第3話 ヴェスティウム

 その日は便利屋に閑古鳥が鳴いていた。いや、ここ一週間ほど鳴き続けていると言ってもいい。前回の依頼から、既に一週間は経過してしまっている。一つも依頼が来ないのだ。


 大陸全土まで幅広く行動する便利屋は、そこそこ必要とされている。依頼内容も幅広いため、利用する人は少なくはない。ペットの散歩や買い物、探し物といった身近な依頼から、珍しい物の採集や護衛、危険種討伐、殺人といった普通の人には頼めないような依頼まで、見合った報酬であれば引き受けている。


 それなのに、誰一人来ないのだ。


 ふと入口の受付に座るハーミッドが立ち上がる。ずっと座っているのも楽ではなかったらしい。書き終わった書類とペンをしまってはユグニの部屋へと向かった。

 もう十分な睡眠時間が取れているはずだ、多少は起こしても問題ないだろう。その上依頼の予定もないから大丈夫なはず、とユグ二の身体を揺する。


「ユグ二、…もう大丈夫だろう?」


「…ん…、…あぁ」


 億劫そうに瞼を押し上げて上半身を起こしたユグ二は、確かにいつもよりは意識がしっかりしているように見える。

 そんな彼を前に、ハーミッドは普段より一段と低い声を出す。


「一つ確認をしよう。僕達はヴェスティウムだ。そうだろう?」


「あぁ。…何をいまさら」


 常識的なことを確認され、不思議そうにユグニは顔を上げた。続けて、ハーミッドは問う。


「ヴェスティウムは死なない。そうだろう?」


「そうだな。…だから?」


「つまり、だ。…食べなくても問題ない」


「おい、…まさか」


 その言葉に何かを察したのか、ユグニは動きを止め目を見開く。


「そう、僕らは今金欠なんだ。…食糧も買えないくらいに」


 沈黙が訪れる。ゆっくりとユグニは下を向き、布団へと身体を預けた。どうやら寝る気らしい。

 しかし、ハーミッドはそうはさせまいと言葉を続ける。


「夢にでもするつもりかい?これは現実だよ。いいかい、今はルチラーレの月だ。来月、ウィスディの月になるともっと収入は減るんだ。空腹のまま、依頼を待つのかい?いくら死なないとはいえ、僕達は眠気も感じるし空腹も感じるんだ。君も分かっているはずだよ。しばらくは食べないにしろ、このままではいけない」


 聞きながらもユグニは体を丸めていく。布団を頭からかぶらないだけまだましだろうか。その様子をじ、とハーミッドは見つめる。

 その視線に耐えかねたのか諦めたのか、渋々とユグニは目を開いた。


「…それで。俺は何をすればいい」


「倉庫整理と留守を頼みたいんだ。構わないだろう?倉庫には今まで収集した物がある。その中で売れそうな物を取り出しておいてくれ。留守番の方は貼り紙をしていくから依頼人の相手をする必要はない。君はただ、勝手に入ってくる人を追い返せばいいから」


 留守を頼みたい、時点でユグ二は僅かに顔を顰めるも、続く言葉に安心そうに頷いた。


「それなら構わない。…行ってこい」


「頼んだよ。…行ってくるね」


 ユグ二の部屋を出たハーミッドは、御用の方は明日お越しください、と書かれた紙を手に取りドアに貼る。

 薄暗い路地を進み、久々に商業都市ヴィーシュルムの街中へとハーミッドは赴いた。


 路地から表通りへと出た途端、まるで別世界のような光景が広がる。遮る物の少ない頭上には青空が広がって日光が降り注ぎ、その下では大勢の人で賑わっていた。広げられた露店を見る人、商品を運ぶ人、話し合う人、多種多様な人々が忙しなく行き来している。


 そんな中、ハーミッドは陽の光に眩しそうに瞳を細めては賑わう人々の声に耳を傾けた。何も世間話を聴いている訳では無い。彼が求めているのは噂だ。人々が口にする些細な噂も、時には情報となる。


 例えば、現在何が起こっているか、過去に何が起こったか。どんな噂が広がっているのか、その認知度はどれくらいか。そういった信憑性の低いものでも時には役に立つ。


 人の間を縫いながらゆっくり進んでいくと、求めていた単語が耳に入った。


「今日はヴェスティウムが危険種討伐に行くんだってね、知ってた?」


「いやぁ知らないよ。人間もどきには興味は無いさ」


「そうは言っても私達を守ってくれているんだろう?」


「そのために生まれた人型兵器じゃないか。道具として当然の働きをしているだけだろうよ」


 この人の多さでは発言主までは分からない。しかし、そんな些細なことはどうでもよかった。

 まずいことになった、とハーミッドは身を翻そうとする。

 直後、たくさんの揃った足音が聞こえた。

 気付くのが遅すぎたのだ。逃げることを諦め、近くの路地裏へと身を潜ませる。


 市民が端に避け、元の広さを取り戻した大通りを黒い軍服の集団が通っていく。

 飾緒の金色が反射して光った。彼らは、軍人ではない。軍人ならば、金ではなく銀が使用されている。


「人型兵器ヴェスティウム、か…。また危険種討伐にでも行くのかねぇ…」


 人だかりの中から聞こえた呟き声。その声が言う通り、軍服を着たこの集団はヴェスティウムであった。ちょうど彼らが来た道の先には、ヴェスティウムの寮がある。寮というにはあまりにも厳しすぎるそこは、収容所といった方が相応しい。


