野狗子 ④

 戦が始まった。

 罵りや絶叫、断末魔。無数の鍔迫り合いの音。騎馬の足音、嘶き。

 暗い窖の中で、無数の音に心をかき乱された。

 戦とは、どうしてこんなにもうるさいのだろうか。

 かれは、身を縮めて夜を待った。

 戦は半日ほどで終わった。

 戦というのは、どことなく嵐に似ているな、とそんなことをかれは思った。

 かれは巣から這い出すと、月も出ていない、夜の荒野に出向いた。

 凄絶きわまりない戦も終わってしまえば密やかで静謐としていた。

 戦の名残は、そこら中で野ざらしになっている惨たらしい亡骸だけである。

 彼はおもむろに、近くにあった亡骸に覆いかぶさった。

 鋭い牙を耳の穴の中に捻り込む。

 錐のように尖った牙は、容易く亡骸の頭蓋を穿った。

 かれは、穿たれた穴から牙を滑り込ませ、中の脳髄をかき混ぜる。

 豆腐のようにやわらかな脳髄は、ぐずぐずに溶ける。

 長らく煮込んだあつもののようだ。

 かれは無心でそれを啜った。

 口の中に淡泊な味わいが広がる。

 久しぶりにありついた食事だ。

 うまい。

 ひとしきり脳髄のスープを啜ると、かれは、次の亡骸に移ろうとして、顔をあげた。

 今しがた脳髄を啜った男の顔が目に入った。

 男は目を見開き、舌を突き出している。怨嗟の声が聞こえてくるような死に顔だった。

 かれは、その顔を見て、ふと「この男は、自分が死ぬと言うことを知っていたのだろうか」と思った。

 いつかは死ぬだろうということはこの男もわかっていたことだろう。だが、それが今日であるなどと、この男は思っていただろうか。この男にとっては、この日、自分が死ぬことは、あってはならぬことだったのではないだろうか。

 かれは、物言わぬ亡骸の顔をしばらく眺めていた。

 死ぬ瞬間この男は何を思ったのだろう、何故この男は、この日、こうして命を投げ出して戦ったのだろう。死ぬとはどういうものなのだろう。

 様々な問いが、かれの頭の中に浮かんでは消えていった。

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