第27話 精鋭 その②

一一一五 フィンスターヴァルデ郊外北西部


「何だあれ?」


 一人準備を終えたマリーが北西の方角を向いて指差す。地図の入力情報を確かめていたハンスは顔を上げ、目を凝らしてマリーが指示している物体を見つけようとするも、岩と砂に覆われ荒涼とした大地に、マリーの興味を引くものは何も見当たらなかった。


「?」


「ほら、あれだよあれ」


 マリーはハンスの頭を掴んで、自分が見つけた物体の方向に向ける。ははぁ、とハンスは納得の声を漏らした。見れば確かに、北西の方角に何やら柱らしき建築物が立っているのが見て取れた。柱は天高くそびえ立ち、その頂を伺い知ることは出来ない。ここから見ると細くて頼りなく見えるものの、その高度から推測するに、実に巨大な建造物であることは想像に難くない。


「ジェリコタワーだな。あのハンブルク近くにある軌道エレベーターだよ」


「あれ、此処からでも見えるんだな」とマリー。


「中間圏まで伸びているからな、此処から見えてもおかしくない。…昔はもっと長かったんだが―」


 ジェリコタワーは三十年前に建設された軌道エレベーターで、戦前は民間、官界を問わず幾多の物資を宇宙に送り続けていた。戦争によって蟲どもに破壊されたが、その威容は今も健在だ。と、ハンスがそんな事を簡単に説明を述べている間も、マリーはじっとジェリコタワーを凝視し続けていた。


(随分熱心に見ているな)


 いつもとは違うマリーの姿に感心するハンス。彼女が教養に関する事柄に興味を示すとは思っていなかったからだ。だが、ハンスは時間が経つにつれ、徐々に違和感を募らせていくことになった。


 何というか…あまりにも夢中に成り過ぎているのだ。ヘルメットがあるせいで表情は伺えないが、マリーが上の空であることをハンスは肌で感じていた。試しにタワーと全く関係ない子で話しかけても、マリーは「ふぅん」とか「へぇ」とか生返事を返すだけで、全く話を聴いていなかった。


 一体何が起こっているのかさっぱり分からんとばかりにハンスは首を捻る。何時ものおふざけであれば、何かしらのリアクションがある筈なのだが、今はそれが無い。しかしハンスは、後ろを振り返ったことで何となくマリーの心境に察しがついた。


 ハンスとマリーの後ろで、ブレンダ達三人が話しているのが目に入ったのだ。特に背を向けているとは言え、ブレンダがマリーに一番近い場所にいる。白鳥が気を聞かせてそうさせたのかとハンスは考えたが、そうだとすれば思惑が外れたと言えよう。現にマリーは、話の輪に巻き込まれまいと必死なのだから。


「ハァ…マリー、ちょっと来い」


 ハンスはマリーの手を掴んで、三人から離れた場所まで引っ張っていく。ちょうど建物の陰になるところでハンスは手を離し、おどおどしているマリーに向き直った。


「白鳥に聞いたぞ、また揉めたんだってな」


「またって…前は俺じゃなく白鳥だろ」食い下がるマリー。


「あのなぁ、私は揉めたことについてとやかく言おうってわけじゃあない。同じ一つ屋根の下に暮らしていれば、揉め事の一つや二つあって当然の事だからな。問題なのは、揉め事を引きずっていつまでも仲違いしたままという点だ」


「………」俯いたままマリーは微動だにしない。


「軍隊というのは仲間との不和がそのまま生死につながる、危険な仕事だ。喧嘩はその場で解消するってことが、日々の訓練並みに重要なことになる。分かるだろ?だからこそ、分隊を預かる者としてこのまま座視するわけにはいかないのだ」


 ハンスが同意を求めるが、マリーは相変わらず下を向いたまま何も言おうとしなかった。負けじとハンスも、黙ってマリーが話し始めるのを待ち続ける。このまま有耶無耶にされては敵わない。はやる気持ちを抑えて、じっとマリーを見つめる。一、二分経過して、先に折れたのはマリーの方だった。


