第10話 虜囚 その②

ブレンダが目を覚ましたのはそれからさらに時間が経っていて、すでに夕暮れとなった頃だった。ブレンダのほかに命あるものは無く、辺りは静寂に包まれている。


(またこの展開ですか)


 ブレンダが体を起こすと、三十メートル程先に黒煙が上がっているのが見えた。あそこに装甲車があるのだろう。周りに敵がいないことを確認して、ブレンダは慎重に装甲車へと歩み寄った。その動きにさっきまで気絶していた様子はみじんも見られない。恐るべきタフネスさだ。


 隊長たちはどこに行っただろう。ブレンダは地面に残された痕跡を調べ始める。最初は装甲車の進行方向から見て右に向かうように、複数のタイヤ痕が続いているのが見て取れた。これがおそらく小隊の車列だろうとブレンダは予想した。


 タイヤ痕に交じって何かが深く突き刺さった穴が所々に開いている。これはBTの足跡だろうか。敵部隊が追撃に移ったとすれば、分隊のメンバーが回収された可能性は低い。彼らは、死んでしまっただろうか。

 

 いやな考えを振り払い、ブレンダは装甲車の調査に取り掛かる。装甲車の中に黒焦げの死体が二つ。近くの岩にもたれかかっている死体が一つある。三人かとも考えたが、どの死体も歩兵と比べて装備が軽装だ。おそらく装甲車の乗務員たちだろう。三人を気の毒に思ったが、三人でなくてよかったという安堵感を、ブレンダは禁じえなかった。

 

 続いてブレンダが着目したのは装甲車の周りを取り囲む大勢の足跡だった。歩幅が揃っていなかったり、無駄にうろうろしている足跡もあるので、連邦軍兵士のものとは思えない。かと言って、敵兵の足跡とも異なるものだった。

 

 ブレンダの脳裏に装甲車内での雑談が思い浮かんだ。これは…三人が言っていた悪党のものだろうか。足跡は丘の上まで続き、その先に小隊とは異なる車列のタイヤ痕が伸びている。

 

 どちらを辿るべきか。小隊と悪党、それぞれの車列のタイヤ痕を交互に見て、ブレンダは決めあぐねていた。少尉であれば事故現場から三人を連れて離脱できるかもしれない。その場合、叛徒共を追跡するという突拍子もない行動は無意味なものとなるだろう。

 

 しかし、足跡から見るに敵の数は一個小隊を上回る数のようだ。この数の敵相手にその場にとどまることは不可能に近い。

 

 少尉の顔を思い出して、ブレンダは片眉を吊り上げる。少尉が三人を回収できなかったとして、少尉は三人を回収するために引き返してくるだろうか。ブレンダにはあまり自信が持てなかった。ブレンダは前回の戦いで少尉がどんな人物かだいたい把握したと考えていて、その人物像に部下を助けるために部隊を危険に晒すイメージは当てはまらなかった。

 

 ブレンダは意を決し、悪党どもの車列のタイヤ痕を辿ってその根城を目指すことにした。少ない情報から判断するに、三人は悪党に連れ去られた可能性が一番高く、その場合救出が成功する可能性は格段に低くなる。最悪救出自体が行われない可能性もある。可能性として最悪の選択肢をつぶしていくのが、一番確実な方法だろう。

 

 自分一人だけ助かるという考えはまるっきり思いつかなかった。それはハンスに言われたこととは正反対の行動だったが、今は独断で判断する時だろうと心の中で言い訳した。ブレンダは時刻を確かめる。時刻は一七三〇、既に日は没して暗くなっていた。急がなくては。時刻が経てばたつほど、三人が生きている確率は減っていく。

 

 

 四十分程度歩き続けただろうか、ブレンダは丘の向こうの平野に広がる古い施設群に行きついた。施設の周りを巡回する異様な集団を目撃して、ブレンダは眉をひそめる。あの格好は意味があるのだろうか。まるでランツクネヒト(ルネサンス期ドイツに存在した傭兵集団)が現代に蘇ったようではないか。

 

 ブレンダは施設の周辺を回り、侵入経路を編み出そうとしたが、仮装集団は油断なく侵入者を警戒していて付け入る隙がない。ブレンダは施設を離れて偵察範囲を広げる。何か突破口が見いだせるかもしれないと。

