第25話 錯綜 その⑦
BARの中では即興のポーカー大会が催され、軍曹・サンダース・ヘンリクの三人はそちらに流れていった。ハンスとしてはヘンリクが乗り気だったのが意外だったのと、店内の大半の兵士がそちらに流れたおかげで、ようやく静かな空間を得られたのはありがたかった。
カウンターには少尉とハンスの二人だけが残り、BGMも、残りの静けさを好む客に配慮してか、落ち着いたジャズミュージックに変わっている。
「君に気を使わないためにこのいたずらを思いついたんだ」静かに飲んでいた少尉がいきなり口を開いた。
突然始まった話にハンスは戸惑い、「何です?」と聞き返した。
「サンダースだよ。彼の思い付きでさっきの芝居を行うことにしたのさ。彼は君に気を使ってほしくないんだ」
「はぁ……」
「昔のトラウマなんだ。昔、彼に恩を感じていた人間が、彼を救おうとして命を落としたことがあった。その時彼は酷くふさぎ込んでしまってな、一時期人との接触を断ってしまったぐらいだ。だから彼は君に、そんなふうになって欲しくは無いってことだよ」
何も考えていなさそうな三枚目に、そんな時期があったのかと、ハンスは意外に思った。自分の思考を全く隠そうとしないハンスを見て少尉はほくそ笑み、老人の思い出話のような調子で語り続ける。
「皆でサンダースを励ましたが、上手くいかなかった。隊にとって本当につらい時期だった。そんな時、サンダースを助け出したのがヘンリクだ。アイツも…なかなか強情な奴でな、どれだけ拒絶しても隣に居続けるとは…全く…」
そういいつつポーカーに集まる群衆の方を見やって、少尉は感傷に浸るような表情になる。しかしその横顔には、死にゆく飼い犬を見つめるような憂いが込められていた。
そんな少尉を見て、ハンスはこれが真面目な話であることを自覚し、ウイスキーを飲むのを止めて姿勢を正す。少尉はハンスを見ることは無いが、ハンスの意識が少尉に向かうのを待ってから話し始める。
「仲間を気遣い、同情するのではなく同じ立場で物事を見据える。二人とも、この混沌の時代に生きる価値のある人間だ。二人だけでなく、この小隊にいる者全員がその資格を持っている。そう、思わないか?」
「私は…自分が二人のような人間であるとは思えません。今日の行動を見たでしょう。それに、生きる資格というものが、人によって有ったり無かったりするものでしょうか?」
「君の場合は事情が事情だ。私も地球で似た境遇の兵士をたくさん見てきた。痛ましい事だ。…それと、生きる価値のない人間というのは必ずいる。この劣勢の中でも、自分の出世と権力欲に夢中になっている連中、寄生虫どもだ。私も何度邪魔されたことか」
静かに語る声の中に、確かに怒気を含んだ声で少尉がそう告げる。髪がわずかに逆立ち、手に持ったグラスに自然と力が入る。少尉の変わりようにハンスは戸惑いを隠せなかった。自分の評価以外興味が無いと思っていた少尉が、此処まで他人を思っていることが意外だった。
「病気だよ…これは…人類が良くかかる病気なんだ。口では言わないが、軍上層部だってこの戦争に勝てるかどうかなんて気にしていない。政府も、民衆も、最後のその時まで自分だけが良い思いを出来るよう行動している。そしてそのために、我々は戦うよう命令される」感情が高ぶってきたらしく、少尉は身振りを交えて話し続ける。
「我々はまだいい、使い潰される事も覚悟の上でやっている仕事だ。だが、若い命までも大人の都合に利用するとあれば、到底容認出来る様なものでは無い。…ハンス少尉!」
射貫くような少尉の目線が、ハンスを捉える。瞳の奥で静かに燃える闘志が、攻め立てるようにハンスを圧倒していった。今この瞬間、ハンスがウイスキーを飲もうが、目を少尉から逸らそうが、少尉がそれを咎めることは無いだろう。
しかし、少尉は許してもハンスの内なる精神がそれを良しとしなかった。少尉の言動から一瞬でも目を離すことが、何よりも重い罪のように感じられて、ハンスは身じろぎ一つとることが出来なくなった。
「私は…私はこの戦争に意義をもたらしたい。我々がその儚い命を捧げるに足る、ふさわしい意義を。諦めと恐怖という病に侵された人々が、その晩年を安らかなものにする為ではなく、次の世代、次の次の世代にこの世界を受け継がせるための戦いに変えたい」本音が出てきたのか、少尉の口調にも自然と熱が入る。
