微睡むための前日譚(プロローグ)

零始十五焉

ワン・ウィーク・ビフォア

《合法犯罪都市》サライ・ライ・ベルタ。

 此処では何をしても許される。

 暴力・恐喝・薬物・強盗・強姦・殺人・食人・拷問・人体実験・人身売買・奴隷契約。

 何をしても誰にも咎められない。

 だからこそ、何をしても赦されない。

 好き勝手にしたのだから。

  

  


 サライ・ライ・ベルタ上層街ベリニアーチ。

 人で溢れる街並みを、フードを被った女が通る。


「へっへ、おいそこの女あ!こっちに来てイイことしようぜ、手加減してやるからよぉ」

「お前、下の女を見て言えよ。どーこが手加減だ死んでんだろうが」

「おっといけねえ、やりすぎちまったか。わりぃわりぃ、でもここにいるくれぇなら、仕方ねえさ。自業自得ってな」

「ちげぇねえ」


 ドッと笑いが巻き起こる。男の足元に転がる女はあらゆる体液にまみれてこと切れていた。

 無造作に汚れた街道に放り投げられた死体は腹を空かせた誰かの食人獣ペットに食らいつかれた。血飛沫が飛んで道が赤く染まる。気付いた飼い主が「こら、おやつは帰ったらあげるから放しなさい」と食人獣を叱りつけた。

 その横を通り過ぎる。


「って、おいおいおい無視すんなよ!なあ!」

「お前の口説き文句で釣られる女がいるかよ。さっきのもどうせ奴隷だろ、女口説くならせめてその貧相なモノ仕舞ってから言え」

「なんだと!?てめえは見てるだけなんだから黙ってろ!このムッツリ童貞野郎!!」

「誰が童貞だ!俺はなあ、相手選んでるだけだ!!」


 殴り合いに発展した喧騒を背に細い路地に入る。道端で何人もの人間がうずくまっていた。


「あ……あー……」

「幸せ……幸せですぅ……」

「ふへ、ふへへへ……」


 全員が廃人寸前、重度の薬物中毒だ。声をかけても反応を期待するだけ無駄。

 邪魔な足や体は蹴飛ばして道を開ける。蹴られても幻想の中にいる人間は力なくよだれを垂らすだけだ。

 薬の廃人死体は処理が面倒なのに、と軽く嘆息しつつもう一人邪魔な人間をどける。

 見えた地下への扉を開けて、下に伸びる梯子を下りた。

 とっ、と足が地面に着く感触で目的地に着いたことを確信。『ルミナス』と書かれた看板の下をくぐって中に入る。

 ここにいるはずの人物を探して店内を見渡すと「おーい、こっちだティファリ!」と奥から聞き知った声が女を呼んだ。

 そちらに足を向けると待ち合わせにこの店を指定した男が「よっ」と手を挙げた。


「悪いな、わざわざ。そこ座れ、上層にしちゃ上等な椅子だぜ」

「ん。……それで、何の用?仕事ならいつもの場所でも話せるでしょ」

「まぁまぁ、まずは飯だ。おい、オーナー!おすすめの飯二つくれ」

「ちょっとスロータ」

「安心しろ、俺の奢りだ。ここのは美味いぞー?」


 フードを取った女――ティファリは勧められるままにテーブルに着いた。滑らかな光沢のある革張りの椅子は、中に余程良い素材の詰め物をしているのだろう、少しへたっている見た目とは裏腹にゆったりとティファリの体を受け止めた。……確かに、この座り心地は悪くない。部屋の物には劣るけれど。

 ティファリを呼んだ男――スロータは制止もものともせず一人だけ店内に立つ店主に注文を頼む。ちょうど昼の時間だが、客は二人しかいない。

(食には五月蠅い自称中年オヤジのスロータがオススメするような店には思えないけれど。いや違う、ご飯の心配じゃなくって、)

 ブンブン首を振って脱線しそうな思考を振り払う。先に来て待っていたスロータは何か飲んでいたのだろう、食べかけのつまみと透明な酒を喉に流し込んで上機嫌だ。食に関して一度言い出したら聞かないのはこれまでの付き合いで身に染みている。溜息だけ一つ落として、それ以上は言及せずにティファリも大人しく料理を待つことにした。


