桃源郷 ⑤
家屋は、なかなかに瀟洒な作りをしており、ひとかどの人物が住んでいるものと思われた。
戸口が開いていたので覗き込むと、中には黒衣の道士がいた。道士はなにやら薬草のようなものを煎じていた。
許溥は中に入って、道士に声をかけた。
「あの、もし」
許溥の言葉に、道士は飛び上がらんばかりに驚いた。振り返って、叫んだ。その声はうわずっている。
「お前は何者だ」
厳つい顔をした道士であった。だが、言葉が通じたことが嬉しかったので、許溥は怖じけることもなく話しかけた。
「私は許溥という者です。舟で川を上っているうちに、ここに迷い込んでしまったのです。ここは、いったいどういうところなのでしょうか」
道士はその言葉に耳を傾ける様子もなく、眉間に皺を寄せ、怒鳴った。
「ここは、お前のような者が来るべき場所ではない。早く出て行け!」
静かな口調であったが、その言葉には怒気が込められていた。
許溥は、道士の鋭い視線に狼狽えながらも、
「出て行くにも霧が濃く、どこをどう進めばよいのかわからないのです。霧が晴れるまでの間だけ、この村にいさせてはいただけませんか」
道士は一瞬、困惑したような表情を見せたが、二、三度首を振ると、
「この村にお前がいることが知れては、大変なことになるのだ。悪いことは言わん。早く出て行くのだ」
「大変なことになるというのは、どういうことです。この村は、一体どういった所なのですか」
道士は苦虫を噛み潰したような顔をし、黙したまま何も語らなかった。ただ、そんなことは知らなくてよい、とだけ答えた。
道士の不自然な態度に、やはりここは神仙の類が住む村なのだ、と許溥は思った。神仙の村であるなら、私のようなものが長居してはまずいのであろう。そう思って、許溥は、
「知らぬ方が良いことならば、何も伺いません。ただ、長らく迷って疲れておりますゆえ、霧が晴れるまでの間だけ、休ませていただけないでしょうか」
許溥の何も訊かないという言葉に、道士は少しだけ柔和な表情になった。
「仕方があるまい。しばらくはこの屋敷で休んでいるがよい。だが、部屋から出てはならんぞ。守れぬなら、霧が出ていようがいまいが、すぐにこの村から出て行ってもらう。よいな」
許溥が頷くと、道士は許溥を客間と思われる部屋に案内した。そうして、この部屋を自由に使えと言った。
「わしは、お前の舟を隠してくる。重ね重ね言うが、絶対にこの部屋から出てはならんぞ」
道士は、そう言い残すと、屋敷を出て行った。
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