第26話 精鋭 その①

ウミガラスの福音書 第六話 精鋭


「敵影発見。駆逐艦四、巡洋艦一のパトロール艦隊。まもなく本船上方一・二kmを通過します」


隣に座るラーナー船長の報告に、里口九美は息を潜めて身を固くする。相手に此方の音が聞こえないとはいえ、動物的本能からくる無意識の行動を止めることは出来なかった。肩を縮こまらせて座っている里口を見て、ラーナーは片頬を上げてほくそ笑む。


「心配しなくても、向こうにこっちの存在は分かりませんよ。人類の科学の粋を集めて作られたステルス船です。一隻七百億ユーロの価値を信じてください、博士」


「そうはいってもね…私は軍人じゃないから生命がデンジャーな場面に慣れてないんだよ。それに、ワープ直後に敵と遭遇するなんて思わなかったし…」


 長い溜息をついて、里口は隣に座る愉快な相方に愚痴をこぼす。すでに敵艦隊は後方十六kmまで遠ざかっているが、未だに心臓は早鐘を打ち続けている。これでも最初よりはましになっているのだから、自分の臆病っぷりには嫌気がさしてくる。


「そんなに肩を落とさないで、博士は十分よくやっていますよ。パニックにならずに冷静なままでいてくれる様になって、本当に助かっています」


「本当?」


「ええ、お客さんの中には終始パニックの儘で、ゲロ吐いて気絶するまで落ち着かない人もいるもんです」


 ハハハッと笑って、ラーナーがブロンドの髪をかき上げる。心配性の里口が常時ヘルメットに与圧服姿であるのに対して、ラーナーはヘルメットが視界の邪魔だからと言って早々に脱ぎ去り、与圧服すら着ていない。規定で着用が義務付けられているつなぎも着ず、常時ランニングとパンツ姿だった。


 里口は相方の能天気ともいえる性格を、時に羨望のまなざしで見つめていた。カールしたブロンドの髪に彫りの深い顔、鮮やかなブルーの瞳、そしてスタイルのいい体の全身から本人の自信が放出されているように感じた。


 里口は自分の前髪を指で弄ぶ。栗毛の癖っ毛は視界の邪魔にならないよう無造作にカットされ、色気の欠片も感じられない。黒縁眼鏡の奥にある黒目は石炭のように真っ黒で、持ち主の自信の無さを体現しているようだった。ちなみに体形は…中肉中背だ。


「ワープが使用可能になるまでは自動運転ですし、暫くのんびりしますか」


 ベルトを外したラーナーが操縦席を離れて居住区核をふよふよ漂い始めた。里口も居住区に移動し、食品棚から栄養バーを取り出してもさもさと食べ始める。味気ない、栄養を取るためだけの食事。もう宇何日こんな食事が続いただろうか。里口が粗食にうんざりしていると、ラーナーが水を持ってきてくれた。


「ぶっちゃけ飽きたでしょ、此処の食事」


「え、いや、そんな事は…無いけど…」


 もごもごと口ごもる里口を見て、ラーナーがニシシと笑い、その小さいなりに形の整った胸をピンと張る。


「いいんです、いいんです。不平不満は外に出さないと内に溜まる一方ですから」


「でも…ラーナーは私の愚痴を聞かされてイライラしないの?」里口がおずおずと尋ねる。里口の疑問をハハハッと笑い飛ばしたラーナーは、壁を蹴って窓際まで移動する。


「構いませんよぉ、人と話すのは好きですから。それに博士とはもう友達でしょ?お互いに不満を言い合えるのって、いいと思いませんか?」


「ラーナーに悩みなんてあるの?」


「…失礼な人ですね。ありますよ!例えば…そうですね…」


 そう言いつつラーナーは窓を指差し、里口に窓をのぞき込むよう促す。空気が存在しない宇宙空間では光の反射が起きないので、近くに星があるとき以外は何も見えず、窓の外は真っ黒な空間が広がるばかりだ。


「これがどうかしたの?」と里口。ラーナーは外の景色に溜息をついて、目に見えない絶景に羨望の眼差しを向ける。


「私、星を見るのが好きだったので、もっとたくさんの星に囲まれたくて宇宙船の船長になったんです。なのに、宇宙だと乱反射が無いから星見えないんですよねぇ、残念です…」


「じゃあ、今の仕事は嫌い?」


「まさか!宇宙船の船長やってる人なんてカッコいいじゃないですか。辞めろって言われても続けますよ!」そう言ってラーナーは満面の笑みになる。それを聞いた里口も、頬を紅潮させて同意する。


「分かる分かる!船長ってかっこいいよね!デビッド・ボーマンみたいで!」


「え…誰ですその人…」


「二〇〇一年宇宙の旅の登場人物よ。知らない?」


「ちょっと何言ってるか分かんないですね」


「…いきなり壁造ってくるのね…」


 微妙な雰囲気になった二人は、しかしどちらからともなく笑い出し、暗黒の宇宙空間にポツンと浮かぶ一隻の宇宙船は二人の笑い声によって満たされた。


「アッハッハッハ!…ふう、早く地球につかないかな」涙を拭きながら里口が呟いた。地球に到着するまであと一四日。道はまだまだ長いが、少なくとも退屈することは無さそうだ。




