第12話 虜囚 その④

ハンスはこちらに背を抜けている男に忍び寄ると、バッと羽交い絞めにして首元にナイフを突き立てる。此処までで始末したのは計五人。大分手馴れてきたらしく、今では一撃で倒すことが可能となった。


 ハンスは使われていないであろう部屋まで男を引きずり、入り口から目立たないところでナイフを引き抜いた。こうすれば、目立つ場所に痕跡を残すことなく始末できる。男の持ち物を漁り、必要な装備を補充する。あまり多くは無いが、襲撃を繰り返したことでいくらかましな装備になってきた。


(もう少しで階段だな)


 部屋の出口から頭を覗かせ、周囲を確認する。他に敵はいなさそうだ。ハンスは廊下へと滑り出て、慎重に歩を進める。急がなくては。ハンスは勝手に自分が二人を解体することになると思っていたが、よく考えれば悪党どもが食べつくした残りを処理させられる可能性もある。ハンスの背中を、いやな汗が流れた。


 少し進んだところでハンスは立ち止まり、屈んで身を潜めた。曲がり角に人影がちらついたのが目に入ったからだ。ゆっくりと近づいて、ナイフを構える。


 人影はすぐに見えなくなるも移動した形跡はなく、壁に張り付いて息を待ち伏せている事をハンスは直感した。不味いな。まだ上階にも達していない段階で騒ぎを起こすのは得策とは言えない。だが他に迂回する道はなく、やり過ごすことは不可能だろう。


(行くしかない、か)


 ハンスが決心したその時、相手の方が一瞬動き出すのが早かった!暗がりから、三人の兵士がハンスの前へ躍り出る!先陣を務める血濡れの兵士の手には斧が握られていて、一撃でハンスの頭を叩き割ろうと斧を振りかぶる!


 ハンスも負けじと飛び掛かろうとするが、兵士たちの見覚えのある装備を見てナイフを引っ込めた。


「待て、皆!俺だ俺だ!」


 

ハンスの額数ミリといった所で斧が止まった。ハンスはマスクを外して自分が何者であるかをアピールする。


「誰だお前!ブレンダ、やっちまえ!」


「…無事でよかったよ」


「隊長、回収しておいた装備です」


「ありがとう」


 突っ込み不在の中ハンスは自分のアーマーを装着し、その間ブレンダが施設についての説明を行う。説明を聞きながら、ハンスは頭の中で脱出経路を組み立てた。状況から判断するに、ブレンダが使用した裏口を目指すルートが良さそうだ。


「よし…大体分かった。マリー、一番前だ。ポイントマンを務めてくれ。ブレンダは二番目で、案内役を頼む。白鳥は一番後ろで後衛だ」


 ハンスの指示通り、四人は一列になって廊下を進んでいく。道中の見張りは三人が倒してしまったので、裏口に入る通路までは特に何もなく到達することが出来た。


 進みながら、ハンスは通路の状態を確認する。通路の左右は部屋になっているが、ほとんどは閉鎖されていて中に入ることは出来ない。もしここで先頭になれば、敵の射線に身をさらしながら戦う羽目になる。


 だが、そんな心配をする必要はもうないだろう。出口は目の前だし敵は一人も出てこない。もう少しで脱出出来る。


「もう少しだ!」焦ったマリーが出口を目指して走り出した。「待て!」とハンスが制するもマリーはどんどん進んで行ってしまい、ついに曲がり角のところで見えなくなった。


「アイツぅ…!」


「どうします、隊長」


「…追いかけるしかないだろ」


 三人は慎重に、しかし急いでマリーの後を追う。だが、曲がり角まであと十メートルといった所でマリーが引き返してきた。後ろに十人ほどの追っ手を連れて…


「うおおおおおおおお!逃げろおおおお!」


 血相抱えて走ってくるマリーを見て、三人も一斉に回れ右して元来た道を引き返す。マリーを援護するため賊の足止めをしよう等という者は、一人もいなかった。


「だから待てと言ったんだ!」


「待ち伏せされてたんだよおお!」


「待ち伏せ!?」


 どうやら脱出がばれていたらしい。後ろから銃声がして、幾つかの弾丸がハンスたちに襲い掛かる!四人はガラクタの裏に隠れるも、賊は射撃の手をゆるませることは無く、遮蔽物のガラクタは長く持ちそうにない。此処にいつまでもいるわけにはいかなそうだ。


「マリー、手榴弾だ!」


 マリーは頷き、手榴弾のピンを抜いてタイミングを計る。


(いち、にの…さん!)


