野狗子 ⑧
目が覚めると、霊廟の一室であった。
「おお、起きたか」
いつ帰ってきたのか、道士が焚き火に当たっていた。
こんな悪い夢を見たのは、この道士のせいだ、と劉郁は思った。
──それにしても。
夢の中で経験した、あの脳髄の味。はっきりと覚えている。
ねっとりと絡みつく舌触り。まるで泥濘のようだ。そして、その舌触りに反するように、なんとも清廉で、輝くようなあの味。
あまりに鮮明で、あれは夢ではなかったのではないかとすら思える。
野狗子と人間では、味の感じ方が違うのだろうか。それとも、やはり人の脳髄とは、あのような味がするのか。一度、口にしてみたら、わかるだろうか。
彼は、道士の頭をじっと見つめた。
道士がふっと横を向いたときに、その耳の穴が見えた。
その穴に牙を捻り混む。かき混ぜ、汁状になった脳髄を、啜る──。
いつの間にか、おぞましい想像をしている自分に気付いて、劉郁はぞっとした。
──もしかすると、私は昔、野狗子だったのではないか。逝こうとするその瞬間、強く人間になりたいと望んだ野狗子が、こうして生まれ変わり、人間となった。それが、私なのではないか──。
恐ろしい想像だ。とんでもない妄想だ。だが、あまりにも、あまりにも、あの夢が鮮烈で、実際に起こった話としか思えなかった。
「道士さま、お伺いしたいことが」
劉郁は尋ねた。
「先ほどの野狗子の話ですが、野狗子が人になる、などという話を聞いたことがございますか」
「野狗子が人に? いや、そんな話は聞いたことがない」
「ありませんか」
そうだ。自分が昔、怪物であったなどあるはずがない。劉郁は胸をなでおろした。
道士の言葉は続いていた。
「野狗子は人にはならんよ。──逆だ。人が、野狗子になるのだ」
道士の言葉に劉郁は目を見開いた。
「人が、野狗子に、なる?」
「さよう、人の道を外れた者は、やがて人であったことを忘れ、その姿形を失い、妖怪となる。野狗子となるのだ」
劉郁は唇をわななかせながら訊いた。
「人の道を外れるというのは──」
「人の脳髄を生きたまま食らうことだと聞くが、さて」
「脳髄を──生きたまま──」
道士の言葉を繰り返す劉郁の声は掠れていた。
「すまん、わしもそこまで野狗子については詳しく知らんのだ。ああ、だが、こうもいわれておるよ。野狗子は、幾日も先の“死”を夢に視るのだそうだ。──だから、死んだものが、どこの墓に埋められるのか、いつ埋められるのかを知ることができ、墓を暴いて屍の脳髄を食らうことができる」
「それは、存じております」
道士は訝しんだ。
劉郁は呻くような声で問うた。
「野狗子は、自分の死すら、夢に視るものなのでしょうか」
道士は困惑したように、何も応えなかった。
沈黙があった。
劉郁は何も語らず、静かに道士に歩み寄った。
焚火が消えようとしている。
細く立ち上る煙が、霊廟の中に立ち込めていた。
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