第3話

 しばらくして、その着物着たじいさんは蕎麦食い終わって

「ごちそうさん」

言うて、店を出てってしもうた。俺は、それはあかん思うて、そのじいさん追いかけなあかん思うて、そんでも手元の山菜そばはまだ残ってるやん。残して行く訳にもいかんから、急いで箸で蕎麦つまんでゾゾゾっとやって口いっぱいにしてもぐもぐやったんや。全然思うように蕎麦なんて食えへんかったわ。

 急いで食うてから店を出て、辺りを見たんやけどじいさんなんかおらんかった。どこ行ってん?5分も経ってへんやろ。道の向こうの方まで背伸びして見て、歩道橋のあるとこぐらいまでしっかり見たんやけど、やっぱおらへん。逆に行ったんやろか思うて後ろの方の道も見たんやけど、そっちはもう駅の方やからごちゃごちゃしてようわからん。嘘やろ思うて、とにかくそっちの方に歩いてみて、やっぱおらんし、もう駅で電車にでも乗ってもうたんやろか?いや、それは無いやろ、歩くん早過ぎやでじいさん。それともどっかの道で曲がったんやろうか?駅のすぐ側の道曲がったら、商店街やん。じいさんっぽい人もようけおるけど、洋服やねん。何で着物なんて着てんの、あのじいさん。まあ、着物いうても正装の着物とは違うて、浴衣みたいな軽めの生地やったけど、何て言うねんあれ、甚平?

 とりあえず近くの店の中を覗きながら商店街の道を行ってみることにしたんや。ガラスの引き戸の店も結構あったから、外から見るだけで中に誰がいるんかは大体わかった。そやけど、あのじいさんはおらんねん。駅の方からくだり坂になってる道行って、車もよう通らんぐらい人でわらわらした道をジグザグに歩いとった。何でそんなジグザグやったかと言われたら、それは道の反対側も気になったからやわ。まあ、覗くぐらいしか見てへんけど、そんでも店飛ばしたりしたら、もしかしたらあの店におったかも・・・・・・いうて心配なってかなんねん。気になったらしゃあないから戻って調べてみて、やっぱりじいさんはおらんかった。

 そうこうしてる間に、じいさんと俺の距離はどんどん離れて行く。そう思うたら、焦ってきて、テンパってきて、動悸が激しゅうなんねん。なんかな、周りの人との距離がすごい縮まったみたいに感じてこいつらわざと俺に寄ってきてんのちゃうか思うたで、ほんまに。なんか横見て話してる女の人二人、笑ってて、前なんて向いてへん。どんどんこっち近づいてくるし、これはぶつかるやろ思うて、視線そらして微妙に歩く方向ずらしてんのに寄ってきて、おい、それもう真っ直ぐ歩いてないやん。まさか止まらなあかん?まさかやろ、嘘やろ、おっとっと。ついに俺は、止まらんといかんようになってしもうた。

 この二人の女の人は、まあ若いわな。20代やろね。そうやって止まった俺をじっと不思議そうに見とった。俺もそん時に彼女らと目は合っててんけど、何を考えとったかって言われたら、それはまあ、さっきやったおっとっとのことやった。どっかで似たようなこと無かったか?なんか体が覚えてるデジャブみたいな感覚やった。それで、そうや、この「おっとっと」は家出る前に練習したやつやって、気付いたんや。女子らは、それにしてもずいぶんと長い間こっち見てんねん。そんなおかしいか?俺?もしかしたら、ニヤニヤはしとったかも知れへん。なんのニヤニヤかと言われたら、それは、さっきのおっとっとやん。小さい事かもしれんけど、こっちはちょっとしたアハ体験をしたんやから、顔がやっぱりアハってなってたんかも知れへん。

 これは、まずい思うて

「失敬」

言うて、頭を下げてすたすたとすれ違った。帽子なんかあったら、鍔先を指でつまんで言うたったのに。「すみません」言うた方が良かったんやろか?そやけど、別にこちらが悪い訳や無くて、どちらか言うたら向こうの方が悪いような気がしてたのに「すみません」は無いんとちゃうか?まあ、正直言うと、ちょっと悔しくて言えんかった。

 そんなやってぽくぽく考えながら歩いとったら、急に何やってるんかわからんくなったしもうた。何しててん、俺?別にぼうっとはしてるつもり無かったんやけど、反対に集中しすぎてたと言うか・・・・・・何やってたん、俺?何するんやったっけ?

