第13話 虜囚 その⑤

退屈な砂漠の風景が続く中、ハンスは疲労困憊の状態で運転を続けていた。目蓋が重い。車内にはハンスのほかに動くものは無く、運転を代わってもらえそうな人物はいない。最も、免許も持っていない彼女らに代わってもらおうとは思わないが。


 グロッキー状態になりながらも、ハンスはハンドルを握り続ける。どこかで一息付けたいと思っても、生憎この荒れ果てた大地にサービスエリアは存在しない。安全地帯まであと少し、今度は敵に見つからないようにしなければ。


BANG!


 突然の銃声で、ハンスは覚醒する。「全員降りろ!」と叫んでまだ眠っているマリーを引きずり下ろす。二人はハンスが叫ぶより早く車外に飛び出し、地面に伏せて敵を探し始める。


「いってぇ…」地面に叩きつけられた痛みでマリーが目を覚ます。ハンスは気にも留めずに撃ってきた相手を探し続けた。


(いたな)


 ハンスたちの前方三百メートルの岩場に、数人が隠れているのを確認する。悪党たちとは違い、むやみに全身を曝したりはしないプロの動きだ。正規兵で敵対勢力と言えば、当て嵌まるのは一つしかない。ハンスの額を冷や汗が流れる。


 武器は少なく、部下は疲れている、こんな状態でどうやって蟲どもと渡り合えと言うのだ。切迫したハンスに、隠れていた人物が大声で話しかける。何事かと思いつつ、ハンスは油断なく銃を構え続けた。


「警告する!こちらは連邦陸軍第二五五歩兵大隊である!諸君らは作戦行動中の我が隊に異常接近し、任務遂行の障害となっている。武器を捨てて投降し、諸君らの目的を明らかにせよ!」


 ハッとしてハンスは銃を下ろす。警告を発した声が、自分に聞き覚えのあるものだったからだ。確かあの声は、第三分隊隊長のサンダース軍曹だった筈だ。敵の偽装という可能性も考慮して、ハンスは地に伏したまま、岩陰の人物に対話を試みる。


「その声、サンダース軍曹か!」


「もしかして、ハンスか!?」


 間違いない。ハンスは武器を置いて、両手を上げながらゆっくりと歩み寄る。サンダースはハンスのアイコンを確認すると、武器を下ろして駆け寄り、ハンスに抱きついた。


「ハッハッハッ!よく自力で離脱できたな、ビックリだ!」


 二人の様子を見て、第三分隊と第六分隊、双方の兵士が遮蔽から身を出して互いに近付いてくる。ハンスは安堵感で倒れ込みそうになり、何とかサンダースに支えてもらった。


「運が良かったよ。盗賊に捕まったんだが、そのアジトが襲われている隙に脱出したんだ。今回ばかりは、蟲どもに感謝しなくちゃな。あんたはどうして此処に?」


「おいおい水臭いぞ。戦友を探すのに理由なんていらない。そうだろ?追撃してきた敵を追っ払うのに随分手こずっちまったせいで、あんまり役に立たなかったがな」


 サンダースはハンスを立たせると、少尉に連絡を入れ始めた。丘の裏から第三分隊の装甲車二台が近付いてきて、第三分隊の隊員たちはマリー達に先に乗るよう促す。三人も疲労で足取りがおぼつかないものの、休んだ分ハンスよりは元気だった。


「いや~~、お嬢ちゃん達も無事で何より。本当に一人もかけずに、…うわ、お前血だらけだぞ!大丈夫か?!」


「…問題ありません」


 第六分隊は二台の装甲車に分かれて乗り込むことになった。ブレンダはハンスと同じ車両に乗り込もうとするが、既にマリーが狸寝入りを決め込んでいることに気付いて、表情を曇らせる。


