第20話 錯綜 その②

今まで散々「蟲ども」や敵と呼んでいた蟲どもだが、一応名前があるらしい。上層部や戦士研究部、多くの知識人によっていくつかの情報が判明し、それらは敵の正体を明らかにする名目で官民に公開されてきた。


 しかし、人間には久しぶりに接することになる新言語、低温に弱く口が堅い捕虜といった要因が重なり、ここしばらくは新しい情報は発見されなかった。


 この報告会も、同じ内容のものを百回は聞いた気がするが、宣伝部は実績を作らねばならないのだろう。俺たち第四小隊は同僚のメンツを保つために、退屈な芝居に付き合わされる羽目になったのだ。

 

「全く、此処に足を運ぶ度に特別手当が出れば、文句ないんだがなぁ」


「まぁまぁ、いつも同じ業務というのも退屈でしょう。ちょっとした息抜きだと思えばいいんですよ」


 イスに浅く腰掛けて、机に足を乗せているサンダースがぶつくさ文句を言うと、隣のヘンリク軍曹がなだめるように諭した。サンダースはこの男が怒るところをついぞ見たことがない。


 あまりの好人物っぷりに何処かのスパイなのではと疑っていたが、自身を殺しかけた部下に笑って接していたのを見てそう言う奴なのだと確信した。


 会議室には中隊全員が集まり、これから始まる三文芝居にうんざりした顔で皆席についていた。一番前に腰掛けなくてはならないリーバイ少尉は最後列に座り、PCで何やら作業をしていた。


 少尉が退屈なスキマ時間を業務に費やしていることは小隊のだれもが知っていた。将校と言う奴は、下士官兵が比べ物にならないほど忙しいものだ。リーバイ少尉が座る筈の席には、少尉の肩章と襟章を押し付けられた小隊軍曹が座っていて、自分は上等兵の制服を着る力の入れようだ。


第四小隊の左隣には人員が大幅に減った第三小隊がいて、小隊長代理のカルメン軍曹が書類整理に追われていた。ロバート中尉が戦死したことで、小隊の通常業務の大半を彼女がこなさなくてはならないし、小隊の再編成の仕事も彼女の役目だった。そんな激務の中でも

弱音一つ吐かない彼女に、サンダースは感心していた。


 分厚い資料の絵や写真だけ一通り目を通すと、サンダースは資料を放り出してふぅーと息を吐いた。下らない。既にこの本のページで部屋を覆えるくらいもらった資料は、相変わらず同じことしか書いていない。


 そもそも、この手の類の催し物はだいたいや連帯規模で行うものだが、宣伝部の連中はプレゼンのクオリティを下げる代わりに、規模を中隊クラスにして回数を増やすことで戦意高揚に一役買っているとアピールしているわけだ。


 それ自体は宣伝部の手間が掛かるだけなので勝手にやればいいが、付き合わされるこっちには何もメリットがないのは困りものだ。


「この集まりに出る度に、特別手当が貰えればいいんだがなぁ」


「給料のうちだ、黙って聞け」


 後ろでハンス軍曹のところの悪ガキの声がした。向こうの相方はヘンリクほど優しくは無いらしい。


「そう言えばハンスは?」


「言われてみれば…姿がありませんね」


 奇異な経緯でここに来た男は、しょぼくれていて存在感はあまりないものの、時間や約束には厳しい男だ。いつも待ち合わせよりだいぶ早く到着していて、制服には折り目がきっちり着いており、髭も一本残らず剃っている。


 時間にルーズで、無精髭が生えているサンダースとは正反対の人物だ。そのハンスが五分前になっても姿を現さない。ハンスが漸く会場に現れたのは開始時刻の一分前だった。


 件の男が姿を現した時、サンダースとヘンリクはその異常にいち早く気付いた。制服には皴一つなく、髭も奇麗に剃ってあるが、足元が何処か覚束ない。俯き加減で不貞腐れた態度で近付いてくる。


 ハンスは自分の席に辿り着くと、乱暴に椅子を引いてドカッと椅子に腰かけた。ギギィッという不快な金属音に何人かが顔をしかめた。ハンスからは、微かに酒の臭いがしている。サンダースは恐る恐ると言った様子でハンスに話しかけた。


