インフォメーション・ガール

 サライ・ライ・ベルタ中層都市ニアロス。

 《合法犯罪都市》の玄関口ルードにある郵便輸送局前。


 フードを被ったティファリは一羽のオウムと待機していた。


「ティファリ、ティファリ、シゴト、イッショ、ウレシイ」

「大人しくしてて、ルマ。あなたに何かあったらファルコに怒られるわ」

「ファルコ、ファルコ、コワクナイ、ティファリ、ダイジ、ルマ、パートナー」

「ありがとう。今日もよろしく」


 左右に体を揺らし喜びを表現するオウムのルマを優しくなでる。肩に乗るルマは「ティファリ、ティファリ、モット、ナデル、ヨイ」とさらにすり寄った。

 そうして戯れること約十分。予定時間よりやや遅れて、ルード区域に放送が流れた。


『開港準備、開港準備。担当の者は速やかに持ち場に付け。繰り返す。開港準備、開港準備。担当の者は速やかに持ち場に付け。これより輸送物資搬入に移行する』


「来たわね」

「オキャクサン、オキャクサン、ティファリ、ルマ、オモテナシ!」


 郵便輸送局の目と鼻の先、都市を覆う分厚い壁の周囲が慌ただしくなる。


「レール用意完了!異常なし!」

「開口部電力チャージ!送電完了!」

「輸送端末、チップ認証データ共に受信!干渉はありません!」

「システムオールグリーン!開港します!」


 ゴウン、と重低音を響かせて、一部の壁が徐々に上下に開いていく。風圧差による突風でフードが飛ばされそうになるのを片手で押さえる。

 完全に開いた輸送路から作業員が退避する。まもなく、ガンッと音を立てて巨大なアンカーがレール上に突き刺さった。


『コース確定。第一輸送機発射を許可する。コース上の作業員は速やかに退去せよ。繰り返す。コース上の作業員は速やかに退去せよ』


 アナウンスが流れる。


『まもなく第一輸送機が入港。ショックに備え、各自対処せよ。カウント、…3、…2、…1、着弾』


 ドゴォオン!


 アンカー上部に繋がれた特殊合金のワイヤーを伝って、。轟音と共に降り立った箱型の輸送機――輸送コンテナこそが、合法犯罪都市に入るための唯一の手段である。


「毎回思うけれど、豪快よね……」

「ゴウカイ、ゴウカイ、シェイク、シェイク」


 世界で最も頑丈な金属で作られたはずの箱は度重なる滑空と着陸の衝撃で少し歪んでいる。扉も歪まないといいけど、と様子を見守っていると作業員が再び集まってきてコンテナの施錠を外した。数人がかりで扉を開けて、中にいる人間に声をかける。


「ようこそ、《合法犯罪都市》サライ・ライ・ベルタへ!歓迎するぜ兄弟ブラザー!!」

「さぁさぁ降りた降りた!今日からここがお前たちの住む街だ!せいぜいすぐくたばらないようにしろよ!!」

「チップ付けてない奴は……いないな!人物データ照合したら希望の層に放り込んでやる、希望考えておけよ!!」


 ぞろぞろとコンテナに詰められていた新しい住人囚人が降りてくる。作業員の先導で奥の認証ゲートに向かう彼らをすべて見送るまで待ってから、ティファリはコンテナ内で作業している男の一人に近づいた。彼女に気付いた男は確認作業を止めて「蝶の姐御!」と笑顔を見せた。


「お久しぶりッスねぇ。ルマも元気だったッスか?」

「ルマ、ルマ、ゲンキ、イッパイ!ゴウキ、ゴウキ、ヒサシブリ、サワル、ヨイ」

「相変わらずよ。久しぶりというほどではないでしょう、ゴウキ」

「んや、ここで会うのがって話ッス。ボスがまた来いって言ってたッスよー、ふっかふかの椅子用意して待ってるッス。蝶の姐御がマダムのところにばっかいるって噂になってたんで、ちょっと対抗意識ってか、悔しかったっぽいッスね」


「ボスの椅子は固いッスからねー」とわしわしルマの頭を撫でてやりながら、ゴウキ――紫藤剛鬼しどうごうきはぼやいた。ルマがハーフアップにした長髪を咥えたりひっぱったりするのを「強く引っ張ったらダメッスよー」と注意しつつも好きにさせている。

 蝶の姐御、とはティファリのことだ。どうもティファリ、という発音がゴウキにはしづらいらしく、呼びやすい愛称を考えた末、ティファリ→ティファ→テフ→てふ(極東の国の古語。意味は蝶というらしい)→蝶、となって蝶の姐御、と呼ばれている。