「お待たせしました。当店自慢のブラッドニーの蒸し焼きでございます」

「おおう、きたきた」


 待つことしばらく。店主が持ってきたのはこの都市特有のウサギを使った肉料理だ。肉と香草のなんともいい香りが漂う。スロータは子供の様に目を輝かせて目の前に置かれる一皿に熱い視線を送っていた。


「中にバルファードの肉と数種類の野菜を米と一緒に詰めております。少しずつ崩しながらお召し上がりください。お好みであちらのスパイスをどうぞ。こちらはサービスでございます」


 店主がコトリとティファリの前にグラスを置く。中身は赤い。


「赤らワインの20年物、ファム牧場ファーム産でございます。よろしければ」

「ファムの20年物!?いい酒じゃないか。滅多にお目にかかれんぞ」

「……ありがとう」


 深い一礼をして店主はカウンターに戻る。

 さて、と未だ熱気を放つ出来立ての料理に向かって二人は手を合わせた。


  

  

 思う存分料理と酒に舌鼓を打って打って打ちまくった。一息ついた〆の一杯を煽りつつ、スロータはにやりと薄笑いを浮かべた。


「ここはいつも夜にしか開いてない予約制の店でな。今日は特別にオーナーに開けてもらったのさ。どうだ、上層も捨てたもんじゃないだろ?」

「味は悪くなかったわ、それは認める。食にこだわろうとは思わないけど」

「だろう?俺の気に入りの一つさ」


 得意げにのたまうスロータは食に関してだけは妥協しない。サライ・ライ・ベルタの中なら彼の知らない飲食店はないくらいだ。どの店も必ず一度は訪れるが、この店の様に『お気に入り』にランクインするところは少ないとティファリは記憶している。【スロータが常連の店】なら今は閑古鳥でも将来必ず繁盛する。そして料理の味はお墨付き。食品を扱う界隈では二度来ればまず商売成功間違いないと都市伝説ジンクスができている始末だ。

  

 ティファリがデザートに食べているパンナコッタもファム農場産のベリーをふんだんに使ったジャムがいいアクセントになっている。ここでは最高級の嗜好品とされる砂糖が確保できているということはだ。一層治安の悪い上層に店を構えているのが不思議なくらい。

 しっかり堪能して空になった陶器の器を未練がましく見つめてしまいそうになる。が、それよりも先に呼び出された用件を聞かなければ。視線をなんとか引き剥がして、半分以下になった最後の一杯を惜しむようにちびちびと飲む男に向き直る。


「それで、本題はなに?お気に入りの店を紹介するだけじゃないでしょ」

「そりゃあそうさ。下層の連中に聞かれたくなかったもんでね。……気に入ったならもう一つ頼むか?」

「……そ、それは今はいいわよ!仕事?」

「ああ、その依頼だ。ただなあ……」


 スロータの表情が苦む。懐から封書を取り出すとティファリの前に滑らせた。

 蜜蝋で封をされた上に刻印が施されている。《合法犯罪都市》と外部とを繋ぐ監視機関の上層部の印だ。これ自体は特別珍しいものではない。

 手に取って裏面を見る。サライ・ライ・ベルタ中層郵便輸送局宛、と書かれた下に薔薇の文様が五つ、星の文様が一つあしらわれていた。

 目が点になる。思わず口をついて本音が出た。


「なにこれ」

「俺も聞きたいさ、おまけに内容も酷い。食事前には話したくなくなる」

「いつもの秘密裏に豪遊、じゃないの」

「いんや。なんでもんだと」

「……星一つで?正気なのソイツ」

「残念ながら正気らしい。完全に親の七光りのちゃらんぽらんだが、父親は某大国の国家経済戦略にも参入している財閥のトップ。だから薔薇は五の星一」

「頭痛い……」

「俺もさ」


  呻き声は一つではない。片手を頭にやるティファリの向かいではスロータが無意味にグラスを揺らした。

  

  

