第15話 奪回 その②
ーロッパを一面の荒野に変えた蟲どもは、ポーランドはワルシャワの跡地に降下してそこを基地とし、人類殲滅の橋頭保とした。その後蟲どもはダブリン、クラフク、ウッチへと展開し、ポズナンに前線基地を作ってポーランドを自分たちの楽園に作り替えているという噂だった。
そこからの蟲どもの快進撃は目を見張るもので、ヨーロッパでチェコ、オーストリア東部、バルカン半島からアフリカを経由してスペイン南部を占領し、人類をこの中央ヨーロッパに閉じ込めている。大陸の反対側と連絡を取るには、アメリカ大陸を経由しなければならない。
連絡路を絶たれた袋の鼠、此処までの説明を聞けばそう思うだろう。しかし、実際には一つだけ抜け道があって、ポーランド北部のバルト海沿岸に僅かながら人類の領域が存在し、そのルートを通って護衛対象は中央ヨーロッパにやってくる方法を取った。
隠密性を保つための苦肉の策であったが、敵の前線基地ポズナンの近くを通るこのルートは危険性を伴う一種の賭けに似た作戦であった。
「あと七十分ほどで作戦区域に到達する。各員、武器の動作確認を怠るな」
いつもは一列の車列も、二個小隊となれば二列二十台となって実ににぎやかだった。これに追加の戦車四両を加えた行軍となると、通常は側面に斥候を置いて警戒するべきだが、今は斥候を発見されることで発生する戦闘すら避けたいようだ。
機密扱いとは言っていたが、此処までして急ぐものなのか。ハンスにとって今日は不可解な事ばかり起こる日だった。時刻も丁度黄昏、魑魅魍魎の跋扈する逢魔が時である。今日の任務はなるだけ平穏に終わることが望ましいのだが。
「核が人を焼き尽くすところを見たことは?」
白鳥とマリーがかぶりを振る。ブレンダは興味も示さず、外の景色を眺めていた。ジョルジア伍長は例のニヒルな笑みを浮かべて、何か楽しい思い出でも話すように語る。
「私も本当に見たわけじゃない。直に見る時は死ぬ時だからな。ハンブルクで追い詰められた私は、キールへ撤退するため北へ移動した。だが北では抵抗するどころか優勢の機運さえあってな、アタシの部隊も再編成して攻勢に参加することになった」
「二区画ほど進んだ所で私は見たのさ。空に浮かぶ巨大な肉塊を」たばこを吸うために、ジョルジア伍長がいったん話を切る。その目はタバコが吸いたいというよりは、早く続きが話したくてしょうがないというような、そんな様子だ。
「巨大な肉塊、そう、まさにそういうより他はない。軍曹の方が詳しいかもな。…兎に角、不味いと思ったアタシはすぐに手近な建物に身を潜めた。私が身を隠すか隠さないかの所で、肉塊は強烈な爆音と光を放って爆発した!」ボンッと伍長が嬉しそうに言った。
「そこでの体験は…、今でも忘れない。蹲って背を向けているのに明るいと認識できるぐらい、まばゆい光だった。爆風が吹き荒れる音と瓦礫が崩れるやかましい破砕音であたしは耳がおかしくなりそうだったよ」
「すべてが過ぎ去り、顔を上げたアタシは目の前の光景に目を見張った!そこに広がる光景と言ったらもう…まさに地獄としか言いようのない光景だったね。逃げきれなかった兵士は蒸発するか人とは呼べないモノに変わり果てて、辺りを徘徊していた。周囲の建物も、若干溶け出しているように見えたよ」
「それからの光景も鮮明に覚えているよ。足が無くなって這いずっている兵士、蒸発した副長、眼球が消滅して痛みのあまり身もだえる分隊長。そんな、…えーと…なんて言うんだ?…そう、同僚たちを尻目に、私は命からがらハンブルクから撤退した。その道中も同じような奴らで埋め尽くされていたよ。あの光景は実に…実に…、あー、とにかくすごかった!」
聞く限りでは凄惨極まりない地獄のような体験だが、特に同情の念を抱かないのは目の前の人物が終始楽しそうにしているからだろうか。その顔にギラギラした笑みを浮かべ、最後のくだりでは言葉を飲み込むような素振りさえある。弱く見られないための古参兵特有の強がりだ、とハンスはそう考える事にした。
マリーはあまりのことに困惑しているのか、「ははっ……」という乾いた笑いしか出せなかった。白鳥はブレンダのこともあってかノーコメントだが、眉間にしわを寄せていた。
この二人がまだ戦争に毒されきっていない事が唯一の救いだなとハンスは思った。ハンスはブレンダの方をチラッと伺った。ブレンダは伍長の壮絶な体験談に興味も示さず、銃の点検をしている。
車列がシュヴェットに到着すると、そこからは徒歩での行軍となった。ハンスは時刻を確かめた。まだ合流時刻には余裕があった。「そんな心配することないよ」と伍長。ハンスはさっと息を吐いた。何かあっても、今は伍長と二人で対処できる。余裕を持たなくては。
ブタンは高台の上に第三小隊が東、第四小隊が西で扇状に展開し、それぞれの正体の後ろには二両ずつ、戦車が待機している。第六分隊は第三分隊と共に中央部に位置につき、対象との接触役を任されていた。
高台の配置につくと辺りの風景が一望できた。此処も他と同じく岩や砂に覆われているだけの何もない場所だ。貴重な連絡路である幹線道路だけがきれいに修復されていて、地面には所々小さなクレーターが出来ている。