「そうだ、姐御がいるってことは仕事ッスよね?」

「ええ、『荷物』はある?」

「ッス。えーと、今日は一つッスね。あとケースがいくつか。ケースの方の数は保証できないッスよ」

「想定内よ。後で回収するわ」

「了解ッス。持ってくるんで、ちょっと待っててくださいッス」


 リストを確認してゴウキがコンテナの中に入っていく。

 人ひとり入れそうな巨大な箱一つと、アタッシュケースを次々運び出していく。いくら積み上げてもひたすら往復する彼の額に汗が浮かぶが、まだまだ終わりそうにない。


「……手伝う?」

「えっ、いやいいッスよ!姐御の気持ちはありがたいッスけど、これもオレの仕事ッスから。あと数個なんでもうすぐッス」

「そう、なら待ってるわ」

「ゴウキ、ゴウキ、ガンバル、ティファリ、ルマ、マツ!」

「へへっ、ルマのエールは効くッスねえ。んじゃーもうひと頑張りッス!」


 にへら、と笑ったゴウキが茶髪を揺らしながらもう一度中に消える。

 難なく運び出した最後の三つを山のてっぺんに追加して、「これで終わりッスよー」と告げた。ひとまず数を確認する。


「足りない分は……げっ、十二個!?いつの間に……」

「まあ、そうなるわよね。中身現金だもの」

「モチコミ、モチコミ、オオスギ、トラレル、ジョウシキ」

「いやぁ、これでも、滞在期間中に蝶の姐御が回収するんッスよね?かなりハードじゃないッスか」

「想定内って言ったでしょう。ファルコにルマ以外の子も何羽か借りているの。その子たちに見張らせてるわ」

「キョウダイ、キョウダイ、ニンム、テツダウ、シンパイ、ムヨウ」

「はー……さすが姐御ッス。兄貴の育てた鳥なら間違いないッスね」

「ルマ、ルマ、ジマンノ、キョウダイ!」


 むふーん、とルマが胸を張る。羽毛が膨らんで尾羽がピッ、ピッ、と左右に動いた。

 ティファリとゴウキの二人は少し癒された。なにこの可愛い生き物。

 と、唐突にアナウンスが流れた。


『まもなく第二輸送機発射。速やかに第一輸送機を回収せよ。繰り返す。まもなく第二輸送機発射。速やかに第一輸送機を回収せよ』


「やべっ、もう来るとか!それじゃあ、姐御、ルマ、オレは仕事に戻るッス!『荷物』運ぶならその物資搬入用のそのまま使ってくださいッスー!」

「ありがとう、気を付けて」

「ゴウキ、ゴウキ、マタナ!」


 ビャッ、と飛び上がり風のように去るゴウキを見送る。

 再び慌ただしくなった港でティファリはさて、とうず高く積みあがった『荷物』に手をかけた。


「まずは運び出さないと。ルマ、上で見張ってて」

「リョウカイ、リョウカイ」


 カートを押しつつ、一人と一羽は郵便輸送局の建物内に入った。





                ◇◆◇




「……まだ起きないわね。麻酔効きすぎじゃない?よっぽど寝たいのかしら」

「オキナイ、オキナイ、シゴト、ナラナイ」

「そうね……ん、もう意識戻りそう。ルマ、いつも通りにね」

「ピ!」


「んあ……?」


 何者かの話し声で、エイモン・L・ウィリアム・ロードは目を覚ました。

 眠りにつく前の記憶ははっきりせず、エイモンはしばらくぼーっと寝ころんだ姿勢から天井を見上げた。


「起きましたか?」

「うわっ!?な、なんだ君は!!」

「私は案内人です。わけあってフードは外せませんが、どうぞお見知りおきを。ようこそ、《合法犯罪都市》サライ・ライ・ベルタへ」


 突然フードを被った謎の人物が横から見下ろしてきて、つい驚きの声を上げてしまう。

 淡々と話すその人物――声からして女だ――の言葉でエイモンの脳裏に直前までの記憶が蘇った。

 そう、自分はこの《合法犯罪都市》に商売をしに来たのだ。

(なのに、あの機関の人間は!!このエイモン・L・ウィリアム・ロードを拘束し、箱に押し込め麻酔を打つなど!馬鹿にしているのか!)


「……道中のお気持ちはお察しします。ですが、これも皆様の安全のため、やむを得ず講じている手段ですので、ご了承ください」

「誰でもこんな扱いを受けるのか?父上も?」

「もちろんでございます。御父上様も、御父上様以上の地位にある方でも、です。」

「そ、そうか。なら仕方がないな」


 あの父上も同じ仕打ちを受けると知って少しは溜飲が下がる。

 もしこれがエイモンだけ粗雑に扱われているのだとしたら、父上を通して抗議しているところだ。


「麻酔はもう抜けておりますでしょうか。手や足に違和感等はございませんか?」

「ああ、それは問題ない。この通りだ」


 案内人だという女の確認に自ら体を起こすことで応える。ぶつからぬよう、さりげなく身を引いた女が内心(周り見えてないの、このボンクラ)と思っているなど、エイモンには知る由もない。


「では、手荷物の確認をお願いいたします。お荷物は別室に保管しております。案内いたしますのでどうぞ、こちらへ」

「ああそうだ、私の荷物は無事かね?あのようなコンテナに入るとは思っていなかったのでね……滞在用の荷物には割れやすいものもあるんだ。丁重に扱ってくれたまえ」

「承知しております。何か不備がないかをご確認いただきたく」


 女に案内されて隣の部屋に移動する。部屋にはエイモンのトランクとが整然と並んでいた。


「何も問題がないようにみえるが?」

「お荷物の中身が荒らされていないとも限りません。私は外に出ておりますので、すべてご自身でご確認ください」


 言うなり部屋を出て言った女は扉の前に待機しているらしい。警護のつもりだろうか?