「…床がつめてぇ…」


 里口が望んでやまない地球、第三中隊宿舎地下の訓練上にて。格闘訓練中ジョルジアに投げ飛ばされたハンスは冷たい床の感触を噛み締めていた。無様に這いつくばったハンスを前にして、ジョルジアは腕組みしながら小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。


「どぉしたどぉした。そんなスグ倒されちゃうようじゃあ、部下の見本にならないじゃない」


「…見本なんて要らないぐらい、伍長は充分強いじゃないか…」


 制服の埃を払いつつ、ぶつくさ言いながら立ち上がったハンス。しかしそれはジョルジアの油断を誘うための作戦で、ジョルジアが目を逸らした瞬間、ハンスは彼女の肩を掴んで一気に投げようとした。


「…っ!」


「ほらほら。肩を掴んで、それからどうするの?」


 ハンスはジョルジアを投げられないばかりか、彼女に襟をつかまれて逆に窮地に追いやられた。ハンスはつかんだ手を離し、距離を取って様子を見る。


「良くないなぁ、考え無しに後ろへ下がるのは」


 不気味な笑みになったジョルジアは、ハンスに掴みかかろうとして次々に手を伸ばす。ハンスはジョルジアの手を持ち前の反射神経で躱していくが、そのせいで下半身への注意が疎かになり、重心が不安定になる。頃合いを見計らって、ジョルジアはハンスに足払いを掛けた。


「そぉれ!」「うわっ!」


 情けない声を上げてハンスが尻もちを搗く。ハンスが顔を上げると、そこにはゴム製のナイフを突きつけるジョルジアの満足げな笑みがあった。ハンスが両手を上げると、ジョルジアは溜息をついてナイフをしまった。


「動体視力は見事なものね。だけど、体が付いてこないと意味がない。早い話が、もっと練習しろってことよ」


「…面目もございません…ん?」


 立ち上がろうとしたハンスに、ぎこちない笑みのマリーが手を差し出す。意外なシチュエーションにハンスは一瞬身を固めるが、すぐに彼女の手を取り、マリーに引っ張り上げてもらった。


「ありがとう…珍しいな、何か良い事でもあったのか?」


「いやぁ…はは…」


 ハンスが尋ねても、マリーは笑って誤魔化すだけで何も言わなかった。変な奴だと思いつつ、ハンスはもう一組の白鳥とブレンダの組み手に注目した。


「イテテテ!降参だブレンダ!」


 左腕を捻り上げられた白鳥が、自分を掴んでいる手を軽く叩く。ブレンダは白鳥を離すと、白鳥を気遣うようにつかんでいた腕をさすった。白鳥は問題ないと手をひらひらと振る。


「一回も勝てないとは思わなかった…自身が無くなってきたよ」


「すいません」


「いや、いいんだ。手加減されても訓練にならんからな。それよりも…おい、マリー」


 白鳥は手招きしてマリーに此方に来るよう促す。マリーは恐る恐る二人の元へと近付いていく。近づくにつれてブレンダが視線を逸らすのを、マリーは見逃さなかった。


「それで…何か用か?」


「用だって?お前今日一日ずっと何もしてないじゃないか。お前がどれだけ不真面目だろうが、訓練に不参加なんてのは通らないぞ。ほら、ブレンダに一回手合わせしてもらえ」


「えっ、それは、その…」言葉に詰まるマリー。マリーは恭しくブレンダの様子を伺うが、ブレンダは一瞬マリーを見ただけで、何も言うことは無かった。


「ほら行け。言って私の仇を取るんだ」白鳥にどんと押されて、マリーは危うくブレンダにぶつかりそうになる。ブレンダは仕方なしといった様子で、早々にファイティングポーズを取り始めた。それを見て、マリーも渋々構えを取った。


「かまえて…始め!」


 白鳥の合図とともにブレンダが三歩距離を詰める。逆にマリーは三歩下がって一定の距離を取った。それからもブレンダが距離を詰めてはマリーが離れるを繰り返し、二人は同じところをグルグル回り始めた。


「マリー、ただ離れていても仕方ないだろ。自分からいけ」後ろから見ていたハンスが言った。白鳥もうなずいてマリーの背中を抑える。


「………っ」


 観念してマリーもブレンダに向き合うが、まだ及び腰の儘だった。一気に片を付けようと、ブレンダが素早いステップで掴みかかった。


「わっ!」


 マリーが無意識に後ろに下がろうとして、足をもつれさせて転倒する。仰向けになったマリーを見たブレンダは、構えを解いてその場から離れる。白鳥とハンスは呆れながら、二人でマリーを引き起こした。


「何やってるんだ!」ハンスは腕組みをしてマリーを見下ろす。マリーは不貞腐れたように俯いて、ハンスを直視しようとしない。苛立ったハンスは鼻を鳴らし、マリーに顔を近づける。