 タイミングを合わせて投げられて手榴弾は、賊の元に到着した瞬間に爆発し、五人の哀れな悪党を粉々に吹き飛ばす!その隙に四人は移動し始めるも、賊の数は減らないどころかはじめよりも増えていて、勢いを落とすことなく追撃を続ける。


(何人いるんだ!)ハンスが毒づく。ハンスたちは交互に立ち止まって攻撃して三人倒したが、このままでは追い付かれてしまうだろう。


 賊は走りながら銃を乱射してくるので、照準がぶれて弾が当たりにくいことがせめてもの救いだった。賊の放った一発の銃弾が、マリーの顔のすぐ横を飛んでいく。


「ぐっ…いい気になるなよ!」


 腹立ちまぎれにブレンダは拳銃を取り出し、走りながら後ろに向かって乱射する。


BANG!BANG!BANG!


 配管の一つに銃弾が命中し、中を通っていた可燃性ガスが周囲に燃え広がる。集団の先頭を行く賊は燃え広がる炎に反応が遅れ、一瞬で炎に包まれた。あとには炎の壁が残り、賊は追撃を諦めざるを得なかった。


「…こっちの出口は使えんな」


「問題ありません。裏口は他にもあります」


 ブレンダはハンスのゴーグルに地図を表示して、一つ上の階にある裏口への道を示した。前から迫ってくる賊を制圧し、四人は一つ上の階に入る階段に差し掛かる。ハンスたちが階段を登り切ったその時、空気を切り裂く金切り音が鳴り響いて、四人はいきなり機関銃の洗礼を受けた!


DODODODODODODODODODODODODODO!!


 四人は二手に分かれてハンスとマリーが左の部屋、ブレンダと白鳥が右の部屋に入る。四人は機関銃の制圧射撃でその場に釘付けにされ、頭を出すことも不可能だ。


 リロードのために機関銃の制圧射撃が途絶える。(しめた!)と白鳥がロケットランチャーを構えながら通路に飛び出していった。だがそれは敵の罠で、白鳥の足元には手榴弾が一つ、鈍い光を放って転がっていた。


「しまっ…」


 白鳥が死を覚悟する。瞬間、ブレンダは手榴弾をつかみ取り、賊の下へ投げ返した!手榴弾は直線を描いて飛来し、持ち主の所で炸裂する!


CLAAAAAAAAASH!


 バリケード近くにいた賊は半身を吹き飛ばされて、壁際まで薙ぎ払われた!賊が突然のことに動揺している間に、ブレンダが煙の中を突っ切って悪党の下へと肉薄する。バリケードの上に陣取ったブレンダは賊の生き残りに機関銃を向け、撃ち尽くすまで掃射した!


BABABABABBABABABABA!


 電気のこぎりのような音が通路に響き渡り、生き残りはその体をトマトジュースに変えて消滅する!逃げ出す者、泣き叫ぶ者、その場に蹲る者。全て者をブレンダは区別なく、無へと帰していく。その目には、躊躇など微塵も感じられない。


BABABABABABABBABABABABABABABA!


 賊の一人がブレンダの足元に迫るも、遅れてやってきたハンスが賊から奪ったショットガンを突き付け、立て続けに散弾をお見舞いする!


BASH!BASH!BASH!


 賊の頭は熟れ過ぎた果実の如く飛散し、後には目玉が二つ転がっていた。生き残りの最後の一人が躓きながら逃走を図るも、その背中にマリーの容赦ない追い打ちが入る。一通り戦闘が終わると、ハンスは全員の無事を確認した。


「三人とも無事か?!」


「はい」


「見ての通り傷一つついてねぇ」


「……っ……」


「白鳥?」


 白鳥は自分の不甲斐なさに歯ぎしりする。さっき散々罵倒した相手に守られるなんて…。それは彼女のプライドというよりはポリシーに反する行為だ。実力のない者の批判など、何の価値もありはしない。現実を見ない理想主義者は、白鳥の最も嫌うところだった。


 白鳥はロケットランチャーを収縮すると、三人の後を追う。失態を取り返さなくては。大口をたたいた以上、引き下がるという選択肢は存在しない。退路は自分の手で閉ざしてしまったのだから。