「ハンス。お前、どうしたんだ?」


「…うるせぇな、ほっといてくれ」


 普段からは想像できない乱暴な口調でハンスは答え、サンダースをきっと睨む。いつものサンダースなら此処でうっとおしい程の絡みで事情を聞き出すところだが、今回は「ワリィ」とだけ言ってヘンリクの方に向き直る。


「ホントどうしちまったんだコイツ?!」


「さぁ、とにかく大事にならないよう、フォローするしかありませんね」


 ハンスに聞かれないようサンダースとヘンリクは小声で相談する。ハンスはその間もずっと不機嫌そうで、上を見上げては恨めしそうに照明を睨みつけている。


「全員揃っているか?!そろそろ始めるぞ?!」


 鼠みたいに神経質そうな目をした中佐が、高圧的な態度で発する。あとには中隊が属する歩兵師団の師団長と副官、そして白衣に身を包んだ民間人が続く。師団長は恐らく、この見世物の最大の犠牲者だろう。聞いた話では、もう五回はこんな集会に呼ばれているらしい。


 師団長は用意された椅子に腰かけると、フクロウのようにギョロっとした目で中隊を見渡す。副官は端末を開いて作業を始め、民間人は退屈そうに手を弄んでいた。張り切っているのは宣伝部だけのようだ。


「準備できたようだな、よし!それでは始めよう!」


 スクリーンが下ろされ、プロジェクターから見飽きたスライドが投影される。宣伝部の中佐がマイクを民間人に手渡すと、民間人はやれやれと言った様子で立ち上がり、おもむろにプレゼンを開始した。


「第三中隊の皆様、おはようございます。私はエルマー・アボット博士。人間工学と機械工学、バイオ工学の分野で活動しております。今回のプレゼンでは私の専門外の部分もありますが、皆様に一つでも覚えて帰っていただけるよう、誠心誠意、本日の案内役を務めさせていただきます」


 何度も繰り返したであろうフレーズをアボット博士はすらすらと話し、スクリーンに映し出されたスライドについてこれまた何度も繰り返した説明を原稿も見ずに話し始めた。


「敵の名称…と言いますか国名というのがありまして、その名をザラストロと言います。そしてその語尾に人類の言葉でリパブリックを意味する言葉が付きます。ザラストロ・リパブリック、つまりザラストロ共和国ですな。驚いたことにこの異星の侵略者は共和制を謳っているわけですね」


 言葉とは裏腹に、博士は何の感情も込めずに淡々と読み上げていく。ハンスはこの時点で目蓋が重くなってきた。頭を垂れようとする度に、サンダースが頭を持ち上げるので眠りにつくことは叶わなかった。


「このザラストロというのは、連中の世界での神を示す言葉です。まだ完全な解明には至っておりませんが、この神は三日三晩世界を創り、今も休みなく大地を耕し続けているという話から、ミミズに似た生き物を神格化したものであると推測されています。ちなみにザラストロ人はこの神のみを唯一神として崇めているようです」


 スクリーンにはザラストロの国旗が映し出される。赤地の背景に、翼の生えた竜に似た神のレリーフが施されている。その旗はかつて存在したアルバニアの国旗を思い起こさせた。


「また共和制についてですが、これは昆虫界における巣のようなコミューンから、代表を選出して議会を形成する合議制であると推察されています。代表になれる者は血筋によって決められていると考えられています」


 ここは完全に推論の域を出ないものだった。それにも関わらず、ザラストロの共和制を封建的な貴族主義の言い換えに過ぎないとした理由は、自由は平等は人間にしか理解しえない高尚な思想だという、自由や平等からかけ離れた差別主義的発想から来ていた。


 つまり、ザラストロ人は虫のように自由や平等を理解できない下等な生物だと見下すことで、人類の自尊心を慰めているのだ。


 この話を聞く度にハンスは胃がムカムカした。蟲どもの凶暴さに心から憎悪を送ってきた彼だったが、人間のこういった度量の狭さにもいい加減辟易していた。


  戦争序盤の敗因も、狭量な政治屋連中の縄張り争いが原因と言われていたからだ。最も、それ抜きにしてもザラストロ軍は圧倒的だったし、戦略核を二十発も落とすような連中が尊敬に値するかは分からないが。


 同じだ。まったく同じ、変わらないクズたち。勝利の女神に愛されたクズと、貧乏神に憑りつかれたクズ。神様は善良なものを何処へやっちまったんだろう?こんないかれた現実、素面じゃやってられない。


