妖犬 ⑥


 趙が老人を殺めてから、二ヶ月あまりが経った。

 あれから新たに投獄されてくる者はおらず、囚人達は、再び、自分たちの中から生贄を排出しなければならなくなっていた。

 弱い者から、ひとり、またひとりと喰われ、ついには、牢獄の中に残っているのは、たった三人だけとなっていた。

 孟と趙、それに男が一人。

 先ほどまで生きていた四人目の肉を分け終わると、不満げな表情で趙が言った。

「ちょっと待て。俺の取り分が少ないようだが」

 孟は趙を睨みつけた。

「両腕と内臓と頭。十分だろう」

 趙は、口を動かして何か言おうとしたが、すぐにつぐむと、視線を反らした。

 そうして、おもむろにもう一人の男の下へ歩み寄った。

 趙は、男の右肩に手を置くと、

「なあ、肉を分けてくれないか」

 男は、右肩にのった趙の手を振り解くと、何も言わず身体を壁の方に向けた。無言ではあったが、それは「断る」という意思表示であろう。

 しかし、それでも趙は、尚も食い下がった。かれは背を向けた男の首に、先程振り解かれた右腕を回し、肩を組んだ。

「頼むよ」

 男は口を噤んでいる。

「なあ……」

 終始無言の男に、趙はしつこく食い下がっていたが、突然「ぎゃっ」と声をあげると、男から飛び退いた。

「どうした?」

 孟が訝しげに尋ねた。

 趙は腕をさすりながら戻ってくると、歯形のついた腕を孟に見せた。

「噛みやがった。くそっ」

「欲を出すからだ」

 孟が鼻を鳴らし、そう言い放つと、趙は不機嫌そうに顔をしかめ、そのまま横になった。

「ふん。もういい。俺は寝る」

 孟は深く息を吐き出すと、趙を見つめた。

 しばらくして、趙がいびきを掻き始めるまで、嫌な沈黙が続いた。

「趙、趙……。眠ったのか?」

 孟は趙に向けて、何度か尋ねた。返ってくるのはいびきばかりである。

 返事がないことを確認すると、孟は、すぐに牢の隅で座っている男の方へと近づいていき、かれに小声で囁きかけた。

「お前に話がある」

 男はピクリとも動かない。

「今夜のうちに、二人で趙の奴を殺ってしまおう。でなければ、最後には、二人ともあいつに喰われちまう。今ならまだ二対一。寝込みを襲えばどうとでもなるぞ」

 男は黙ったままである。

「おい、聞いているのか」

 孟が、男の肩に触れると、どう、と男の身体が仰向けに倒れた。男の胸には、一本の骨が突き刺さっていた。

「な──」

 孟は、思わず声をあげた。

 後ろから、声を掛けられた。

「お前のことだ。今夜のうちに、そいつと二人で俺を殺そうとするだろうと思っていたよ」

 孟が振り返ると、寝ているとばかり思っていた趙が背後に立っている。

「だから俺は、先手を打って、そいつを殺した」

 驚愕の色を浮かべ、孟は叫んだ。

「何故だ! こいつは、さっきお前の腕を噛んでいた。生きていたはずだ!」

 趙は鼻で笑い、首を横に振る。

「あれは、噛まれたんじゃない。噛ませたんだよ。呻き声を出させないためにな」

 孟は、慄然とした表情で、わなわなと全身を震わせながら、趙の顔を睨んだ。

 趙は、薄笑いを浮かべていた。

「孟よ。俺はあんたに感謝しているんだ。あんたは、俺に教えてくれた。ここでの生き方を。今みたいな人を騙す術もあんたに教わったものだ。言ったよな。人は喰わなければ生きていけない。それを教えてもらったからこそ、俺はこうして生きてこれた。お前の言ったとおりだよ。ああ、孟よ……」

 趙は腕を伸ばし、孟の首に手をかけた。

 孟は闇雲にもがいたが、腕力差がありすぎた。

 やがて、趙の腕を掴んでいた孟の両腕は、力なくだらりと垂れ下がり、動かなくなった。

 孟は、最後に微かに口を動かし、何かを言おうとしたが、結局それは声にならなかった。

 趙の荒い呼吸が、牢の中に響いた。



 どこか遠く、犬の吼え声が聴こえたような気がした。


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