 

 暫く辺りを偵察していると小さな小屋のようなものが現れた。物置にしてはコンクリート製でえらく頑丈そうだ。此処が軍の施設だとすれば、非常時に備えて複数の出入口が確保されていると思うが、あの小屋がそれなのではないか。ブレンダは僅かな可能性に賭けることにした。

 

 ゴーグルのズーム機能をオンにして、小屋とその周囲を偵察する。小屋の前には二人の見張りがいるが、ずっと前を向いているので戦わずに通り抜けるのは難しそうだ。

 

 だが、ブレンダは見張りの一人にズームして観察する。あのマスク、どうやら暗視機能の機能は持たないただのガスマスクらしい。ならば裏まで回り込んで奇襲をかければ簡単に突破することが出来そうだ。ゴーグルの倍率を元に戻して移動に入る。うん、相変わらず見張りが一人立っていて…、………ん?一人?

 

 ブレンダの後頭部に銃口が突き付けられる。跳ねのけるにはあまりに近く、うつぶせの状態では動き出す前に殺されるだろう。


「手ぇ上げろマヌケぇ」見張りの一人が命じる。


 ブレンダは素直に従った。



 十分とは言えない室内灯の明かりの下、ブレンダと見張りの二人は狭い通路を通って牢を目指す。通路は大小さまざまなパイプと配線が通っており、あくまで非常用の道であることをうかがわせる。見張りの一人が、ガラクタに躓いて転びかける。


「それにしても、戦わないで四人も捕虜が手に入るなんて今日はツイてるな♪」


 ブレンダをとらえた男が、ふらふらと歩きながら持っているライフルの銃床をパイプの支柱にぶつけ続ける。カンカンという金属音が通路に木霊する。今日の思いがけない幸運に、完全に気が緩み切っていた。


「しっかし勿体ねぇよなぁ。どんな上物捕まえてもすぐ処分しちまうなんて。知ってるかぁ、今日捕まえた捕虜に二人女がいたって話、ほんと勿体ねぇ。」男はあからさまに不機嫌な顔になる。


「でっでも、頭領が色欲は組織を駄目にする要因だって言っていたじゃないか。」


 もう一人の男がおどおどした様子で答える。敵と遭遇するのは初めてだったのか、銃を持つ手が震えていた。なんとも頼りない男だ。


「おめでてぇ野郎だなお前は。俺は知ってんだぜぇ。頭領様は生きた女が手に入ったら、その日のM・V・Pに一日与えられるのサ。そして次の日にポイ、だ。俺たち下っ端にも少しはよこせってんだ!クソ!」


 男は持っている銃で手近なパイプを殴った。ゴーンという鈍い音がパイプ内を反響して通路に響き渡る。典型的なチンピラだ。おどおどした男が話す。


「じゃっじゃあ、次は頑張ればいいじゃないか。俺も手伝うよ。」


「分かんねぇかな。生きた人間が手に入ることがまず珍しいだろうが!生きていたとしてそれが男だったら目も当てられねぇ。…おめぇもおどおどしてねぇでシャキッとしろ!そんなだからこんなことも分かんねぇんだ!」

 チンピラが通路わきに積んであるガラクタをたたき割る。ガラクタが破壊される音でおどおどした男がビクッと肩を震わせる。この新米、実に頼りない限りだ。


 ブレンダは逆転の一手を画策していた。新米は頼りなく、唯一厄介な戦力となりうるチンピラは油断しきっている。二人組の発言力はチンピラの方が高いようだし、こいつさえ対処すれば何とかなるかもしれない。


 ブレンダはマスクのスイッチの一つを起動すると、ゴーグルとヘルメットを外した。ブレンダの豊かな緑の長髪が窮屈なヘルメットから解放される。ブレンダの後ろについていた新米が「え?」と声を漏らした。


「…何してんだテメェ」


 チンピラが振り返り、疑惑のまなざしでブレンダを睨みつけるが、その目には明らかに期待の色が見える。ブレンダは俯いて上目遣いとなると、僅かに足を震わせる。


「…私、この後どうなるんですか?」


 ブレンダの声はいつもの無機質な声から一変、慈悲を乞う哀れな子羊の如くか細い声となった。いかにもひ弱な少女を思わせるブレンダの姿に、チンピラは顔を綻ばせた後、おどけた調子で答える。


