夢路の果て

中川 弘

第1話 夢路の果て


 科学に不可能はないと豪語さえする今日この頃です。


 もし仮に、タイムマシンがあって、江戸の時代の、千住あたりに暮らす魚屋の八助を、今の時代に連れてきたら、きっと、腰を抜かすに違いありません。

 なにせ、籠よりも大きい、それも得体の知れない光り輝く物資で出来た箱が、かき手もいないのに、ものすごいスピードで走り回っているのですから。

 そんな八助、江戸の時代、自分の生きている時代に、恐らくは、夢の中にさえ、そのような光景はなかったはずです。


 ということは、夢というものは、時代に生きる人の頭の中に、その脳に刻み込まれたものしか出てこないのです。


 今、私たちが、見る夢だって、私たちの過去の出来事、記憶されたものから、脳が、ランダムにそれをつなぎ合わせて見させ、そして、覚めるとともに、記憶のひだから速やかに引きげているものなのです。


 実に、脳は、巧みに、私たちを操っているとも言えるのです。


 昔、漫才師に、いとしこいしという兄弟がいました。

 大阪の漫才師です。


 いとしこいしの姓は、夢路です。


 なんとも言い得て妙なる芸名の付け方です。

 エドガー・アランポーに憧れて、推理小説家の江戸川乱歩。

 バスター・キートンに憧れて、喜劇俳優の益田喜頓。

 司馬遷に憧れて、歴史小説家の司馬遼太郎。


 これなども、素晴らしいペンネームであり、芸名ではありますが、夢路いとしこいしには適うまいと思っているのです。


 夢路とは、文字通り、夢の通う道です。


 私も、あなたも、昨夜、この道を通ってきたばかりなのです。

 真っ暗闇の中を、手探りで、ふと気づけば、時空を超越して、あらぬ世界に跳梁して、大冒険をしてきたのです。


 しかし、ちょっとトイレに立った瞬間、その大冒険はいとも簡単に、まるでシャボン玉のようにパチンと弾けて、わずかな飛沫を残して消えてしまったのです。


 あまりに怖い夢で、それから逃れたいがために、布団から起きて、窓辺に立って外を見て、布団に戻っても、また、同じような夢にうなされるなんてこともあります。

 夢とは、ほどほど厄介なものだと、だとするならば、とことん見てやろう、地獄まで付き合ってやろうと思うと、泡のごとく、夢は散っていってしまうのです。


 平安の昔、小野小町ほど、夢を詠んだ人はいません。


 いとせめて 恋しき時は むばたまの夜の衣をかへしてぞ着る

 うつつには さもこそあらめ 夢にさへ 人目を避くと見るがわびしさ  

 うたた寝に 恋しき人を見てしより 夢てふものは 頼みそめてき


 なんと、切なき女心を歌った歌でしょうか。


 でも、小町の夢というものには、怖さなどこれっぽちもなくて、憧れいづる思いだけがそこに見て取れて、なんとも微笑ましい、良き時代であったとも思えるのです。

 もっとも、小町にしてみれば、何を好き勝手なこと、言ってはりますのん、わての気持ちのひとつも知りよらんよって、いけすかんと肘鉄砲を食らうことでしょう。


 こんな歌もありました。


 限りなき思ひのままに夜も来む夢路をさへに人はとがめじ


 夢であれば、誰からもとがめられないっていうのです。だから、誰彼の目を気にせず、恋しい方にお会いできるって、そういうのです。


 そんな小町の和歌を古語辞典の付録についていた和歌俳句解説の冊子をめくって堪能してますと、気づくことがあるのです。


 夢とは、ありえないことをあり得ることに転換できる、科学ではまだ立証されていない人間の持つ才能ではないかということです。

 それを小町は夢路なる言葉を使って、毎夜毎夜、その薄暗き道を歩んで、思いを遂げていたのです。


 現代に暮らす私たちが、さほどの雅な道筋を歩むのではなく、時に、汗をかくような、時に、身を凍らせるような夢にうなされるのは、果たして、いかなることかと思いが至るのです。


 時代は小町の時代に比べれば、明らかに良くなってきているのに、人の心に宿る、いや、脳のひだに埋め込まれる人の思いは、なんとも切ないものだと……。


 これだけ科学が発展したのだから、夢路の、その道筋を解明し、なんらかの作用によって、人を極楽極楽と言わせるような、そんな脳のひだに食い込むソフトはできないものかと思ったりもするのです。


 思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを


 そんな歌を見ますと、科学が手を下さなくても、私たちの能の中には、すでにそのような仕組みが組み込まれているのではないかと思えるのです。


 だったら、夢から覚めないそんな機械をと願うのですが。


 ふと、思案をすると、それはもしかしたら、私たちの最後の旅路に直結しているのではないかと、そんなことも考えるのです。


 だとすれば、人は、いつの日か、夢路の果てに出かけていくのですから、気長にそれを待つしかないと、私の気持ちは、ひと段落するのです。

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