ある少女の告白

「お松ちゃんは賢いわね」

 東京から来た妙子先生がそう言いました。

「お松ちゃんなら、上の学校に行けるわよ」

 そう言って頭を撫でてくれました。

 私は妙子先生が大好きでした。美しく、賢く、巣蜜のようなにおいがする妙子先生。妙子先生だけは私をほめてくださいました。

 それに、学校も好きでした。ほかの子が好むおはじきや姉さんごっこ、冒険小説や漫画本よりか、数字や図形を眺めているほうがずっと楽しかったからです。

 試験はいつも満点でした。でもそれを見たお父ちゃんに横っ面を張り飛ばされてしまいました。

「女に学問はいらん」

 お父ちゃんは試験の紙をぐりぐりと踏みにじりました。

「こんなもん良くったって糞の役にも立ちゃしねえ。おめえはただでさえ器量が悪いんだ。学問などをしてる暇があったら女中仕事の一つも覚えやがれ」

 お父ちゃんは嫌いです。どうせ器量が悪いのだからと、私が粗相をするとすぐに殴ります。お父ちゃんは体格が良くて力も強いので、殴られるとしばらく腫れが引かないのです。

 頬を腫らした私を見て、お豊ねえちゃんがくすくすと笑います。

「おかめがほんとのおかめになった」 

 そう言ってくすくすと笑います。お豊ねえちゃんはここらで一番の美人です。でも、私のことをおかめと呼ぶから嫌いです。おかめというのは、つまり醜女しこめということです。

 お母ちゃんも嫌いです。お松はだから可哀想、が口癖です。お豊ねえちゃんのことばかりかわいがります。

 お父ちゃんに叱られたとき私はいつも物置へ行って、『のらくろ』を読みます。漫画本に興味がなくとも、『のらくろ』だけは好きでした。妙子先生が読ませてくれた大人向けの雑誌に、作者の田川水泡という人の記事が載っていました。


『野良犬黒𠮷、これがのらくろの本名です。お父さんもお母さんもない宿無しの黒𠮷はかはいそうな仔犬でした。

 でも野良犬黒𠮷はそんなことでへこたれるやうな意気地なしではありません。「艱難汝を玉にす」と諺にもあるように、のらくろはどんな辛いことにも悲しいことにも我慢して、いつも明るい心持で、元気にしっぽを振ってゐたのです。

 しかし何時まで野良犬でゐたくありません。今は名もない野良犬の黒𠮷でも、きっと立派な、それこそ世界一の名犬になって見せると、かたい決心をしてゐました。』


 私はのらくろに勇気をもらっていたのです。家族みんなに馬鹿にされる私でも、いつか、きっといつか。



「妙子先生のような立派な職業婦人になりたい」という私の思いは日に日に強くなってゆきました。妙子先生は東京の女高師を出て先生になったそうです。東京では職業婦人など珍しくもないと先生は言いました。

 いつしか東京は私のあこがれの場所になりました。勉強していても誰にも馬鹿にされず、女が働いても口さがなく言われることもない場所。私は東京に行きたくて仕方がありませんでした。



 ある日、妙子先生の弟さんという人が村に訪ねてきました。弟さんは妙子先生に似た目元の涼やかな美男子で、お豊ねえちゃんは、いえ、村の若い娘は皆、きゃあきゃあと声を上げました。娘たちが噂をするのを知ってか知らずか、弟さんは誰に対しても柔和な笑みを返すのでした。

 聞くところによると先生は軍医大佐のお嬢様で、弟さんもいずれは軍医科の士官になられるということです。

 そして妙子先生をいずれは、東京にあるご実家に連れて帰らねばならないと言うことでした。

 若くて美しい都会の人は本来このような田舎にいていいようなものではないし、このままだと行かず後家になってしまう。お母ちゃんはそう言いました。分かってはいても、私は悲しくて悲しくて、妙子先生と離れるのがいやで、涙が止まりませんでした。