「君はどうだハンス!このまま先の無い戦いを続けていくか?それとも、私と共に新しい世代のための闘争に加わるか?正直に言うと、君にはその素質があると思う。君を引き入れたのも、素質があると実感したからだ」
「ちょ、ちょっと待ってください」ハンスが少尉に向かって手をかざす。
「引き入れたとおっしゃいましたが、少尉は人事に回収する程の地位におられるのですか?」
ハンスの唐突な疑問に、少尉は言葉を詰まらせる。が、ハンスにさらなる疑問を抱かせる前に、その顔に余裕ある笑顔を浮かべて何事もなかったかのように少尉は振舞う。
「無論、私にそんな権限は無い。だが、私の上官である人間の中にも、志を同じくする者がいるのだ」
「それはあなたのグループに上層部の人間が属していると言う事ですか?」
ハンスが疑問を投げかけると、少尉はふふんと笑った。落ち着きを取り戻し、すっかりいつもの調子だ。
「そんなわけ無いだろう、私が下についているのだ。どんなに崇高な思想であっても、それに見合うだけの地位の者が提唱しなければ妄言に過ぎない。政は権威と面子の世界だ。一介の少尉の話など、聞く耳を持たん。…それよりもハンス、私は君の意見を聞きたいな」
少尉はハンスの左手を取ると、両手で包み込むように握った。痛みは無くとも確かに感じる重みには、ハンスに対する期待が感じられた。ハンスが右手をグラスから離し、手を握り返そうとゆっくり伸ばす。
「このまま永遠に、終わりのない苦痛を味わい続けるのか?」
ためらうハンスに追い打ちの言葉をかける少尉。苦い過去の記憶が、ハンスの脳裏をよぎった。過去の記憶の、ほんの小さな断片でも、今のハンスにダメージを与えるには十分だった。
「私と共に来い。そうすれば苦痛を取り払われ…」
また少し、ハンスの手が少尉の右手に近づいた。心から切望した、苦痛からの解放。その抗えない魅力に身も心もゆだねてしまいたい。逃げ続けるのはもううんざりだった。
「未来を授けよう」
その言葉の響きに、ハンスは酔いしれる。ずっと探し求めていた生きる意味を、彼が与えてくれる。少尉の吸い込まれそうな目に、ハンスは可能性に満ちた大海原を見出していた。この停滞から解放される。そんなことが出来るなら…
「………」
「さぁ、ハンス…」
ハンスは右手で少尉の手を握り…そしてあまり力を掛けないよう意識して、強引にならないように優しく引き剥がした。
「………」
さっきまで輝いていた瞳は光を失い、少尉は失望を露にする。俯いたままハンスは、回らない舌を無理やり動かし、申し訳なさそうに謝罪した。
「…申し訳ありません少尉。ですが、自分にはどうしても先に尋ねなくてはならない事があります」
「…何かな?」
「あの三人の事です」
最後の最後でハンスを思い留まらせたのは、自分の部下三人の事であった。この隊に来てから生じた幾つかの疑問が、彼を押しとどめたのだ。もっとも、これは三人に対する心配というより、真相を知っているらしい少尉への不信感からくる疑問であったが、
「私は最初、経験のない少年兵を押し付けられていると考えていました。が、彼女らの身のこなしは、明らかに正規の訓練を受けた兵士のものですし、私はあんな少年兵を見たことありません。そして先程の少尉の話…私は、彼らがあなたの計画に関係しているとしか思えないのですが、合っていますか?」
「関係していれば…どうだと言うのだね?問題があるのか?」
「問題があるかですって?ありますよ!子供を巻き込むなんて…それこそ、少尉のおっしゃる生きる価値のない人間がやることではありませんか!」語気を荒げて、ハンスが迫る。
少尉は眉間にしわを寄せると、タバコに火をつけて一服し、それから聞き分けのない子供を前にした父欧亜の顔でハンスに向き直る
「ならば君には何か策があると言うわけか…ぜひ拝聴しよう。誰も不幸にならずに人類を無間地獄から救い出す、そんな策を」
「っ……」
「どうした、言ってみろ。今日はたっぷりと時間があるからな。ほら」
「………」
「考え無し…か」
そこまで言うと、少尉はハンスから顔を逸らし、暫し無言で煙草をふかしている。ハンスは何も答えられず、押し黙るしかなかった。一分か二分の沈黙の後、少尉が煙草を灰皿に押し付けて、困り笑いで首を横に振る。
