episode-19 漂流


「明日にはメルボンに着けそうだな」


「そうですね。海も穏やかですし順調です」


 小島で2日程リフレッシュをした私達は再びメルボンを目指して航海を続けていた。

 この辺りの海は透明度が非常に高く部屋や通路の窓から見える海中は色とりどりの魚が泳いでいるのが見てとれる。


「色んな魚がいるんだね」


「そうっスね、この辺りは特に彩色が豊かな魚が多いっスから見てて飽きないっスよ」


「見た目はあんなんだが結構美味いしな」


「艦長は食べることばっかりっスね」


 ブリッジが笑い声で満たされ和やかな雰囲気のままサンダルフォンは更に南を目指す。


「あれ?ソナタ、少し向こうの海面に何かあるよ?」


「あん?島か何かか?」


「違うっスね、漂流物か何かじゃないっスか?」


「こんな海の真ん中で?」


「気になるのか?ミハル」


「……うん、何となく……」


 私の顔を見て何かを悟ったのかソナタはサンダルフォンを浮上させる。

 そして海面に出た私達が見たものは小さなボートだった。


「救命ボートだな」


「こんな海の真ん中でどうしたっスかね?拾ってみるっスか?艦長」


「ああ、多分残念なことになってるだろうが葬いくらいはしてやらんとな」


 波に揺られるボートにサンダルフォンを寄せて引き揚げてみて私達は……いや私は思わず息を飲んだ。

 ボートにはひとりの女性が横たわっていた。

 身体にべったりと張り付いた薄い青い髪と……同色の肌には薄っすらと鱗の様なものが見てとれる明らかに私達とは違う生き物。


「……"海人"か……」


「これが……"海人"?」


 私がこの海に出てから幾度となく戦ったことのある"海人"だけど、こうして見るのは初めてだった。

 もちろん陸にいた時だって教科書や本で読んだことがあるだけで実物を見たことはなかった。


「どうするっスか?艦長」


「残念だが死んでるなら海に帰してやるのが……うん?おいっ!こいつまだ生きてるぞ!」


「えっ?」


「ちっ、また厄介なもん拾っちまったな」


「艦長どうするっスか?」


「どうするって……お前……仕方ないだろ?」


 チラッと私を見てソナタが肩をすくめる。

 こうしてサンダルフォンにいわば招かざる客として彼女が乗ることになった。


 医務室のベッドに寝かされた彼女は今は静かな寝息をたてている。

 随分と衰弱してはいるものの命に別条はないとドクターであるキトリさんはボソボソと話してくれた。

 キトリさんは30代半ばくらいの長身の女性でソナタと同じ黒髪黒目の"海の民"だ。

 私は自分で言うのもなんだけど、身体は丈夫なほうなのでサンダルフォンの医務室に来ることが今まで一度もなかった。

 そもそも医務室があるのを知らなかったくらいだ。

 先日のバーベキューの折にもキトリさんは艦から降りて来なかったから更に会う機会がなかった。

 ソナタが言うにはおそろしく出不精でほとんど医務室から出てくることがないらしくソナタですら久しぶりに顔を見たそうだ。


「ねえ、ソナタ。"海人"って陸でも生きていけるの?」


「ああ、問題ないな。ほら見てみろよ、首のところにエラがあるだろ?"海人"は海中ではエラ呼吸だし陸に上がれば肺呼吸も出来るからな」


「海の中でも大丈夫なんだ……」


「昔風に言うと人魚みたいなもんだな。まぁそんな可愛いもんじゃねーけどな」


 確かにそんな可愛いものではないのだろう。なんといっても"海人"と"海の民"は戦っているのだから。


「この子……どうするの?」


「うん?そうだな……青髪に青肌ってことは南の方の"海人"だからなぁ。本人次第だな」


「髪の色とかで違うの?」


「ああ、俺も詳しくは知らんがそうらしいな。俺達がやり合ってた連中は緑の髪に緑の肌だったし、何か色々いるみたいだぞ」


「……敵じゃないの?」


「あ〜、うん。まぁそうだろうな。南側は比較的穏やからしいし、これから向かうフォールキャニオンなんかは未だに共存してるって聞いたからな」


「そうなんだ……」


 てっきり"海人"というのは全部が全部敵対しているものだと思っていた。

 学校でもそう習ったし本にもそう書いてあった。

 ソナタが言うには陸で教えられている"海人"に関する情報はほとんどが根も葉もない嘘だそうだ。

 人を襲うことはあるけれど食べたりはしないし、元々は同じ人間だったそうだから少し考えれば分かることだ。

 何年か前までは"海人"と"海の民"は仲が良かったわけでもないが、お互い上手く共存共栄をしていたからそれなりに近しい隣人といった感じだったそうだ。


 いったい何があって"海人"は"海の民"や陸を襲うようになったんだろう?



