16.5限目 一方、その頃……(後編)
幸いなことに施設の中には、広い食堂があり、出来立てのご飯を食べることができる。
さらに幸いなのは、意外とうまいということだ。
いつも一生懸命作ってくれている学食のおばちゃんには悪いが、1つランクが上といったところだろう。
本日のA定食は、かぼちゃの煮物に、ホウレンソウのおひたし、わかめと薄揚げのお吸い物に、たっぷりのキャベツと鶏の照り焼きである。
研修費とは別途で請求されるものの、これで540円なら、たとえ薄給であろうとも、財布の紐が緩むというものだ。
トレーを置く。
真っ白な化粧板のテーブルに、彩り鮮やかな料理が並ぶ。
さすがに作り置きされていて、すっかり冷めている料理もあるが、吸い物と白米から浮かぶ湯気に、俺は思わず目を輝かせた。
――うまそう……。
ごくり、と喉を鳴らす。
昼間に食べた魚の煮付けも絶品だったが、夕食もおいしいそうだ。
「うわあ……。おいしそうですね」
声を上げたのは、吉永先生だった。
その彼女の前にあったのは、小さなお椀に入ったサラダだけだ。
「吉永先生、夕食はそれだけですか?」
「え、ええ……。どうも夜ご飯を食べると、脂肪が付きやすい体質らしくって。食べると、太っちゃうんです」
「そうなんですか? いえ。太っているようには見えませんが」
これはお世辞でもなんでもない。
平均的な体型だと思った。
「実は、結構皮下脂肪があって。見ます?」
吉永先生は腕をまくろうとする。
ちなみに俺も吉永先生もスーツを脱いで、ラフな部屋着を着ていた。
吉永先生などは先ほどのリクルートスーツとは違って、今はジャージ姿だ。
随分と極端だが、オンオフがはっきりしているのだろう。
「いいえ。そこまでしなくてもいいですよ」
「玄蕃先生こそ、身体が細いのによく食べますね。昼間も魚の煮付けをペロリと食べてましたし。ここの食堂って結構ボリューム多いから、男性の教員でも残している人、多いんですよ」
「なっ! そうなんですか?」
それは知らなかった。
食べるのに夢中になってたからなあ。
「昔からよく食べるんですか?」
「いや、そういう訳じゃないですよ。たまに食べるのが面倒くさくて、ウィンダーだけとかありますし」
「ああ、わかります。私も……。初め自炊とか頑張ってたんですけど、億劫になってきて、コンビニ弁当を買うようになったら、それを食べるのも億劫になってきて、ウィンダーに」
ははは……。吉永先生よ、お前もか。
「でも、最近ちょっとしたことがありまして。三食食べるようになりました」
「へぇ……。それで太らないんですか?」
「生まれてこの方は、ダイエットとか無縁で。体重も高校から全然増えてなくて」
「玄蕃先生!」
すると、吉永先生の目が光る。
やべ! 何か俺、失礼なことを言っただろうか。
「は、はひ!」
「な、何か太らないコツとかあるんですか。いえ。コツとかいいんで、どういう食生活かを教えてください」
吉永先生はテーブルに身を乗り上げ尋ねてくる。
よっぽど体重維持に気を遣っているんだな。
「えっと……。そうですね。子どもの頃から、親によく噛めっていわれてました。でも、気を付けているのは、それぐらいですよ」
「なるほど。よく噛むですか。……割りと理にはかなってそうですね」
そういって、吉永先生は立ち上がった。
財布を握りしめ、再び食券を買いに行く。
戻ってきた時には、A定食のメニューが並べられたトレーが握りしめた。
どんっ、と目の前に置く。
「あ、あのいいんですか?」
「今日はいいんです。チートデイですから。それによく噛んで食べてみるというのも、検証したいので」
「は、はあ……」
「それに……。だって、その料理を見てたらおいしそうに思えてきて」
「負けてしまった、と」
吉永先生は顔赤くしながら、ふんふんと頷いた。
しっかりもののように見えて、意外と意志は弱いんだな。
まあ、仕方ないか。
ここのご飯おいしそうだし。
「じゃあ……」
「食べましょうか」
「「いただきます」」
俺は吉永先生と手を合わせる。
少しホッとした。
今日も誰かと一緒に食べられることができたからだ。
同時に、ちょっとだけ心配もした。
――どうしているんだろうな、白宮は?