「あの…」「………」


 めげずにもう一度話しかける。


「すいません…」「………ぐぅ」


 ブレンダはハンスの方に視線を合わせるも、マリーがハンスの腕をがっしり掴んでいるのでハンスは動くことが出来なかった。ハンスは無言で首を横に振る。


「………」「おい、こっちだ」


 白鳥がもう一方の車両に片足を乗せながらブレンダに呼びかける。ブレンダは仕方ないと諦め、白鳥の指示に従った。揉めないためにも離れて座ろうとするが、何故か第三分隊の隊員が二人を固めて座らせた。


 ブレンダと白鳥は気まずさから、俯いたまま沈黙を貫き続けた。第三分隊の隊員も疲れているのか口数は控えめだ。全員が乗り込んだことを確認して、装甲車は静かに走り出す。静まりかえった車内には、車体が跳ねるような揺れがひたすら繰り返されていた。


「さっきは…すまなかった」


 白鳥が言葉を探り探り話し始めると、ブレンダは顔を上げて白鳥の方を見やった。白鳥の表情からは疲労と反省の色が見て取れ、若干やつれているようにも感じられた。


「一丁前に文句ばかり垂れて、その癖文句を言った相手に二度も助けられた。私は…、自分が情けなくてたまらないよ」


 ブレンダは何か言いかけるも、すぐに口をつぐんだ。今はただ話を聞く方が良いと思ったからだ。他の兵士たちも聞こえないふりをした。白鳥はたどたどしく言葉を続ける。


「…囮の役を買ってでた時、…君が一人で耐えていた恐怖に漸く気が付いたんだ。自分が当事者にならないと分からないなんて…ひどい愚か者だよな…」はぁ、とため息を漏らし、白鳥はブレンダの目を見て続ける。


「許してほしいとは言わない…。だが、これからも私達は分隊としてやっていけるのかな…それだけ教えてくれないか。…本当にすまなかった」


 白鳥が頭を下げる。ブレンダは何も言わずに唯々黙って見つめているだけだった。やはり駄目かと、苦笑いする白鳥。そりゃそうだ。人の苦労も顧みずに文句を言う奴だなんて、出来る限り避けたいと思う筈だ。自分だって―「マリーさんには、お互い苦労掛けましたね」


 予想しなかった言葉に、白鳥が顔を上げる。ブレンダは顔を伏せたままだったが、時折此方を見る視線に軽蔑や侮蔑は感じられなかった。


「別に気にしてはいません。私は誰かが死ぬのを見たくない、それだけを考えています。ただ、そのせいで自分がやりすぎてしまうことを考慮していませんでした。申し訳ありません。」

 

 ブレンダは言い終えると、目を閉じて会話が終わったことを示す。拒絶というよりは、気にしなくていいというアピールだった。こんな自分を気遣うブレンダの姿勢に、白鳥は感銘を受ける。


 なんという女だろう。彼女には、何としてでも仲間を守るという確固たる精神と、それに見合うだけの実力を持っている。そして自分と異なる考えに対する寛容さまで。それに比べて自分は…何か彼女にかなうものが一つでもあるのだろうか。自分には…


「…私は、もっと強くなる」


 白鳥が強い口調で告げる。飾り気のないありふれた言葉でも、その声に迷いは一切感じられない。


「白鳥さん…」


「強くなって、お前が担いでいる重荷を少しでも軽くできるように努力するよ。約束する!」


 白鳥はそう告げると、窓の向こうの流れていく風景に目を移した。今日が終わりではない。理不尽な現実は明日も明後日も、自分たちを手にかけるために牙をむいてくる。困難に立ち向かう時、ブレンダや軍曹だけに重荷を背負わせる事など、到底出来ない。自分も共に背負えるようにならなくては。必ず…


『丸く収まったようで安心したよ、白鳥くぅん♪ブレンダわりぃな、そこの石頭が迷惑かけちまって。』


 いつから聞いていたのか、マリーのおちょくるような台詞がインカムを通して二人の耳に届く。無反応のブレンダに対し、白鳥が顔を真っ赤にする。


「おまえっ…、いつから…!」


『それにしてもベタな口説き文句だな。親友ながら情けないぜ。〔私はもっと強くなる。キリッ!〕だってよ!HAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!』


