第14話 奪回 その①
ウミガラスの福音書 第四話 奪回
「ハンス軍曹、ちょっと付き合え」
朝食を済ませたハンスは午前業務に移ろうと食堂を出たところで、小隊軍曹に呼び止められた。
(また厄介事か?)
呼び止められる理由が思い当たらないハンスは露骨に嫌そうな顔になるが、小隊軍曹についてくるよう顎で示されて、渋々従うより他は無かった。ハンスを連れた小隊軍曹は駐車場へと向かい玄関前で立ち止まった。そこには二人のほかには非番の兵士が数人いるくらいで、辺りはしんと静まり返っている。
(新しいタイプの厄介事だな)
なぜか最初から罰を受ける前提のハンス。この何もない場所で一体何が始まるのか、ハンスには見当もつかなかったので一番可能性のある選択肢を想定していたのだ。
幹線道路から、一台のバスが駐車場へと進入してきた。バスは玄関前に停車するとドアを開き、基地からの乗客を待ち受ける。非番の兵士たちが次々とバスに乗り込むのを見ている軍曹だったが、自分は乗り込もうとはせず、ただ腕組みして立っているだけだった。
「?」
先が読めない軍曹をハンスは訝しむも、その疑問はすぐに消し飛んだ。バスの中から、一人の兵士が下りてきたと同時に、軍曹が姿勢を正したからだ。どうやら目の前の人物を迎えることが、自分の呼ばれた理由らしい。
「やあ、出迎えご苦労」
兵士が二人に向かって挨拶する。その声は中性的で、男か女かどちらなのか判別するのは難しかった。ハンスは目の前の人物をつま先からてっぺんまで眺める。黒い髪をショートボブにして、サングラスをかけている。細くしなやかな指は若干小麦色をしていて、大人の色気を醸し出していた。
それだけ見れば女性で間違いなさそうだが、その顔に浮かぶ笑顔、そう、その顔に浮かんだニヒルな笑みが、全ての女性らしさをぶち壊し、ハンスが特定することを拒んでいた。いったいこの人物は何者なのか、自分とどう関係するのか、ハンスの疑問が尽きることは無かった。
「えっと…軍曹この方は…」
「ハンス軍曹、此方はジョルジア・ドゥランテ伍長。お前の分隊の副長を務める事になった。」
「そういうことだ、よろしく」
ジョルジアと呼ばれた人物は気を付けの態勢も取らずに敬礼する。それに対し、ハンスたちは正しい姿勢で敬礼を返す。パイロット上がりのハンスはあまり気にしなかったが、小隊軍曹は明らかに気分を害した様子だった。伍長でありながらこの態度、実に謎の多い人物だ。
そもそも、なぜ我々は伍長を迎えるなんて事をしているのだろうか。ハンスは内心、首を傾げる。将校ならばともかく、下士官を迎えるなんて変な話だ。自分ですら出迎えの一つもなかったというのに、一体この人物の何が特別なのだろう。
「おお、来たか」
背後から聞こえた声にハンスたちが振り返る。少尉が手を振りながらこちらに近づいてくるのが目に入った。少尉は軍曹とハンスの間を抜けると、ジョルジアの肩に手を置いてやさしく微笑む。
「どこまで話した?もう名前は聞いたかな?」ハンスは静かにうなずいた。そうかと言って、少尉は嬉々として話し続ける。
「ハンス軍曹、彼女はハンブルク防衛線にも参加したベテランで、分隊の人員が不足している君のために無理を言って呼び寄せたんだ。君の任務遂行に大いに役立つだろうと思ってな。良くしてやってくれ」
ハンブルク防衛線と聞いて、ハンスは感嘆の息を漏らした。ハンブルク跡に降下した敵と迎撃に出た味方が先端を開いたことで始まった戦闘は、最終的に避難区の一部を自爆させることで終わりを迎える凄惨な戦いとなった。
戦闘での死者は七万と言われる戦いから、生きて帰った兵士とあればその実力は折り紙付きだ。そんな人物がなぜ伍長の地位に留まっているのかは疑問だが。疑惑の種はいまだ尽きなかった。
「まあ、同じ分隊員として歓迎するよ。分隊長として至らないところもあるかも知れないが、よろしく」