 ハンスたちを追跡する賊はさらにその数を増す。銃弾が交錯する中、ハンスたちは満足な反撃も出来ずに追っ手から逃げ回っていた。ガスが通るパイプを破裂させて火炎で撃退し、グレネードで前衛を吹き飛ばすことで時間を稼ぐことは出来るも、賊はそれ以上に数を増やし、より濃密な弾幕を形成する。


「隊長、目的の出口から離れすぎています」ブレンダが機関銃を掃射しながら訴えかける。近づいてきた賊の一人を、手に持った斧で両断する。


「分かっている!しかしあの防衛線の突破は困難だ!別のルートは?!」ハンスが若干食い気味に答える。流石の第六分隊も機関銃二艇に守られた陣地を突破することは不可能だったのだ。


「このエリアは私にもよく分かりません」と、ブレンダ。肉薄する賊の足を機関銃で解体し、その頭を踏み潰す。賊の一部が、若干怯んだ。


「くそ、とにかく進め!包囲網の穴を探し出すぞ!」


 ハンスたちは次第に追い詰められ、自分で進行方向を決めることすら危うくなっていく。誘導されているとハンスは頭の中で分かっていたが、従うより他は無く、徐々に裏口から遠ざかって、ある階段の前まで撤退を余儀なくされた。


「…ここを上がるぞ」


「おい隊長!ここは…」


「ほかに道は無い」ハンスが先陣を切って階段を駆け上がる。「急げ!」


 こうしている間にも、追っ手は自分たちが築いたバリケードを乗り越え、じりじりと接近してくる。三人はハンスに続いて階段を駆け上がり、出口である正面ゲートを目指す。ゲートの操作盤を操作し、二重ドアを開放する。ハンスはこの行動に一縷の望みをかけるが、その希望はもろくも崩れ去った。


 正面ゲート前にはすでに数十人はいるであろう賊が待機していた。遮蔽物から覗く銃身は数え切れず、槍衾のようである。さらに正面ゲートを取り囲むように置かれたコンテナの上から、重機関銃で狙いを付けるものが十人程いた。この数相手では、たとえ装甲車があったとしても突破は困難だ。


 忌々しそうにハンスは外の包囲網を睨む。四面楚歌。逃げ道は見当たらない。敷地中央に築かれた電波塔から、ハンスを踏みつけた男が叫んでいた。


「我々の平穏を脅かす、心悪しき者共がようやく姿を現したか!主の子らよ、恐れず剣を構えよ!汝らの持つ剣によって心悪しき者を、主を試みる者の下へ送り返すのだ!」


 その言葉を耳にし、僅かな動きも見逃すまいと、賊は目を皿のようにしてゲート前を睨みつける。階下からも多数の賊の気配が蠢いている。障害物のない階段で対峙するには、あまりに強大すぎる敵。


 上と下から真綿で締め上げられるようにプレッシャーをかけられながら、ハンスは必死に反撃の術を考えていた。ゲートに逃げ込んだことで攻撃を避けることには成功したが、このままでは上と下から同時に挟撃され、確実に殲滅される。


 ある筈だ、この場面を切り抜けられる一発逆転の妙案が。だがハンスの頭の中には、何も思い浮かばなかった。此処には反撃のためのピースが絶対的に足りていない。悪党共の実力を過小評価していた自分を、ハンスは恨めしく思った。もう、俺たちに残された手段は、此処で雄々しく戦い散ることだけだ。


「軍曹、私ならば上の連中を押さえることが出来ると思います。その間に脱出できませんか。」


 後ろから肩を叩かれてハンスは振り返ると、自分の残りのグレネードを手渡しながら白鳥がそう告げた。提案の形を取ってはいるが、その口調は反論を許さない断固とした決意に満ち溢れたものだった。


「しかし、どうやって?」ハンスが問いただすと、白鳥はゲート前の中央にある電波塔を指差して言った。


「敵の頭目が立っている塔がありますよね。あそこから多くのケーブルが伸びて照明と繋がっていますので、あそこを攻撃すれば塔の倒壊や照明が切れることで時間を稼げるでしょう。その間に、軍曹はこのグレネードを使って階下の敵を怯ませ、その隙に脱出してください」