今日は1人でご飯を食べているのだろうか。
そう思うと、申し訳ない気持ちになった。
いや、ギュッと胸を締め付けられた。
「あとで、RINEしてやるか」
「何か言いました、玄蕃先生?」
「あ、いや……。なんでも――」
「RINEがどうのって言ってましたよね。もしかして、カノジョさんですか?」
「そ、そそそそういうわけじゃないですよ!」
「照れなくてもいいでしょ。もういい大人なんですから、私たち……」
「それはそうなんですけど」
「で――。どんな人なんですか? 玄蕃先生のことだから、料理がうまい人とか?」
「あ――。うっ――」
口を噤んで狼狽えるまではいい。
けど、頭に浮かぶのが、教え子というのは教師としてはどうなんだろう。
「そう言えば、三食食べるきっかけがあったと言ってましたね。なるほど。玄蕃先生を乱れた食生活から助けたのは、愛の力だったというわけですね」
ニヤニヤと笑う。
割と男勝りなところもあるから、こういう恋愛事情って興味ないと勝手に思っていたが、そんなことは関係ないらしい。
なんだか白宮にからかわれているような気分になってくる。
もしかして、俺ってからかわれやすいタイプなのか。
思えば、学校のサークルでもそんなポジションだっけ。
人生において、常に俺は女難の相が出ているのかもしれない。
俺はがっくりと項垂れながら、元気を取り戻すために鶏の照り焼きを頬張る。
大振りの鶏のもも肉を使った照り焼きは、なかなかに豪快だ。
肉厚があり、とてもジューシー。
後で聞いたが、近くの養鶏場から直接買っているらしい。
如何にも新鮮という感じで、そのせいか滲み出てくる脂はあまりしつこくない。
醤油とみりんを使った甘辛い味付けは絶妙で、肉の旨みとも好相性だった。
自然と頬が緩む。
研修の疲れが、みな吹っ飛びそうだ。
「カノジョさんが、玄蕃先生を選んだ理由がわかる気がします」
不意に吉永先生は俺の方を見ながら言った。
ふと視線を落とすと、すでに皿が空になっている。
早ッ! もう食べたのか。
すっごい早食いだな。
なるほど。班行動してわかってはいたけど、吉永先生はせっかちなのだ。
その吉永先生は、うっとりと微笑む。
如何にも大人の雰囲気を醸し出しながら、言葉を続けた。
「だって、食べてる時の玄蕃先生ってとても幸せそうだから」
「え? そ、そう見えます?」
自覚はないんだけどな。
まあ、おいしい料理を食べている時は、自分でもわかるぐらい頬が緩んでるし。
だって仕方ないじゃないか。
おいしいんだから……。
「玄蕃先生」
「は、はい」
「お幸せに」
吉永先生はトレーを下げ、その場を後にした。
最後まで勘違いしていたな。
違うってのに。
はあ……。
でも――。まあ……。
あいつは俺の教え子でも、あいつの作る料理は恋しいかな。
俺はいつも通りゆっくりと咀嚼する。
白宮と一緒に食べる時と同じ速度で。
△ ▼ △ ▼ △ ▼
宿泊施設にある自分の部屋に戻る。
部屋と言っても、ベッドと机、小さなクローゼットがあるぐらいだ。
テレビも、娯楽もない。
Wi-Fiを繋ぐことができなければ、監獄と変わらないだろう。
俺は自分のスマホをポケットから取り出した。
「そう言えば、朝から電源を切ったままだったな」
電源を付けると、いきなりポーンと音が鳴る。
すると、クラッカーの攻撃かとばかりに、ポーンと音が連続で響いた。
「な、なんだ?」
画面を覗くと、俺の妹の
どうやら二色ノ荘にまで押しかけてきたらしい。
『お兄ちゃん、いつ帰ってくる?』から始まり、最後は自分の泣き顔で占められていた。
「何をやってんだよ」
1度、電話しようとしたその時、新着のメッセージが届く。
それを見て、俺は思わず息を呑んだ。
白宮からだったのだ。
一瞬、逡巡したが、俺はタップする。
メッセージにはこう書かれていた。
『お友達とご飯を一緒に食べました』
と一言だけだった。
なるほど。
どうやら1人の寂しさを、友達を呼んで紛らせたらしい。
「あれ? でもおかしいな」
確か白宮って、学校の友達を自分の部屋に呼ぶのを嫌がっていたような……。
宗旨替えでもしたのだろうか。
まあ、白宮が1人飯を回避できたのだから、喜ぶべきことだろう。
すると、またポーンと電子音が響く。
『友達です』
という短文とともに、画像が送られてきた。
「げっ!!」
思わず声を上げる。
白宮の部屋のキッチンで、本日食べたと思われる料理とともに映っていたのは、俺の妹玄蕃文子だった。
「な、なんで、白宮の部屋にあーやがいるんだよ!」
1人部屋に、俺の声が響き渡るのだった。
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