「第四世代69番!遅れているぞ、足並みを乱すな」


「了解しました、速度調整を開始」


 隊列の最後尾から離れてしまっているヴェスティウムに管理者らしき人の怒声が飛ぶ。どこか怪我をしているのだろうか、指摘されたヴェスティウムは足を引きずっていた。それでも、命令通りに懸命に速度を上げている。


「…もういい、使えぬ奴は不要だ。第四世代26番、やれ」


「了解しました」


 不愉快だ、とでも言いたげに眉根を寄せた管理者が指示を出した。次の瞬間、道路に血が広がる。同士討ち、にしてはあまりにも一方的だった。腹部を貫通した刃が引き抜かれ、鈍い音を立て怪我をしていたヴェスティウムが崩れ落ちる。


「これはここに捨て置け。戻る時間も惜しい。帰還したとき回収する。せいぜいそれまでに再生しておくんだな」


 これが、ヴェスティウムの日常だ。当たり前の光景に、誰一人気にも止めず顔を歪めることもない。


「こんなとこに置いとくなんて、もし暴走したらどうするんだろうねぇ…怖い怖い」


 遠巻きにその様子を見ていた誰かが呟く。その呟きが広まるように、ヴェスティウムの近くにいた人達が一歩後ずさった。瞳には恐怖が滲んでいる。


 ふと後ろから誰かの足音がした。一瞬だけハーミッドは警戒するも、聞き慣れた声に警戒を解く。


「利用するだけして壊れたらあの態度。人間ってひどいと思わない?おにーさん」


 振り向くまでもなく、その声音の持ち主の名を呟く。


「…情報屋」


「そ、正解。きっとおにーさんならボクがここに来た理由も分かるよね」


「情報収集…それも、ヴェスティウムと危険種の情報を集めに来たんだろう?」


「うん、半分当たりだね」


 にこにこと機嫌良さそうに笑う彼女は、ハーミッドの隣に来て顔を見上げた。


「残り半分はキミと話すためさ!」


 ほんの少しだけ、ハーミッドの顔が嫌そうにしかめられた気がする。実際はそんなことは無いのだが、感情があったら確実にしかめていただろう。


「あ、でもその前に目的の半分をボクは果たしてくるよ」


 待っててねおにーさん、と情報屋は大通りに向かって軽快な足音を鳴らした。

 その様子を煙草の煙越しにハーミッドは観察することにし、路地裏の壁に寄りかかる。

 既にヴェスティウムの集団が去った大通りは、ヴェスティウム一体を残して元通りになっていた。


「へーいそこのキミ!聞きたいことがあるんだけどいいかな?いいよね!」


「何でしょうか、人間様」


 情報屋が取り残されたヴェスティウムに話しかける。


「キミの名前は?」


「第四世代69番です」


「人間みたいな名前はないの?」


「否定」


「欲しいとは思わない?」


「理解不能です」


 淡々とした一問一答が始まった。知っている情報は素直に答え、そうでなければ肯定か否定、ヴェスティウム自身の感情については理解不能と返している。


 そりゃそうだ、とハーミッドは予想通りの回答に瞳を細めた。

 ヴェスティウムは、決められた答えしか返せないのだから。そこに己の考えや感情は一切ない。そもそも初めから、それらはヴェスティウムには無いのだ。


「それじゃあ質問を変えるね。キミ、そんなに怪我してるけど痛くない?」


「肯定」


「痛みはあるんだね。お腹はすく?眠くなる?」


「どちらも肯定」


 こういうことは個体差なく感じるんだね、と情報屋は意外そうにヴェスティウムの顔を覗き込んだ。


「キミは誰に作られたのかな?」


 一気に踏み込んだ質問を情報屋は投げるも、ヴェスティウムは淡々と決められた言葉を言い放つ。


「守秘義務があります」


「研究者?」


「肯定」


 しばし間を置き、これが最後の質問だと情報屋は口を開いた。


「どうやってキミ達は作られたのかな?」


「不明です」


「そっかー、それなら仕方ないね!色々とありがとうね、第四世代69番くん」


 ようやく満足したのか、潔く質問を終わりにすると情報屋は背を向け戻ろうとし、ふと足を止めて振り返る。


「ねぇキミ。ボクのところに来る気はないかな?今なら三食おやつ付き、毎日のお風呂に十分な睡眠時間付きだよ!」


「奴隷契約ならヴェスティウム商館にてお願いします」


「あは、引き抜きは無理かー!でもボクの元で働いた方がこういうこと、ないよ?」


 既にその返答は知ってた、という顔で情報屋は笑い傷口を指さした。そこからはまだ血が流れ、赤く濡れている。

 しかしと言うべきかやはりと言うべきか、眉一つ動かさずヴェスティウムは即答した。


「これが我々の使命ですから」


 情報屋も先程の笑顔のまま、そっか、とだけ零しては興味をなくしたように前を向き足を踏み出した。


「それで、何か得たことはあったのかい」


 戻ってきた情報屋にハーミッドは声を掛ける。それに対し、情報屋はにんまりとした笑顔を浮かべ手を差し出した。


「それをタダで教えるとでも?ボクは情報屋だよ。商品を何の対価もなく渡す商人はいないんだ。…だから、さ。商談をしようか」


「…それが目的か。新情報はあるのかい?」


「あるよ。もちろんさっきの会話以外の情報だ。キミが聞いていたのは知ってるからね。…場所を変えようか」


 即答した情報屋の手をハーミッドが握る。嬉しそうに情報屋は無邪気に笑った。

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