「さっきの発言は忘れよう、君は今まで前線勤務一筋だったからな。陰謀や工作といった黒い部分に触れた事の無い者であれば、当然の反応だろう」少尉はハンスに向き直り、人差し指を突き立てる。
「君に一つだけ教えておこう。私は理想と現実は分けて考えるタイプの人間だから、手段を限定して計画を犠牲にしたりはしない。計画実現のためにどれだけの犠牲が必要か冷静に判断し、そして実行する。それ故に、時には冷酷な命令を下すこともある。だが、この計画に私欲を挟んだりするようなことは無い。それは本当だ」
淀みなく語り続ける少尉に、ハンスは敗北を認めざるを得なかった。普通、過激な物言いをする人間が反論されると、心の中にある気まずさやうしろめたさが浮き彫りとなり、自分が正しいと信じていても言葉に詰まったりする。
しかし少尉は、目を逸らす事も無く、厳然とした態度で語り切った。ハンスが反論した程度ではその心は揺るがず、逆に自分を信用するよう求めてきた。ハンスは、こんなにも自信たっぷりに持論を語る人間に初めて会ったので、どうする事も出来ない。寧ろ堂々持論を語る少尉に神々しさすら感じる。
それでも、ハンスは忘れることが出来なかった。少尉の下での初実戦の際、彼が自分に何を命令したのかを。
これは彼が、夢見がちな理想主義者だから覚えていたわけでは無い。誰が指揮官であっても、ああするほか仕方ないと思うが、それ故に、他の上官と変わらない少尉が人類の救済などという、大それた事が可能なのだろうか。
宣伝でつくられた英雄というものが、戦争には往々にしているが、中には常人を飛びぬけた戦火を叩きだす、本物の英雄も存在する。その本物の英雄たちでさえ、この戦争に全てを奪われてから無残に死んでいった。
本物の英雄達ですら敵わなかった戦争に、英雄ですらない少尉が勝利を掴む。本当にそんなことが可能だろうか。いや、正確には少尉の上に首謀者がいるらしいが、それがどれだけ有能な人物だからと言って、実現できる気がしない。そんな無謀な挑戦に、自分の命をかけることが出来るものか…
(無理だよ…な…)
…どれだけ息巻いたところで、ハンスもやはりこの世界に蔓延する病気の患者だった。表向きは人生なんてどうでも良い等と、世捨て人のようなことを言ってはいるが、いざ機械がやってくると怖気づいて、命を惜しむ心が湧いてくる。動かなければ問題は悪化しないだろうと根拠のない理論で行動せず、さらに問題が悪化する。そしてそのことに気が付けない。恐怖という病気。
もちろんハンスは、死ぬのが怖いのだと自分が感じていることに、気付かない振りをしていた。本能的な恐怖からくる警戒心に、自分が置かれている状況や少尉の振る舞いと言ったもっともらしい事を付け加え、正当化しようとしているのだ。
ハンスはグラスの中身を空にすると、いかにも何か難しい事象について考えているような顔になり、神妙な口調で話し始めた。
「少尉、貴方の主張はよく分かりました。ですが私には、貴方が人類の希望になれるとは今一つ信じられないのです。今回の話はもう少し考えさせていただけませんか?」
努めて冷静に話したつもりらしいが、時折発せられるかすれた声がハンスの本心を表していると、少尉はそう感じた。ハンスの意を理解した少尉は、いつもの親しみある微笑をハンスに向ける。それはいつも少尉が向けてくれる笑顔であったが、何処か余所余所しく感じたのは、ハンスが自分の決断に後ろめたさを感じているからだろうか。
「そうか…よく分かった。君に不信感を与えてしまうのも、私の力不足の表れなのかもしれないな。…無茶を言ってすまない。今日言ったことは忘れてくれてもいいし、もし気が変わったりすれば、いつでも言ってくれ」
少尉が話し終えると、ハンスは立ち上がって頭を下げる。少尉はハンスの方を見ようともせずに、力なく手を上げて返した。ハンスは離れた場所にいるサンダースたちと短く言葉を交わしてから、BARを後にした。
「…上手くいかないものだな」
少尉はカウンターから立ち上がり、ポーカー大会が催されているテーブルへ向かった。表面上は観戦を楽しんでいるように努めたが、その目にはもうハンスが見出した輝きは失われ、目の前の現状を淡々と眺める深淵が、広がるばかりだった。