 確かに、中立監視機関にあれだけ手荷物検査をされたのだから、検査と称してなにか掠め取られているものがあるかもしれない。エイモンはまずアタッシュケースを一つ一つ確認していった。

 トランクの方も確認したが、少々ブランド物の香水が閉め忘れていたケースからはみ出ていたくらいで、盗られたものはなさそうだ。アタッシュケースの中身もすべてドル札が詰まっている。エイモンはドアを開けて部屋の外にいる女へ声を掛けた。


「盗られたものはなにもない。すべて揃っているとも」

「それは幸運でございますね。何か盗られていましたら、回収は困難でしたから」

「そうなのか?犯人の逃げる場所など、限られているではないか」

「いいえ、犯人の特定は然程困難ではありません。回収が困難である理由はここが《合法犯罪都市》であるが故です。その話は追々話してまいりましょう」


 アタッシュケースの保管はどういたしますか、など淡々と話す女からは何の感情も感じられない。

(薄気味悪い女だな……しかし、案内人なしにはサライ・ライ・ベルタの入国許可が下りなかったのだから、仕方がない。あの機関が手配した者だというのは気に食わないが)

 適当にあしらって、『好きに』させてもらうとしよう、と画策しつつ、質問に答えていく。

 いくつか女から質問があり、そろそろエイモンのしびれも切れそうになった頃、ようやくエイモンの待ちに待った瞬間が訪れた。


「――それでは、大部分のお荷物はここ、郵便輸送局の者が管理いたします。必要な時におっしゃっていただければ配達の手配を致しますので、遠慮なく言いつけてくださいませ。失礼ながら、滞在中の宿泊施設はこちらでご用意させていただきました。振舞われる食事も安心・安全を保証いたします。――大変お待たせいたしました、これよりサライ・ライ・ベルタ中層街ニアロスをご案内いたします。御忘れ物のないよう、ご注意ください」

「ああ、やっとか。待ちくたびれてしまったよ」

「申し訳ございません、これも決まりでして」

「いや、いや、いいんだ、何はともあれ、こうして入国できたんだからね!さっそく出ようではないか」

「はい。ではこちらからどうぞ」


 ようやっと、噂の新天地、サライ・ライ・ベルタに踏み込めるとあってエイモンの興奮は高まっている。なにせここがエイモンの新しい事業を打ち出す第一歩となるのだ。じっくりと見て回らねばならない。

 トランクとアタッシュケースを一つ持って、女の先導に従いエイモンは郵便輸送局の建物を出た。途端に、ゴウッと風が吹きつける。


「な、なんだ!?」

「……誠に申し訳ありません。ちょうど輸送機の搬入作業中だったらしく。ここは玄関口ルード区の港にほど近いものですから、開港時に外部との気圧差で突風が生じるのです」

「なんだ?つまり荷物が届くのか?」

「はい、そのようです。――耳を塞いで!」


 女が声を張り上げた直後、ガンッ、という衝撃音がエイモンの脳を揺らした。巨大なアンカーが港に打ち込まれた音だ。

 音の発生源を見てヒュッ、と息が詰まる。あんなものをもし人間が喰らったらただでは済まない。


「な、な、な、なんだあれは!?敵襲か!?」

「いえ、サライ・ライ・ベルタに人と物資を運ぶ輸送機のアンカーです。まもなく輸送機が到着しますので、急いで認証ゲートに向かいましょう。そちらのお荷物は私が」


 アタッシュケースを女に預け、小走りでゲートとやらに向かう。遠ざかっていく港から硬質な何かが墜落するような轟音が鳴り響いた。『何』が墜落したのか想像するだに恐ろしい。エイモンは聞かなかったことにした。

 こちらに、と彼の前を走る女は、機械を手にした数人の男と犬のような動物が数頭いる場所で足を止めた。男や動物は『入国管理官』と書かれた腕章を付けている。

 エイモンと女に気付いた犬に似た動物が近づいでくる。見た目はゴールデンレトリバーのようだが、それにしては一回りほど体格が大きい上に目つきが肉食獣のように鋭く、どことなく違和感がある。

 後退りそうになったが、女に「動かないでください」と制止された。


「あの子たちから逃げた場合、どこまでも追いかけられます。ここはじっとしてください。命の保証は出来かねます」

「はっ!?どどどどうしろと言うんだ!」

「落ち着いて、じっとしてください。何をされても騒がないように」


 何度も念を押されて、エイモンもぐっと言葉を飲み込んだ。勝手に背後に動きそうな足を踏ん張って恐怖に堪える。

 二人に近づいたゴールデンレトリバー達はあちこちに鼻先を突っ込み、ふんふんと鼻息荒く匂いを嗅いでいく。

 一頭のゴールデンレトリバーがエイモンの上着の匂いを一頻り嗅ぐと、上着の裾を噛んでぐいぐいと引っ張ってきた。エイモンの三つ揃えのスーツは有名ブランドの特注品だ。エイモンのポケットマネーでも早々買えない、父からの贈り物である。それを台無しにされては堪ったものではない。


「な、なにをする!これは父上が下さった特別なスーツだというのに!?それを穴だらけ涎だらけにするつもりか!!」

「わふん、」

「落ち着いてください。そちらのポケットにあるモノを渡せばその子も放します」

「本当だろうな!?」

「はい、間違いありません」


 女の言葉を信じて、ジャケットの内ポケットを探る。出てきたのは中立監視機関発行のサライ・ライ・ベルタ入国許可証だ。

 エイモンがそれを取り出すと、ぱっと上着を放したゴールデンレトリバーは入国許可証をエイモンから奪い数人の男たちがいる方へ戻っていく。他のゴールデンレトリバー達も二人から離れていった。