「別に…生き残りたいから友達作ってるわけじゃ―」「マリー!」


 ハンスが一喝し、マリーがビクッと肩を震わせた。興奮して肩を怒らせるハンスは、しかし一旦深呼吸してそれから言葉を繋げた。


「…あくまで私は上官であるから、冷静に問題に対処しようと思っていたが…今からは目上の人間として言わせてもらう。過ちを犯すのはこの際仕方ない。だが、謝れる人間にはなれ!」


「………」


「何も言わないで逃げるなんてのは通らんぞ。過ちを犯せばそれを償うのは人として当然の行為だ。必ず償ってもらう。…それとも何だ?自分が悪いとも思ってないのか?そうだとしたら…お前にはがっかりだよ。顔も見たくない」


 話し終えたハンスはマリーから背を背ける。果たしてこの方法であっているのか自分にも確証が無かったが、家庭を持ったことのないハンスには他にどうしようもなかった。最悪の結果を想像して一人冷や汗をかく。


 マリーは悔しさのあまり両手の拳を強く握りしめるも、やがて諦めたように肩を落とし、何度か口をもごもご動かしてからぼそぼそと呟き始めた。


「………い」


「何だって?」低い声でハンスが聞き返す。


「…なんて謝ればいいか分かんない」


 いささか拍子抜けする答えにハンスは勢いを失い、何度か目をしばたかせてからもう一度聞き返した。


「…何だって?」


「だから…あんなに…人を怒らせた事無くて…その…普通に謝っても許してもらえないとか考えて…でも…誰にも相談できなくて…」


 マリーがたどたどしい語りを終えると、ハンスは額に手を当てて天を仰ぎ見た。深刻な対立だと思っていたのが、実はただ下手人が不器用だったことが原因だったとは。今までマリーがギリギリ虎の尾を踏まなかったことを、ハンスは喜ぶべきか嘆くべき判断がつかなかった。


(考えていても仕方がないか)


 これも全部蟲どもが悪いと、ハンスは切り替えてマリーに向き直る。マリーは泣いているのか肩を震わせて立ち尽くしていた。ハンスは咳払いをして、少尉…中尉のような慈愛溢れる声を心掛けて話し始めた。


「マリー、この問題に逃げ道は存在しないが、それ故にやる事は一つだけだ。唯々謝罪、これに尽きる。誠心誠意謝れば、必ずとは言わないが相手に気持ちは伝わる。許しを得たいと言うならばやはり、これが最も有効な唯一の道だよ」


「…でも…それで許してもらえなかったら?…どうしたら良い?…」


 マリーの声はどんどんか細くなり、情けない声へと変わっていった。ハンスはマリーに歩み寄り、その小さな肩にやさしく手を置いて話を続ける。


「幸い、人生というのは途方もなく長い。一度で駄目だったとしても伝え続けることで許しを得られるかも知れん。機会はこの一度きりというわけでは無いよ。それに、ブレンダが根に持つタイプだとは思えんしな」


「…本当に?」マリーは今にも泣きだしそうな声で聞き返した。


「ああ、私も出来るだけの事はしよう。…今のお前は行動を起こさない事で、最悪の結果を回避していると考えているかも知れない。だが違うぞ、今が最悪の時だ」


「…分かった。いつ謝りに行けばいい?」


「今すぐに…と言いたいところだが、もうすぐ出発時間だ、帰投してからが良いだろう。その間に、私も対策を考えておこう」本当はそんな考えが浮かぶとも思わなかったが、勇気をつけさせるためには嘘も方便と、出まかせを言うハンス。


「…分かった…隊長の言うとおりにするよ…」


 そう言うとマリーはしょんぼりして三人の元へ戻っていった。肩を落としてとぼとぼ歩くマリーの背中に、ハンスはぼそりと呟いた。


「謝る前に死んじまう奴もいるんだ、いい判断だぞマリー」


 三人に合流したマリーを見送ってから、ハンスは家屋の瓦礫に座り込んで深いため息をついた。此処までは上々、後は野となれ山となれだ。


「小隊集結!出発するぞ!」中尉の号令が聞こえてきて、ハンスは重い腰を上げた。




「小隊、ヴィーフォーメーション!」


 小隊軍曹の号令で小隊はV字体形を取る。前衛を第二分隊、第三分隊が務め、その次に第五分隊、第一分隊と続いて最後にハンスたち第四分隊が続く。役割としては先頭の第二、第三分隊と最後尾の第四分隊が周囲の警戒につき、第一分隊と重火器分隊の第五が接敵時に自由に動けるオフェンスとなる。


