第2話 便利屋
「…起きたか」
その声と共に扉から紅い目が覗く。珍しく起きているがやはり眠いのか、ユグニは部屋に入るなりベッドに腰かけた。窓辺に寄りかかるハーミッドを一瞥するなり口を開く。
「2週間経った。もう動けるはずだ。依頼人が定期的に来ている。…今日も来るだろう。依頼失敗とだけは伝えてある。後は任せた」
ハーミッドが質問する前に必要な情報を淡々と述べる。それがハーミッドにとっては有難かった。無駄な質問を省いて効率的な最小限の会話。これがずっと何年も続いている。最初の方こそ毎回同じような質問をして状況把握をしていたが、今ではその必要は無くなったのだ。寡黙なユグニにもそのスタイルは合っているのかもしれない。
欠伸を噛み殺したユグニは立ち上がる。おそらく、いつものようにハーミッドが本来行う作業と看病をするために必要な睡眠時間を削ってくれたのだろう。そのまま無言で部屋を出て、自室で寝るであろう彼をハーミッドもまた無言で見送る。
「…さて、そろそろ僕も動かないとね…」
窓辺から離れては煙草を銜え火を灯す。肺に満たされる煙で鈍った頭が冴えてきた。まず最初にやることは依頼主の対処。次に依頼の完遂。依頼金分はきっちりと働くというのが便利屋のポリシーだ。
着慣れたコートに腕を通し、乱れた髪を最低限梳かして依頼主に失礼のないように身嗜みを整える。ユグニの対応でおそらく怒っているだろう依頼主に会わなければいけないのは憂鬱だが、こればかりは仕方ない。こちらの不手際なのは承知している。ユグニの対応もいつものことなので疾うの昔に諦めている。
重い足取りで廊下を通り客室を通り抜け受付へと向かった。途中で目に入る2週間分のゴミからは今は目を背ける。依頼を片付けてから掃除しなければ、と ため息とともに煙を吐いた。受付カウンターの定位置に腰を下ろす。それと共に傷が痛んだが無視して報告書を書き始めた。依頼の詳細と達成度、現在の状況等々を書き進めていた手がふと止まる。
目の前にある扉、玄関の前に人の気配。視るまでもない、今回の依頼主だろう。入ってくる前に手早くカウンターの上を片付け待機する。
そろそろ扉が開いてもおかしくない頃合いだ。どうして入ってこないのだろうという疑問と共に扉を見て気が付く。鍵が、かかったままなのである。それはそうだ、自身の行動を振り返ってみても鍵を開けた記憶がないのだから。流石に2週間は寝すぎたな、と無表情ながらに反省をしては笑顔を浮かべて扉を開ける。
「これは大変失礼いたしました、ヘストリック様。ご足労いただいたというのに、お待たせしてしまうとは申し訳ございません。どうぞ中へお入りください」
外にいたのはやはり今回の依頼主で、不機嫌そうに眉をしかめていた。
マーレスト・ヘストリック。それが依頼主の名だ。商業都市ヴィーシュルムに住む商人で、知名度があり信頼に足る人物だと記憶している。商品を運ぶために都市街路を経由していたのだが、そこに危険種が出没したため討伐依頼をしに来た、というのが今回の流れだ。
こういった細かい個人情報も全てハーミッドはきちんと書き残した上に頭に入れている。そうしないと、未払いのまま逃げてしまう厄介な依頼人が現れてしまうからだ。名前や住所に留まらず、家族情報、実家の場所──直接依頼主に聞けないような情報も調べて集めている。
「まったくだ、まったくもってその通りだよ君。一体何日私を待たせたと思っているんだね」
「2週間です。大変申し訳ないと常々思っておりますよ」
「どうだか。…君はいささか本音が分らんからな。その笑顔の下には何を隠しているのやら…」
ぶつぶつと小言を言う彼を応接室へと案内する。柔らかなソファに座ってもらっては飲み物の確認をしてハーミッドはキッチンへと姿を消した。
数分後、紅茶を手に戻ってきては目の前にそれを置いてようやく腰を下ろす。ようやく本題に入るのだ。
