第28話 精鋭 その③

部下たちが陣地設営を行っている間、リーバイ中尉は一人眼下に広がる廃墟群を眺めていた。昔は緑溢れる田舎町だったのが、今では漆喰とコンクリートに覆われた死の世界に変わり果てている。自分の部下のほかに動くものは一切なく、静かに降り注ぐ太陽の光線がもたらす、建物の動くことのない影が、制止した世界に迷い込んだような錯覚をもたらした。


「機材の調整にはまたかかりそうです」


 一人黄昏ていた中尉は、小隊軍曹の報告によって現実に引き戻された。振り返れば陣地の設営はとっくに終わりを迎え、中隊から派遣された無線士以外は手持ち無沙汰にしていた。中尉は暇そうにしている部下に気を抜かないよう念押ししてから、軍曹を引き連れて階下の様子を見に行くことにした。


 第三分隊が担当している二階は一階と吹き抜けになっていて、第三分隊は一階部分に爆発物によるトラップを、二階部分は壁を補強し遮蔽物を設けて防備を固めていた。サンダースから簡単な説明を受けて、中尉は暫く分隊の作業を見物した後、再び外の景色を眺め始めた。


「何か気になる事でも?」


 いつもとは異なる様子の中尉に、軍曹が問いかける。黙って外を眺めていた中尉は軍曹の方へ振り返り、外を指差してこう言った。


「いやなに、敵が隠れるには十分すぎるほどの遮蔽物だと思ってな。見張りはいるがどうも気になってしょうがない」


「ご心配でしたら何人かの斥候を出してみるのはどうですか?」


「うーん…確証があると言うわけでは無いからな」困り笑いを浮かべて頭を掻く中尉は、しかしすぐに真顔になって「あっちで話そう」と言って小隊軍曹と離れた間仕切りの中へ入っていった。此処であれば、他の隊員に話を聞かれる心配はない。


「実はな…最近内部情報が敵に漏れているのではないか、という噂があってだな」


 唐突に告げられてた中尉の言葉は、軍曹の頭を疑問符で埋め尽くす。情報漏洩?人類の中に虫のスパイがいると言う事か?軍曹の頭にいつぞや何かの映画で見たイメージがフラッシュバックする。人間の皮をはいで、あのバッタ頭がそれを被るのだ。ぶよぶよの皮を引っ張り、ぎくしゃくと動いて人間に話しかけている様。


「軍曹、おい軍曹、聞いているのか?」


「…すいません。自分には何が何だか分かりません。そのような事が可能なのでしょうか?」要領を得ない様子の軍曹がかぶりを振る。


「うん、私も初めは君と同じ感想を抱いていたのだが…これを見てくれ」


 そう言って少尉は軍曹のゴーグルにあるデータを送信する。軍曹がデータを開くと、それは今年の五月に行われた月軌道上での海戦の模様を地図上に表したものだった。連邦軍の宇宙艦隊が敵軍に奇襲を仕掛けるも、月の裏側にいた敵の別動隊に挟撃されて壊滅する様子が刻々と記録されていた。


「宙軍の同志によると、攻撃開始時点で敵は真後ろを向けた状態で、完璧な奇襲だったそうだ。しかし敵艦隊は隊形を維持したまま回頭し、そして友軍が敵に釘付けになったタイミングで敵の別動隊が挟撃している。まるでそうなることが分かっていたかのように」


「しかし、これが全くの偶然である可能性もあるわけですよね?」


「ああ、だが他にも同様の事例が見受けられる戦闘が見つかっているそうだ。そして、この前の物資護衛任務の件がある」


「成る程、確かに偶然にしては出来過ぎたタイミングでしたね」腕組みをして唸る軍曹。


「それに偶然トラックと敵が遭遇したにしても、一台だけの輸送車を執拗に追いかける説明がつかん。シュヴェットは人類の勢力内にぎりぎりとは言え入っているからな」中尉が間仕切りの外に視線を移す。第三分隊は作業にかかりきりで、此方に注目している様子は無い。