「ザラストロでは評議会で決定された意思を、サイバネ手術によって埋め込まれた受信回路によって脳に記憶されます。作戦行動中のザラストロ兵はこの仕組みを利用することで、一種の洗脳状態にあるとされ、死を恐れない蛮勇さはここからきていると考えられます」


此処も九割は推察と言っても過言ではない。ハンスは舌打ちしたが小さくて聞こえなかったのか、隣にいたサンダースだけが静かにしてろと言う顔で振り返る。


 洗脳?だから何だ。人類は兵士にそんな所業を強いていないから、人類の方が上とでも言いたいのか?人類はやっていないのではない、出来ないだけだ。サイボーグ手術で脳にコンピュータを埋め込み、いつでもどこでもインターネット。これが優れていないというなら、出来るようになってから言え。


 散々馬鹿にしているザラストロより、優れている筈の人類は科学分野で大いに劣っていた。それだけのことだ。もし人類がその手の技術を手にしたのなら、兵士のストレスを和らげる、素晴らしい装置として世に広めただろう。


それからも実に退屈な説明が繰り返され、敵の装備や戦術(講義を受けているのは先頭の専門家であるにもかかわらず)が説明された。一個小隊が七十人である事、戦艦から装甲車、ミサイルまでが生き物で構成されている事等、新兵が初めて教わる戦場のイロハのような事が延々と繰り返された。


 サンダースはすでに限界で、頭が下を向く度にヘンリクが肩を揺さぶっていた。ハンスは苛立ちや不快感のこもった眼でスライドを眺めている。そんな誰も得をしない報告会も終わりを迎え、締めのあいさつを言い終えた博士が中佐にマイクを戻した。


「ありがとう博士。さて、この報告会で敵について諸君らもよく理解してくれたと思うが、今回の催しで最も重要な要素はただ一つ、それは―」


「「敵は我々と価値観を共有しえない、憎むべき敵であると言う事だ!」」


 中佐に合わせてハンスが小声でつぶやいた。結局のところ言いたいのはそれだけだ。敵に対する憎悪を煽り、敵を殺すことへの躊躇を無くさせる。しかし、今更こんな子供だましのイベントを開いて煽った気になっているなら、俺たちを馬鹿にしている。


 事実、ハンスの憎悪はこれまでにないくらい高まっているが、それは蟲どもに対する殺意というよりはこの中佐をどうやって黙らせてやろうかとか、そういう類のものだった。


「敵は捕らえられた兵を皆殺しにし、占領した地域で民族浄化を推し進めている。その所業はまさに悪魔の如く、奴らはナチスにも勝る極悪人共だ!」


 出た。ハンスは心の中でうそぶく。政治屋や知識人の温厚派とされる連中が大好きなナチスだ。比較的知能が高いとされる温厚派だが、こと罵倒するに限ってはナチスだのヒトラーだのワンパターンな悪口しか聞かなかった。


 別にナチスに肩入れする気はない。だが、大声で自分の理想を叫んでいる時に自分の鏡を見て欲しいと、温厚派に言ってやりたい。酒も飲まずによくやってられる。酒…酒が飲みたい。


「諸君らは敵に対して一片の情けをかけることも許されない!何故か?そう、諸君らの方には人類の未来が、希望が、掛かっているからだ!この中に親を殺されたい奴はいるか?子を殺されたい奴はいるか?いない!」


 興が乗ってきたのかさらに饒舌になる中佐とは反対に、ハンスは苛立ちをさらに増していった。普段ならばこんな安っぽい挑発を真に受けたりはしないが、今日のハンスは一味違う。


 不意に、ベルリンで遭遇した兵士の事を思い出す。勇敢に戦ったブレンダに敬意を示したあの男(女?)が、このご立派な中佐より劣っていると誰が証明出来る?言いたいことがぐしゃぐしゃに積み重なって、我慢の限界に達しようとしていた。


「…諸君らの中には人型の生き物を殺すことに罪悪感を感じる者もいるだろう。しかし!何度も言うが、連中に慈悲の心など必要ない!貴様らが一人撃ち損じる事に、住人の仲間が死ぬことになると思え!そもそも、この中に一人でもザラストロ人の人間らしさを欠片でも見たものがいるか?……そう!…」

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