妖犬 ④

 一週間が経った。


 孟は趙を何度か食事に誘ったが、趙はその誘いを頑として拒み続けていた。

 しかし、さすがに一週間もの間、何も口にしていないと、頭は霞がかったようにぼんやりとする。

 気が付くと、いつも自分が〝何か〟を貪っていることを考えていた。

 このまま倒れたら、そのときは、きっと俺は食われてしまうだろう。自分が喰われるのと、他人を喰らって生き延びるのと、どちらが良いのだろうか。

 確かに、腹は減っているが、しかし、幾ら腹が減っているとはいえ、自分と同じ人間を喰うのは、人の道を外れることではないのか。

 そうだ、俺は、人なのだ。獣ではない。

 趙は、うつろな意識の中で、祈るように「人だ、人だ」と繰り返した。

 ともすれば、奇声を発して、頭を掻き毟ってしまいそうになる。

 腹が減って腹が減って、気が狂いそうだ。

「人なんだ。俺はいくら腹が減っていても、人なんだ」

 ──人?

 不意に趙の頭の中に、いつか聞いた猛の言葉が響いた。


 ──人はものを喰わねば、生きていくことができないんだよ──


 趙は、おもむろに立ち上がった。ゆっくりと孟のところに歩み寄った。その足取りに、迷いはなかった。

「孟、話があるのだが」

 声をかけると、孟は、予期していたとでもいうように、その細い目を一層細めて、ひとかけの肉を趙に手渡した。

 それは、半ば腐りかけた人間の人差し指であった。

 孟は笑いながら言った。

「さあ、喰え。喰えば、生きられるぞ」

 趙は掌の上にある小さな生肉の塊を見詰めた。

 それは、まるで死んだ芋虫のようであった。

 趙は、震えながら、それを口に運んだ。

 歯を立てると、生臭い血の味が、口の中に広がった。

 ああ。

 趙は、このような行いを天が許すはずがない、許すはずがない、と、何度も何度も心の中で呟きながら、肉にしゃぶりついた。飲み込んだ肉が、皮が、ゆっくりと喉を下っていく感触は、その後、しばらく尾を引いた。

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