「問題なかったようですね。行きましょう」

「ああ、スーツが……」

「……宿泊施設には繕い師もおりますので、あとで修繕と洗濯を依頼しておきましょう」

「よろしく頼む……」


 ところどころ解れたスーツを嘆きつつ、入国審査員らしい男たちの方へ向かう。

 エイモンの入国許可証を手にした男の質問に答え、男が一つ頷くと入国許可証に機械をかざし、エイモンに返却した。


「入国許可証は俺たちのような犯罪者に埋め込まれたチップ替わりだ。常に肌身離さず持って絶対に失くすなよ。失くしたが最後、外じゃあ死亡したと判断される。おい、聞いてるか?そうか、ならいい。――通ってよし!!」


「これより先に検問はございません。行きましょう。もう少しでルード区中央、商業エリアになります」

「あ、ああ……そうだな」


 もう少しだと促されて、落ち込んだ気持ちも上向いてくる。一歩先を歩く案内人の女にエイモンはついていった。

 しかし、と、先程から疑問に思っていたことをエイモンは女についていきながら聞いてみた。


「何をしても許される《合法犯罪都市》だと聞いてきたのだが、意外と普通の国と変わらないようにみえる。もう少し野蛮なものかと思っていたのだが」

「いいえ、間違っておりません。野蛮ですとも。そうですね、これは失礼いたしました。まず覚えていただきたい、サライ・ライ・ベルタの不文律ルールをお伝え忘れてしまうところでした」

「ルールなんて存在するのかね、この都市に?」

「はい。ここでの不文律ルールはただ一つ――『何をしても許されるが、』。この一つでございます」

「……なんだ?それは。矛盾しているではないか」

「いいえ、少しも矛盾していないのです。ところで、エイモン様はこの《合法犯罪都市》について、どこまで知っておられますか?」

「何をしても許される、外部に漏れない犯罪都市――だろう?」

「間違ってはいませんが、少々語弊があるかと。では、まず成り立ちからご説明します」


 《合法犯罪都市》サライ・ライ・ベルタは、そもそも世界中の終身・死刑囚を収容するため、世界共同事業でとある海域の孤島を掘削して作られた監獄要塞である。

 島自体は巨大な岩を削り取ったような形状で、直径二十㎞、高さ約六百mの断崖絶壁。緑は高度六百mの平らな地表にしか存在しない。島の内部は階層構造になっており、地表のある最上層、上層、中層、下層、最下層と分けられる。水・空気は島の内部に張り巡らされたパイプによって各層に届けられ、最下層であっても地表とほとんど変わらない活動ができる。

 罪の重さによって犯罪者たちが収容される階層も変わる予定であったが、これには島内部に相当数監視員も必要であるとして、危険面から白紙になった。代わりとして、海を隔てサライ・ライ・ベルタをぐるりと囲う巨大な壁を作り、そこで活動する監獄島の監視機関を設立した。それが現在の中立監視機関である。各国のエリート、実力を有する格闘家等、選りすぐりの人材で構成され、世界各国にも《合法犯罪都市》にも肩入れをしない中立を謳い、犯罪者の引き受けと物資輸送も請け負っている。


 犯罪者のみをこの壁から孤島に収容し、国家の法律の穴により凶悪犯罪者が服役を逃れる・精神疾患等による減刑・刑期を終え再び社会に出ることなどを阻止するために講じられた最終手段・最期の監獄。当時世界中の国で問題になっていた、無期懲役、終身刑や死刑を言い渡された犯罪者を生かすためにかかる費用が格段に減り、受け入れ先がないとまでされた収容所の問題も大幅に解消された。世界各国から無期懲役・終身刑にするのは甘い、と判断された者たちが多く収容されたのである。

 最低限の食事や衣服、日用品といったものは必ず定期的に輸送された。何も送らないのは流石に人道に反するとして議会で決定されたのである。しかし、収容された囚人らが十分に満足できる量ではなかった。これはわざとである。議会において犯罪者は犯罪者同士で争えばいい、と判断したのだ。結果死んでしまったとしても、どの国の責任でもない。世界各国共同で出し合った予算から、きちんと『囚人全員が満足できる量ではないが、節約すれば全員に行き渡る量』の物資は輸送しているのだから。


「この条約がありますので、現在も食糧他、必要な物資を外部から入手しております」

「ほう、そうなのか。建造物も職人を呼び寄せて造らせたと?」

「いえ、仮にも監獄ですから、罪のない職人を要求することはできません。犯罪者の巣窟に来ようと思う職人もいなかったかと。今あるモノらは少しずつ集め、大まかに監獄や監視員の生活エリアとして掘り抜かれ放置されていた空間を使って先人が築いたもの。あるいはそれらを修繕・改修したもの……新しく作られたものも一部ありますが。現在はこのように、外部から来られる方もいらっしゃるので、中層・下層域ではだいぶ改装が進んでおります」


 元土木建築士であった囚人が中心となり、少ない物資で独房用にくり抜いたまま放置されていた区画や監視員の詰め所予定地などを整備、改造、建築。少しずつだが、外部とそう変わらない生活区域を囚人たち自らの手で作り上げていったのである。現在でもその土木建築士が結成した組織は残っており、派閥の一つとして《合法犯罪都市》内で名を轟かせている。

 また、最上層に生息する動植物を観察・研究し、食用になるモノを厳選し、農場を作った者もいる。サライ・ライ・ベルタの最上層と下層に土地を持つ《ファム農協組合》の前身である。