「少尉、対象との通信を確かめてくれ」中尉からの命令だった。
少尉は無線の周波数を変え続け、対象からの通信を拾おうと無線に耳を傾け続けた。合流時間が近付いている。そろそろ何かしらコンタクトがあってもいい筈だ。少尉がさらに無線を調整し続けると、インカムから微かにノイズが聞こえてきた。
『こ……ト………、現………』
「ハンス軍曹。対象が近い、前進して合流地点をマークしろ」
第六分隊は前方へ二百メートル前進し、指定ポイントにスモークを焚いた。スモークの赤い光が周囲の闇を照らし煙が空に漂う。第六分隊は少し下がったところのクレーターに潜み、対象が姿を現すのを待ち続けた。相変わらず対象が現れる気配はなく、スモークが燃えるシュウシュウという音だけが辺りに木霊した。
『繰りか…………トー…ス……誰…』
「こちら第二五五大隊所属、リーバイ少尉だ。送れ」少尉は通信を試みるも反応は無い。
『少尉、対象との連絡はとれたか?』中尉からの通信が入る。「まだです」とだけ答えて少尉は無線に集中する。確かに無線は拾えている筈なのに、インカムからは雑音交じりの交信が聞こえるだけで通話は出来なかった。
(おかしい)少尉は訝しんだ。もう無線が聞こえるどころか姿が見えてもいい頃合いだろう。何か問題があったとすればそれに少尉にとって、部隊にとって致命的な痛手となる。出来ればそうあって欲しくはないが。
『少尉、監視点から報告が上がったのだが…』中尉が申し訳なさそうに言った。このタイミングでの報告は恐らく禄でもない物だろう。少尉はそう直感した。
『十分前に、監視点がこちらに向けて進軍する敵部隊を目撃したそうだ。時間からしてそろそろご対面することになりそうだが…、合流時間と場所を変更した方が良さそうじゃないか?』
「いえ…、恐らくもうすぐそこまで来ているでしょう。陣地変換している余裕はないと思います。」それに、こんなところまで来る敵はそうそういない。対象を追ってここまで来たのだろう。
少尉の悪い予感は的中し、前方から銃声と爆発音が聞こえてきた。それに続いて護衛対象のトラックと敵歩兵を乗せたBV、二体の異なるBTが姿を現す。インカムから、鮮明になった味方のメッセージが響いた。
『こちらトータス、現在攻撃を受けている!誰か助けてくれ!』
「ハンス軍曹、此方に戻れ!」
少尉が叫ぶと第六分隊は急いでクレーターから這い出し、部隊が陣取る高台を目指す。ハンスたちが所定の位置につく間に、他の分隊は前方の敵を迎え撃つ準備を整えていた。その間も、トラックと敵はさらに接近してくる。
『まだ撃つな、対象が高台に到達してから敵に一撃を与えて追い返す。殲滅しようなどとは考えなくていい。今回の任務には無関係だからな。』中尉からの忠告で兵士たちははやる気持ちを落ち着かせ、敵が有効射程範囲に入ってくるのを待った。
トラックはさらに接近し、それと共に流れ弾もその数を増していった、トラックのドライバーは巧みな運転で攻撃をかわしていくので、目標を見失った砲弾が高台にいるハンスたちの下に飛んでくるのだ。砲弾の一発がハンスの頭のすぐ横を飛んで行き、ハンスはおずおずと頭を引っ込めた。
『対象、スモークまで百メートル』誰かが対象との距離を読み上げる。
『スモークまで五十』
『あと二十』
もう少し、そこでトラックの命運は尽きてしまった。BTからの砲弾がトラックのすぐ横に着弾し、猛烈な火炎と衝撃をトラックにもたらした!トラックは炎上しながら横転し、横倒しになったまま滑り続け、スモークと一メートルあるかないかの場所で停まった。
『くそ!全隊、オールウェポンズフリー!ファイヤー!』
中尉の命令で部隊全員の火器が一斉に火を噴いた!戦車の砲撃を受けて二体のBVが宙を舞う。落下したBVから生き残りが這い出して応戦するも、遮蔽物のない場所ではすぐにミンチに変わるのがオチだった。
「ロケットを使っても構わん、もっと火力を集中しろ!」
先手は取った。少尉は隷下の兵士にさらに火力を集中するよう喝を入れる。部隊は人数の多さと戦車を生かして絶え間なく制圧射撃を続け、敵を撃退しようと努めた。敵はこちらの兵力の二分の一であり、数的不利は否めなかった。BTも砲撃で応戦するが、反撃されるのを恐れて有効な戦闘距離を取れずにいる。
「マリー、身を曝しすぎだ。少し下がれ」
いつもより人数が多いからだろうか、ハンスには少しだけ余裕が出来ていた。トラックを盾にしようとした賢い敵に数発撃ちこむ。賢い選択だ、とハンスは思った。物資には何かしらの防護策が施されているだろうが、これ以上衝撃を与えるのは避けたかったからだ。
ハンスはトラックに近づいた別の敵を狙撃する。それで十分だったが敵は他の味方からも銃撃をもらい、上半身を肉片に変えて消滅した。いいペースだ、とハンスは呟く。一つの目標に狙いが集まると言う事は、それだけ敵の戦意が消失していると言う事だ。敵は順調に減っている、そう思えた。
KABOOOOOOOOM!