 ◇◇◇



「ミハル、ちょっといいか?」


「ソナタ?うん、ちょっと待ってね」


 部屋でうたた寝をしていると鉄扉がコンコンと叩かれソナタの声がする。

 通路ではソナタが何やら難しい顔をして壁にもたれかかっている。


「どうしたの?」


「ああ、あの"海人"が目を覚ましたんだが……」


 薄暗い通路を歩きながらソナタが口を開く。


「え?記憶喪失?」


 ソナタが言うには"海人"──彼女は一切の記憶を失っているらしく自分の名前すらも分からないらしい。

 キトリ先生が言うには何か余程怖い思いをしたのではないかということのようで、あんなところを救命ボートで漂流していたのを考えれば納得のできる答えだ。


「先生、具合はどうだ?」


 ソナタの問いに対してキトリ先生はかぶりを振りお手上げのポーズをとる。

 ベッドには上半身を起こし不思議そうに私達を見る"海人"の少女。

 濡れていた髪はすっかり乾き海のような綺麗な青色の髪が真っ白なシーツに流れている。

 クリッとした大きな瞳は深海を思わせるような青。


「何にも覚えてないのか?」


「……みたいね」


 ベッドの横にソナタと私が座ると彼女はビクッと体を震わせ身を硬ばらせる。


「あ〜俺こういうのはダメだわ。うん、パス、ミハル後は頼んだ」


 彼女を一瞥しただけでソナタはさっさと座ったばかりの席を立ち逃げるように部屋を出ていく。


「え?ちょっと!ソナタ!〜〜ん?」


 慌てて席を立とうとした私は何かに引っ張られ視線を落とすと、"海人"の少女が震える小さな手で服の裾を握りしめ私を見上げていた。


 はぁ……もう、しょうがないなぁ。

 仕方なく私は座りなおし彼女と話をすることにしたのだった。



「そっか……じゃあホントに何にも分からないんだ?」


「……ウン」


 彼女──名前がないと困るのでアオちゃんと呼ぶことにした──はそう言ってベッドの上で膝を抱えて丸くまる。

 どこから来てどこへ向かうのか、自分が誰なのか、名前も何も分からない少女。

 わかっているのは彼女、アオちゃんがソナタが言う南側の"海人"であるぐらいだった。


「ミハル……ウミノヒト?」


「私?ううん、私は陸から来たんだよ。ソナタ……さっきの男の人についてきたの」


「リク……ソナタ?」


「そっ、私達は残念だけど海の中じゃ生きていけないからね」


「ミハル……リク。アオ……ウミ」


「うん、そうだね。アオちゃんは海の人だね」


 アオちゃんは片言ながらちゃんと言葉を話す。私は"海人"について片寄った偏見しかなかったのかもしれない。ただそう教えられてきたってのもあるけど、こうして話しているぶんには私と姿が違うだけで他は何も変わらない。

 教えられたような化け物などではないように思う。

 後でソナタにその辺りのことを詳しく聞いてみよう。


「じゃあアオちゃん、私はそろそろ戻るね」


「……ミハル……」


 ぎゅっと私の服を掴む小さな手は震えていて。

 私はそっと彼女を抱きしめて優しく頭を撫でてあげる。


「大丈夫、大丈夫だから。またすぐ来るからね」


「……ウン」


 抱きしめた小さな体は微かに塩の香りがして、そして想像していたよりフワリとしていた。


 医務室を出ると通路ではソナタが待っていた。


「あれ?ソナタ戻ったんじゃなかったの?」


「ん?ああ、ちょっと気になることがあったんでな」


「気になること?」


「……瞳の色がな。今思えばおかしかったんだ、なんで気がつかなかったんだ。俺は」


「何の話?瞳の色って?」


「俺達を、街を襲った"海人"は全員瞳の色が真っ赤に染まっていた。気色悪いくらいにな。さっきあの子を見て思い出した、昔はそうじゃなかった。"海人"の瞳は皆深い青だったはずだ」


「どういうこと?」


「わからん、わからんが……やけに気になる」


 ソナタはそう言って真っ暗な窓の外を眺めた。

 そこは赤も青もなく、ただただ漆黒の闇だった。

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