「…もしや今回機材を引っ張りだしたのはそれが原因ですか?」軍曹の問いに中尉は真剣な面持ちで頷く。


「今頃他の部隊も設置に入っている頃だろう。複数のビーコンからランダムに着地点を選べば、宇宙船を敵にダッシュされる危険を大幅に減らすことが出来る。やっておいて損はない」


 やり過ぎとは感じていたが、心の内に潜む不安を打ち消しておいた方が良いと中尉は考えていた。あの要人を確保しなければ計画に大幅な後退が予想される。それだけは避けたかった。


「確かに間者を混乱させるにはいい手かもしれませんね…私にも何かお力になれる事があればよいのですが」


「軍曹は今でも十分よくやっているよ、裏方に関しては他の同志を信頼してくれ。…そろそろ屋上に戻ってビーコンの様子でも見に行くか」


 二人は間仕切りから出て屋上に戻った。ビーコンは未だ調整中で時間が必要なようだ。調整役の無線士が申し訳なさそうに首を垂れるのを見て、作業の邪魔にならぬようにと、中尉は屋上の指示を任せておいたヘンリクの元へ向かった。


「ヘンリク、何か面白いものは見つかったか?」冗談を交えつつ、ヘンリクの肩を叩いた中尉。しかしヘンリクは冗談に答える事無く、代わりに何時もの柔和な笑みを真一文字にして返す。


「ああ中尉、ちょうど良いところにいらっしゃいました。三時方向に敵です」


 ヘンリクの真剣な声色に中尉の眼差しから温和な表情が消える。すぐに視線をヘンリクが示したポイントに移して、ゴーグルの倍率を上げる。二km先の通りを、敵歩兵とBT二両が進軍しているのが確認出来た。このまま直進してくると、後数分で接敵するのは確実だった。


「面倒な時に…」


 中尉はふてぶてしく吐き捨て、無線の周波数を全隊員に合わせる。自分の懸念が当たったかどうかは分からないが、今は目の前の事態に集中しよう。




「なあブレンダ」


 窓際に寄せた瓦礫の上に機関銃を設置して警戒に当たっていたブレンダは、自分に呼びかける声を聞いて後ろを振り返る。そこには不安そうにあたりを見回している、小動物のようなハンスが居た。


「…何ですか」


 ブレンダは前方に視線を戻し、声だけで返事をする。ハンスはだれもこちらに注目していない事を確認してから、再び言葉を続ける。


「えぇと…今日中尉が運んできた機材が何なのか、教えてくれないか?」


 予想はしつつもまさかあり得ないだろうと思っていた質問に、ブレンダは面食らった。まさか本当に聞いてくるとは…白鳥と何を話していたのかは知らないが、せめて作戦の行程くらいは憶えておいて欲しいと切に願った。…と同時に、もう一つの予想が外れたことを安心する気持ちもあった。


「最初から憶えていないってことは、無いですよね?」


 ハンスには目もくれず、前方を監視しながら淡白な声でブレンダが返す。ハンスは心の中は申し訳なさで一杯になり、額を冷や汗が流れるのを感じた。お前たち二人の問題を解決しようとしていたんだ!…というのは言い訳にもなるまい。ハンスは出来るだけ親しみを込めて、丁寧な態度を心掛けた。


「ええ~はい。それでですね、もし宜しければ、あの機材についてご享受いただけませんか?」


「どうしても知りたいですか?」ブレンダが一瞬、冷めた目線をハンスに投げかける。ハンスは自然と腰が曲がっていき、上目遣いで部下の顔色を窺った。


「はい、是非とも!」


「嫌です」


「何故?!」


 素っ頓狂な声でハンスが問いただす。ブレンダはまたもや前方に意識を向けたまま答えた。


「そんなに知りたいなら隊長の後ろにいる方に伺えば良いじゃないですか」


 いやな予感がしたハンスは、恐る恐る後ろを振り返る。そこには案の定、今一番話しかけたくなかったジョルジア伍長が、音もなく立ち塞がっていた。


「うおっ!」


「…やっぱり聞いていなかったね。全く…それでも少尉なのかい!あんたがしっかりしてないと、アタシらの命にかかわってくるんだよ。自覚しな!白鳥上等兵と何話してたのか知らないけど…」