それだけ実力がある人物だから少尉は呼び寄せたのだろう、と納得することにしたハンスは、出来るだけ笑顔で手を差し出した。
「こちらこそ、助力が必要な時はどうぞ遠慮なく」
ジョルジア伍長はニヒルな笑みを崩さずに手を取った。お互い第一印象は悪くなさそうだ。
「では少尉、私は彼を分隊の面々の所まで…」
連れて行こうと言いかけて、ハンスは気まずい空気を感じ取った。伍長は気まずそうな笑顔になっている。
「少尉の話を聞いてなかったのかい?私は女なんだ、紛らわしくて悪いね」
「あっ…、すいません…」
消え入りそうな声でハンスが謝罪する。一体何度目だ、こういうやらかしは、と思った。少尉は困り笑いで頭を掻き、軍曹は静かに目を閉じる。微妙になった空気の中で、ハンスは自分の愚かさを呪った。
ジョルジア伍長と二人になったハンスは、彼女と他の分隊員の顔合わせを済ませるために、武器庫へ向かった。武器庫では、部下たち三人がそれぞれの武器を手入れしていた。三人はハンスたちに気が付くと、手を止めてこちらに注目する。
分隊の一人マリーはジョルジアに気付くと、片頬を上げて笑った。ジョルジアと似てはいるが、ジョルジアの方がどことなく威圧するような感じがする、とハンスは思った。
「おやおやぁ?彼女持ちだったとは知らなかったよ隊長。隊長も、なかなか隅に置けないねぇ」
なんで女だと分かったのか、無意識に質問しようとしてハンスは口を閉じた。流石に学習したのだろう。変わってジョルジア伍長が、ニヒルな笑みを崩すことなく話し始める。
「おやおや軍曹、所帯持ちとは知らなかった。ちんちくりんの割にませたガキだねぇ、躾がなってないんじゃあないかい?」
言葉の中に、若干棘を含ませてマリーに投げかける。伍長と口論になったらハンスに勝ち目は無さそうだ。
「ちっ、ちんちくりん…!」
「下らんことで張り合うな。…軍曹、この方は一体何方ですか?」
白鳥がマリーを制する。ハンスは少尉や小隊軍曹に言われたことを繰り返した。ハンブルク防衛線のくだりを聞いて、マリーと白鳥が感心した素振りを見せる。
「あの激戦から生き延びるなんて、大したもんじゃないか」
「すごい人が来ましたね軍曹」
「ああ、俺が一番驚いていると思う」
「………」
「よせやい、照れるじゃないか」
口ではそう言っているが、常に笑顔を崩さないため本当にそう思っているのかは判然としなかった。再び笑顔になったマリーが、懲りずにまた何か喋り出した。
「しっかし、これが第六分隊初のまともな陸軍兵士じゃないか?普通の兵士のはずなのに、この中だと浮いてるな。年齢的にも」反撃のつもりだろうが、ジョルジアは肩をすくめるだけで全く効いた様子はない。
「あたしもこんなかわいい子ばかりだとは思わなかったよ。特にアンタ、今まで見た兵士の中で一番幼いね」そう言うと少し見下した顔になるジョルジア。ムムムとマリーが唸った。どうやら勝敗は決したようだ。
「…いちいち腹立つな」
「お互いにねぇ」
ハンスは咳払いすると、場を締めにかかる。正直なところ、いつまでもこの空間を維持したくないというのが本音だった。いつになってもこういう場面に弱いのがハンスの数多ある弱点の一つでもあるからだ。
「では顔合わせも済んだことだし、伍長は部屋に行って荷物を整理するように。誰か…」「じゃあアンタ、部屋まで案内してよ」
ジョルジアはそう言ってブレンダの手を掴むと、廊下へと向かった。二人が見えなくなった所で、マリーは白鳥に向かって不満を露にする。
「何だよあの女。ちんちくりんだの幼いだの、一言余計なんだよ!」
「お前が始めた事だろうが、上官に対する姿勢がなっていないとは思わんのか?」
「たとえ上級大将にだって、俺は遠慮しない!」
「…一生やってろ」
白鳥が難しい顔になって頭を振る。ハンスも不安げな顔になった。この二人が言い合っているところを想像するだけで、胃が痛くなってくるようだった。
