第15.5話 教え子と妹(後編)

 なんて言うか、兄妹ね。


 私はひっそりと後ろを向く。

 テーブルに座った文子ちゃんを見た。

 先ほどと違って、借りてきた猫のように静かだ。

 だが、玄蕃先生おにいちゃんがいなかったことが、よほど応えたらしい。

 ずっと俯き加減で、口を閉ざしている。


 一方で料理を作る私の手には力が入った。


 目の前にいるのは、将来私の義妹になるかもしれない女の子だ。

 今のうちに、お近づきになっておくのも悪くない。


 ――そう! これは妹さんの胃袋を掴むチャンスなのよ!


 良いところ見せないと……。


 私はボウルの中でかき回していた豚ひき肉に木綿豆腐、玉ねぎ、そこにさらに薄力粉と塩胡椒を加える。よくこねると、楕円の形にして、空気を抜いた。


 それを油を引いたフライパンに載せる。


 じゅぅぅぅうううううう!


 勢いのよい音が、キッチンに響く。


「ふぇ……」


 ずっと黙りこくっていた文子ちゃんの顔が上がる。

 ごくり……と細い喉が動くのがわかった。


 それもそうだろう。

 今、私の部屋に満ちたのは、焼けていくひき肉のいい匂いなのだから。


「もうちょっとだから待っててね」


「何を作ってるんですか、お姉さん? この匂いって」


 曇っていた大きな瞳が、まるでお日様のように輝き出す。

 じゅるり、と涎を飲み込む音が聞こえた。


 私は少し得意げに鼻を鳴らす。


「できてからのお楽しみよ」


 焼き目が付いてきたら、裏返しにする。

 蓋をして、4分ほど蒸し焼きにした。


 たとえ蓋をしていても、匂いが漂ってくる。

 ひき肉の香りはもちろん、玉ねぎの甘い香りと、胡椒が焦げる匂い。

 密閉されたフライパンの中で奏でられる音は、常にお腹を刺激した。


 ネギを切り、大根を擂る。

 皿にあらかじめ切っていたレタスとトマト。

 冷蔵庫からはオクラに焼き海苔、醤油、生姜を絡めた和え物を取り出す。

 お味噌汁の具材は、わかめの干し海老だ。


 最後に皿に盛ったのは、本日のメインだった。


「ハンバーグ?」


 文子ちゃんは目をキラキラさせながら、私に尋ねた。

 私は不敵に笑って、最後の仕上げをする。

 大根おろしに、さらにネギを散らし、その上にポン酢をたっぷりと掛け回した。


「豆腐ハンバーグよ」


「ふおおおお!!」


 文子ちゃんは声を上げる。

 さっきまで下を向いていたツインテールにピョンと跳ねた。

 すっかり元気になったようである。


「いいの? あたし、食べて」


「いいわよ。元々2人で食べる予定だったんだけど、今日は友達の都合が急に悪くなって。ドタキャンされたの」


「じゃあ、お姉さんも一緒だね」


「そう。だから、一緒に食べましょうか?」


 私は手を合わす。

 その動きを見て、文子ちゃんも小さな手を合わせた。


「「いただきます」」


 今日もこの言葉が、私の部屋に響く。

 若干声が高いけどね。


 早速、文子ちゃんは豆腐ハンバーグに手を付けるのかと思ったが違った。

 まずは味噌汁を一口。

 そしてレタスとトマト、オクラの和え物に手を付ける。

 でも、しっかりとそのまん丸い目の視界には、豆腐ハンバーグを映していた。


 ――ふふ……。玄蕃先生と同じだ。


 どうやら1番食べたいものを最後に食べる主義らしい。

 やがて一通り食べ回ると、ようやく豆腐ハンバーグに手を付けた。

 幸いにも少し時間をかけたから、食べるのに適した温度になっているはずだ。


 豆腐ハンバーグを箸で丁寧に切り分ける。

 たっぷりの大根おろしと、たっぷりのポン酢を付け、目一杯開けた口の中に、いよいよ豆腐ハンバーグを入れた。


「むふふふぅぅぅうううううううう!!」


 鼻から蒸気のように息を吐き出した。

 顔が紅潮し、興奮する姿がまた可愛い。

 思わずにやけてしまった。


「おいしい?」


 と聞くと、ぴょこぴょこと首を振って、文子ちゃんは応える。

 相当気に入ったらしい。

 2連続で豆腐ハンバーグを頬張った。


 その顔を見ていると、なんだか私の方の食欲まで刺激される。


「じゃあ、私も一口……」


 豆腐ハンバーグを箸で切る。

 文子ちゃんがそうしたように、私も山盛りの大根おろしとポン酢を付けて頬張った。


「おいひ……!」


 はふはふと、豆腐ハンバーグを頬張った。

 食感がふわふわしていて、普通のハンバーグとは全然違う。

 木綿豆腐をたっぷり使ったからだろう。

 そこにひき肉の旨みとコリッとした食感。

 玉ねぎの甘みが、うまくマッチしていた。


 味付けも絶妙。

 胡椒がピリッと効いて、味がよく引き締まっている。


 いつしか私も夢中になっていた。

 ちらりと文子ちゃんに視線の向けると、やはり食べるのに夢中になっていた。

 よっぽどお腹が空いていたのだろう。


 おいしい料理に目を輝かせている姿が、たまらなく愛おしい。

 妹がいたら、こんな感じなのかなっと思ったりした。


 ――それにしても……。似てるなあ。


 玄蕃先生にそっくり。

 顔とか目とか、そういうのじゃなくて、食べてる雰囲気が玄蕃先生と瓜二つなのだ。


 ――まるで玄蕃先生がそこにいるみたいね。


 私は思わず微笑む。

 商店街で感じた一抹の寂しさは、どこかに吹き飛んでいた。


「ありがとう、文子ちゃん」


「ふぇ?」


「なんでもない」


 口に豆腐を付けた未来の妹さんを見ながら、私は後でもう1度、RINEをしてみようと思うのだった。

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