 このように、世界各国の思惑とは外れ、孤島に収容された囚人たちは時に多くの数を減らしながらも独自の事業を開拓、展開、発展させていった。

 孤島よりも遥か高く聳え立つ壁により、脱獄は困難。ならばここに楽園を作ろうではないかと思考を転換させたのだ。

 日々繰り広げられる生存競争の中、とうとう娯楽施設まで完成したところで、サライ・ライ・ベルタにとある人物が訪れた。


「手違いでこの都市に送られてきたのは当時の某国大統領でした。視察で壁の中立監視機関を訪れていたところ、うっかり最終確認済みの輸送機に乗り込み、そのまま輸送されてしまったのです――」


 某国大統領はサライ・ライ・ベルタの内部を見て仰天した。それもそのはず、必要最低限の物資しか輸送していない場所に、拙いながらも建物やインフラが整備されていたのだ。通貨こそ流通していなかったが、物々交換で商いも成り立っていた。監獄であるはずが、一種の都市を形成していたのである。

 事態が発覚し中立監視機関が大統領を捜索・保護するまで約三日。無論、全くの無事では済まなかった。最高級のスーツは追いはぎされていたし、その前には財布を掏られ、時計や貴重品は寝ているうちに盗られていた。大統領捜索に孤島に侵入した中立監視機関員は数人が帰らぬ人となった。が、幸運というべきか悪運が強いというべきか、大統領自身は全くの無傷であった。無事に保護された大統領は国に戻り、サライ・ライ・ベルタの実情を壁の中立監視機関と、同盟国間で極秘の会議を開き共有した。

 驚いたのは各国首脳、中立監視機関である。これでは監獄の意味がないではないか、と孤島の運用方法に異を唱える国もあった。

 某国大統領は、サライ・ライ・ベルタをテロ組織と見なし壊滅するべしと主張した国々に待って欲しいと呼びかけた。

 利用価値はあるのだ、と。

 都市といえども、暴力もあれば殺し合いもある。明らかに平和な都市ではない。犯罪が起こるのは日常茶飯事だが、相手によっては報復もまた凄まじいからと強大な存在が犯罪を抑えている場所もある。

 今まで通り、犯罪者は孤島に送ればいい。何も知らない者は孤島でも犯罪を繰り返しやがて復讐を受けて人数は減るだろう。物資は少しを付け、強大な存在に犯罪が起きないよう抑えてもらう。

 そのかわり、特別に審査されて認可を受けたものだけ、孤島で娯楽に耽ることができるよう設備を整えよう。孤島には盗聴器も監視カメラもない、壁で遮られ情報が外部に漏れることもない、と。

 国のトップともなれば、一つの火遊び、スキャンダルが失脚の一手になりかねない。宗派や法律で制限されていない国ならばまだしも、夜の街を出歩いたり、賭博に打ち込んだりなど国を預かる者が許されていない国は圧倒的に多い。大統領の提案はまさに目からウロコであった。難色を示した国もあったが、聖人君子ばかりが国を握っているわけではないのだ。

 この提案をもとに、孤島の住民で一番の組織を束ねている者との話し合いが行われた。この話し合いに応じたのが今も三大組織マフィアの一つとして名を馳せる《リオンジャック》のボス、ジャック・ジャンウォークである。

 話し合いはつつがなく執り行われ、双方ともに同意が得られた。

『世界各国は孤島の住民が脱獄、及び要人に対して殺人またはそれに類する処遇を与えない限り、孤島に必要物資を届けさせる』

『孤島の住民は各国の要人、富裕層が必要物資を届け、中層下層域の住人を侮らない限り、訪れた外部の人間に娯楽を提供する』

『中立監視機関は双方の橋渡しを担う。情報は漏らさず、脱獄は許さず、孤島を往復する人物もまた監査・管理するものとする』


 岩肌が剥き出しのままの通路を進みながら女が言う。


「無事締結された約定が今のサライ・ライ・ベルタを形作る後押しとなりました。ですが、ここには書かれていない暗黙の了解があります」

「なんだ、それは?」

「情報が表に――外部に出ないということは、ということ。公表すれば《合法犯罪都市》に来ていたことがバレてしまいますから。つまり、自衛が必要なのです。さらに忘れないでいただきたいのは、ここが犯罪者たちを収容する監獄であるということ。ここでは基本的に何をされてもおかしくありません」

「それくらいわかっている!」

「いえ、分かっておいでではありません。……この先が玄関口ルード区、商業エリアになります」


 女の一言で馬鹿にしているのか、と噴き上がったエイモンの怒気が少々鎮火する。

 今度こそ、いよいよ《合法犯罪都市》内部に足を踏み入れられるのだ。

 電球がぶら下がる通路を抜けて出た先には、地中とは思えぬほどの活気を見せる街並みが待っていた。


「はいはいはい、そこのねーちゃん、これはどうだい!あのファム農場産の果実を使ったドライフルーツさ!いまなら100gまけるよぉ!?」

「ライラ・シャルゴール製の薄絹!綿!羊毛の絨毯なんかもある!いい布材が欲しい?お安い御用さ!うちに寄ってきな!!」

「建築、改築お任せあれ!住宅のことなら我らがレジェン・バッファロー組にご一報を!」


 やんややんやと威勢のいい売り子の声が飛び交う。

 町全体が天井遥か高くから明るく照らされ、商業者も建物を構えたしっかりした店舗や出店のようなものもあれば、フリーマーケットのように御座を敷いて商品を並べているものもある。