「さて、すでにご存知かと思いますが、まずは依頼状況の確認を致します」
前置きを置いてからあらかじめ用意していた報告書を机の上に置く。
「ここに記してある通り、現段階では依頼は完遂しておりません。一体は確実に破壊いたしましたが、もう一体まだ残っています」
「確実に破壊したという証拠は?」
マーレストは疑惑の眼差しで、まるでハーミッドの思考を覗き込むかのように瞳を見つめている。
それでいい、とハーミッドはどこか他人事に視線を合わせる。
「それも含め、明日、再度現場へと向かいます。二体目の破壊と、破壊した危険種核の回収を行う予定です」
彼が返事をする前に、もう一枚ハーミッドは書類を渡した。
「こちらは現状況に合わせて修正した計画書です。ご一読ください」
素直に受け取ったマーレストは、端から端まで全ての文章に目を通す。読み進めていくうちに険しい顔になりつつも、全部読んだのか叩きつけるように書類を置いた。衝撃で紅茶が跳ねて染みを作る。
その様子を、貼り付けた笑みはそのままに死んだ目でハーミッドは眺めていた。
「君。なんだねこの書類は。…ふざけているのか?」
「いたって真面目ですよ。正式な計画書です。ご質問等ございましたら何なりとお申し付けください」
とうとう激高した彼は、椅子を倒す勢いで立つとハーミッドの目の前で書類のある一点を指さした。
「ならこれは一体何なんだね!!追加報酬だとぉ!?むしろ貴様らに払う報酬を減らすべきではないのかね!?」
「追加報酬の内訳を御覧ください。今回の依頼で損失した治療費、及び依頼で使用した物資等購入費の不足分、そして二回目の移動費用です」
「そんなの見れば分かるわ!!私が言いたいのはだねぇ、後から値上げするのは納得できんということだ!!まるで詐欺ではないか!」
「予め契約書に記してあるのですが、お忘れでしょうか?口頭でも説明いたしましたよ。納得して頂いたと記憶しているのですが」
その言葉にマーレストは無言で座った。仮にも一商人だ、契約内容に後から文句を言うという己の行為が恥ずかしくなったのかもしれない。
「ある程度は予算を計算いたしますが、実際にかかる費用を正確に計算できるわけではありません。また、今回のように不測の事態が起こる場合もございます。その場合、このように不足分の費用を請求いたします。そうしないと最低限の報酬で活動している我々は活動すらできなくなってしまうのです。現に、追加費用がないと依頼の完遂は難しいでしょうね」
淡々と事実を並べては一息つく間もなく言葉を続ける。
「僕達は慈善団体じゃないんですよ。納得して頂けないのでしたら依頼の破棄という選択もございます。どうぞ軍なり傭兵なりに頼むとよいでしょう。そちらなら途中の費用の変更は無いですよ」
ただしこちらの合計額の10倍くらいにはなるでしょうが、という言葉は飲み込んだ。おそらく既に知っているはずだ。その事実を告げたとしても火に油を注ぐだけとなるだろう。
納得できないのならここまでだ。これが便利屋の在り方なのだから変える気は毛頭ない。必要経費すら払えないのなら決して動かない。
その代わり、報酬さえきっちりと払ってくれれば軍や傭兵に頼めない、例え罪に問われるような悪行であっても何でも依頼は受けるようにしている。面倒ごとだろうが命に関わることだろうが、その分も報酬金に含めて払って貰えれば問題はない。むしろ、死を求めてあえて過酷な依頼を求める傾向すらあった。もちろんその場合は、死亡する可能性があるからと報酬金の上乗せはするが。
それが便利屋だ。人々の依頼を報酬次第で幅広く受ける、欠陥品のヴェスティウムのみで構成される非合法な組織である。
ヴェスティウムである限り死ぬことはないのだが、それは隠して人間だと偽っている。決してヴェスティウムであることを知られてはならないのだから。もし知られたらどうなるか、おそらくもう二度とまともな生活はできないだろう。
