第1話 死ぬ為に

 都市外路に二人の男が歩いている。一人は片目で揺れる煙草の煙を見つめ、もう一人は紅い目を眠たげに細めていた。


 片目の男は右目に眼帯、左目に冷たいアイスブルーの瞳を携え、長い茶色のコートを羽織っている。

 紅い目の男はミルティッロ色の首筋が隠れるほどの髪、青色の上着が特徴的だ。

 どちらも首元にドックタグのようなものをぶら下げている。


 彼らの足音以外には何も聞こえない。それもそうだ、ここは安全な都市の外、“都市外”なのだから。危険な生き物である“危険種”が蔓延る場所になど普通は誰もいない。

 しばらくして、片目の男が口を開いた。


「今回の依頼は危険種討伐。どうやら二体目撃されたらしい。いつも通り頼んだよ」


 淡々と紅い目の男に伝える。寡黙なのだろうか、返事はあぁ、の一言のみ。

 彼らは黙々と歩く。目的はあるようでしっかりとした足取りだ。


 風の吹く向きが逆方向になった頃、見える景色が変わった。今までは荒野に整備されていない道が続くだけだったが、建物が集まっている。

 ただしどれも崩壊していて、かなりの年月が経ったと見える。おそらく捨てられた都市、“旧都市”なのだろう。


 そこで彼らはいったん立ち止り、眼帯の男が手から何か取り出す。…そう、文字通り掌から何か取り出したのだ。

 それは小さく光る黄金色の宝石のようなモノ。それをぎゅっと握り込む。手から微かに溢れる光。次の瞬間には大剣となっていた。


「目撃地点はこの辺だ。それじゃあ、始めようか」


「ん」


 見るからに重そうな、自分と同じくらいの長さの其れを軽々しく担ぐと長いプラチナブロンドの髪を揺らして片目の男は駆けだした。


 彼らは何者なのか。…もしこの場に目撃者がいたなら問うであろう。一言でいうなら、彼らは“便利屋”だ。

 人々の依頼を報酬次第で受ける非合法な組織、それが便利屋。情報屋と依頼人がいてかろうじて成り立つ不安定な組織でもある。要は報酬次第で何でもする何でも屋みたいな物だ。曰くつき、ではあるが。


(危険種がいるとしたらこの辺、なんだけどなぁ…)


 片目の男──ハーミッド・スウェルヴが脚を止めたのは崩壊した建物の中。薄暗く死角がたくさんあるであろう場所に立っていた。

 だが警戒は怠ってはいないようで、息を潜めて気配を探っている。眼帯に指をかけようとした刹那、ハーミッドは振り返った。


 そこには白い物体が浮いていた。壁の隙間から三角錐の形をした何かが覗いている。一瞬目と目が合う。無数にある瞼を開閉しながらこの異形の生物は脚を蠢かせ、一斉に無数の視線をハーミッドへと向かせた。


「…ッ!」


 これが危険種と呼ばれるモノ。もはや生物と言っていいのかさえ分からない、生物の輪から外れた生き物。

 大きさは其処まで大きくはない、だがそんなことは関係ない。


 ハーミッドも動く。大剣を振り下ろすわけではない。前に、踏み出す。途端、空気中の煙草の煙が集まり何かを形作った。細く、鋭く、長い──一本の槍。それが何本も空中に生み出されていく。煙だったそれは、槍に変わる。


 狙いは危険種。力強く駆け出し急接近するとともにその槍達は放たれた。鈍い音を立て突き刺さったのはたった数本。危険種の表面に穴を開けた槍は霧散する。

 それと同時、今度こそ大剣を振り下ろす。狙いは脚。だがしかし、建物を破壊しただけとなった。


 危険種が横に急に消えた──わけではない。横に移動したのだ。危険種が危険種と呼ばれる理由はそこにある。その異常なほどの速さ、宝石のような硬さ、そして──。


「…ぐ…ッ」


 ハーミッドの右腕が鮮血と共に宙を舞う。大剣が手から離れた。

 危険種から刃が生えている。否。生えたわけではない。身体の一部を刃へと変えたのだ。この、自由自在に形を変えられる変形力が危険種と呼ばれる理由だ。鋭い刃は骨をも断つ。頭蓋を砕き、脳を両断しようと刃が振るわれる。


