1.5限目 隣人が教え子だった(後編)

「これでよし……」


 俺はクリックルで磨いた床を眺める。

 コールスロー殺害現場の証拠は抹消され、代わりに綺麗な木目調の床が露わになると、照明の明かりを鈍く反射していた。


 因果なものである。

 自分の部屋はコンビニ弁当と、ペットボトルにまみれているのに、深夜に人の部屋の床を掃除することになるとは……。

 思わずため息を吐いてしまう。


 少女の方は今、シャワーを浴びている。

 湯音を聞いて、ドギマギするイベントもない。

 アニメや漫画ではお馴染みの展開だが、現実でやれば、それはイベントでもなんでもなくて、単なる事案になる。


 そもそも俺は高校の教師だ。

 JKは見飽きるほど見ている。

 まあ、可愛いと思わなくはない。

 特に俺の赴任先である二色乃高校には、全校生徒と教師が認める美少女がいる。


 名前は白宮このり……。


 容姿端麗。

 才色兼備。

 彼女ほど四文字熟語が似合う女子高生はいないだろう。


 二色乃高校の1年生。

 成績は優秀で、中間考査はぶっちぎりの1位だった。

 しかし、謙虚でお淑やかな性格であるため生徒受けも、教師を受けもいい。

 生徒会に所属し、間違いなく次期生徒会長は白宮だといわれているほど、人望も厚い。


 容姿も可愛いを通り越して、美しい。

 陶器然とした真っ白な肌。

 鼻筋は通り、輪郭も小さい。

 色素の薄いショートの黒髪は理知的な白宮のイメージとマッチし、滑らかで張りのある唇は、宝石のように美しい。


 その美貌は、入学前から話題になっていたと、先輩の教師がいっていた。

 それは誇張ではなく、事実だろう。

 新年度が始まってまだ2ヶ月にもかかわらず、二色乃高校で白宮このりを知らないものはいなくなっていた。


 とはいえ、新任の俺にそんな可憐な野花を愛でる時間などない。

 受け持ちの授業にその姿を見ることはできるが、新米の教師にとって、それどころではなかった


 浴室からシャワーの栓をキュッと締める音が聞こえてきた。


「そろそろ退散するか」


 少女も浴室から出てくる頃だ。

 いらぬハプニングを避ける意味でも、お暇した方がいいだろう。


「あの……。片付け終わりましたから。俺、帰りますね」


 浴室に向かって声をかける。

 すると、引き戸越しにくぐもった声が聞こえてきた。


「あ。ちょっと待ってくださ――――キャッ!!」


 すてん、と転んだ音が聞こえる。

 さらに物を倒すような盛大な音が続いた。

 どうやら、少女は天然のドジっ子属性らしい。

 漫画やラノベならば、ここで俺は引き戸を引いて、ラッキースケベイベントに入るところだが、俺もいい大人である。


「大丈夫ですか?」


 冷静に尋ねた。


「あ、はい……。あの不躾で申し訳ないのですが、着替えを取ってくれませんか?」


「着替え?」


「あ。はい。着替えを用意するのを忘れて」


「でも……」


「大丈夫です。下着は用意してるので。上に着る物だけを用意してくれれば」


「まあ、それなら……」


「キッチンの奥の部屋に、制服がかかってると思うので。それを持ってきてくれませんか?」


「わかりました。ちょっと待ってて下さい」


 今思えば、俺が部屋を出て行って、彼女が取りに行くのが、1番の安全策だっただろう。

 だが、俺は少女にいわれるまま、奥の部屋に入った。

 女の子らしい小物やぬいぐるみもあったが、割とこざっぱりした部屋だ。


「妹の部屋とはまた違うな」


 ジロジロ見るのも失礼なので、制服を探す。

 それはすぐに見つかったのだが……。


「げっ!」


 俺は呻いた。

 腰砕けになりそうなったのを、寸前で堪える。

 驚くのも無理はない。

 その制服は、俺にとって見慣れた制服だったからだ。


「二色乃高校の制服!」


 俺は声を上げた。

 遠くから「どうしました?」と少女が尋ねてきたが、答えるほど俺には余裕はない。


「まさか生徒だったなんて」


 考えられない事態ではない。

 このアパートから二色乃高校まで徒歩で15分だ。

 二色乃高校は私立校だが、学生寮はない。

 遠方でも自分の家から通っている生徒がほとんどはずだ。

 なのに、何故少女が1人暮らしをしてまで通っているのか、俺には皆目見当も付かないが、まさか俺の隣に住んでいるとは誰が予想できただろうか。


 慌てる心を鎮め、ハンガーにかかっていた制服を下ろす。

 真っ白なブラウスに、黒と青のブリーツスカート。

 胸元には二色乃高校の校章が刺繍されている。


 それを持って、少女の元へと赴こうとしたその時、パサリと何かがスカートのポケットから落ちた。


 生徒手帳である。

 なんと神は親切なのだろうか。

 ちょうど少女の名前と写真が添付されたページが開いた。


 その名前を見て、俺は悲鳴を上げそうになる。



「白宮…………このり……」



 思わず息を呑んだ。


「どうしました、玄蕃先生ヽヽヽヽ?」


 声はすぐ近くに聞こえた。

 振り返る。


 そこには確かに白宮このりがいた。


 バスタオルを巻いた姿で……。



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