桃源郷 ⑦
さて、話し込んでいた許溥だが、ふと、辺りが薄闇に覆われていることに気がついた。かれは、自分が喋りすぎたことを知った。これはまずい、と思ったところで、娘が何かを指差し微笑んだ。娘が指差す先を見ると、薄ぼんやりとした灯りが、ゆらゆらとこちらに近づいてくる。どうやら提灯のようだ。許溥は、誰であろうか、と思ったが、娘が微笑んでいるので、不審には思わなかった。
明かりの主は、あの黒い衣の道士であった。
「この、馬鹿者が! 何故このような時間までこんなところにおるのだ!」
開口一番に道士が怒鳴った。
許溥は思わず、
「も、申し訳ありません」
と答えた。
そこで、はじめて道士は、そこに許溥がいることに気がついたようであった。
「お前……何故こんなところにいる。出るなと言ったはずだ」
道士は、吐き捨てるように言った。
許溥は何も言い返すことが出来なかった。
道士はそのまま、娘のほうへと歩いていった。その髭面には、無数の皺が寄せられている。歯噛みしている様子から、どうやらかなり怒っているようであった。
娘は怯えた顔であったが、道士に笑いかけた。道士は何も言わずに、娘の頬を力一杯打ち据えた。娘は、よろめいたまま、地面に倒れ込んだ。
「な、何を!」
許溥は叫んだ。だが、突然のことであるため、体を動かすことができなかった。
道士が娘に歩み寄るのを見て、許溥も娘の近くに走った。間近で見ると、打ち据えられた娘の頬が、ひどく腫れている。ずいぶんと痛々しかった。そのことが、許溥を奮い立たせた。
道士の腕に取り縋ると、許溥は、
「お、おやめ下さい。打ち据えるならば、この娘を引き止めていた、私を打ち据えてください!」
と叫んだ。
「……お前を打ち据えても、この娘の躾けにならん」
道士が、許溥を冷めた目で見据えながらいった。
「何故この娘をかばう。お前には関係のないことであろう」
その言葉に、許溥は肩をひくりと強張らせた。
「関係なくはございません。私は──」
そこで言葉を呑む。総身を引き締め、生唾を飲み込むと、改めて許溥は口を開いた。
「──私は、この娘を嫁にしたいのでございます」
許溥の言葉に、道士は目を見開いた。
許溥自身、自分が唐突にこんなことを口走ったことに驚いていたが、娘と夫婦になりたいのは本当であったし、今更後に引けないとも思い、どれだけ自分がこの娘のことを思っているのかをまくしたてるように喋った。
道士は、驚きと困惑が入り混じったような顔で許溥の話を聞いていた。じっと押し黙ったまま、許溥の言葉を聞き漏らすまいとしているようであった。
許溥は、道士が口を挟まないので、心の中のものをすべて洗いざらい吐き出した。言いたいことをすべて言うと、その後は、身動きひとつせず、自分の呼気の音を聞いていた。
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