「ブレンダに迷惑だと思わないのか?ふざけるのもいい加減に―」


『緊急連絡、緊急連絡。第四小隊は至急会議室に集合せよ。繰り返す、第四小隊は至急会議室に集合せよ』


 館内アナウンスが鳴り響き、演習所の外の廊下からはドタドタと階段を駆け上がる音が聞こえた。ハンスは渋い顔になるとマリーから背をそむけて、会議室に向かうよう分隊にジェスチャーした。




「今回の作戦を説明する!」会議室に集まった小隊の前で、プロジェクターの明かりに照らされた小隊軍曹が声を張り上げる。


「今回の作戦地域はここ、ベルリンから南に約百kmの場所にあるフィンスターヴァルデという町だ。我々は支給された機材をもって所定のポイントまで移動、機材を設置して町を離脱する。この機材は…」(なぁ、おい)


 小隊軍曹のブリーフィングに真剣に耳を傾けていた白鳥は、ハンスに声を掛けられて驚いたように彼の方を向く。ハンスは口に指をあてて静かに話すよう促した。


(…さっきの訓練の事なんだが…、その…マリーは格闘訓練が苦手なのか?訓練が始まってからずっと様子が変だったが…)


(いや、それは…格闘というよりは相手との間に問題が…)歯切れの悪い白鳥の答に、ハンスはやきもきして、彼女にグイッと顔を近づける。


(何だまた揉めたのか?…今なら誰も聞いてないから言ってみろ)


(揉めたと言いますか…トラブルと言いますか…)


(だからどうしたんだよ!歯切れ悪いなぁ、もっとてきぱきと―)


「さっきからぶつくさ言ってるのは誰だ!」


 小隊軍曹が聴衆を睨みつける。ハンスと白鳥は目立たぬよう首を縮めて気配を消す。誰も名乗り上げないのを見て、軍曹はフンと鼻を鳴らして説明を続けた。


「ええ…今回、敵との遭遇は考えにくいが、だからと言って気を―」


(それで、一体何があったんだ?)ハンスが改めて問いただす。白鳥は諦めたらしく、深く息を吐いてから事の顛末を話し始めた。


(この前休暇があったじゃないですか)


(ああ)


(私たちは街をうろついた後に宿舎に戻って食堂で駄弁っていたのですが、その時にマリーがふざけてですね…)


(ふむ、ふざけて?)


(ブレンダにちょっかいかけたのですが、その時物の弾みでマスクを…)


(マスクを?)


(…マスクを取ってしまったのです)


(あのマスク取れるのか?!一体どんな顔―)


 そこまで言ったところで、ハンスは白鳥に足を踏んづけられた。突然の痛みにハンスは飛び上がりそうになるも、何とか堪えて代わりに言いかけた言葉を飲み込んだ。


(今それはどうでもいいでしょ!…それで、未だに謝れていないのです)


(すまなかった…しかし、またエライ事やってくれたな…よりによってブレンダが一番気にしていることを…)


(私はすぐ謝罪に行ったのですが、マリーは張本人と言う事もあって謝りにくかったのかもしれません…)


(とは言え…謝罪なしで収まる話じゃないしな…何とかならないのか?)


(無茶言わないでくださいよ。軍曹こそ、隊長なんですから何か考えて下さい)


(えぇ…私は一人で行動することが多かったからな…)ハンスが露骨に目を逸らす。


(そう言わずに、頼みますよ)と白鳥。その憔悴しきった表情を見るに、ここ数日の彼女の気苦労は推して量るべし。


(分かった…私も何か考えてみるから、そっちも引き続き頼む)


(本当ですか!良かった…もう万策尽きたかと思っていたところです)


(ああ、この際伍長にも―)「ハンス軍曹」


 突然少尉に呼ばれて、ハンスは思わず立ち上がった。気が付けば作戦説明も終わり、後は少尉が一言話すだけとなっていた。ハンスの様子を見て何か察したのか、いたずらっぽい笑みになって少尉が続ける。


「何故立ち上がる?うたた寝でもしてたのか?…まあいい、軍曹の第六分隊は今日から第四分隊に改称となった。これで君たちも、晴れて我々の一員だな」


 少尉の声を聞いて小隊にどよめきが起きる。五人だけ、それも半分が子供で構成されている分隊が、正式に小隊の一部になるとは思っていなかったのだ。少尉はざわめく小隊員たちを静め、さらに言葉を付け加えた。


「今はまだ五人だけだが、正式な分隊になったことで残りの隊員もすぐ補充されるだろう。おめでとう。それから、ロバート中尉の穴を埋めるために、私が中尉に昇進することになった。今日から私も、リーバイ中尉になるわけだ。拍手!」


 一人手を叩く小…中尉。連れられて何人かが拍手するも、大半の隊員たちは早く進めろよと、無言の圧力をかけ始めた。「…以上」という中尉のか細い声が聞こえると同時に、隊員達は一斉に駐車場へ向かっていった。


「しょ…中尉」一人残された中尉に、小隊軍曹が声を掛ける。


「…どうした」


「急ぎましょう、皆待っています」


「ああ…そうだな…」

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