 そこからはジョルジアの独壇場となり、ハンスは唯々頭を垂れて嵐が過ぎ去るのを待ち続ける他なかった。三人のやり取りを見て、増援のディートリヒの部下たちが笑っていた。


(耐えろハンス、今は雌伏の時なのだ)


 しかし雌伏の時は、中尉からの緊急通信によって不意に終わりを迎えた。ジョルジアとハンスはインカムを起動して中尉の命令を待ち、ハンスは手ぶりで部下たちに配置につくよう促した。


『全員繋がったな、よし、皆聞いてくれ。第二分隊が二km先に敵部隊を発見した。規模は歩兵一個小隊にBTが二輌、いつものやつだ。敵が直進してくれば数分でこの陣地に辿り着くだろうが、我々の任務は機材の設置であって敵との交戦ではない。よって、我々は敵部隊の監視に努め、可能な限り敵との戦闘は避ける方針で行く。以上だ、各自持ち場につけ』


 それ名で和やかな雰囲気だった廃屋の陣地が、慌ただしい足音で満たされていく。拠点の陣地化は既に完了していたので、部隊は物資の整理や機器の点検に時間を費やし続けた。


 そのおかげで、敵部隊が陣地まで三百mの距離に差し掛かった時点で、全ての準備化完了する。ハンスもすべての準備完了したことを確認し、自らも窓の一つに張り付いて敵を待ち受ける。


「攻撃のタイミングはディートリヒ軍曹の合図に合わせる。無線の周波数を軍曹の者に合わせろ」


「「「了解」」」


 第四分隊員全員が、ディートリヒのチャンネルに周波数を合わせ、攻撃開始の合図を待つ。ディートリヒは『聞き逃すなよ』と茶化すように言って緊張を和らげようとする。しかし静寂が深まるにつれて、隊内には緊張が高まっていった。


 外で物音がする度に、全ての隊員がそちらに注目する。時間が経てば経つほどに、隊の五感は研ぎ澄まされ、集中力は高まっていった。


 やがて瓦礫を踏みつける音が聞こえ、敵部隊が姿を現した。歩兵一個小隊、BT二輌、報告通り、通常の捜索小隊だった。ハンスは一瞬、引き金に指を掛けそうになる。待て待て、攻撃はディートリヒからの合図で始まりだ、と心の中で唱えて自制する。


 いまだに家具工場の方で動きは感じられない。時々工場の二階から隊員が頭を覗かせて、敵の動向を見張っているのが廃屋からも見て取れた。ディートリヒからの指示はまだ無い。心が先走るばかりで、ハンスは歯がゆい思いになった。


「立ち去るのか立ち去らないのか、どっちなんだよ…」


 ハンスがやきもきしていると、捜索中の敵一個分隊が家具工場に近づいていくのが見えた。うれしくないサプライズにハンスは嘆息する。はっきりしてくれと願ったが、出来れば立ち去って欲しかった。


 ハンスの切な願いを裏切り、敵分隊は工場内部へと侵入していく。巧妙に隠蔽された陣地は瓦礫と区別がつかず、何も知らないまま階段へと足を向ける敵分隊。味方はすでに、第三分隊が敵を見下ろせる位置についていた。


 コツッ


 敵の一人が足元の異常に感づく。足で除けようとした瓦礫がピクリとも動かなかったのが気になった。兵士はぶつかった物体に手を伸ばす。物体と床を繋げている接着剤を引き剥がし、ようやく敵兵士が手に取ったそれは―人類が使用しているC7プラスチック爆弾だった。


「くそっ…オープンファイヤー!」


BABABABABABABABABABA!


GAGAGAGAGAGAGAGAGA!


 サンダースの号令で第三分隊の銃砲が一斉に火を噴く。爆弾を拾い上げた兵士とその周囲にいた数人が、全身から青銅色の体液を吹き出し、きりきり舞いして辺りに肉片をまき散らす!


 こうして敵味方双方が予期していなかった戦闘は、人類側の一斉射によって幕を開けた。

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