 白鳥はすでにロケットランチャーを展開して準備万端だった。しかし、ハンスはこの提案をすぐに了承することは出来なかった。


 この作戦の成功率は恐ろしく低く、通常の作戦であれば賭けるに値しない成功率だ。それに、誰かが囮にならなければ成功しない。誰かが囮に。それが一番の懸念事項だった。だが白鳥の案に変わる逆転の術をハンスが持ち合わせていない今、それを否定することも出来ない。


 また誰かを犠牲にするのか。ハンスは頭を抱えた。しかし誰かが囮にならなければ、此処を離脱することは出来ない。塔が崩れた後も、一部の賊は向かってくるだろうからその相手をしなくてはならない。囮が生還できる確率は、限りなく零に近かった。


 畜生!心の中で悪態をつくハンス。いっそのこと俺がやってしまおうか?いや、それは駄目だ。ここを出てからも退却戦は続くし、此処で自分が死を選ぶのは指揮官に課された役目ではない。パイロットとは違うのだ。もう勝手は許されない。


(指揮官は皆、自分が殺した者の亡霊を引き連れて生きていくのだ)


(貴様のミスで全員が死ぬぞ!)


 ハンスの脳裏に小隊軍曹と少尉の言葉がよぎる。なんで俺ばっかりこんな目に遭うのだ。ハンスが苦慮している間に、ブレンダが口を開いた。


「白鳥さん、私が―」「やかましい!誰がお前に話しかけた!」


 白鳥が聞いたことのない乱暴な口調でブレンダを遮る。あまりの気迫に、ブレンダは驚き一瞬怯んだ。白鳥は乱れた呼吸を整えると、落ち着いて話し始める。


「…私にやらせてくれ。あそこまで大口を叩いた癖に、自分の覚悟を示さなくては面目が丸つぶれさ。この役目は誰かがこなさなくては皆が死ぬ大役だ。覚悟を示すには、もってこいだろう?」


 そう言って、白鳥はニッと笑う。半分冗談のつもりだったがやらねばならぬことに変わりはない。我ながら趣味と実益を兼ねた良い提案だと思う。マリーは露骨に嫌な顔になって苦言を呈す。


「おい、牢屋でのことをまだ引きずっているんなら俺は反対だぜ。戦いに余計なモンを求めているやつを、俺は信用しねぇ」


「心配しなくても、私情で判断を鈍らせたりはしてないさ。それとも、一緒に帰れないのが嫌だとかそんな理由か?」と、白鳥。マリーは明らかに動揺した態度になって否定する。


「なっ……違えよ!」そう言って顔をそむけるマリー。白鳥はその反応を見てため息をつく。


「冗談だよ…似合わねえ反応しやがって、と」改めて、白鳥はハンスを正面から見据える。ロケットランチャーを手に取って、作戦の実行を暗に求める。ハンスは自分がまたしても苦渋の決断を迫られることを自覚した。


「ロケットランチャーに関しては、私が最も精通しています。ですから軍曹、早目のご決断を」


 ハンスはただ頷いた。ただでさえ成功率が低い作戦、不確定要素を減らすためにも白鳥が囮の役を担うのが最も良い選択肢だろう。もうあまり時間もない。早く決めなくては。ハンスは苦しそうな顔になって命令する。


「分かった…、やってくれ白鳥」


 命令を受けて白鳥はただ静かに敬礼する。「では軍曹、…いずれまた」その姿に恐怖は見られなかった。


 白鳥が階段に伏せてロケットランチャーを構える。三人はその少し下に待機し、あとは白鳥がロケットを発射するだけだ。成功率は低いが、これより最善の方法は他に無い。白鳥は三人の幸運を願った。


 トリガーを引く手が震えた。白鳥は一旦トリガーから手を離し、そのまま階段に叩きつける。今更躊躇したところで遅いわ!もう一度構えなおして電波塔を狙う。あれを破壊すれば三人は裏口まで駆け出し、自分はここで敵を食い止めなくてはならない。


 自分はここで死ぬ。ハンスの前では何とか取り繕えたが、一人になった今は自分だけでこの恐怖に立ち向かは無くてはならない。白鳥は塔の上にいる頭目に注視する。しっかりしろ。三人の命は、お前の肩にかかっているんだ。


 白鳥がロケットを発射する。その直前、聞き覚えのある音が白鳥の耳に聞こえてきた。


 ヒュルヒュルヒュルという砲弾の飛翔音。それはやがて塔が爆発し、崩壊していく音へと変わった。頭目が何事か喚いていたが、その言葉はすぐに塔の下敷きとなって聞こえなくなった。