「行軍はじめ!」


 隊形を整えた小隊が軍曹の号令で前進を開始する。前衛は号令がかかると同時にその陣形を崩して、民家の廃墟からクレーターの底、背の高い枯草から路肩のへこみにまで目を凝らし、敵の伏兵や罠を捜索し続ける。最後に前衛のヘンリク軍曹が敵影無しの合図を送り、残りの分隊が全身を開始する。以下はこれの繰り返しであった。


 ハンスは時々後ろを振り返って、自分の部下約二名の動向を伺った。マリーは気持ち足取りが鈍く見えるものの、覚悟を決めたことで迷いがなくなったのか、いつもの俊敏な動きを取り戻しつつあった。ハンスはマリーが単純…素直であったことを心から神に感謝した。


 一方のブレンダは、動きに全く迷いが感じられない、いつもの効率的な行動を維持したままだった。なんちゃって軍曹のハンスが一切の動揺を露にしないブレンダを見れば、その働きぶりに心底安心するだろうが、今のハンスにはそれが逆に不気味だった。


(何かの拍子に躓くような事が無ければいいが…)


 考えても仕方が無いので、ハンスは前方に視線を移す。それにしても遅々として進まない行軍だった。普段ならば絶対に行わない徹底した捜索は小隊の進軍速度を落とし、このままでは日が暮れるぞと、ハンスは心の中でうそぶいた。


 ここまでして用心深く運ぶ機材とは何なのか。ハンスはジョルジアに尋ねようとして、寸前で押しとどまった。またからかいの種が増えるのは御免だ。あとでブレンダに聞こう。


 小隊はじわじわと前進を続け、街の幹線道路である国道九十六号線を南下し続ける。街路の周りには焼け焦げた家屋の残骸が殆どだが、時たま見える大型の建造物を、中尉は写真にとって保存していった。


「軍曹、あの建物が何か分かるか」左手に見える建造物を指差し、中尉が尋ねる。


「地図によると…ショッピングセンターのようです。そちらにデータを送っておきます」


 小隊軍曹から送られてきたデータに中尉はざっと目を通す。W字の比較的大型の建物は、屋上も広く部隊を展開するにはもってこいだ。


「機材の設置場所について、幾つか予備候補をピックアップしておいた。各分隊長は必ず目を通すように」


 無線で指示を飛ばして、中尉は各分隊長に自分が作成したデータを送る。受け取ったデータを視界の片隅に移して、ハンスはジョルジアと予備候補を見比べた。


「思ったよりそれぞれの候補が離れているな」とハンス。


「町全体が小さいからね。電波が周囲の地形に影響を受けず、かつ高所となると、この小さい町じゃ条件が限られてくるのも仕方がないよ」


「ん?電波?」


「何か言ったかい?」ジョルジアの冷めた視線が突き刺さる。


「い、いや、何でもない」ハンスは慌てて取り繕った。ジョルジアは暫くの間ハンスに無言の圧をかけ続けるも、ハンスが何も言わないのでやがて警戒任務に戻っていった。


 小隊は九十六号線を抜けて、通りをさらに南下して中心街を目指す。市街が近付くにつれて、目標である家具工場の姿が秋空に鮮明に浮かび上がった。


「本当にあれに登るのか?」小隊の誰かが不満を漏らした。口には出さないが、隊員のほとんどが心の中で同意する。


 家具工場は壁の所々に穴が開いていて、鉄骨がむき出しになっていた。鉄骨の二、三本はボルトが外れて、他の鉄骨にぶら下がっている状態だ。時折崩れ落ちる建物の一部が落下して、やっと芽生えかけた小隊員達の微かな勇気を摘み取って、自身もろとも粉々に粉砕する。


