第12話

予選を一セットも落とさずに勝ち上がった吉良君はそのままインターハイに出た。

『つらいだろけどさ、テレビつけて俺を応援してよ。そしたら絶対勝つからさ』

 このメッセージがきたのは大会が始まる前日だった。

 正直、しばらくバレーなんて見たくもない。

 やるのは当然として、音を聞くのもいやだ。

 スパイクの弾けるような音。シューズが床を擦る音。レシーブの音。サーブの音。着地の音。応援の声。全部聞きたくなかった。

 それでもこれが最後だと覚悟を決めた。

 約束を果たせなかった者の義務を果たそうみたいな、変な使命感があたしをリビングへと連れて行く。

 でも怖いから子供の頃に買ってもらったクマのぬいぐるみを持ってきて、抱きしめた。

 お母さんは「体は大きくなってもまだまだ子供ね」と呆れていた。

 仕方ない。今のあたしはそれくらい脆かったから。少しでも圧力をかければすぐにでもひび割れてしまう。

 テレビで見ろって言われたって決勝以外は全部ネット中継だ。

 あたしは吉良君の言う通りスマホをテレビに繋いでじっと見ていた。

 吉良君のチームは全国でも頭一つ抜けていた。強豪校を次々と倒していく。

 そしてなにより彼自身がすごかった。

 チームのエースというより、この世代のエースだ。実際、世代別の代表にも選ばれてるし。

 だけどもちろん相手も強い。たくさんの高校に勝って予選をのぼってきたんだから。

 女子とはスピードも高さも違った。すごいけど、ちょっと悔しい。

 負けたチームの人が悔しがってその場でしゃがみ込む。手で顔を覆ったり、床を叩いたり、天井を見上げたりしていた。

 あの人達の気持ちが痛い程よく分かる。

 人生で一番見たくないエンディングを見せられた感じだ。

 いつかは来ると分かっていても、目を背けたくなるそれを目の前に突きつけられる。

 それが悲しくて、思わず顔を背けそうになった。でも我慢して目に焼き付ける。

 インターハイは三日間ある。

 そして、あたしは三日目も吉良君が跳ぶのを見つめていた。

 軽やかで、力強く、なにより楽しそうにバレーをしている。

 この頃になるともう嫌な気持ちはほとんどなくなっていて、あたしの目は吉良君に釘付けだった。

「いけ! やった!」

 思わず声が出てくる。自然と笑顔になっていた。

 試合の合間にお母さんが切ってくれたスイカをシャクシャクと食べるくらいには食欲も戻ってきていた。

 お母さんも一緒にスイカを食べる。

「やけに熱心だと思ったら地元の高校はもう負けてるじゃない。誰を応援してるの?」

「…………な、内緒…………」

「ふうん。そう。でもみんな可愛いわねえ。ほら。あのチームなんて全員坊主だわ」

 お母さんは面白そうに指差す。

 たしかに坊主頭の高校生が狭いコートで六人もいるのは可愛かった。間近で見たら大きいからそうでもないけど。むしろちょっと怖い時もある。

 そして迎えた決勝。

 吉良君のチームが戦うのは前回の覇者だ。

 あっちにも世代別代表が二人もいる強いとこだった。

 すごい。みんなあたしより大きい。190センチ台が三人もいる。

 大きいハーフの人がいると強豪校って感じがするなー。

 すっかりただの視聴者となったあたしはぽけーと口を開けて試合を眺めていた。

 相手のチームは徹底的にエースの吉良君をマークしている。

 常にブロックが二枚付いてる感じだ。

 やりにくそうだなって思ったけど、吉良君の顔を見ると笑っていた。

 この大舞台でなんでそんなに笑えるんだろう? あたしもあの時笑えていたら勝てたのかな? 

 そんな考えが過ぎるとクマさんを抱きしめる手にも自然と力が入る。

 試合は一進一退を繰り返した。

 吉良君は自分がマークされていることを上手く利用していた。

 無理に打とうとせず、黒子に徹する。

 かと思えばマークが緩まったところでばんばんクイックを決めていった。

 ブロックの時も大会で最長の到達点を活かしていく。

 こんな人がチームにいたらなあって思う理想がそこにあった。

 そして迎えた最終五セット。

 デュースまでもつれ込んだ時、吉良君のチームでミスが出た。

 ドキッとした。まるであの時の再現を見せられてるみたい。

 お願い。吉良君を勝たせてあげて。

 あたしは願った。なにか奇跡が起きて彼を救ってくれるように。

 でも吉良君は違った。

 この状況でも笑っていた。

 自分と、チームを信じて笑っていたんだ。

 なぜだか、泣きそうになった。

 なんであたしはあの時あの顔をできなかったんだろう?