「聞いてたんだろ?オメェは今日の収穫で活躍した英雄様のおもちゃにされて、次の日には捨てられるんだよ。死体になってな。」


 チンピラが下品な声で笑うと、新米がまさかという心配した目でチンピラを見つめる。ブレンダは新米の方へ振り返り、憂いを含んだ目で新米を見上げる。


「私、死にたくありません。お願い…助けてください…」


 ブレンダの濡れた子犬のような目が、新米の同情心を大きく揺さぶる。と同時に、人助けにつながるのなら、別に構わないのではないかという都合のいい言い訳が心の隅に現れる。チンピラが笑いながらブレンダの肩を掴む。


「じゃあ決まりだな。おい新米、お前も文句ねえだろぉ。こいつは人助けだ。俺たちがコイツに慈悲を垂れる。こいつは俺たちに対価を払う。これだけ働いているんだ、一人くらい分け前があっても罰は当たらねえだろ?」


 新米が何か言おうともごもごしている間に、チンピラはブレンダを引っ張ってガラクタが積み上げられている使われていない部屋に入る。新米が慌てて続くと、「早く閉めろ!」とチンピラが急かした。


「じゃあまず、さいようしけんって奴をやってもらおうか」チンピラは気が早く、既にズボンのジッパーを下ろしている。


「…分かりました。ただ、マスクを外すと息が出来なくなってしまいますので、着けたままでもよろしいですか?カバーを外せばできますので」


 チンピラは不満そうな顔になったが、チッと舌打ちをしただけで「分かったからとっとと始めろよ」と言ってブレンダを座るよう促す。


「お前もすぐ変わってやるから、それまで手でも髪でも好きに使えよ」


 チンピラが新米にそう言って笑いかけるが、新米は非難の目でじっと睨みつけるばかりだった。ブレンダは仕方なしといった様子で跪くと、マスクのカバーを外した。


 いっそ潔ささえ感じるへりくだった行動。しかしブレンダは、何も自分が生き延びるためにこんな屈辱に耐えているわけではない。彼女にとって重要なのは勝利を得ることであって、それ以外のこと―たとえば自分のプライド等は、勝利の前には風に舞うゴミも同然に感じられた。


 うるんだ瞳も、服従の姿勢も、天性の演技力と冷酷な判断がもたらしたもので、ブレンダの本性とは大きく異なる。その証拠に、ブレンダの目にはもう哀愁の色は無く、カメラのように無感情なものへ変わっていた。


 ブレンダがマスク中央のカバーを外すと、ぽっかりと開いた黒い穴が出現した。一見何もないように見えるが、実は見えないように鋭い刃が牙のように並んでいる。「じゃ、いくぜぇ」とチンピラが穴にモノを突っ込むと、モーターが作動して刃がモノを挟み込み、ブレンダは力任せに引き千切った!


「テン…メェ…」チンピラは股間から血を吹き出しつつ、声も上げられなくなってその場にうずくまる。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 新米は叫び声をあげるも、目の前の光景に怖気づいてしまって目蓋一つ動かすことが出来ない。血まみれになったブレンダはマスクからモノを吐き出すと、立ち上がって右腕の袖をまくり上げた。


 その露になった右腕は何と、義手になっているのだった!フレームとサーボモーターで構成された本体は、その禍々しさを隠すことなく見せつけて新米を威圧する。ブレンダは袖の下に隠していたナイフを引き抜くと、チンピラを盾にして思い切り新米に体当たりした!


 新米は肩にナイフが突き刺さり、そのまま勢いよく倒れ込む!ブレンダはチンピラを新米の上に押し付けると、そのまま馬乗りになって右腕でチンピラの後頭部を殴りつける!

戦闘用に調整された義手はチンピラの後頭部を叩き割り、中身をスイカのようにぶちまけた!