 その前を通る買い物客や通行人の服も粗末なものでもなく、平民や一般人とそう変わりない暮らしをしているようだ。

 はっきり言って驚きの一言である。

 相変わらずフードを被ったまま、女はまずどちらに向かわれますか、とエイモンに問いかけてくる。


「そうだな……宿泊施設は決めてあるんだろう?まず荷解きをしてからじっくり見て回るとしよう」

「かしこまりました。ではご案内します」


 一歩先を歩く案内役の女についていきながら、少し街を観察する。

(見たところ普通の街と変わらないな。これのどこが危険だというのか……)

 エイモンには不思議でならない。街の商人も住人も笑顔だ。もっと殺伐とした薄暗い寂しい雰囲気の街かと想像していた。エイモンたちが通る間にも犯罪が起こっている様子もない。聞きしに勝る《合法犯罪都市》とはなんだったのか。

 考え事をしていると、ふいにエイモンに走っていた子供がぶつかってきた。そう、子供だ。

 ぶつかった子供はエイモンを見上げると慌てた。


「あっ、ご、ごめんなさい」

「いや、わたしもよそ見をしていて悪かったね。次からは気を付けたまえよ」

「本当に、ごめんなさい。それじゃ……」

「待ちなさい」

「わっ、な、なんだよう!なにもしてないだろ」

「おい、君。その子が怯えているじゃないか、放すんだ」


 子供を呼び止めたのは女だ。いつのまにか子供の片手を掴んでいる。

 エイモンとて、こんな場所で子供に会ったことに驚きこそすれ、ぶつかった程度でわざわざ目くじらを立てるほど狭量ではない。何もなかったのだから呼び止める必要もないだろうに。

 しかし、女は手を掴んだまま離さない。


「エイモン様。先程私が申しあげたことをお忘れでしょうか。ここでは何をされてもおかしくないのです」

「それがどうした」

「ポケットの入国許可証をご確認ください。今すぐに」

「この子が盗んだといいたいのか?バカバカしい、この子は何もしていないだろう」

「そうだよ僕、なにもとってない」

「ご確認ください。今、すぐに」

「だが、まあ、そうだな。この子の無罪の証明にはなるだろう」


 フード越しにもわかる眼光と凄みの利いた声に慄いたわけではないが、言われた通りにポケットを探る。が、何の手ごたえもない。

 冷や汗を流すエイモンの眼前で、女は掴んだ子供の手から小さく握りしめられたエイモンの入国許可証を取り上げてみせた。仕業を暴かれた子供は大人しい様子から一変、「放せよ!」と暴れて何とか女の手から逃れようともがいている。その首にはサライ・ライ・ベルタに収容される囚人特有の生態チップが見えた。

 あまりの豹変っぷりに唖然としていると、女は変わらず淡々と告げた。


「お分かりいただけましたか。ここでは子供であろうと、老人であろうと立派な犯罪者、死刑囚なのです。今からご案内します宿泊施設内以外の場所では誰であろうと警戒を怠らないようお願いいたします」

「い、いつ……!?全くそんなそぶりは……」

「ぶつかった直後でしょう。よくある手口でございます。これからは入国許可証を安易に取り出せる場所に保管なさらないほうがよろしいかと」

「くっそ、せっかく久しぶりのカモだったのに!放せよ!放せったら!」

「か、かも……?」

「お気になさらず。――『マダム』の子ですね。この方は『上客』です。これがどういうことかはわかりますね?」

「ひぅっ」


 女が子供に何やらぼそりと囁くと、短い悲鳴を上げて子供は暴れるのをやめ、大人しくなった。かすかに震えているようにも見える。

 女が手を放すと、子供はへたり込んでしまった。

 入国許可証をこちらに返した女はもう見向きもしない。かわりに近くの女店員に「あの子を頼みます」と何か頼んでいる。快い返事をもらったのだろう、女はすぐ戻ってくると子供を放ってさくさく道を進んでいく。

 置いていかれては堪らない。エイモンは後ろ髪をひかれながらも、女の後を早足で追った。

 よくよく街を見渡してみれば、人数は少ないが未成年の子供がちらほらいる。老人もだ。

 老人はまだわかる。この都市に来て年月が経っているならそれ相応に老いるだろう。だが、年端もいかない子供がこの都市にいるのはどういうことなのか。各国には少年院があるはずだが……。


「君、この都市に子供がいるのは何故かね?とてもここに送られるとは思えないが」

「そうでしょうか。ここにいるということは立派な犯罪者だからでは?」

「い、いや、しかし、未成年の犯罪者は余程のことがない限り少年院に入れられるだろう。罪に問われないこともあるくらいだ。まだ十歳ほどの子供が送られるとは思えない」

「……そうでしたね。外ではまだそのような価値観を持っている。わたくしから一つ言わせていただきますと、――子供だからといって赦されてよい犯罪などないのです」


 エイモンを振り返ることなく女は冷たく言い放つ。

 まくしたてるように言葉を続けた。


「子供だから逃げ出してしまっても仕方ない、子供だから見殺しにしてしまっても仕方ない、子供だから判断力がなくても仕方ない、子供だからしてはいけない事を区別できなくても仕方ない、子供だから誰かを傷つけて後遺症を負うような怪我をさせても仕方ない。本当に、偶然、たまたま、起こってしまった事故ならそうでしょう。ですが、子供だからなんだというのです?相手を死傷させたなら、損害を負わせたなら、責任を取り償うのは当事者です。謝罪するべきはその子供当人。子供だからと見過ごされる法律は本来存在してはいけません」