どうしてこんなに報酬にこだわるのか。それは、便利屋にとってお金は重要であるからだ。最低限の生活費の他に依頼で使用する備品消耗品費、治療費、それに情報屋から情報を仕入れるために必要な情報代。それだけではない。何かあった時のために残しておく必要がある。
「そろそろ答えが出る頃合いでしょう。…この依頼、続行しますか?破棄しますか?…いや、最初から答えは分かっていましたね?」
長い長い沈黙の後に返ってきたのは諦めたような頷きだった。
ハーミッドは、その動作があらかじめ分かっていたかのように手際良くペンを渡してサインを貰うと席を立つ。
「今度お会いするときはお互い約束の物を手にしている頃でしょう。本日はお越しいただきありがとうございました。それでは良い一日を」
***
ドアが閉まり完全にマーレストが見えなくなった瞬間、ハーミッドの表情が消滅した。見慣れた無表情が戻ってくる。踵を返したハーミッドは、テーブルの上に置きっぱなしのティーカップを洗ってから広がった書類を纏めてその上にペンを置いた。
書類整理の前にまずは予定を伝えようとユグニの部屋へと入る。ユグニはベッドの上に倒れ込むように眠っていた。無理に起こすようなことはしない。仮に今起こしたとしても眠り続ける時間が増えるだけだ。こうなったら明日まで起きないだろう。そういう体質なのだ。代償、ともいう。
いつも通りに明日の出発前に起こせばいいか、と結論付けてユグニの部屋を後にした。
翌日。昨日のうちに準備を終えたハーミッドは最低限の荷物だけ持って再びユグニの部屋に訪れた。ノックもせずにドアを開ける。案の定ベッドに綺麗に身を預けたままの彼を揺さぶり起こした。
「依頼だよ、ユグニ。この間の依頼の後始末だ。…行けるね?」
「…あぁ、問題ない」
ユグニは眠たげな瞼を擦っては数度瞬きをし低い声で返す。その頷いた表情ははっきりとしていて、どうやら十分に睡眠は取れたらしい。活動に支障はない様子だ。
一つ頷いてはハーミッドは行くよ、と踵を返す。その後に続くように彼もベッドから出て足を床につけた。髪はそのままに、青い上着だけを羽織るとドックタグ──傭兵の証を首から下げる。面倒を避けるためだ。
そうして彼らは玄関から外に出る。ドアを開けた先にあるのは壁だ。左右に細い通路が続いている。そう、ここは商業都市ヴィーシュルムの中でも路地裏に面している一角。賑やかな都市内とは対照的に狭く暗くひっそりとしていて誰も寄り付かないようなところ。そんな場所に、人の目から逃れるように便利屋の本拠地──彼らの事務所兼住居は建っていた。
入り組んだ路地を抜けた先に光が見える。それは大通りに出ることを意味していた。しかし、敢えて大通りは素通りし彼らは狭い道を通って都市を守る門へと向かう。
一般的に、都市間の移動は汽車で行われているため門から出入りする人は限られている。都市外に用があるのは大抵軍人か傭兵、ヴェスティウムなどの戦える人達だ。城壁で守られていない都市外には危険種が蔓延っている。危険種について分かっていることといえば、人と危険種の関係は殲滅対象と餌でしかない、ということだ。ヴェスティウムを生み出した研究者が危険種と名付けたものの、未だに未知の存在である。のこのこと危険種の狩場に現れた人間は餌になって当然だ。自衛手段もないままに都市外に出たらあっけなく死んでしまうだろう。それ故に、門の警備は厳しくなっている。自身が軍人または傭兵であるか、そうでないのなら護衛の人またはヴェスティウムはいるのか証明しなくてはならない。
そこで便利屋は、傭兵の証であるドックタグが必要となるわけだ。ヴェスティウムであることを隠している便利屋にとって、穏便に都市外に出るためには傭兵と身分を偽る必要がある。その為にドックタグが必要なのだ。