消灯の時刻が迫った食堂で、マリー、白鳥、ブレンダの三人は雑談に花を咲かせていた。議題はもっぱら、ブレンダの私服についてだった。
「不評でしたね…」ブレンダが、向かいに座っている白鳥に話しかける。その声は心なしか、くたびれた印象を感じた。
「だから言っただろ」と白鳥。チラッとブレンダの隣にいるマリーに視線を移す。
「そんなに悪くないと思うんだけどなぁ」
宿舎に戻ってから三人は、出会った人々に対して盛んに意見を聞いていたのだが、皆の反応は大体が首を傾げて終わりというものだった。ジョルジアですら、何と言っていいかわからないという表情をしていた。
「何が駄目なんだぁ?こんなに似合っているのに」
マリーは言葉の節々に確固たる自信を感じさせながら、ブレンダを様々な角度で凝視する。白鳥はフンと鼻を鳴らして、椅子にふんぞり返った。その顔には勝者の余裕すら感じさせる。
「似合ってないとは言ってない。ただ連邦軍兵士がその恰好はどうなのかってことを皆は言いたいのさ。所謂PTOの事だが、我らが小さな友人にはそれが分からんようだな」
白鳥はふんぞり返った姿勢でマリーを見下ろし、それ見た事かと得意げな笑みを見せる。そんな白鳥に、ジトっとした目線をマリーが送る。
「正論ぶちかましてくれるじゃないか。えぇ!白鳥くぅん。それならよぉ~、ブレンダに合う服を君は何か思いついたのかい?言ってみろよ、おい」
ネチネチとした口調で白鳥に詰め寄るマリー。白鳥は目を逸らすばかりで何も言わなかった。とは言え不評であったのも確かなわけで、この舌戦は平行線のまま、終わりそうになかった。話に終わりが見えない事を察したマリーは、話の矛先をブレンダに変えることにした。
「せめてこのマスクさえ無ければ、もっとましな服に出来るんだがなぁ」
ハァッとため息をついて、マリーはブレンダのマスクに軽く触れる。(ビクッとブレンダの肩が動いたが、二人は気付かなかった)
「これ、本当に取れないのか?」
「…取れませんよ」
「えぇ~、ほんとに~?」
「本当ですよ」
マスクに触れようとするマリーの手を、ブレンダは身をよじらせて躱し続ける。二、三回繰り返した後、不満そうに頬を膨らませたマリーはブレンダから距離を取り、それから助走をつけて抱き着くようにブレンダにしがみ付いた。いきなりの衝撃に、ブレンダは思わず前かがみになる。
「な、何ですか…」
「そこまで拒否されるとすごい気になる!実力行使じゃー!」
そう言いながらマリーはブレンダの体を左右に揺さぶる。ぶれる視界の中で、ブレンダは白鳥に助けを求めるが、白鳥はニヤリと笑うだけであった。
「み~せ~ろ~よ~」
「ちょっと…やめ…」
マリーは、本当にマスクを取ろうとしていたわけでは無い、寧ろ忘れてしまいそうなぐらいだった。ふざけていてもどこまでが良いラインかは弁えているからこそ、白鳥も止めなかったのだ。だが、運命というのは実に残酷で、今日は特に意地悪だった。
マリーが右に大きく揺さぶった瞬間、マスクの金具が外れてしまったのだ。
「「「っ!」」」
誰も言葉を発さなかった。白鳥は手に取ったカップを思わず落として、目の前の事態に驚きを露にする。三人共指一つ動かすことが出来ず、自分の頭脳が混乱から立ち直るのを待つ外無かった。
「ごっごめ―!」
謝ろうとしてブレンダの正面に回り込んだマリー。しかしブレンダの顔を見て再び言葉に詰まる。見たのは一瞬だったが、その衝撃は抜群だった。
我に返ったブレンダの顔から、みるみる血の気が引いていく。ブレンダは素早くマスクを装着し直し、足早に立ち去ろうとした。「待ってくれ!」とマリーが引き留めるも、振り返ったブレンダの顔を見て、謝罪の言葉が引っ込んでしまった。
振り返ったブレンダの表情から感情を読み取ることは困難だったが、深い湖のような深緑色の瞳が、激しい怒りの炎を宿した視線を二人に投げかける。うっすらと涙を浮かべて。
「………」
ブレンダは何も言わずに立ち去り、二人は委縮してブレンダがいなくなるまで身動き一つとれなかった。暫くしてから白鳥がブレンダの後を追ったが、マリーはその場から立ち尽くすしかなかった。
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