「いや、しかし、」

「泣いて謝って許してもらえると理解した子供というものは、何度でも犯罪を繰り返します。何度でも。極端なことを言いますが、過去に人を殺め続けてもなお平然と社会に存在する子供を、エイモン様はどう思われますか」

「そ、それは……」

「……いえ、失礼いたしました。今のことはお忘れください。……遺族や被害者の強い要請があり、たとえ年端のいかない子供であろうと悪質と判断された場合はサライ・ライ・ベルタに収容されるよう取り計らわれております。ですので、子供も少なからず存在致します」

「そ、そうなのか……」


 妙に熱を帯びた女の語気がゆっくりと元通り冷えていく。

 エイモンには分らないが、何か琴線に触れるものでもあったのだろうか。

(過去にでもなにかあったのか?子供……いや、そうか。この女、もしかすると……)

 などと一人邪推に走るが、無論誰も止めるものなどいない。すべて顔に出るエイモンの悪い癖である。本人は気付いていないため、密かに周囲から馬鹿にされていることも知らない。

 フードを被った案内役の女もまた幸いなことに振り返ることはしなかったため、その脂下がった表情を見られることはなかった。

 女が足を止める。広い街道の端に小さなバス停のような看板と休むための木製のベンチがある場所だ。もしや、と思っていると、女が「ああ、来たようです」と街道の先を確認して呟いた。こちらに向かってきたのは二頭立ての馬車だ。御者台と開けた二人掛けの座席が二列に並んだ簡素な作りのものである。すっと女が手を上げると、馬車は二人の前で止まった。


「シャルゴール・パルフェまで」

「……確かに」


 女が御者に行先を告げ、通貨だろう、何かを渡した。渡されたものを確認した御者は「乗りな」と後ろの座席を指す。

 先に乗り込んだ女が「どうぞこちらに」と慣れないエイモンに手を差し伸べる。

 二人が席に落ち着いたところで、馬車がゆっくりと走り出した。


「目的地までは徒歩で遠くなりますので、馬車を使わせていただきました。事後承諾になりましたが、よろしかったでしょうか」

「ああ、いいとも!馬車に乗るなど、人生で初めてだ!」


(ああ、これだ、これだ、こういうのがしたかった!!)

 エイモンはつい先ほどまでのことを忘れて頬を紅潮させながら食い気味に答えた。

 馬車など、現代ではそうお目にかかれるものではない。ましてや、それに乗り込むなど、某国王族以外ではエイモンが初ではないかと思う。移動手段は車が主流になっている現代社会では決して味わえない貴重な体験だ。

 アレは何だ、これは何だと女に尋ねながら上機嫌で馬車に揺られていると、通り過ぎる街の雰囲気が変わり始めた。老若男女が入り乱れる活気のある街並みから、しっとりとした独特の雰囲気を持つ店舗がちらほらと見え始める。

 ふと、それらの店の特徴にピンときたエイモンは思わず女を振り返った。


「まさか、君、宿泊施設とは……」

「はい。ここは歓楽街、メレイヤ区になります。エイモン様に宿泊していただく施設はその中でも最高級のになりまして、安全性とサービスの良さは保障いたします。ですが、入国許可証だけは、室内でも肌身離さずお持ちください。入浴の際は服の下などに隠されると良いかと」

「いやまて、さすがに待て、ホテルではないのか!?」

「最初に申し上げておりますが。宿泊施設はこちらで決めさせていただいておりますと」

「言っていたか!?」

「はい、確かに。先に申し上げておきますと、この都市では他に外部の高級ホテル並みの上等な宿泊施設は存在致しません。あるとすれば居住区ですが、こちらは危険面からオススメできません。住民が自身のために作り上げたものですから、何かあればエイモン様の非になります。これから向かうシャルゴール・パルフェは娼館とはいえ、宿泊のために《買う》必要はございません。ほとんど通常のホテルと変わらないものとお考え下さい」

「そ、そうか、ならいい、いいんだ……」


 娼館なぞ、いまだ童貞のエイモンの手に余る。というよりも、娼館とは女がそう、煽情的な服装をして男を誘う場所である。泊まるといっても一晩中あれやそれやとしていては休まるものも休まらないというもの。そういった惚れた腫れたに実際のところ縁のなかったエイモンにとっては未知の世界だ。

 無論、エイモンはモテた。というか今も数々の女性からアプローチはある。が、ひとたび付き合いだすと女からフラれるのである。エイモン自身に思い当たる節はないのだが、付き合うたびに悉くフラれ、肝心の卒業まではこぎつけられなかったのだ。さらには、ロード家の方針により、そういった淫らな店には近寄らぬよう厳戒態勢を敷かれていたために、女を買うこともしたこともない。

 という次第で、エイモンには娼婦のような淫らな女性の耐性はない。皆無だ。通常のホテルとそう変わらないのであればそれに越したことはなかった。高級ホテルと同じクオリティであるなら尚更である。

 最初から選択肢は一つであった。




                 ◇◆◇




「さて、こちらがエイモン様ご滞在の間、宿泊していただくシャルゴール・パルフェになります」

「おお、ここか……!娼館と聞いていたが、なかなかいい雰囲気ではないか」


 目的の建物の前まで馬車を使い、手つき金を支払って目の前の娼館――サライ・ライ・ベルタ最上級の娼館、シャルゴール・パルフェの中に入る。

 ここはサライ・ライ・ベルタの中でも大きな影響力を持つ三大組織マフィアの一つ、《ライラ・シャルゴール》が経営している数ある娼館の一つだ。その中でも、《ライラ・シャルゴール》のボス、『マダム・ライラ』と恐れられるライラ・イシュタリアという女傑がホストをしており、彼女直属の娼婦たちが所属している。