 先生は私の甘ったれた戯言を聞いてくださいました。私の頬をそっと撫でて、

「ちょうど弟は東京へ連れて行く女の人を探しているのよ。私から頼めばお松ちゃんも一緒に行けるかもしれないわ」

 と言ってくださいました。

 私は途端、舞い上がりました。頭の中は夢のように綺麗な東京のお屋敷で、妙子先生と姉妹のように机を並べて勉強する想像で一杯でした。



 それからしばらくして、学校から帰るとすぐ弟さんがうちを訪ねてきたのです。私は喜びを隠しながら、けだし淑やかに見えるよう三指を付きました。

「ここに豊という女はおるか」

 弟さんはよく通る声でそう言いました。

「私でございます」

 お豊ねえちゃんはよそいきの声で答えました。

「ははあ、これは可憐な」

 弟さんはお豊ねえちゃんをじろじろと舐め回すように見て、微笑みました。その微笑みの、なんと酷薄なこと。いつもの、娘や子供たちに対する微笑みとはまるで違います。私は恐ろしくなって、もう弟さんの顔をふたたび見ることはできませんでした。

 弟さんは舶来ものだという、べっ甲の簪をお豊ねえちゃんに渡して、支度しておけと言って帰っていきました。

 それから弟さんが東京に帰る迄、毎晩お豊ねえちゃんはめかし込んでどこかへ出かけるようになりました。



 弟さんが東京に戻ってからふたつきか、みつきかした頃でしょうか。私はその日、お母ちゃんが火鉢に火を起こしている横で妙子先生が貸してくださったご本を夢中になって読んでいました。そこへドカドカと、およそ若い女とは言い難いような足音を立ててお豊ねえちゃんが駆け込んできます。そういえばお豊ねえちゃんは近頃腹まわりがふくよかになったような気がするなあ。そんなことを思っていると、お豊ねえちゃんがお母ちゃんに耳打ちでなにかこそこそと告げました。するとお母ちゃんは飛び上がって喜びました。その晩はお祝いになりました。怒鳴ってばかりのお父ちゃんもひどく上機嫌でした。親戚や、村中の人が集まって、お豊ねえちゃんをお祝いしました。さすがお豊ちゃん、さすが小町、さすが、さすが、さすが。皆がお豊ねえちゃんを褒めていました。

「あたし奥様になるのよ」

 お豊ねえちゃんは笑っています。私が厠に立とうとすると、

「あんたももう少し可愛いければ、端女くらいにはしてあげたのにねえ」

 と言いました。



 そこから先はよく覚えていません。気が付くと私の手には粉々に砕けたべっ甲の破片がありました。



 次の日、お豊ねえちゃんは血眼になって何かを探していました。鬼のような形相で私に詰め寄り、

「あんた、どこやったんね」

 と聞きました。

 私が知らないと答えると、私の頬を何度も打って、終いには足蹴にしました。何度も、何度も足蹴にされました。私は笑いをかみ殺すことに必死になっておりました。

 お豊ねえちゃんの羅刹のような振る舞いを見て、さすがのお母ちゃんも飛んできて、お松に当たったって仕方なかろ、と庇ってくれました。


 お豊ねえちゃんが天井の梁に首を括っているのを見つけたのも私です。

 雪白の肌はどす黒く染まり、小鹿のような目はだらりと飛び出しておりました。ねえちゃんがゆらゆらと揺れるたび艶やかな黒髪が床を擦り、垂れ流しになった大小便が床にシミを広げるのでした。


 お父ちゃんは前よりお酒を沢山飲んで、一日じゅうわめき散らすようになりました。お母ちゃんは腑抜けのようになって、ぼうっとお豊ねえちゃんの着物を眺めています。

 まるでお豊ねえちゃんがいなくなってしまったかのように。

 でもお豊ねえちゃんは生きています。

 夜中に天井に釣り下がって、目と舌が飛び出た顔のまま笑っています。

 また今夜もお豊ねえちゃんの髪が床板をこする音が聞こえます。

 お豊ねえちゃんは生きています。

 だから私は悪くないのです。

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