⑥
こんな時間に宅配便でもないだろうに。そう思ってカメラを確認すると、女の顔が大写しになっている。
悲鳴を上げて後ずさる。
インターフォンはその間も何度も鳴り続けた。
耳をつんざくような騒音の連続に耐えかねて、慎重にマイクに向かってどちらさまですか、と尋ねた。
『先生、いらっしゃるんじゃないですか』
由美子さんだった。
『いらっしゃるなら早く上げてくださいよ』
由美子さんは抑揚のない声で言った。
私はスマートフォンをキッチンに置いてきてしまったことを後悔した。怪談話を読んでいたためどうしても幽霊の類が訪問してきたと思ってしまい恐ろしかったが、よく考えればこんな時間に訪問してくる人間の方が常軌を逸していて危険だ。それに――
「由美子さん、どうして私の家を知ってるの」
『は、は、は』
由美子さんが笑うと真っ暗な口の中がカメラに映る。
『そんなことどうだっていいじゃないですか。とにかく上げてくださいよ。どうせ読んでないんでしょ』
「どうでもよくはないですよ!」
この女は異常者だ。下手に刺激してはいけない。分かってはいても恐怖と怒りでどうしても声を張り上げてしまう。
「はっきり言って異常ですよ、自作の小説を私が読んだか読んでないかの確認のために家まで来たんですか?おかしいですよ!警察に通報しますから!」
『読んでないから来たんだろうがぁ!!!!』
インターフォンがビリビリと震えている。由美子さんは顔をカメラに押し付けて、目を限界まで見開いていた。
『お前読んでないだろ、だからそうやってヘラヘラ生きてられるんだろ、あたしが読ませてやるよ、最後まで読ませてやるよ、だから読めよ、最後まで読めっ読めっ読めっ読めっ読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め読め』
由美子さんは頭を前後に揺すりながら、読め、と繰り返す。その度に扉に頭がぶつかるようで、玄関から鈍い音が聞こえた。扉一枚しか隔てていないのが恐ろしい。何をするか分からない。警察を呼ぶにしても何とか落ち着かせなければいけない。
「よ、読みましたよ」
何とか声を絞り出す。
「全部読みました、全部繋がってるって意味も分かりました。すごく面白かったです、由美子さん才能が」
『は?』
由美子さんはぴたりと動きを止めた。
『全部読んだんですか?』
「はい、全部読みました。お豊の祟りみたいな話……」
『嘘つくんじゃねえよ』
カメラに映る由美子さんは、私のことを見据え、睨みつけていた。
『全部読んだならどうしてあんたには何も起こってないんだよ』
地の底から響くような声だった。
『あんたが悪いんじゃないか。あんたが企画したんだろう、■■旅行』
■■、と言われて思い出す。確かに去年の「まるだいの会」の旅行の幹事は私で、一番安くいけてかつ温泉もアクティビティも充実しており、年齢に関係なく誰でも楽しめる■■を選んだのだ。
途端に電流のように頭に言葉が流れ込む。
鯛めし。たこ飯。ラーメン。渓流下り。硫黄のにおい。姫だるま。
私たちが行った■■は、まさか――
『あんなとこにいったからあたしはさぁしらべちゃってよんじゃってそれからもうみえてみえてしょうがないんだよはってるんだよわいてるんだよこっちをみてるんだよどうしたらいいんだなんであんたはどうにもなってないんだよなんで?なんで?あんたもよんだの?よんでないんだろ?だからへいきなんだろ?みえないんだろきこえないんだろ?あんたのせいだよだからはやく』
突如声が聞こえなくなった。由美子さんはカメラに張り付き目を開いたまま小刻みに震えていた。
『き た』
由美子さんの体が跳ね上がった。宙に浮いている。腕がバラバラの方向にねじ曲がり、壊れた操り人形のようにぐらぐらと揺れた。
――ギシ、ギシ、カサカサ
肩が重くなる。肺が圧迫されてうまく呼吸ができない。足に力が入らないのに、カメラからどうしても目が離せない。
――ギシ、ギシ、カサカサ
由美子さんの手足が限界まで捻られて、千切れた。その姿は、まさにだるまのようで。
最初は腹、次に胸、次に首。骨のひしゃげる音と耳を塞ぎたくなるような咀嚼音とともに由美子さんだっただるまはじわじわと消えていく。
カメラはもう何も映していない。私は立ち上がることができない。
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