。
「あ。響咲お兄ちゃん、ごめんなさい。ひょっとして今からお兄ちゃんと遊ぶ予定だったですか?」
逆に、妹の方が申し訳なさそうに、久遠へと顔を上げる。
「いや、私のことは気にする必要はない。君も兄とゆっくりしなさい」
久遠は大人びた口調で答えると、ふと軽く微笑んで見せる。
「マジすまん響咲。じゃあ詫びにこのビール、お前にやるわ。んじゃまた明日な!」
友樹は手首に下げていたビールの入ったビニール袋を、久遠に強引に押し付けるや否や、嬉々として妹と一緒にさっさと自分の住む部屋がある寮へと姿を消した。
久遠はビールを手に二人を見送ると、ふと軽く溜め息を吐いて、ゆっくりとした足取りで同じく寮へと歩を進めた。
自分の部屋に戻ると久遠は、ビールを片手で開けるとグイグイと一気に呷ってから、一息吐いた。
妹か……俺にも兄弟がいたならば、少しは人生も変わっていただろうか。
ふとそんな思いに耽りながら、次々とビールを飲み干していく。
やがて五本目の缶ビールを飲みながら、窓際へと移動し枠に腰掛けて、物思いげに外を眺める。
外はすっかり夜の闇が降りていたが、寮の門には街灯が辺りを照らしていた。
少しだけ窓を開けると、夜風が吹き込みベッドに置いてあった参考書をパラパラとめくる。
そんな光景をぼんやりと眺める久遠。
帰りに友樹から訊ねられた質問が、脳裏を過ぎる。
どうして医者になりたいと思ったか、か……。
かつて母と呼んだ女が医者を好んだから?
しかしもう今更それに従順する必要はない。
そんな事分かっているのにどうして医者などに……。
父と呼ぶはずの男が医者をしていたから?
いや、俺に父など必要のない存在だ。
気が付けば己の歩んだ道について、自問自答を繰り返す。
医者、医者、医者、医者……!!
もううんざりだ!
医者のイメージはただ自分自身を苦しめるだけではないか!!
ガシャアッ!!
気が付けば久遠は手にしていた缶ビールを、玄関の脇にある流し台に向けて、激しく投げつけていた。
久遠はそのままベッドへ歩み寄ると、そこにあった参考書を力一杯破るや床に叩き付けてから、そのままベッドに倒れ込む。
今までこの心の苦しみに耐え切れなくて、誰かに助けを求めるような精神不安定の俺が、医者になって誰かを助けるなど。
とんだお笑い種だ……今俺が歩んでいる道は……無駄でしかないのかも知れんな……。
そのまま久遠は、アルコールが手伝って眠りに落ちていった。
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