 

 チンピラの頭を粉砕した衝撃は、そのまま下にあった新米の頭をしたたかに打ち付け、脳を揺らす!朦朧とする意識の中、新米は自分がガラクタに縛り付けられているのを感じ、そのまま意識を失った。

 

 

 蝋燭に照らし出された薄暗い部屋の中で、ハンスは黙々と作業を続けていた。作業と言っても例の人肉ミートを作るのではなく、反撃の際に使う即席の獲物を作っていた。

 

 先程入手した機械の刃を、熱して柔らかくなった蝋燭に取り付けて簡単なナイフにする。蝋が固まると刃はしっかりと固定され、十分使用に耐えられそうだ。


(これで用意は出来た)

 ハンスは反撃の手はずを整えると、部屋の明かりを全部消して入り口近くの壁に密着し、身を潜める。牢の中には闇が広がり、入り口から中を伺うことは不可能となっている。


「おい!蝋燭が消えたぞ!このままじゃ作業にならん、何とかしてくれ!」


 入り口前に座っていた男は目を覚ますと、牢の中が真っ暗になっていることに気が付いて、慌てて牢の中に飛び込む。


「…何処だ。何処にいる…」


 男は銃を構えながら警戒しながら牢の奥へ進む。ハンスは息をひそめ続けて、悟られぬよう注意しながら反撃の機会を伺う。もし奇襲に失敗すれば、ハンスもここに並べられている死体と同じ目に遭うに違いない。獲物を持つ手に、自然と力が入る。主導権を握れるのは、ほんの一瞬だろう。


 男は警戒しつつ牢の中を歩き回り、機械の傍まで迫る。入り口には背を向けていて、完全に無警戒だ。


(今だ!)


 ハンスは男に駆け寄り、手に持った手製のナイフを男の喉笛めがけて突き刺した!男が突然の奇襲に混乱している間に、ハンスは男から銃を取り上げる。刹那、男は腰に下げていたナイフを抜き取り、ハンスの頬を切りつける。


「…上等ぉ…」


 男はなおも切りかかるが、冷静な分ハンスの方が有利だった。軽やかなステップで相手の太刀筋を交わすと、奪った銃の銃床で側頭部を殴りつける。銃傷は男の顎を捉え、男はあまりの衝撃に気絶した。


 ハンスが男からナイフを引き抜くと、バッと鮮血が噴出する。放っておいても出血多量で死ぬだろう。痛みで目を覚ましたのか、虚ろな目で男はハンスを見つめる。いや、もうすでに見えていないのかもしれないが。


 ハンスは変装のためにいくらかアーマーをはぎ取ると、男を機械に放り込んでスイッチを入れた。男の体は順調にすりつぶされていくも、衣類が絡まったのか機械が途中で停止する。時間がないので丁寧な工作とは言えないが、これで事故を装えるかもしれない。


 急がなくては。ハンスはアーマーを身に着けると二人が捕らえられているエリアを目指して駆け出した。こうしている間にも二人が生きている可能性はどんどん少なくなっていく。


 ハンスの脳裏に少尉の顔が浮かぶ。少尉が聞けば呆れるかもしれないが、部下を無駄死にさせないことも指揮官の務めだ。必ず救い出さなければ。


 相変わらず進歩のない指揮官だが、ハンスの目に狩人の色は無い。それはむしろ、娘の危機に怒る父親の目そのものだった。この戦いに必死の覚悟は必要ない。自分の死はすなわち二人の死を意味するのだから。



「…と此処までは重要な問題じゃあない。一番の問題はブレンダをどうやってその気にさせるかと言う事なんだが、…なぁ、聞いてるか?」


「………」


「頼むよ、退屈で死にそうなんだ。付き合ってくれよぉ~」


「………」


「分かった!白鳥君、君が話題を決めていい。白鳥君が話したいことについて話すから、ね、お・ね・が・い」


「……ぅ……」


「え?何?」


「お前を黙らせる方法」


「え…、…いやぁ~白鳥くぅん。ぼかぁちょっとそういう深刻な話にはついていけないかなぁ。なんて…」


「お前を黙らせる方法」


「いや、だから―」「お前を黙らせる方法」


「………」


「お前を―」「分かった!黙る!黙るからその感情のこもってない声をやめてくれ!」


「………」


「………」


「…あの」


「お前を黙らせる方法」


「はい!すいません!もう喋りません…」


「………」


「………」

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