 倒れるようにその刃を避けバランスを失い膝をつくも、ハーミッドの瞳はしっかりと危険種を映している。残った片方の手で切断面を塞ぎながらも煙草の煙を槍へと変え、放つ。今度は突き刺さることはなかった。

 軽々と上へと跳躍したそれは、一直線にハーミッドのもとへと飛んでくる。


(これは…間に合わないなぁ…)


 危険種の瞳に大きく映る自身を見て悟る。諦め、力を抜いた──刹那。再びそれは


 衝撃が風から伝わり髪が舞う。建物をいくつも貫通してついには壁にめり込んでそれは動きを止めた。自分で移動したわけではない。他者からの攻撃──おそらく銃撃だ。


「…ユグニか」


 もう一人の紅い目の男の名だ。遠いどこかの建物の上、狙撃銃のスコープを覗いている彼が狙撃したのだろう。


 微かに危険種の脚が震える。まだ終わったわけではない。危険種は、粉々になるまで動きを止めることはない。

 だいぶ破損したそれの中身が見えた。赤い血と肉、などではない──太陽の光を反射して輝く、まさに宝石のような物体が白い外殻に覆われていた。


 そう、これが危険種の正体だ。白い外殻に色鮮やかな宝石のような物体が包まれ、内臓や筋肉などはない。表面に大量に付いている柔らかな目や脚も神経が繋がっているわけではない。目を切れば赤い液体が流れるが、それは目の中に液体が溜まっているだけで血管があるわけでもない。ただ、そこに存在するのみ。生物と呼べるはずもなく、しかし無生物と呼ぶにはあまりにも活動しすぎている。他の生物を襲ってはエネルギーとして食すわけでもなく放置し、何故か人間だけは跡形もなく無残に切り刻まれ。危険種の行動は謎に包まれている。


 並の人間では傷付けることさえできないだろう。訓練を受けた軍人でさえ、一人では太刀打ちできない。集団となり、ようやく一体破壊できるかどうか。唯一少人数で立ち向かえるとしたら、それは人間を超えた何か。例えばそう、危険種と戦うために作り出された人型の兵器──“ヴェスティウム”。


 そんな危険種にたった二人で立ち向かう彼らは、人間ではない。創られた不死身の存在、ヴェスティウムだ。

 固有の武器を持ち、特殊能力を備え、時に魔術を発動して危険種を殲滅するために生み出された。中には高値で奴隷として引き取られる個体もいるが、基本的には兵器である。たったそれだけの存在のはずだった。…本来なら。


 彼らはヴェスティウムの中でも特殊な存在、欠陥品として存在してしまったのだ。


 通常、ヴェスティウムは感情や思考能力などを有していなく、命令を聞くだけの忠実なロボットである。しかし極稀に自我を持ち、疑問を抱き、自立しようとする欠陥品が出来てしまう。それが彼らだ。