 白鳥とマリーがギャーギャー言い合っている間、ブレンダは無言のままだった。気まずい空気が解けたせいか、第三分隊の兵士達も雑談に花を咲かし始める。遠くには、懐かしの地上ゲートの明かりが見えてきた。


『あっ、そうだ。こんだけ迷惑掛けたんだから白鳥くぅん、何かお詫びがあって然るべきだよなぁ?』


「ぐっ…、それは分かるが、今おまえに言われるとすごくムカつく!」


『隊長も来るかい?』


『いや、私は…』


「軍曹!」


(…ふふっ…)


 白鳥とマリーの喧しい言い合いが続く中、マリーは静かに微笑んだ。




「だから言ったんだ…照明なんか付けたら目立つって…それなのに、クソッ…!」


 捕らえられた仲間の一人が、蟲どもに引きずられながらぶつくさ文句を言っているのを男は黙って聞いていた。男の周囲には他に二十人程生き残りが集められて、ただ次の指示がなされるのをじっと待っている。


 すでに空は朝焼けに染まって、あれだけ酷かった火の手もすっかり収まっていた。男は周囲をぐるりと眺め、自分たちを取り囲む蟲どもに注視する。蟲どもは相変わらず押し黙ったままで、いったい自分たちをどうしたいのか全く判断がつかない。


(どうしてこうなるんだ)


 絶体絶命の危機の中、男は自らの人生の不幸を嘆く。避難区で真面目に生きてきたのに、他人の策略にはまって安全な家を後にせざるを得なかった男は、散々にさまよった挙句、このカルト教団に拾われることとなった。


 そこでの苦役に耐え、頭領の理不尽な仕打ちにも従い、やっと認められてきたところでこの災厄に見舞われた。上手くいきかけたと思ったら不可抗力で全てがおじゃんになる、それが自分の人生だった。


 きっと自分は、不幸の星の下にでも生まれたのだろう。あまりの不運さに、男は思わず自嘲する。

 

 相変わらず蟲どもに動きは無い。男はすぐに殺されるものだと思っていたが、蟲どもは箱から何かを取り出し、それを男たちに分配した。正体不明の物体に男は戦々恐々し、恐る恐る封を開ける。包みからは、何やら旨そうなにおいがした。

 

 男は慎重に物体を口の中に運び、噛み締めるようにゆっくり咀嚼する。口の中にやさしい甘さが広がった。久し振りに食べた上等な菓子を前に、男は思わず笑みを漏らす。

 

 我慢できずに男はもう一つもらった瓶を開けて、中の液体を口に流し込む。懐かしい気怠さにも似た感覚が、男の脳を包み込んだ。こっちは久し振りの上物の酒だった。カルト教団に来てからまともな食料にありつけていない男にとって、それは何よりのサプライズだった。

 

 男は上物の菓子と酒を腹に収めると、少し満ち足りた気分となった。蟲どもはその間何をやっているのかと思えば、何と、此方に敬礼しているではないか。蟲どもの中で装飾を施した服装の奴が連中の言葉で何かを言っている。これから人を殺す者の行為とは到底考えられなかった。

 

(俺たちを神か何かと勘違いしているんじゃないか?)


 蟲どもの不可解な行動に、男は淡い希望を抱くようになった。成る程、自分たちを保護する対象として扱っているとすれば、この扱いにも納得がいくという者だ。人類を大きく上回る科学を持った集団が、未だに熱烈な宗教家であるというのは聊か苦しい仮定ではあるが、蟲の考える事なんて分かる筈もない。


 これは、このままカルトに居続けるよりいい思いが出来るかもしれん。自分の妄想に男は有頂天になる。今までツキがなかった分が、今になって帰ってきたのだと本気で信じ始めた。


 だがその淡い希望は、すぐにも打ち砕かれる事となる。


 男の隣にいた仲間が突然、何の前触れもなく倒れ込む。仲間たちは騒然となるがすぐに静寂へと変わっていった。騒ぎ出した連中も一人、また一人と倒れていき、ついに立っている者は一人もいなくなってしまった。