門衛にハーミッドとユグニはドックタグを提示する。問題無く通過した門の一歩先は、もう己自身を守ってくれるものは何も無い無法地帯と化していた。
例え危険種に遭遇しようと、守ってくれる者はいない。都市付近に存在する危険種は軍やヴェスティウム、傭兵達が討伐しているも殲滅できるわけではない。まして、都市から離れたところにいる危険種は放置されていることが多い。そこまで対応しきれないのが現状だ。
目の前に広がる荒野に辛うじて存在する都市街路を黙々と歩く。もう少しで危険種がいた旧都市が見えるところで、不意にハーミッドは立ち止まった。左眼を細め、遠くを見る。眼帯に指をかけてはその下に隠された金色の義眼を露わにした。
それぞれの瞳に映される景色の差に顔を僅かに顰めては、起こる眩暈を抑えるべく左眼を閉じる。右眼のみに映し出されるのは遠くの景色。確実に人間の眼では見えない距離の景色だった。
これが、ハーミッドの能力。金色の義眼を通して遠い景色を視る他、記憶・未来・魔力など、基本的に人間には視えないものをその瞳に映し出す。また、視た景色を共有する視覚共有や透視なども出来る。それにより、危険種の核を見つけて破壊しているのだ。逆に普通のものは義眼では見ることが出来なく、常に左右で違うものを映し続けているため普段は眼帯をして正常な景色を認識するようにしているのだ。しかし、それでも眼帯越しの義眼にはうっすらと何かが映し出されている。
今回、ハーミッドの義眼に映し出されているのは猛スピードで接近してくる白い物体──多面体危険種だった。普通の生物では出せないような速さでこちらに向かって来ている。おおよそ時速70kmといったところか。遅くなることも止まることもなく、ひたすら一直線に飛んでくるそれは既にこちらを認識しているのだろう。
「…ずいぶんと手荒いお迎えが来たようだね」
吸っていた煙草を軽く噛んだハーミッドは大剣を手から取り出した。それに続いてユグニも虚空から取り出した狙撃銃を構える。狙うは遥か遠くの危険種。スコープを覗いてようやく見えた危険種に的を合わせ呼吸を止める。
「…っ」
そして、指を引く。
危険種との距離は約5000m。これが、彼の最大射程範囲。狙撃銃が撃ち出す弾丸は普通の弾丸ではない。狙撃銃自体も普通のものではなかった。特殊な、およそ5000mまで精密に狙い撃つことが出来る対危険種用の狙撃銃に込められた弾丸は魔弾。その二つにより遠距離でも精密狙撃が可能になっている。
「…、…命中」
彼の放った弾丸は空気を裂き危険種を撃ち抜いた。白い外殻が割れて綺麗に透き通る中身が反射する。どろりと溢れた赤い液体は眼から溢れたものだろう。それでもまだ、同じ速度を保って突っ込んでくる。
無言でユグニは次の弾を込めた。3000m先の危険種に照準を合わせ、引き金を引く。今度は危険種が避け──たかのように思われた。しかし、弾丸は外殻に亀裂を走らせ割り貫いている。危険種は確実に弾道から外れていたにも関わらずだ。
どうして弾は命中したのか。それは彼の能力が原因だ。ユグ二の創り出す魔弾は、遠距離精密射撃だけを可能にするものではない。彼の魔弾は、一度標準を合わせた獲物なら確実に被弾させる自動追尾も可能とする。他にも弾を分裂させたり爆発させたり、被弾した相手を凍らせたりすることも可能だ。時と場合によって様々な効果の魔弾を彼は使い分けている。
「…ハーミッド」
「あぁ、分かっているよ」
ユグ二の合図と共にハーミッドは危険種に向かって走り出した。
確実に危険種の動きを止めるには砕く他無い。ある程度の大きさまで砕かなければ再生してしまうのだ。
ユグ二はその間にも、危険種が貫通した核の再生を始める前に二発、三発と連射し亀裂を作り出す。彼一人の力では砕くことは難しい。パキパキと音を立てて外殻は剥がれ落ちるも、肝心の核はなかなか砕けない。