 最後の最後まで自分を信じてあげられなかったんだろう?

 あんだけ頑張ったのに、どうして?

 そう思うと悔しくて、悔しくて、涙がこぼれた。

 吉良君はチームメイトに対して自分を指差した。

 口が動いてるのでなにを言ってるのか分かった。

「俺に任せろ」

 その言葉にみんなが頷いた。

 安心していた。

 あたしもそうだ。さっきまであった不安が吹き飛んだ。

 試合は一分も経たずに終わりを迎える。

 吉良君の一人時間差で同点にすると、会場が盛り上がった。

 続いてサービスエースが決まると実況が叫びだした。

 そして二本目のサーブ。

 大歓声の中でボールが空中に放り投げられる。

 助走をして跳び上がると、まるで彼以外の時間が止まったような高速サーブがエンドラインを撃ち抜いた。

 逆転勝利と共に歓声が上がり、実況は叫び、解説は唸った。

 そして吉良君は嬉しそうな咆哮をあげてから、チームメイトと抱き合った。

 あたしはと言うと、今度は嬉しくて泣いていた。クマさんが涙でびしょびしょになっていく。

 すごい。すごいなあ。全部勝っちゃった。

 やっぱり他の人とは違う。別の世界の人みたい。

「………………遠くに行っちゃたなあ」

 ぼそりと心の声が漏れた。

 何度も会って、何度も話して、何度も笑い合ったのに、まるであの頃の吉良君とは別人みたいに見える。

 あたしは涙を拭くと溜息をついた。

 そんなあたしをお母さんは温かく見守ってくれた。

 最後にインタビューがあった。怖そうな監督が嬉しそうに笑っている。

「選手達が僕についてきてくれたお陰です。きついことも言ったりしたけど、最後まで戦い抜いてくれて嬉しかったです」

 監督の目には涙が浮んでいた。大人が泣いていると、ちょっと見ちゃいけないものを見てる気がする。

 次に出てきたのが吉良君だ。監督とは打って変わってニコニコしていた。

 インタビュアーが興奮気味に紹介する。

「ええ。ではキャプテンであり、エースである吉良和人選手に来てもらいました。最後は圧巻でした」

「できすぎですね。でも外すとは思わなかったです。あ。いけそうだなって」

「最後、連続得点の前、チームメイトになにか声をかけてましたね?」

「はい。俺に任せろって言いました。自分、キャプテンとしては0点なんですよ。ワガママだし、だらしないし、リーダーシップもない。だからプレイで引っ張ろうって思ってやってきました。それを受け入れてくれたチームメイトに感謝です。でなきゃ最後のあれはなかったと思います」

 吉良君はずっと笑顔で、案外しっかりとした受け答えをしていた。普段とのギャップもあって格好良く見える。

「最後になにか一言」

「えーと。ここまで来られたのは応援してくれた人達のお陰です。怪我してへこんでた時に励ましてくれたり、頑張ってる姿を見せてやる気をもらったり。とにかく一人じゃ無理でした。だからその、ありがとうございます!」

 そう言って吉良君はポケットからなにかを取りだした。

 それはあたしがあげたマスコットだった。

「それは?」

「あ。これっすか? 好きな人にもらったんです。きつかった時はこれ見て勇気もらってました。あいつも頑張ってるから俺も頑張ろうって。おーい。見てるー? 勝ったぞー」

 吉良君は手を振ったあと、あたしのマスコットに軽くキスをした。

 あたしは真っ赤になって固まる。

 好きな人? キス? 

 えええええええええええええええええええぇぇぇぇ!?

 カチコチと固まるあたしの横でお母さんは、

「あれ? あれってあんたが作ってたやつじゃない?」

 と驚いたあと、にんまりと笑った。

「なるほどねえ」

「ち、ちがうから!」

「ちがうの?」

「…………いや、その………………。ああもう! 吉良君の馬鹿!」

 あたしが赤面しながら怒ってるともつゆ知らず、吉良君はテレビの向こうで笑っていた。

 その日のうちにさっきのインタビューはSNSで拡散し、たくさんのコメントがついた。

 そのほとんどが微笑ましいとかいうので、あたしは恥ずかしくてベッドに逃げ込んだ。

 馬鹿! アホ! お調子者!

 心の中で一通り罵倒したあと、あたしは窓の外に広がる空を見た。

 この空は吉良君のいる町まで広がっている。そう思うと愛おしくなってくる。

「…………おめでとう」

 言葉と同時に、久しぶりの笑顔がこぼれた。

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