 本来欠陥品は処分されるはずだが、彼らは処分される前に脱走し、ヴェスティウムであることを隠し、便利屋として存在しているのだった。


 煙草の煙が空に集う。これも魔術の一種だ。煙草の煙に見える魔力を束ね、形作ることがハーミッドの魔術。魔力操作、と彼は呼ぶ。

 おびただしい出血量の中、片腕でとどめを刺そうと槍を放つ、…ことは出来なかった。


「…、…?」


 腹部に違和感を感じ、下を見ようと首を動かす。口から温かな何かが溢れた。地面を更に赤く塗らすそれは血、だった。


 身体がゆっくりと前に傾く。集めた魔力が煙となって消える。自分での体の制御は不可能だった。

 最後に見たのは、己の腹部に突き刺さり首元まで移動してくる白い刃だった。


***


「第一世代6番、時間だ」


 遠くから声がする。そうだ、この声には服従しなくてはならない。体に染みついた動きで体を起こす。


 ハーミッドがいるのは、何度も何度も飽きるくらい暮らした場所。廊下側の壁だけは透明、他は白一色の壁に囲まれた、水槽のような小さな部屋だ。ベッドすら入らないそこは、果たして部屋といえるのだろうか。

 薄い、ただ隠せればよいとでも言いたげな服を身に纏い、開かれたドアを出る。


「…?」


 わずかな引っ掛かりに、ふと違和感を覚える。立ち止まり、その違和感の正体を探ろうとあたりを見回した。どこを見ても、透明な壁越しに同類がいる。そこに追及すべき点はない。


「何を立ち止まっている、早く部屋に入れ。お前の番だ」

「了解しました」 


 口から勝手に音が零れ、足が前を行く。何かがおかしい。自分の身体を制御できなくなっていた。


 廊下を進んだ先にある、鍵が幾重にもかかった扉をくぐる。そこから先、さらに廊下を突き進み、開かれた両開きのドアに入った。

 もう二度と来ることはないと思っていた、ところどころに血痕が染みついた部屋。まだ生乾きの血液が、人工的な光を反射する。

 二階分の高さはあるが、一人部屋ほどの広さ。監視用の窓が壁の高いところにあり、扉は一つ。ガシャン、という音と共に開かれなくなった。中央には祭壇のようなベッドがあり、拘束用の枷が散乱している。


(もう二度と来ることはないと思っていた…?)


「被検体を確認。耐久テストを開始する」


 先程感じた違和感の正体が判明する前に、意識が霧散する。

 背後からの強い衝撃と共に、視界が床のみとなっていた。


「…っ」

「無力化完了。拘束に移行」


 重い扉が開かれ、入ってきた研究者達によって体が持ち上げられる。浮遊感を感じた直後、再び背中に痛みが走った。

 硬いベッドに落とされたのだ。ここで意識を失うようならヴェスティウムとして使い物にならない。誰かがそう言っていたことをふと思い出す。そうしている間に、順調に手足に枷がはまり、ベッドと一体化していく。


「第一段階クリア。第二段階開始」 


 淡々とした声だけが狭いこの空間に響く。研究者達が全員部屋の外へと出てから一分ほど過ぎた頃、天井から嵐の日の雨のように水が降ってきた。

 水に対する耐久テストか、とハーミッドは気が付く。海の中に入っても死ねなかったのに。なんて無駄なことをしているのだろう。 

 体が冷えていく。重力を失った髪が舞うのを横目に捉える。呼吸ができなくなり、最後の気泡を口から零した。そして、暗闇と静寂が広がる。


***


「──っ」


 瞳を開ける。見慣れた自室の天井が目に入った。失ったはずの右腕を伸ばしては一つ、溜息をつく。

 遠い遠い、過去の夢。随分と昔の夢を見てしまった。


 あれから何年の時が経った今でも、死ぬ方法は見つかっていない。

 結局こうして、今回もまた死ねなかったのだ。

 何回、何万回と繰り返しても彼らは死に損なう。彼らが彼ヴェスらティウムであり続ける限り。

 彼らは死ぬことはない。──そういうふうに、できている。


 まだ痛む身体を引きずり、ハーミッドは窓辺に寄りかかった。

 大通りから外れた場所にある便利屋の眼前には細い路地と壁があるのみ。

 どうやら今日は晴天らしい。上を見れば皮肉にも清々しいほどに青い空が広がっていた。


「また、死に損なったよ…」


 彼らは便利屋だ。だけどそれは建前で、本当は──死ぬ方法を、探している。

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