「さあ諸君。もうひと踏ん張りだぞ」


 一人空気を読まない中尉が、未踏の山に挑戦する登山家のように、一人意気揚々と半分瓦礫になった階段を上っていく。それを見て第一分隊の隊員も、オヤジに負けるなとばかりに続々と中尉に続いていく。上で瓦礫の崩れる音がして、階段を駆け上がる隊員たちの足がぴたりと停止した。


「中尉、ご無事ですかぁ?」小隊軍曹が声を掛けた。


「床を踏み抜いたが平気だ。傷一つないよ」


「階段を壊さないで下さいね」


「…分かったよ!」乱暴に階段を駆け上がる音


「皆、ありがたいことに中尉が率先して危険を排除してくださっている。安心して上れ」


 これを聞いて小隊員の足取りが、気持ち軽やかなものになる。ハンスたちもそれに続くため建物に入ろうとした所で、小隊軍曹に呼び止められた。


「待ってくれ、第四と第五分隊には別の建造物を確保してもらう。ほら、あの少し戻ったところにある赤い屋根の民家だ」


 そう言って軍曹が指差したのは、工場から見て北東にある半壊したえんじ色の家屋だった。これまた家具工場と同じく、一蹴り入れればすぐに倒壊しそうなぐらい損傷が激しかった。目標の惨状を見て、第五分隊長のディートリヒ・ベッカー軍曹が閉口する。


「どうしたディートリヒ。不満そうだな」と軍曹。


「別に…では諸君、行こうか」


 ディートリヒに連れられて、第五分隊は真っすぐ家屋を目指す。遅れてハンスも、部下に第五分隊についていくよう手で示した。家屋に入ると大方予想通りに、内部は荒れ放題だった。


 三階建ての古風な民家は、その見た目とは裏腹に基礎が鉄筋コンクリートで出来ていて頑丈そうだったが、核の衝撃と経年劣化で幾つかの柱は原形を留めておらず、中には完全に床から離れてしまっているものもある。

 

 床に瓦礫が散乱して足場が悪く、一回は床が腐り果てて基礎が露出している。ハンスにはこの建物が防御点に向いているとは到底思えなかった。


「…陣地を変換した方が良くないか?」


「なに、まだまだ出来る事はある。まずは…総員集結!」


 ディートリヒの一声で各々作業に当たっていた第四、第五分隊員が集結する。軍曹は自分の分隊の副長であるゲオルギ・ペテロフ伍長に四人を率いさせて、外で何か使えそうなものがないか探しに行かせた。隊の集まるホールには十人が残る。


「残った我々は各階の掃除係だ。ハンス軍曹、作業内容をよく覚えておけ」


 そう言ってディートリヒは残りの者たちに次々指示を飛ばしていく。最初に壁の低い場所に開いている穴を数か所広げて銃眼を形成する。そして転倒防止のため床に散乱した瓦礫を部屋の四隅に集めさせる。


「そこらに倒れている断熱材を使え。五人でやれば十分だから第四分隊は土嚢に瓦礫を詰めておいてくれ」


 断熱材で瓦礫を退けつつ、ディートリヒが指示を下す。ハンスたち第四分隊は土嚢に瓦礫を詰めて、ディートリヒの指示に従って床に敷き詰めていった。


 瓦礫をどかした第五分隊は一階に集まり、ゲオルギ伍長達が集めたドラム缶や鋼材を運んで壁際に設置し、ドラム缶のような陽気には瓦礫を詰め込んでいく。壁に設置した遮蔽物の上に土嚢を積み上げ、窓に金網を張ること三十分、みすぼらしい廃墟が立派な陣地に生まれ変わっていた。


「作業内容はちゃんと覚えたか?」


 ひとしきり作業を終えたハンスの肩の手を置き、笑いながらディートリヒが尋ねる。ハンスは何度か頷いて了承の意を示した。ディートリヒは満足したようにうなずいて、ハンスの肩を叩いた。


「きちんと憶えておけよ。…第四分隊は一階の防備を固めてくれ。応援として、内から二人部下を出すから上手く使ってくれ」


「了解。此処では軍曹の指示に従った方が良さそうだな」そう言って二人の兵士とともに一階へと降りていくハンス。良い相方に巡り会えたと、心の中でつぶやいた。

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