 そもそもルード区商業エリアと歓楽街――メレイヤ区自体、『マダム』の支配下にある。《ライラ・シャルゴール》の構成員は女性が大半を占め、多くが何かしらの技能を有している。技能は料理、裁縫、細工、デッサン、掃除など多岐に渡り、それぞれ暇な時間に娼婦をしながら腕を振るっている。その中で選りすぐりの女たちがこの最高級の娼館に集められているのだ。

 ちらり、と案内役の女――ティファリはエイモンという男を一瞥した。明らかに建物の豪奢な内装に興奮していて、さらには娼館だと告げたことがまずかったのか、何処かそわそわと落ち着きがない。ついさっき説明したことがきちんと脳内に収まっているのか、甚だ疑問である。

(童貞だったのかしら……娼館だということは言わないほうがよかった?けれど、そんなことすぐに分かるものだし。……はあ、面倒くさいわ)

 願わくば、この中では少なくとも騒ぎを起こしませんように、と些か叶う気がしない願い事をしつつ、ティファリはこちらに、と広いロビーから男を予約済みの部屋まで案内した。


 サービスや部屋の調度品などに興奮しっぱなしのエイモンはさておき、部屋には荷解きをするために立ち寄ったに過ぎない。ティファリはアタッシュケースを適当な場所に落ち着け、都市を見て回る為の荷物と着替えを選ぶエイモンをしばらく部屋の外で待ってから、改めてどこへ向かうかと尋ねた。

 たぶん何も知らないから全部とかいうのだろう、と内心思いながら「ふむ、そうだな」とわざとらしく首をひねる男を見やる。


「うん、順にすべて見て回ろうと思う。案内を頼むぞ」

(全部見て回るとか正気の沙汰じゃないわよ……本当にわたしの説明聞いてたのコイツ)

「かしこまりました。ですが、本日中にすべて見て回ることはできませんので、メレイヤ区とルード区商業エリア。可能でしたら他の区に足を延ばすということでいかがでしょうか」

「いや、私はまず居住区を見て回りたい。彼らの生活を観察したいのだ。ここで新しい事業を展開するためにも早急に知りたい」


 正常な人間ならここで血管の一本や二本、浮き上がってしまったかもしれない。

 さっき軽くとはいえ説明したでしょう、と深いため息をつきたくなる――表面上には努めて冷静に、ティファリは言葉で男のわがままを封じ込めにかかる。


「申し訳ございませんが、ここメレイヤ区からとなりますと、居住区までは馬車を使ってもかなり時間がかかります。そして、改めて申し上げますが、居住区に外部の方が立ち寄ることは非常に危険です。やめた方がよろしいかと」

「なぜだ?私は何もしない。ただ観察するだけだ」

「それでもでございます。もうお忘れですか、この都市はどう見えようとも犯罪者を収容している監獄なのです。犯罪者の巣窟に、ただ観察するためとはいえ乗り込んで無事に済むとお思いですか」


 男が何かを言う前に、ティファリは「私は案内人でございます」と畳みかけた。


「サライ・ライ・ベルタに関することであれば何なりとお聞きください。しかし、案内人が外部の方を自ら危険にさらす場所に案内するようでは、案内人として失格でございます。私はこの都市を訪れた方にできるだけの安全をお約束しております。それを破ることは出来かねます」

「……ッ、……、それほど危険なのか」

「危険でございます。……もっと具体的に申しますと、エイモン様を居住区に案内した場合、五体満足にこの都市を出ることはできなくなるとお考え下さい」

「ぐ……ぬぅ……」


 大して丹精でもない男の表情が赤くなったり青くなったり面白いほど変わる。

 事前の情報で、エイモンがロード家当主にこの来訪を伏せていることは掴んでいる。かすり傷程度であればいくらでも誤魔化しは効くが、一目でわかる大怪我ともなれば何があったのか問いただすのが道理だ。

 そもそもエイモン自身の合法犯罪都市への入国自体、ロード家当主が禁止していたであろうことは簡単に想像がつく。現当主や家訓の方針からしても、《合法犯罪都市》自体を快く思っていないのだ。現に今までロード家の人間が訪れたことは記録にない。

 ボンクラ息子が勝手に家柄を嵩に来て権力を振りかざし、入国申請をねじ込んできた。どれほどの馬鹿であろうとも重要人物の息子であり、少なからず影響があると判断した中立監視機関が依頼を回してくるくらいだ。何度も中立監視機関員も止めただろうが一向に聞かなかったのだろう。

(できれば壁の方でどうにかしてほしかったのだけれど、いまさら言っても仕方ないわね)

 約五分ほど男の百面相は続いた。

 そして天秤は保身に傾いたらしい。

 非常に、心底、不服であると顔に書かれている。


「……よかろう。君の言う通りにするとしよう」

「ご理解頂けたようで何よりでございます。先程のお召し物を繕い師に預けてから向かうと致しましょう」


 ああ、これは後々面倒なことになるに違いない。

 フードの奥で目を細めたティファリはそれ以上何も言わず、その日夜が更ける間際までただ案内役に徹した。

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