stage4.記憶



 響咲久遠きょうさくくおんの母親は、頭が良く金回りの良い医者の男を好む傾向があった。

 息子の久遠を生んだ後からも、ちょくちょくそういう男を取っ替え引っ替え相手にしていた。

 それを見ていた幼き久遠は、頭が良くなって医者になればそれらの男同様に愛されるのだと、信じ続けながら育ってきたのだ。

 しかし結局母は、久遠のせいで父親どころか、子持ちの女という理由でなかなか次の結婚までこぎつける事が出来ないまま、相手の男と別れてしまうのが赦せず久遠を虐待してきたのである。


 18歳の時――。

 母に医者になると告げたら、その息子をこの上ない憎しみと恨みのこもった目を向けて、彼を非情なまでに冷酷に罵り、見離した。


「あんたなんかがドクターになったって何の意味もないわよ。あんたのせいで私は幸せになれないってのに、医者になるですって? 笑いも出ないわよ」


「でも母さんは医者が好きなんだろう? だから僕も医者になって――」


「自分が医者になったら愛してくれるよねって? やめてよ冗談じゃない。どこの誰があんたなんか愛すると思ってんの? そんなのお断りよ」


「だって母さんは――」


「あんたなんか愛するなんて考えただけでも吐き気がする! 高校ハイスクールまで出してやっただけでもありがたく思って、もうさっさとこの家から出て行って頂戴!」


「そんな! 母さん僕はずっと――」


「あんたさえいなくなればいい加減わたしも清々して、やっと幸せを手に出来るのよ。あんたがハイスクールを卒業してくれるのをどれだけ心待ちにしていた事か! さぁ早く出て行って! もうあんたの顔なんか二度と、いえ、一生見たくもないわ!!」


 ……母のこの最後の言葉にどれだけ深く傷付いた事だろう。

 母に愛されたいが為だけに、この18年間医者を目指す為何もかもが、とにかく必死だった。


 毎日のように母の顔色を窺う生活。

 周囲で目にする仲の良い母子の風景に、何度羨ましく思い涙を呑んだか知れない。

 どんなに蔑まれても、何度酷く殴られても彼は、母に愛されたかったのだ。

 だってそれでも母親を愛してやまなかったから――。


 母のこの上なく残酷な言葉の仕打ちに、久遠のそれまで純粋だった心は一気に、粉々に砕け散った。

 直後生まれた感情は母への憎しみと、深い悲しみと絶望。

 

 ――母ハ、最早狂ッテル――


 その後強制的に精神病院へ母親を捨てても、もう久遠の中では幼い頃から医者になろうという決意が深々と、心に刻み込まれてしまっていた。

 だからもう医者になる必要性はなくなってしまっても、医者になる道を捨て切れなかったのだ。

 医者になる事で余計に自分の中のトラウマが悲鳴を上げて、母の記憶を引きずるような辛い思いをしようとも。

 しかしそんな辛さを忘れようとするかのように、久遠は普段から休みを惜しんででも勉学に励むのである。

 おかげで医者を目指す勉学が心から楽しめるはずはないのだが、今となってはもうほぼ勉学に勤しむのが無意識化されているのに近かった。




「そう言うお前こそ、一体どんな理由で医者を目指そうと思ったんだ」


 久遠はすぐさま早川友樹はやかわともきに同じ質問を繰り出す。


「ん? 俺か? 俺はだな。……――可愛い妹の為よ!!」


 自慢げにそう言い放った彼に、久遠は思わず理解に苦しんだ。


「い、妹……?」


 こいつの妹は確か、何の問題もなく元気で健やかに育っているはずだが。


 久遠は内心、思った。


「ああ、そうだとも! 聞いて驚け! この妹思いの心優し~い兄ちゃんはだなぁ! 将来万が一自分の妹の身に何か大変な事が起こった時に、この兄ちゃんの手で可愛い妹を治してやるのが夢なんだ!!」


「……」


 こ、こいつ……医者は二の次で本当の夢はそれなのか……。

 って言うかまずその前に、自分の妹がそれだけ可愛いのなら、そんな危うい万が一など普通、間違っても考えはしないだろう。

 やはりこいつ……根本的に俺と、いや、寧ろ他の奴とも頭の使い道が……それ以前に、馬鹿過ぎて尋常じゃない。


「……重症だぞ早川……」


 久遠は心の底からそうボソリと口にした。

 その時。

 そろそろ寮の門前に到着しようと歩いていた二人に、その門前から突然駆け出して来る何者かの姿があった。


「うわあぁーんっっ! 友樹お兄ちゃぁぁーん!!」


「な……っ! ま、麻衣未まいみ!?」


 噂をすれば何とやらだ。

 友樹の12歳の妹だった。


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