 砲撃はなおも賊に加え続けられ、事態をさらに混乱させていく。救援が来た!白鳥は最初そう考えたが、すぐにその考えを改める。それにしては変だ。人質解放が目的なのに真正面から攻撃するなんて。


「何が起きてんだ?」気が付けば、いつの間にか三人も白鳥がいたところまで移動してきている。後ろから敵は来ていないが、実に不用心だ。白鳥が苦言を呈そうとするも、すぐに思い直す。階下からもすさまじい銃撃音が聞こえる。下の敵もそれどころではないというわけか。


 ハンスは目の前の光景に釘付けになった。救出作戦?でもいったい誰が?コンテナの上から機関銃を乱射する悪党が、砲弾に吹き飛ばされるのを目撃してハンスは我に返る。こうしてはいられない。逃げるなら今がチャンスだ!


「分隊!ここから離脱するぞ、俺に続け!」いまだ寝そべったままの白鳥を引っ張り起こし、ハンスが走り出す。二人もこれに続いて銃弾飛び交う戦場へと駆け出した。


 ハンスを先頭に分隊はゲート前を突破し、敷地を突っ切った。賊は外にいる何者かとの戦闘に夢中で、誰もハンスたちに気づく素振りを見せない。


 何か使えそうなものはないか?走りながらハンスは辺りに注意を払う。壁の傍に、装飾過多の自動車が止まっていることに気が付いた。あれを使えば一気にここを離れられるかもしれない。「あの車で脱出するぞ!」


 分隊は自動車に駆け寄って乗り込もうとする。賊の一人がライフルを乱射しながら突撃してくるも、ブレンダが賊めがけて斧を投げつけ、額に斧をもらった賊は頭を真っ二つにされて絶命した。


「全員乗ったか、行くぞ!」


 ハンスは車のエンジンをかけ、正門を目指して急発進させる。正門前には抵抗を続ける悪党と、おびただしい数の蟲どもが攻勢を仕掛けているのが確認できた。突っ切るしかない。ハンスはアクセルを吹かして正門に展開する蟲どもを突破する。


 外にも多くの蟲どもが展開し、ハンスたちが乗る車に銃撃を加えてくる。行くしかないか。数体を轢き殺しつつ、車は蟲どもの隊列を突破する。後ろからも銃撃が加えられるので、常に最高速でいなくては。この車、前からの攻撃は装飾が装甲となってある程度防げるが、後ろからの攻撃にはめっぽう弱かった。


「白鳥、ブレンダ、シートから頭を出すなよ!」叫ぶハンス。突如、車の後ろで複数の爆発が発生する。敵の攻撃かとも思ったが、どうも違うらしい、助手席でマリーが、手榴弾のピンだけをくるくる回している。こいつのせいか。


「いつの間に…」感心したような、あきれたような声になるハンス。


「勝利のコツは、いかに機会を見逃さないかにあるのだよ♪」にやにや笑いながらマリーが答えた。蟲どもは諦めたのか、ハンスたちに攻撃することを辞めて今は悪党どもに攻撃を集中している。


 後方では、賊のアジトから何本もの黒煙が上がっている。蟲どもの正体は訓練を受けた正規兵で構成されているから、賊に勝ち目は万に一つもない。暫くは抵抗するだろうが、最後には嬲り殺しにされるだろう。この大地に眠る多くの者たちと同じく。


 脱出が成功したことで安堵し、ハンスは椅子に深くもたれかかる。そのまま眠りたい衝動に駆られるも、何とかこれを我慢していた。まだだ。まだ終わったわけではない。もう少し走れば安全地帯はすぐそこだ。それまでは我慢しなくては。


 横を見ると、マリーは既に眠りについていた。油断しすぎだと、ハンスは叩き起こそうとするが、考えを改める。蟲どもはあそこの制圧に手一杯だろう。自分一人が警戒するだけで充分である気がしたのだ。


 バックミラーの角度を変えて、後部座席の二人を見る。ブレンダも白鳥も疲れがたまっているのか、互いに寄りかかって眠りについている。その様子を見て、ハンスは微笑する。ツイてない一日だったが、こんなにゆったりした時間も久しぶりだった。


 ハンスは空を見上げる。雲一つない星空に、半月がゆったりと浮かんでいた。

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