(やっぱり…世の中そんなに甘くないよな)


 薄れゆく意識の中、男は判然としない頭で蟲どもが何をやっていたのかを悟った。渡された菓子と酒。軍隊にふさわしくない派手な装飾の奴がぶつぶつと何かを読み上げる光景。それはまさに、死刑執行の為の儀式に他ならなかった。


 男達は眠るように穏やかに、ゆっくりと死んでいった。異星人たちの彼らに対する敬礼は、最後の一人が動かなくなるまで続いた。




 基地に帰還して数時間後、皆が寝静まった部屋の中でブレンダは一人、うなされていた。耐えきれずに起き上がると、部屋の中はおろか廊下からも物音一つ聞こえない状況に、ブレンダは身震いする。時刻は午前二時、起床にはまだまだ早かった。


 ブレンダは落ち着こうと洗面所に向かう。蛇口をひねって水を出し、シンクに両手をついた。不意に、髪に違和感が生じる。前髪を濡らし、濡らした手を確かめる。血が付いていた。動揺するブレンダの額を、水で薄まった血が流れ落ちる。


 洗い残しでもあったのだろうか。そんなまさかと思いつつ、手で水をすくって血を洗い流そうとする。洗い残しだと思っていた血が落ちることは無く、それどころかさらにその量を増していく。洗えば洗うほど血は滴り、ついにはマスクを真っ赤に染め上げた。


 もはや洗い残しというレベルではない、髪全体が血で汚れていないとおかしな量だ。それでも洗い続ける。シンクにも血が溜まっていく。呼吸が荒くなり心臓が早なった。ブレンダは手を止める。血溜まりに映る自分の顔が、邪悪な笑みを浮かべた気がした。


 乱暴に水面を払うブレンダ。そこには血も顔も消え失せて、ただ透明できれいな水だけが存在した。……寝よう。水を止めて、ブレンダは部屋へと戻る。


 布団に入り、ブレンダは深く息を吐いた。頭の中で、白鳥が言っていたことを反芻する。別に、白鳥のことをまだ根に持っているとかそういった話ではない。むしろ自分のやり方が行き過ぎているという指摘も尤もだと思う。改めるべき悪行であることは間違いない。


 だが、本当にそれで大丈夫なのか?ブレンダは自分の中にある不安を拭い切れなかった。

手を抜いている場合か?


 思い出すのはいつもの故郷。寒い冬、雪原の中での記憶。あの日、無力な自分がどうなったのかを、脳は今でも記憶している。自分への教訓とするため。


(敵に情けをかけてやる必要が、本当にあるのか?)


 ブレンダは頭から布団をかぶり、自分が抱いた疑問を否定する。もう無力な頃の自分ではない。今では訓練を受けた兵士であり、自分の仲間たちも同じだ。自分だけが、一人で全て片付ける必要はない。そうだ、そうだとも。軍隊は、集団で物事に対処する組織だ。


(本当に、それで大丈夫か?)


「………」


 ブレンダは布団から頭を出し、力なく天井を見つめる。駄目だ、逃げることは出来ない。最善を尽くさなくて、誰かを失うことになるのだけは御免だ。やはり自分が、自分が出来ることを全てやり切るしかない。


 誰かに頼るなんて、当てにならない事はしたくない


 つうっと、ブレンダの目から涙が流れる。自分の目から涙があふれ出す理由がブレンダには分からなかった。正しい事をしているはずだ、為すべき事を。それでも、自分を肯定するような気分に、ブレンダはなれなかった。


 咄嗟に、マスクの音声機能をオフにする。嗚咽となって表れるはずだった息が、荒い呼吸となって発される。ブレンダは布団に蹲りながら咽び泣く。叫びたかった。心の底から叫びたい気分だった。出来る事ならば。


(……儘ならんねぇ……)


 ブレンダから背を向けて様子を伺っていたマリーは、やがて力尽きたのか、静かに目を閉じた。

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