危険種とハーミッドの距離はおおよそ500mに縮まった。足を踏み込むごとに、煙草の煙──魔力から槍を創造する。一本、二本、まだ足りない。三本、四本、五本。400m、300m、そして。
銃声と共に、ハーミッドの髪に掠れながら四発目が撃ち込まれた。鈍い音を立てて危険種の中で爆ぜる。それでも砕けない危険種にハーミッドは槍を放った。今までの銃撃と爆発により脆くなった体に数本の槍が連続で突き刺さる。
それでもまだ、足りなかった。まだ、それは動いている。トドメとばかりに、ハーミッドは思い切り大剣を振り下ろした。その衝撃にバキ、と音を立て走った亀裂通りにそれは崩壊していく。
やがて蠢いていた脚の動きが止まり、細かく砕けた核が地面に散乱した。
無言でそれを踏み付ける。ハーミッドの足と地面の間でにちゃり、と水っぽい音を立てて残っていた目が潰れた。
溢れていく赤い液体には見向きもせずに、綺麗な核だけを回収すると太腿のレッグポーチにしまう。これが、依頼人に渡す危険種を破壊した証拠となるのだ。今回の危険種核の色は赤。前回破壊した危険種核の色は黄緑だから別の個体だ。
「次、行くよ」
後ろからゆっくり歩いて合流したユグ二が頷くのを確認してから前回の場所に向かう。意識がなくなったため、もう一体の危険種がどうなっているかはハーミッドには分からない。だが、ユグ二が破壊したと言っているのだ。彼が言うなら間違いはない。
辿り着いた地点で、予想通り危険種は粉々になって活動を止めていた。
ただし、瓦礫の中に埋まってはいるが。
「……すまない」
「いや、構わないよ。破壊できたんだ、それだけでも上々の戦果だ」
ぼそり、とこの有様に申し訳なさそうにユグ二は呟いた。大方、危険種を粉々にするために建物の壁を利用したのだろうと見当がつく。例えそのせいで埋まってしまっていても、危険種を破壊することが最優先のため気にすることなど一つもなかった。
「…さて、今からこの瓦礫の中から危険種核を取るわけだけど…何かいい案はあるかい、ユグ二」
瓦礫の山に僅かに瞳を細めては問いかける。
ハーミッドの能力で核の場所を把握出来ても、瓦礫を退かす手段は少ない。大剣を振るったとしてもハーミッドの力では瓦礫は壊せないし、魔力の槍では尚更壊せない。危険種に傷を負わせることはできても、こういった物に魔力は通用しないのだ。ユグ二の魔弾で爆破、という手もあるがそれは最後の手段にしたい。
「…俺達の力で持ち上がるか?」
「無理だね」
「…、………爆破」
「………そうだねぇ…」
とりあえず物は試しだ、とハーミッドは瓦礫に近付き触れた瞬間悟った。これは無理だ、と。
「ユグ二、頼んだよ」
巻き込まれないよう、ハーミッドと共に後退しては引き金を引く。直後、轟音と共に瓦礫が飛び散った。念の為とハーミッドが作った魔力の壁のおかげで彼らに当たることは無い。
ハーミッドはだいぶ散らばったその中から目的の危険種核を回収し、惨状から目を逸らすように背を向けた。
「これで依頼は完了、だね。…何かやり残したことは無いかい?」
「無いな」
「それじゃあ、帰ろうか」
「…ん」
若干眠たそうな眼を瞬かせるユグ二にそろそろ時間切れかな、と頭の片隅で思いながらも便利屋に帰還すべく歩き出す。
「今回は運が良い。遮蔽物が無かったからね、君の力が思う存分発揮できたんじゃないかな。…いつもこうだといいんだけど」
「…そうだな。…前回のようなことはもう二度とごめんだ」
「気を付けるよ。…とはいっても、僕は万能じゃない。きっとまた、同じことをするだろう。…そのときはまた頼んだよ」
「…あぁ」
そんな会話をしながら、彼らは夕焼けに紛れるように都市街路へと消えた。
***
「こちらが証拠の品、危険種核となります。ご確認下さい」