 そんな時はな、休憩すんねん。一度に2個も3個も別のこと考えとったら、頭ん中ショートすんねん。そんな時はな、公園でも行ってタバコ吸うねん。缶コーヒー買うん忘れんなよ。公園言うたかて、この辺にあったっけ、あったな。今どこにおんねん?公園ってどの辺や?左曲がってまっすぐ行ったらあったやろ。コーヒーどうすんねん?自販機なんてあるか?あそこあるわ。10円の枚数ちゃんと数えてぴったりでお金入れてボタン押すんやろ?簡単やんけ、なんてこと無いわ。なんでも来いですわ。

 俺は、ちゃんと公園探して、胸の高さぐらいまでピヨーンと生えてる生垣とそれに埋もれてるみたいなってる地面から逆のU字みたいになってる鉄の直径10センチぐらいのチューブ、言うたら解るかな、安全バーって言うの?そんな何本かで囲ってある公園、その入り口を見つけて、入ろう思とった。入り口は、人が何人も余裕持って入れるぐらいの大きさで、砂地の公園で、入り口のところだけ四角の敷石を敷いてあんねん。そこを通って、まずブランコが目に入ったけど、流石にいきなりブランコに乗るんは恥ずかしゅうて、その手前にあったコンクリート製のベンチに腰掛けたんや。そんで、コンってベンチの上に缶コーヒー置いて、ズボンのポケットから煙草を取り出したんやわ。

 そんな感じでベンチに座って煙草を吹かしたら、火ついた煙草から煙がモワモワ上がって行ったんや。青い空にクルクル回りながら昇ってって、掠れて見えんようなるん見とったら、急に何年も前に女の子と話しとった会話を思い出したわ。

「タバコの煙って何色に見える?」

そう言ったんやけど、女の子は何か急に目を細うして、俺のことをじっと見とった。週刊誌をそれまで読んどってんけど、一応それは閉じたから、声が聞こえとったんは、そうなんやろうし、まあちゃんと聞いてくれとったんやな。

「何?何色ってどういうこと?」

その女の子は、ちょっと怒った感じやった。

「白と違うの?白じゃ無いの?」

俺は、

「そうやな」

そう言うて

「白やな」って言うたんや。

会話はそれだけやった。

多分俺は、見ようと思うたら青っぽくも見えなくはないし、紫や言う人もおるし、見よう思うたら黄色っぽく見えたりもせんやろか?って思ってて、なんかそんなやり取りを期待しとったんかも。いやいや青でしょ、そんなわけ無いやん、黄色やろ、やっぱ、みたいな。嘘やろ、お前、絶対感覚おかしいわ、ゲラゲラゲラみたいな。なんか楽しそうやろ?そやけど、こうやって何年も経って改めて煙草の煙を見てみて・・・・・・やっぱ白いなあ思った。そりゃあ怒りもするわな。確かに白いもん、どっちかって言うたら。

 俺は、そうやってしばらくぼっとしてた。こん時は、確かにぼうっとしてたわ。なんか自分でも何を考えているんかよう分からんと、そんでもずっと何か考えてるような感じやった。脳が自動モードに入ってるような感覚で、ほっといてもなんか頭ん中でパタパタ音がしてて断片的な考えの破片みたいなもんが時々ぽろっ、ぽろっと目の前の視界で縦に落ちてってるんは、気付いてた。でもその破片みたいなんが何やったのかは全くわかってなかった。

 しばらくの間そんな感じやってんけど、それでもそんなに自分をほっといても、不安やん。いきなり何やりだすんかも分からんし、止めよう思うて急に自分が止まらんようになっとっても怖いし。だから、まばたきをパチパチって意識的にするところから始めて、それが出来たんを確かめてから、ぐいって頭を持ち上げてみた。そうしたら、当たり前なんやけどそれが自然に出来たもんやから、やっぱり俺の体やって思い直して最後に一服だけして指で挟んどった煙草を靴の裏に押し付けて消したんや。

 ベンチに置いてあった缶コーヒーを飲んで、ごくって音を鳴らしてそれ飲み込んで「そう言えば、あのじいさんどこに行ったんやろか?」と思い出した。なんか蕎麦屋で見た時は、これはただ事や無いって感じで、一体ナニモンか聞いとかなあかん思うたんやけど、いざ見失ってしもうて、どうやったら会えるんやろか?そう思うても・・・・・・何とも、よう考え付けんかった。そやけど下町あたり行ったら、あんなじいさんばっかりおるんやろかとも思うて、そう言えばちゃんと下町っちゅうもんを見たこと無かったなあって思うた。そんなら、これから電車乗って見に行こうか思うて、時間もあったし、やる事も無かったし、行こう思うたら行けるやんって感じやったんやわ。そこでやっと実感が湧いたっちゅう事と違うかな。立ち上がって、駅に向かおう思うて、そのまますんなり駅に向かって歩いとったんですわ。

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