突如それは警戒していなかった左側から聞こえてきた。少尉が振り返ればなんと、味方の陣の後方にいるはずのない敵部隊が見て取れた!高台の死角を生かして、此処まで回り込んできたのだ!
「第四分隊は後退して戦車側面を守れ!第一、第五分隊は敵をけん制しろ!近づけさせるな!」
少尉の命令で小隊が迎撃態勢を取る。が時すでに遅く、側面を曝していた戦車一両に二発の砲弾が突き刺さった!戦車の砲塔が宙を舞い、第四分隊の間近に落下する。車体の砲塔があった穴から戦闘機のアフターバーナーのように火柱が立ち、小隊をオレンジ色に染め上げた!
「第五分隊、ザラマンダーを使え!」少尉が叫ぶと第五分隊がミサイルランチャーを構え、BTに向け発射した。今回は優先誘導なので標的を見失うことなくしゃにむに突撃していく。
しかし、発射されたミサイルはBTの後方から飛来したフレシェット弾によってすべて撃墜されてしまった!撃ち落とされたミサイルがBTの前で派手な爆炎を上げてはじけ飛ぶ!無論BTには何の損傷もない。
BTの後方から別のBTがヌッと姿を現す。軽量級BTの二倍はあるであろう体は、ヤゴに似た特徴をもって背に何かを背負っている。連邦軍内で中量級BTと呼ばれているものだ。
(厄介なものを)少尉は心の中で悪態をつくが、すぐに切り替えて小隊に命令を下す。「第四分隊後退!第一、第五分隊は援護せよ!」
戦車がやられたことで突出点となった第四分隊が後退に移る。第一、第五分隊は頭を上げた敵に火力を集中することで、敵に追撃の機会を与えない。さらに方向転換を終えた戦車一両が加わり、敵に対して砲撃を開始する。
すると、銃弾を弾き飛ばしながら軽量BTが単騎で突撃してきた!ジグザグに全速力で走ることで攻撃を回避してはいるが、随伴歩兵を伴わないその動きは勇敢を通り越して無謀ともいえる動きだ。
「第五分隊、食い止めるんだ!」
ザラマンダーを構えた歩兵が一斉にミサイルを発射、しかしBTはこれを強引なドリフトで回避する。追い打ちで戦車が砲撃するが、BTはその場で跳躍!砲弾はBTのいた空間を通り過ぎて明後日の方角へ消えていった。
目の前の衝撃的な出来事に第四分隊は唖然とし、それが命取りとなった。軽量級BTはただ真上に跳躍したのではなく、放物線を描いて第四分隊の目の前に着地したのだ!慌てて逃走を図る第四分隊に、BTは無慈悲な火炎放射を浴びせかけた!
「GAAAAAAAAAAAAA!」
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」
銃撃の応酬は突如、闇をつんざく悲鳴へと変わっていた。あるものはその場に蹲り、あるものは自身に燃え移った炎から逃れようと地面を転げまわった。人体を燃料にした松明がBTの邪悪な顔を照らし出すのを見て、少尉は息をのんだ。
『ヤロウ!』
戦車が再び砲撃するもBTはこれをサイドステップで回避!姿勢を低くしてゴキブリの如く素早さで戦車に飛び乗り、その天板に砲弾をたたき込んだ!
CLAAAAAAAAAAASH!
戦車の乗員は声も出すこともなく、金属のジェットにその身を焼かれて絶命する。その様子を眺めるかのようにBTは暫し動きを止める。少尉がこのすきを見逃すことは無く、苦々しい顔で命令を下した。
「第五分隊、やれ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます