第6話 葛藤 その②

休み明けの朝は、宿舎中に鳴り響く招集警報によって始まった。


「第四小隊は、第一種戦闘配備で至急会議室に集合せよ。繰り返す、第四小隊は、第一戦闘配備で至急会議室に集合せよ。」


 私室のドアが一斉に開き、中から小隊員があわただしく駆け出して行った。ハンスもがばっと起き上がると、急いで装備を着替えて会議室へ向かう。会議室の中はすでに数十名の兵士でいっぱいで、任務の概要が説明されるのを今か今かと待ちわびている。


 そんな会議室の緊迫した空気の中で、一人のほほんとしている小隊長リーバイ・オイストラフ少尉の下に、小隊軍曹が歩み寄って何やら耳打ちした。一見昼行燈ととらえかねないこの行動は、本人曰く、堅っ苦しいのが苦手だからというのが理由らしい。


「全員集合しました。欠員ありません。」


「では始めようか。」


「はい…小隊総員、注目!」


 小隊軍曹の号令でさっきまでざわついていた会議室が、水を打ったように静かになる。小隊員が注目したことを確認して、小隊軍曹が説明を始める。


「本日〇五三三、ベルリン軍管区南東方面にて第十一監視点より報告が上がった。」


 監視点は地下壕とカモフラージュされた小屋がセットになっている拠点で、兵士達からはブンブンなどと呼ばれているものだ。敵に動きがあると監視点からメッセージが送信され、司令部の伝令所に届く仕組みだ。会議室のスクリーンに第十一監視点と、現地の映像が映し出される。映っているのは大小九体の巨大な蟲の群れ、敵の車列に間違いないだろう。典型的な一個小隊の編成だ。小隊軍曹が続ける。


「敵は監視点にわき目もふらず、まっすぐベルリン跡に向かったとのことだ。何を目指しているかは不明だが、万が一避難区に突入されるようなことになれば惨事は免れない。我々は予想される敵の新路上に陣取り、これを迎撃する。質問はあるか?」


分隊長の一人が手を上げる。


「ベルリンに向かっているとのことですが、報告からの時間を考えて市街地で迎え撃つことになるのでしょうか?」


「ああ、そう考えてもらって問題ない。」小隊軍曹が頷く。


「敵は一個小隊に加え、軽量級BT二両を連れた典型的な捜索隊の編成だ。強力な相手だが、ベルリンの鉄筋コンクリートのビルに隠れながら戦えば有利に事を運べるだろう。さらに、今回は敵車両迎撃のために航空機による攻撃を計画している。迎撃と最初言ったが、われわれの任務は航空機到着までの時間稼ぎと考えてくれ。ほかに何か質問は?…では少尉、最後に何かお言葉を。」


 少尉は立ち上がると、指揮者のように手を上げ皆に起立を促す。小隊全員が起立し、真剣な面持ちで少尉が話し始める。


「さぁ、息を大きく吸って。」


 皆が不思議そうにしながらも言われた通り息を吸う。


「ゆっくり吐いて。」


 皆が息を吐き切ると少尉は再び笑顔に戻る。


「弁当は一人レーション一個、車中でよく噛んで食べたまえ。おやつは各自の良心に任せる。以上!」


 言い終わるのが早いか、兵士たちは我先にと会議室を後にする。ハンスも駐車場へ急ごうと駆け足で廊下を進んでいく。


「軍曹。」


 後ろの方で少尉の呼び止める声がした。ハンスが足を止めると同時に小隊軍曹も振り返った。少尉は「いや、ハンス軍曹。」と言葉を付け足し、ハンスが少尉に歩み寄る。二人はともに駐車場までの道を早足で進み、少尉が口を開いた。


「君たち第六分隊にはポイントマンを務めてもらいたい。」


 少尉がお使いを頼む様な調子で命令する。ポイントマンは部隊から離れ行動する前衛のことで、真っ先に敵と対峙することになる重要な役だ。ハンスは感情を表すこともなく率直な意見を述べた。


「しかし少尉、われわれ第六分隊は一個射撃班に満たぬ四人編成です。敵に対して十分な火力を持たない我々では敵をその場にとどめることはおろか、退却して合流することすら困難です。」


「あぁいや、ポイントマンというのは少し語弊があるな。今回の作戦では航空機を使ってBTを仕留める計画だと言っただろう。市街地で精密照準を使用するには目印が必要なので、君達にレーザー観測機を使って目標に目印をつけてもらいたいのだ。」


「小隊軍曹はああいったが、狭い市街地で戦車に遭遇すれば苦戦は必至だ。そこで、第一から第五分隊が敵をひきつけ、人数の少ない君等第六分隊が目立たないように高台へ移動し、レーザーを照射するというわけだ。」


 少尉は足を止めると、ハンスの肩に手を置いて「頼めるかい?」と笑いかけた。ハンスは間を開けることなく、事務的に答えた。


「全力を尽くします。」





 小隊全員が装甲車に乗り込むと、十両の装甲車は一列になって最寄りの搬出ゲートから地上に上がった。すでに太陽は登っており、照り付ける朝日が荒れ地を赤く染め上げていた。空は晴れ渡っていて、戦闘には申し分ない。レーザー観測機の性能は大気の状態に左右されるが、今回は気にする必要が無さそうだ。車列は廃車で出来た塀を抜け、ベルリン跡へ進路をとる。街が近づくに連れて戦争の残留物はその数を増していき、ここに核が落ちた時の惨状を表していた。


「お前の故郷にも、爆弾で出来たがらくたばかり集めている場所があるんだよな。」


 ピストルマウントから外の様子をうかがっていたマリーが白鳥に話しかける。


「小倉原爆資料館のことか?あそこに行けば陰惨な資料と蝋人形で、どんな馬鹿でも争いがいかに空しい物かよく分かるぞ。それより、お前もレーザー観測機の使い方を確かめておけ。」


 マリーはうんざりといった様子で返す。


「俺ぁ、勉強が大嫌いなんだ。」


 ハンスはレーザー観測機をチェックしているブレンダに視線を向ける。ブレンダは視線に気づき顔を上げるが、すぐに視線を落としてレーザー観測機の動作確認に戻る。ハンスは視線を外し、ゴーグルに地図を表示して作戦の概要を確認し始めた。今は余計なことを考えない方がいい、作戦のことだけを考えろ。ハンスはパイロット時代を思い出し、自分が狩人であることを意識し続けた。


 ベルリン跡は文字通り、ベルリン丸ごとが廃墟になった巨大廃墟群である。三年前の北ヨーロッパ空襲で廃墟となり、都市機能は地下のベルリン避難区へ移されることになった。崩壊によって迷宮と化した街路は、地図無しでは熟練の偵察兵でも脱出は困難だ。


 車列は大通りに入ると、路肩に停車して中から小隊員を吐き出した。少尉は先頭の車両まで近づき、車両部隊の指揮官にここで待つよう伝える。心なしか雲が出てきた。説明通りに作戦を進めたければ、早めに行動した方が良い。


「総員!警戒隊形を取れ!」


 小隊軍曹が命じ、小隊は第一分隊を中心に輪形陣の隊形をとる。第六分隊は小隊より前に先行して前衛を務める。少尉は地図を確認した。最後の報告から推察するに、敵は現在ここから前へ三ブロック、右に十ブロックの場所にいるはずだ。少尉は無線のスイッチを入れ、小隊員に注意を促す。


「小隊各位、敵との距離が近いため不意の遭遇が予想される。発砲は許可されているが注意しろ。前進開始。」


 小隊は陣形を維持しつつ、街路を進み始めた。市街地は昔の活気が嘘であるかのように静まり返っていて、無人の大通りに小隊員達の足音が反響する。小隊を取り囲むビル群の窓は眼窩のようにぽっかりと開いていて、真っ暗な空間の向こうに何か潜んでやしないかと不安にさせる。これらの窓一つ一つが、その気になれば鉄筋コンクリートの堅牢なトーチカとして機能するためだ。


「総員、街灯に注意しろ。いつ倒れてくるか分からん。」


 すでにいくつかの街灯は倒れていたが、多くの街灯は傾きつつも絶妙なバランスを保っていた。ハンスは何か小屋のようなものが倒れているのに気付いた。近くに大型車両もあることから、バス停だろうと推測する。周りに多くの“影”が残っているのであながち間違った推測とは言えないだろう。


 マリーは車の中に“何か”が残っていることに気づいたが、あまり気にしないよう心掛けた。背中を冷や汗が伝う。白鳥は足元にあった人骨に顔をしかめ、踏まないよう注意しながら歩き続ける。


 一方マリーは相変わらず無表情で、目の前の異様な光景にもどこ吹く風である。白鳥が注意して避けた骨も難なく踏みつける。パキッと骨が折れる音がして、白鳥が恐る恐る振り返る。


 恐ろしい場所ではあるが、人気はなく、実に静かだ。時折吹いているビル風の音と、空洞になった廃ビルから聞こえるゴウゴウという音以外、何も聞こえない。


 小隊が歩みを進めていくとともに、雲量はさらに増して太陽を遮る。風の音が変わって砂が舞い上がった。砂は霧のごとく視界を埋め尽くし、小隊の足を止めた。


「怯むな!進め!」


 小隊軍曹が檄を飛ばし、小隊は前進を続ける。砂嵐は視界を遮るだけでなく、追い風となって兵士たちの動作を妨害し、小隊の行軍速度を低下させた。右に折れ、二ブロック程進んだところで停まれの号令がかかる。


「ハンス軍曹、斜め前のビルが見えるか。壁面が一部崩れているやつだ。」


 小隊軍曹の指示を受け、ハンスは件のビルを確認するため目を凝らした。小隊左側に壁面を大きく崩したビルが目視できた。周囲の建物より出っ張っていて、通り全体を見渡すことが出来そうだ。


「軍曹確認しました。」


「そのビルの屋上に観測機を設置しろ。通りにレーザーが届くかやってみてくれ。」


 ハンスが命令を確認すると、第六分隊はビルの屋上へと上がっていく。小隊は物陰にビルの瓦礫を利用して巧みなカモフラージュを作成し、そこに観測機を設置した。ハンスはレーザー観測機のスイッチを入れ、下に合図する。小隊軍曹が銃を上に掲げて問題なしの合図を送る。そうこうしている間にも砂嵐はさらに激しくなり、もはや十メートル前すら見えなくなりつつあった。


「不味いな。」


 少尉のつぶやきに小隊軍曹が反応した。


「少尉、いかがなされました?」


「いや、何でもない。」


 気象現象というやつは、たとえ少尉であってもどうにも出来ない。避難区に近づかれないためには、今ここで最善を尽くすより他はないのだ。少尉は任務に意識を集中し、砂嵐の中に見えない敵を発見しようと目を凝らした。

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