 封書にあしらわれている薔薇と星の文様はそれぞれ『世界的重要人物度』と『知的程度、及び《《合法犯罪都市》の危険度の理解レベル》』を表している。数で程度を表しており、最低で一つ、最大で七つとなる。

 薔薇が五つともなれば、通常、よっぽどの馬鹿でない限りはある程度の理解がないとそもそもこの都市には来させられない。うっかり何も知らないままサライ・ライ・ベルタに来てという最悪の事態を避けるためだ。

  

 過去に、親のコネを使ってとある世界的企業会社の御曹司が来た例がある。その御曹司は全くなにも知らない状態で、ただ【イイこと】ができると聞いてサライ・ライ・ベルタに来ただけの観光客だった。だが、専属のSPがついていたにも関わらず都市に到着したその日に死亡。公には詳細は伏せられたが、遺体は原型を留めていなかった。両親には、辛うじて人の形が残っていた部分だけが送られたという。

 この事件は世界中で大問題となり、改めて《合法犯罪都市》の存在を知らしめることになった。

  

 しかし、それでも世界の覇権を握る者や金長者といった人間はこの都市にやってくる。

 なぜなら此処、《合法犯罪都市》では『何をしても許される』からだ。異常な性癖、破壊衝動、非合法薬物の入手など、ありとあらゆる犯罪行為がこの都市ではとして処理される。さらに、閉鎖空間であるこの都市内での行動は一切外部に漏れない。後ろ暗いことをするにはもってこいの場所なのだ。

 だが、サライ・ライ・ベルタは犯罪都市であるだけあって、外部の人間が無防備に観光気分で足を踏みいれると碌なことにならない。先に挙げた御曹司はまだだ。少なくとも苦痛は一日だけしか感じなかったのだから。

 《合法犯罪都市》だからこそ、そこかしこに危険は潜んでいる。それを理解していないとどうなるかはわからない。この都市の住人にとって権力者や金持ちは格好の餌だからだ。都市の異常性、危険性を理解した上で身を守る術を持たなければ生きて帰れない。

  

 真にここに来れるような伝手のある人種なら、ある程度知識として教育されている。何も知らぬままサライ・ライ・ベルタに訪れてうっかり自分の後継者が殺されたなど誰でも御免被りたいもの。身分が高ければ高いほど、金を持っていれば持っているほど、より綿密に教え込まれることになっている。

 基準として、薔薇が五――国家的影響が大、世界的影響が小と判断される人間は最低でも星が三――知性は一般、合法犯罪都市の規則ルールを理解し、護衛を連れている程度のレベル――はあるのが普通だ。

 星が一つとはつまり、何も知らない馬鹿だということ。ただ住人たちの『おもちゃ』になりに来たようなものだ。

  

「よく碌にここを知りもしない馬鹿が監査通ったわね。おまけに起業するですって?」

「奴さんはそのつもりらしい。できるかどうかは怪しいがね」

  

 スロータが「中身見てみな」とグラスで封書を指す。

 言われた通りに封を外し、中の詳しい資料にざっと目を通す。おおむね彼の言った通りの内容が書かれているが――ティファリはとある一文を二度見した。

  

「……え、コイツ馬鹿なの?現金持ち込み額5億って『いくらでも取ってくれ』と言ってるようなものじゃない。それで護衛なしって何考えてるの」

「真性の馬鹿なんだろうなあ、さすが星一つは違うぜ」

「ほんとなんで監査通ったのよ……」

「俺が聞きたい」

  

 現実逃避に走っても、星の数は変わらない。

 呻き声も低くなるばかり。この男の担当監査官が恨めしくなってくる。外部とも《合法犯罪都市》とも深く関わらない中立監視機関は何をやっているのやら。

 いやいやながらさらに読み進める。必要な情報は全て頭に叩き込んで、テーブルの上に放り出した。

 深く眉を寄せるティファリに、スロータが渋面を浮かべて言った。

  

「だから言っただろう、胸糞悪くなるってな」

「そうね、だから」

  

 ティファリは空の白い器をずいっとスロータに突き出した。

  

「おかわり」

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