「頼みますよ。あれが損なわれると計画に重大な欠陥が生じることは、貴方の方がご存知でしょう?…直接関わっていないから知らない?まぁそう言わずに…」
電話を掛けながら、リーバイ少尉は通話相手に対して何とか冷静に対処しようと努めていた。机を手で叩いて苛立ちを軽減しようと努めるも、ブリーフィングぎりぎりまで続いた交渉に、解決の道は見当たらなかった。
「あと戦車一個小隊、駄目なら歩兵でも…、…軌道上からの攻撃については十分留意しています。しかし、最近は戦域の縮小のおかげで、宙軍の防空体制も整っているではありませんか」
(だからもっと増援をよこすんだ!)内心毒づきながら、少尉は貧乏ゆすりを始めていた。時間がない。ブリーフィングまであと二分。
「…いいえ皮肉で言っているわけではありません、事実を申しているだけです。…思惑?…私はただの少尉ですよ。権力争い等というものからは、最も遠い士官です。この計画の立案も実行も、全ては中枢の意思ですよ。私は一愛国者として…、…ええ、はい、分かりました。はぁ…失礼します…」
電話を切って、少尉は乱暴に椅子に腰かけ深いため息をつく。「…分からず屋どもめ…」少尉は机の上にある書類の一つを掴んだ。
今回の作戦…、任務の性格上人数を減らして隠密性を高める方が良さそうに思えるが、場所が場所だけに火力を削ることはかなわない。今の戦力ではどっちにしても中途半端だ。それゆえ司令部にも取り合ったが、さらなる増援は望めなかった。
少尉は書類を置いて、頭の後ろで手を組む。いっそのこと最低限の部隊で隠密行動をとるか。いや、それでもしもの事があれば、取り返しのつかない事態になる可能性が高い。どうしたものか。
「少尉、中尉殿が会議室に入りました」
小隊軍曹が入室し、少尉に告げる。少尉は「すぐに行く」とだけ答えて、机の上の書類をまとめだす。身支度を整え、会議室に入るとすでに二個小隊の兵士たちが集結していた。少尉が席に着くと、もう一人の小隊長のロバート中尉が話しかけてきた。
「こっちは駄目だった。そちらは?」
「何とも…これがこの任務に最も適した編成とのことです」
「司令部は消極的すぎるな。人類最後の希望を見捨てるつもりなのか?」
「大方自分の地位を守る以上の関心は無いのでしょう。最近は任務の成否よりも被害を散さく押さえる事の方が、出世において重要視されているようですから」
「…先が思いやられるな。その栄華も、人類が滅びた後には何の価値もないというのに」中尉が溜息をつく。少尉はいたずらっぽい笑みを浮かべて肩をすくめる。
「子孫の未来より自分の享楽ですよ。おっと…」周囲が静かになってきたところで二人は居住まいを正す。小隊軍曹が咳払いした。
「全員そろったようだな。では、ブリーフィングを開始する」小隊軍曹が切り出すと、背後のスクリーンに地図が映し出された。
「今回の任務は対象の護衛だ。対象はこの標準仕様のトラック。貨物に関しては機密扱い故言及することは出来ないが、知らなくても特に問題は無い。安全なものだ。我々はここ、シュヴェットの西に展開し、護衛対象と合流。護衛を引き継いでベルリンへ帰還する」
地図上にシュヴェット西の高台がクローズアップされる。高台には多数のクレーターが形成されていて、陣地を形成するにはもってこいだろう。
「なお、護衛対象は敵本拠地近くを通過しなければこちらに来られないため、敵の追撃部隊との交戦の可能性がある。そのため、今回は歩兵二個小隊と戦車一個小隊での作戦となる。指揮官はロバート中尉、次席はリーバイ少尉が務める。何か質問は?…では中尉、何かありましたら…」
「いや、無い」
「では解散、各自持ち場に急げ」
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