テーブルの上に綺麗に並べられた、赤と黄緑の核を手に取ったのはマーレスト、今回の依頼人だ。便利屋に訪れた彼に、ハーミッドが依頼完了の報告をしている。
ユグ二の姿は見当たらない。相変わらず自室で寝ているのだろう。危険種核を回収してからまだ1日しか経っていない、起きる気配はなくて当然だ。
手にしていた紅茶を置いてマーレストは物珍しそうに危険種核を手に取る。光に透かしてはその輝きに目を細めた。
「ほう、これが危険種の…」
「御覧になるのは初めてで?」
「当然だろう君。一般市民が簡単に目に触れられるような物じゃあない。軍か研究所に厳重に保管されていると聞く。…こうして実際に触れられるような日が来るとはね」
そもそも危険種核は危険種の残骸だ。それ故、手に入れるにはまず危険種を破壊しなければならない。軍か傭兵、ヴェスティウム、それに危険種を研究している研究者にしか目に触れる機会はないと言っても過言ではないだろう。
だからこそ、裏では高値で取引されていたりするが。こうして依頼などで回収した危険種核は、証拠として提示した後にとある貴族に売っている。買い取った貴族がそれをどうしているかは不明だが、噂によるとそれを誰かに売っているらしい。
ハーミッドとしては、それでも構わなかった。信用のある貴族だ、出処はバレることは無いだろう。もう何十年もの付き合いなのだから、と安心している節がある。当然、この危険種核も貴族に高値で売るつもりだ。
「しかし君、これは本物なのかね?」
「私達が信用を損ねることをするとでも?報酬金の分はきっちり働く、それが便利屋です。貴方様も一商人だ、分かっていらっしゃるでしょう。一度失った信用は取り返せない、だからこそ信用を損ねることは決してしません。まぁ、それが本物か確かめる術は無いですがね。少なくとも、都市街路に行けば危険種がいなくなっていることは分かりますよ」
それに嘘をつくメリットがハーミッドには無かった。むしろ軍に通報され、身分がバレかねない。それは絶対に避けたかった。
「…それもそうだな。うむ、確かに商談は信用で成り立っているようなものだ。それを疑うとは野暮だな」
ようやく納得したのか1人で頷いては危険種核を元の場所に戻し、ふとマーレストは呟いた。
「…ところで、これを買い取りたいと言ったらいくらになるのだね」
「命と引き換えになります。危険種核とはいえ危険種です。いつ再生するかも分かりませんがよろしいでしょうか」
「いいや結構。…約束の報酬金だ。これでいいのだろう?」
やや血の気の引いた顔で即座に答え、マーレストは金貨1と銀貨50ヴィーシュをテーブルに置く。これが今回の報酬金だ。前金含め計金貨2と銀貨50ヴィーシュ。かなりの大金だが危険種討伐、それも二体の討伐費にしては安い方だ。
一枚一枚手に取り数えては、書類通りの金額にハーミッドは満足そうに煙を揺らしてにっこりとした笑顔を浮かべる。
「えぇ、確認させて頂きました。過不足無しです。お支払い、ありがとうございます。こちらの書類にサインを頂けますか?」
二枚の報告書を取り出してはペンと共にマーレストに差し出した。サラリと書かれたマーレストのサインの横に、ハーミッドもペンを執って支払済を表すサインを書く。一枚は手元に残し、もう一枚をマーレストに渡してはドアを開けた。
「これにてマーレスト様の御依頼は終了となります。またの御依頼、お待ちしております」
新鮮な空気が便利屋の中に入り込む。煙草の煙が混ざった空気と新鮮な空気が循環する中、マーレストは裏路地へと姿を消していった。
パタン、とドアを閉め空気の流れを断つ。表情を消したハーミッドが吐いた煙でいつもの空気へと変わる。
先程の風で舞い落ちた報告書を拾うと、ハーミッドも片付ける為に奥の部屋へと消えた。
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